第9話 私を讃え、輝かせよ

 サロアがいつもの森の中へ入ると、モレットはすでに特訓の準備を始めていた。べつにそれ自体は珍しいことではない。サロアの方が時間に無頓着なのは、イサネやゼンキチも知るところだ。

 しかし……今日のモレットはどこか様子が違う。

 短刀を腰に差す彼の背中に向けて、サロアは訊ねる。


「一体どうしたんだ? 今日の特訓を打ち合いにしてくれなんてよ」


 モレットが特訓の内容を変えてほしいなどと頼んでくるのは珍しかった。走り込みが好きじゃないのは気づいていたが、それでもサロアの指示したことには、一切抗議せずに従ってきた。

 何かあると直感して、こちらを振り向いたモレットがすぐに短刀を構えた瞬間、確信した。


「明日は、この国で一番大きなお祭りがあるらしいよ。今まではずっと特訓で城下町のほうには行けなかったけど、今日サロアに勝ったら僕も行っていいかな?」


 こんな強気な発言も、モレットらしくない。


 ……こいつ、何があった?


「ああ、好きにしろよ。俺に尻尾を使わせることができたらな」


 そしてサロアが木剣を抜こうとした、その刹那——

 モレットが間合いに入ってきた。

 その袈裟斬りをぱっと躱し、サロアは木剣で短刀を弾いた。

 不意打ちなど初めてのことだ。さすがに驚いたが、サロアはすぐに冷静さを取り戻した。

 戦いは余裕を失ったほうが負ける。ごくたまに、余裕を失っても反射神経だけで攻撃と防御を繰り出せる者がいるが、それは何年、何十年と修行を積み重ねてきた者だけだ。

 サロアは自分がまだ、その域まで達していないことをわかっていた。


 モレットが再び攻撃を仕掛けてくる。自分の流れに引き込もうとしているのだろうが、短刀の速度や斬撃の威力が爆発的に上がったわけではないため、防ぎつつ反撃に出るのも容易い。正直、すでにサロアはモレットの思惑に気づいていた。目に見えて、いつもと違うからだ。

 モレットはいつも、特訓を始める前に臙脂色の外套は脱いでいた。今日はそれをひらひらさせながら戦っているのだから、変に思わないほうがおかしい。

 警戒を怠ることのないサロアにとっては、もう何が起きても対処できる自信があった。

 それでもやはり、今日のモレットは違う。いくら木剣で殴っても、めげずに短刀を振ってくる。

 モレットにとっては残念なことだが、サロアの心が油断することは、ますますなくなった。


 そして、ついにその時がきた。

 木剣を避けられモレットが攻撃へ転じる。短刀による二連撃。まだまだ粗いが、その太刀筋は見違えるほど綺麗になった。

 だがサロアは難なくそれを掻い潜り木剣を振りかぶる。その時だった。

 鉈による水平斬りが眼前に襲いかかってきた。

 サロアは跳び、空中で身体を捻って免れた。


「惜しかったな」


 着地し、回転した勢いを殺さぬまま再び跳んで、モレットの顔めがけて回し蹴りを放った。

 手加減はしているが、それでも痛みは大きいはずだ。

 転がってもすぐに体勢を立て直そうとするモレットだが、その動きは遅い。


「外套の下に、何かを隠してるのは推測できた。まさかそれが、鉈だとは思わなかったが」


 サロアが得意とする攻撃方法だった。持っている武器に集中させて、ほかに隠していた武器で仕留める。サロアの場合は基本的に尻尾を使うことが多いが。


 それにしても……鉈を使ったのは意外だったな。爺ちゃんが、とか、狩猟用だから、とか言っていたくせに。昨日の今日で何があったのか知らないが、間違いなくこの男の中で、何かが吹っ切れたのはたしかだ。


