第7話 イサネの家族
「余裕だったな」
倒れた鬼に、それを覆いこめるほど大きな白布を被せているアイジロウを眺めていると、いつからそこにいたのか、ラグナのそばでサロアが仁王立ちになっていた。
「それにしても、どいつもこいつも人の獲物横取りすんのが好きだな。なぁ、赫雷のライトニングさんよぉ」
鼻をほじりながらサロアが顔を近づけてくる。その目は明らかに、
「あっ、今回は助けてもらったのかぁ~」
ラグナを馬鹿にして煽っていた。
殴りたいのを我慢して、ラグナは平然を取り繕い言い返した。
「遠くで見ていた貴様に言われたくはないな。臆していたんだろう?」
「んだとぉ」
「やめなよ、サロア。ラグナ活躍できなくて落ち込んでるんだから。私の足引っ張ることしかできなかったんだよ。ローグと同じ凄い騎士とは思えない」
誰のせいだと思っているんだっ……!
イサネにまで煽られて、それが一層、ラグナの拳をプルプルさせた。
するとそこへ、
「おぉ! イサネちゃんじゃないか!」
リョウと呼ばれていた武士がやってきた。近くまで来て、ラグナは初めて女性であることを知る。黒い髪こそ長く伸ばし後頭部で束ねているが、その体格はそこらの男よりも断然大きいのだ。おそらく普通に並べば、ラグナよりも若干高いだろう。
「あっ、リョウさん! お疲れさま!」
「その様子じゃあ、鬼を足止めしてくれてたみたいだな。ありがとう」
リョウが礼を言って、担いでいた金棒を下ろした。ドシンと鳴る重低音は、それがどれほど重いのかを物語っている。
「しかし存外、ローレンスの騎士も大したことないな」
その後ろから、さらにべつの武士が顔を出した。先ほどイサネが、「ミツ兄……」と、見つめていた鉢巻きの男だ。この男に関しては、ラグナよりも全然身長が高い。
そして明らかに、ラグナに対して敵対心を抱いていた。
「怪我人は、町民よりも騎士のほうが多いようだ……」
「反省している。俺自身も含めて、甘く見ていた」
まだまだ新米の、赤銅鎧の騎士だけで鬼の対処をさせるのはやめたほうがいいな。
鉢巻きの男はフッと笑った。
「気にするな。どうやら鬼は変異の途中だったらしい。力も硬度も、ただの
「一本角?」と、サロアが眉をひそめる。
「俺たちが勝手につけている呼び名だ。君も、ローレンスから来た者のようだが……ローレンスの手助けはいらない。鬼については我が国の武士で解決する」
男の目は、静かにラグナを威圧していた。この国で、武士と会うたびに言われた。一体なぜそれほど、自分たちを敬遠するのか。
この国には秘密がある。ずっと隠し続けているものか、ローレンスという異国との国交が始まったせいで、『秘密』として隠すことになってしまったのかはわからないが……。
ラグナは何も答えず、立ち上がっては武士たちに背を向けてその場を去る。
何度同じことを言われようと、どんな理由があろうと、俺はローレンスから命じられた任務を遂行するだけだ。
死んだ鬼の周りにはいつの間にか複数の武士が集合し、町民たちの目に映らないようにするため、移送の作業を始めていた――。
***
居間の襖が開いてイサネとサロアが入ってくると、モレットとゼンキチはホッと息を吐いて、畳に腰を下ろした。
「心配したぞい。城下町におったのじゃろう?」
ゼンキチが言って、モレットも頷く。
すごい振動だった。寝ていたモレットはそれで跳ね起き、居間にいたゼンキチと一緒に外へ出てみると、城下町に近い郊外のほうから煙が上がっていたのだ。
すぐに鬼が出たのだとわかった。
「大したことはない。家屋はいくつか壊されてしまったが、ほとんど町民に被害は出ていない」
答えたのは、イサネでもサロアでもない。
天井に頭がつきそうなぐらいの大男が、居間に入ってきた。短く刈られた短髪に、きりっとした力強い瞳。上は紺色の着物で、下は赤い袴。
胸筋も上腕筋もかなり鍛えられているのが、着物の上からでもわかるほど盛り上がっていた。
「ミツ兄!」
「ヨシミツ! 一緒じゃったか!」
「久々だな、イサネ。親父も、しばらく帰らなくて悪かった」
男が畳の上に胡坐をかく。するとイサネが、思い出したように口を開いた。
