第8話 勝つための方法
風を穿つほどの勢いで迫る木剣の切っ先を、モレットは死に物狂いで躱す。散っていく汗の量は、もはや計りきれない。
すぐさま、今度はこちらから短刀で斬りつける。避けられても素早く順手から逆手に持ち替え追撃を試みるが、サロアの攻撃の方が早い。足蹴にされ、後退を余儀なくされた。
すでに何百回と短刀を振っているが、一向に有効打を与えられていない。サロアは余裕の表情でその後もモレットの攻撃を躱し、木々へ飛び移った。
朝からやり続けて、もう日が傾き始めている。焦りがモレットの心を襲っていた。
郊外で鬼が出現し、ヨシミツも共に暮らすようになってから、四日が経過した。サロアは特訓の内容を少し変え、休憩時間を増やして、打ち合いと筋力強化を主軸に変更してくれたが……。
何度挑んでも、尻尾を使わせることができない。だいぶ木剣を躱せるようにはなったけれど、それだけだった。
甘さは捨てたつもりだ。本気で短刀を斬りつけなければ到底勝ちえないとわかったし、迷いがなくなり太刀筋も綺麗になった。
体力も少し向上し、走り込みはまだまだつらかったが、今ではローレンスまで続く細い山道の中を、オールの花を探しながら走る余裕もでてきていた。
筋力もかなり付いてきて、打ち合いのあとの腕立てたちの回数も十ずつさらに追加された。
それでもまだ、自分には足りないものばかりだと痛感する。
「腹が減ってきた。次で最後だ、モレット」
サロアが自分のお腹を撫でると、乗っている大木を蹴って木剣を振りかぶってきた。
こういう時のサロアはいつもこうだ。特訓を終わらせたくなると速度が上がって、木剣を振る力がさらに増す。早くモレットを倒そうとするのだ。
転がって回避するが、間髪入れずに追撃がくる。モレットはそれを短刀で防ぎ、そう簡単に特訓を終わらせまいと必死に抗う。
が、身軽に宙返りを見せるサロアの動きに対応できず、結局投げ倒されてしまった。
「よし、終わりだ! じゃあお前はいつもの腕立て、腹筋、屈伸運動な」
モレットにそう指示すると、サロアは足早に、
「メッシだ、メシメシ~」
ゼンキチの家へと帰っていった。
境内に取り残されたモレットは一人、地団駄を踏んで腕立てを始めた。
その後も、一日走り込みを挟んで打ち合いをおこなったが、モレットはなんの成果も出せなかった。
毎日同じことを繰り返す自分に嫌気が差してくる。サロアは何も言わずに、ずっと付き合ってくれているのに。
震える筋肉を意地と怒りで抑えながら屈伸運動の百十回目まで終えたモレットは、くそぉ……と肩を落としたまま、臙脂の外套を肩に掛けて、境内の階段を下りていく。
どうすればサロアに勝てるのか、さっぱりわからなかった。
情けない、情けない、情けない……!