 尻尾を使うには至らなかったが、しかしサロアは満足だった。


 それでいい。実力差がある相手に勝つには、頭で考えて卑怯とも思えるような手を使うしかない。そうやって、強くなるしかねぇんだ。


「さて、そんじゃあ今日はもう帰るぞ。少し強めに当てちまったからな。よく冷やしとけよ。明日の特訓も休みでいいから——」

「賛私……燦燦……」


 短刀と鉈を離さずモレットはなおも立ち上がった。けれどもやはり、回し蹴りの一撃が効いているのだろう。足は震えている。


「おいおい、もうお前の手は見切ったんだ。鉈を懐に隠しても同じ。これ以上やっても今日は勝てねぇよ」


 サロアが告げるが、モレットは聞かなかった。短刀と鉈を構え、攻撃してきた。


「まだだよ、サロア!」


 やっぱりガキだな。熱くなっちまってる。それじゃあ、どうやったって無理だ。


 もはや両手の武器をろくに使わせる暇も与えず、サロアはモレットを圧倒した。それでもモレットは攻撃をやめず、どんどんと二人は森の奥深くへと移動していった。辺りが暗くなったのは、陽が落ちてきたせいだけではない。

 モレットの瞳も、いつの間にか金色に変化している。

 サロアは苛つき始めていた。モレットの愚かさもあるが、腹が減ってきたからだ。


 いい加減終わらせるか。モレットには悪いが、気絶してもらおう。


 サロアは最後の攻撃を仕掛ける。振った木剣は短刀で防がれたが、サロアはさらに力を込めて、そのまま振り抜いた。モレットは短刀を失い衝撃で上体を崩す。が、恐るべきことに上体を崩したまま、左手の鉈で切りつけてきた。


 すげぇ執念だが、同じ手はくわねぇよ。


 サロアはいとも簡単にそれを蹴り、モレットの腹へ木剣を突く。

 もうこの男に手はない。確実に当たると思った、一瞬の気の緩み。

 サロアの木剣は薙ぎ払われた。


 なに⁉ 短刀は飛ばした。左手の鉈も使えねぇ。一体何を——!


 モレットの右手にあったのは、短刀の鞘だった。すぐさま左手の鉈が逆袈裟に斬りつけてくる。サロアは地面に唯一着いている左足に全体重をかけて、身体をのけ反らせた。

 そして鉈が空を切る、その一秒にも満たぬ間に素早く腹筋へ力を込め、サロアは体勢を戻した。正真正銘、これで最後の一撃。モレットの右手の鞘よりも、自分の木剣のほうが早く届く。武器の違い、間合いの差だ。


「マジでよくやったぜ、モレット。だが今日はもう終わりだ!」


 ――その時、ふと頭にこつんと何かが当たった。

 頭上から細長い物がたくさん降ってきて、サロアは反射的に回避行動へ移った。


 これはなんだ? 木の……枝⁉ しまった——


 罠を張っていたのだ。モレットの左手にあった鉈がない。さっきの逆袈裟切りは頭上に投げつけて、予め木の上に積んでいた枝を落とすためか。

 サロアは即座に、モレットへ視線を戻す。が、もう遅かった。

 距離を詰めてきたモレットの鞘が、首筋に当たろうとしていた。


 ちっ……‼



 サロアは咄嗟に、尻尾を使った。







  ***


 目が覚めるとゼンキチの家だった。

 部屋の中は薄暗く、月が半分目を閉じて窓から覗いている。少し体を動かすと、身体中に痛みが走った。それでようやく、サロアとの激しい打ち合いを思い出した。


 いたた……。そうだ。あの時たしかに、サロアは尻尾を使った……。


 自分が勝ったことを知って、だけどまるでその実感はなかった。戦っている時は無我夢中だった。ただ必死に鞘を使うことを悟られないように、サロアの目を鉈に集中させた。それだけの作戦なのだと思い込ませるために、見破られたあとも何度も何度も立ち向かった。そして陽が暮れ始めて、いつものようにサロアがお腹を空かせた頃を見計らって、森の中へと少しずつ、サロアを誘導した。

 それから——

 突然襖が開いて、部屋に明かりが差し込んできた。イサネが入ってきたのだ。彼女はモレットが起きていることに気づくと、固まったように立ち止まった。


「モレット! 起きたんだ!」


 モレットは微笑んだ。サロアに勝ったことを、これでもかと自慢したかった。けれどいつものようにイサネが先に話を始めたため、モレットもいつものように聞き手に回った。


「修行のこと聞いたよ。悔しいのかサロアの奴、今ご飯やけ食いしてるけどさ、ホント手加減ってもんを知らないよね。しかもそれで怒ろうとしたら、なぜか一緒に聞いてたミツ兄は爆笑してさ……ホントわけわかんない。笑うよりも大人として怒れよって思ったんだけど、モレットはどう思う?」


 それを聞いて、モレットも笑ってしまった。きっとヨシミツは、モレットが勝ったことを喜んでくれたのだろう。もしくは、話をした昨日の今日でサロアに勝って、驚いたのかもしれない。

 それにイサネもイサネだ。心配して部屋に来てくれたはずなのに、いきなりそんな愚痴みたいな話をするとは。


「えぇ⁉ なんでモレットも笑うの? 全然笑えるとこないって」

「ごめん、ごめん」


 痛むお腹を抑えながら、モレットは謝った。そして布団のそばに座りこんだイサネの目を見て、礼を言った。


「ありがとう、イサネ。君のおかげもあって、サロアに勝てたんだ」


 案の定イサネは、何のこと? と言いたげな顔をした。


 トレースでメイスと戦った時、木の中に身を潜めたイサネの攻撃で倒すことができた。それをモレットは再現することにした。昨日のヨシミツとの会話のあと、それと今日の早朝に、それを仕掛けた。木の枝をかき集めて外套にくるむと、予め決めていた木々に登って、慎重に積み上げて隠した。大して時間がかからなかったのは、木の枝がたくさんある場所を知っていたからだ。これは、初めてヒノキに着いた時の記憶だ。森の中から現れた鬼が、バキバキと木を折って出てきたのを思い出した。

 そして鉈や鞘を隠し武器として使う発想は、サロアとサツキの戦いから得た。サツキが契器グラムの能力でサロアの後ろに回った時、その外套の下に隠していた尻尾に全く気づけず、攻撃を受けていた。

 少し卑怯な手だとは思ったが、ヨシミツに言われたように、天と地ほどの力の差がある以上、それを少しでも埋めるには手段を選んでいる場合ではなかった。鉈を使うことに決めたのも同じだ。そして必ず倒すという強い意志を自分に持たせるためだった。おかげで、短刀の鞘から目を逸らさせることにも成功した。

 これまでの経験がなければ、サロアに勝つことはできなかった。


「旅をしてきてよかった……」


 モレットがぽつりと呟く。するとイサネは笑いだして、「今更?」と言った。


「そうだね。今更だった」


 モレットもまた笑う。


「ところで、私のおかげでサロアに勝てた理由を、まだ聞いてないんだけど」

「イサネっていうか、今までの旅のおかげってことだよ」

「いや全然わかんない!」


 ねぇ、と問い詰めてくるイサネをよそに、モレットは窓の外の半月を見上げる。薄い雲がかかる蒼い夜空は、なんとも美しい。


 ヨシミツさんの言う通り、僕は少しずつ強くなれてたんだ。おそらく、これからもっとサロアの特訓はきつくなるだろうけど、今はこの感傷に浸ってもいいよな。


 半月の光が身体の痛みに染み渡るような気がして、心地が良かった。




 サツキたちは今頃どうしてるだろうか。

 身体はちゃんと回復しただろうか。

 少しはローレンスの生活に慣れただろうか。


 いや、フィノがいるから心配ないか。

 二人一緒に、楽しく過ごせてるといいんだけど……。

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