「モレット。今日も特訓のあとか? こんな場所でやっていたんだな」
下ばかり見て帰っていたせいで、前からヨシミツが来ていることに、まったく気づかなかった。
「……ヨシミツさん。はい、サロアがこの場所が好きみたいで」
モレットはまた視線を落として、ヨシミツの横を通り過ぎようとしたが、
「大丈夫か? だいぶ落ち込んでいるようだが」
ガシリと肩を掴まれ、止められた。
「少し話すか。そんな顔で家に戻っても、親父やイサネからしつこく聞かれるだけだぞ」
ヨシミツが穏やかな笑みを浮かべる。そんな優しい口調で言われたら、モレットには拒否することなどできなかった。
「……サロアに勝てる気がしないんです」
境内の階段の最上段まで戻って、二人はそこに座り込んだ。少し生温い風がモレットの短い前髪を上げ、額を撫でた。もうじき、雨の季節がやってくるかもしれない。
眼下に広がる町を見渡しながら、モレットは続ける。
「僕の攻撃は容易く躱されて、だから隙を生むことさえできない。次第にサロアの動きについていけなくなって、最後は呆気なく倒されるんです。足りないものばかりなのに、何が足りないのか自分でもわからない。みんな、どうやって強くなってるんでしょうか」
ヨシミツは赤く染まった空を仰いで、そしてモレットに顔を向けた。
「サロアの力がどれほどのものなのか、俺は見ていないから知らないが……きっとまだお前とあいつとの間には、天と地ほどの力の差があるんだろうな」
心に深く突き刺さってくる。自分が感じていたことを改めて言葉にされ、モレットはますます自信を失った。
「だがな、だからといってお前がサロアに勝てないわけじゃない。これは極端な話だが、仮に今の修行を五年、十年と続ければ、いずれ勝てるようになるだろう。人間というのはそういうものだ。成長の速度は人によって違うが、何かの練習や稽古をずっと続けていけば、少しずつでも確実に進歩していくものだ。お前は間違いなく、強くなっているはずだ」
「そう……なんでしょうか……」
モレットには、それを肯定できるほどの要素がなかった。仮に五年、十年、サロアが修行に付き合ってくれたとしても。
それに何より……。
「わかっている。お前が旅をしている理由は、この前聞かせてもらったからな。母を救うためにオールの花を探しているお前に、五年も十年も修行を続ける時間はないだろう。俺がお前の立場でも同じだ」
「それじゃあ、僕は——」
「時間がないときは、頭を使うしかない」
ヨシミツはもう一度空を見上げて、言葉を続けた。
「これまでの修行を思い出して、サロアの言葉や動作を思い出して、対策を立てるんだ。それも今はまだ難しいだろうから、せめて明日からは、奴を分析する気持ちで戦ってみるといい」
「対策……」
モレットは城下町の奥に位置する、赤色の城を見つめた。空が変化するたびに色を変えて景色に溶け込むその城の名前は、
たしかサロアが言っていた。鏡みてぇになってるんだぜ、バカだろ、と。
ほかにサロアはなんて言ってたっけ……。
「
ヨシミツが静かに唱える。どこかで聞いたことのある言葉だった。
あれは……イサネとフィノと一緒に、サツキを探していた時だ。イサネが唱えたんだ。あのあとルカビエルたちと再会して、サツキを見つけられた。もう遠い昔のようだけど――。
サツキ⁉ サツキか!
「私を讃え、輝かせよ。己を叱咤し鼓舞するための、ヒノキの武士に伝わる言葉だ。仲間と団結する時や、ここぞという時に唱えてみろ。力が湧くぞ」
ヨシミツが立ち上がり、手を伸ばしてくる。
「表情が変わったな。何か思いついたか? その顔ならもう、親父やイサネに心配されることもないだろう。あの二人は、少年の心というものを知らんからな」
モレットはその手を掴んで腰を上げる。礼を言って頭を下げたあと、なぜかヨシミツは目を大きくして、もう一度「お前は強くなってるよ」と微笑みながら、朽ちた社のほうへ歩いていった。
なんでも、サロアとラグナが倒した鬼のことについて、調べにきたらしい。
少しだけ、イサネが羨ましいと思った。
あんな強い兄が自分にもいたら……母さんはきっと無事で……父さんもそばにいて……。この旅だって……。
いろんな『かもしれない』が心を巡りだして、モレットはそれを払うように、腰の短刀を帯から抜いた。
そんなことは、考えたところで無駄だ。僕には、僕にあるものしかないんだから。
それに、きっと僕にあるものは少なくない。
……やっと糸口を見つけた気がする。
頭は特訓のことへと切り替わり、サツキとサロアの戦闘を思い出す。まざまざと、一場面一場面を、ゆっくりと。
モレットはマメだらけの手で、短刀をぎゅっと握り締めた。
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