「あっ、モレット。この大きい人はミツ兄って言って、私の兄なの! 歳は三十で離れてるけど、ローグみたいに気楽に話してあげて!」
続けてモレットのこともヨシミツに紹介してくれて、二人は挨拶と握手を交わした。指の一本一本が太くて逞しい、まさに男らしい手だった。
イサネは兄と言ったが、その容姿に共通点はない。ゼンキチもイサネと血は繋がっていないと言っていたから……薄々感じてはいたが、イサネは
イサネはそんな身の上を、全く気にしていない様子だけれど……。
その後しばらくは、ゼンキチが用意してくれたコウラウサギの鍋を囲んで――どうやらゼンキチが気に入ったらしい――、それぞれ会話を楽しんだ。といっても、モレットは積極的に話すほうではないし、サロアは相変わらずご飯を味わうのに集中しているし、ヨシミツも口数が少ないので、ほとんどはイサネとゼンキチが場を回していた。
「ほぉ、オールの花……そんなものがあるのか?」
イサネに振られて、モレットが旅をしている理由を話していると、意外にもヨシミツが食いついてきた。ゼンキチと違ってお酒には強いようで、もう三本ほど瓶を空けているが、顔に赤みさえ出ていない。
「はい。それなら母さんを目覚めさせることができるかもしれないと……。でも、手に入れるのがもの凄く難しくて、正直、村を出たときに持っていた自信は、なくしてしまいました」
自分でも無意識に弱気を吐いてしまった。きっと、皆で食べているこの鍋のせいだ。こういう時はなぜだか、口が緩くなってしまう。
「だがそれは……」
酒を一口飲んでから、ヨシミツは答えた。
「君が情報を得た結果だろう。少しずつでも、前に進んでいるという確かな事実だ。あまり悲観することはないと思うが」
モレットの目を見て言ったわけではないが、それでもヨシミツの言葉からは、励まそうとする心が伝わってきた。
「……ありがとうございます」
モレットは頭を下げる。すると肩越しに、イサネが陽気な声を割り込ませてきた。
「そういえばね、そのオールの花を見つけるのが困難だから、同時に
場の雰囲気が変わった。
ヨシミツの表情が変わったから、だけではない。
サロアが、ガツガツとご飯を口につぎ込む音だけが、居間に響いた。
「宝具か……。
「え? うん、知ってるけど——えぇっ‼」
イサネが驚愕の声をあげて、さすがのサロアも、ご飯に集中できなくなったようだ。「うるせぇよ」とイサネを睨んだ。
「あれがそうだったの⁉」
話のわからないモレットは、首を傾げてゼンキチに訊ねた。
「武器か何かですか?」
「鬼砕棒といっての。一振りすれば、どんな鬼でも赤子のごとく倒せるという金棒じゃ」
「ホントに伝説の代物だよ! まさかゼン爺が知ってるなんて!」
「へぇ。そんなすごいものが……。それは、誰が持ってるんですか?」
「ない。そんなものは存在しない。残念だがただの伝説だ」
答えたのはヨシミツだったが、その言い方はさっきまでと違って、冷たいものだった。
「それにしても親父、たしかによく宝具という名前を知っていたな。ヒノキの町民でそれを知っている者は、そういないぞ。……まだ探しているのか?」
ヨシミツは険しい目つきで、ゼンキチを見つめた。
「探してる? ゼン爺も宝具を探してたの?」
イサネが訊ねるが、ゼンキチは酒を飲むばかりで、何も発さなかった。
「まぁいい。だがあまり夜は、外を出歩くなよ。近頃は鬼だけじゃなく、幽霊を見たという目撃情報も続出している」
「幽霊? 面白そうだな」
反応したのは意外にもサロアだ。
「まだ噂の域を出ないがな。君たちも用心はしておけ」
「私がいない間に、そんな奴まで……」
「だが今は、そんなことどうでもいいだろう。イサネ、久々にこうして話す機会ができたんだ。さっきの続き、お前たちの旅の話を聞かせてくれないか?」
そうして話題は再び旅のことに移って、居間にも明るい雰囲気が戻った。
囲炉裏で燃える炎に、パチパチと静かに鳴る木炭の音。それをかき消していくイサネの笑い声と、彼女を微笑ましく見守るゼンキチとヨシミツ。
「それでねー、モレットったら不用意に王女様の馬車に近づいて、賊と間違われて捕らえられてんの! 面白いでしょ! でもそれが縁でローレンスの王女様と出会うことができて、虹の湖も凄いの! 本当に七色で、めちゃくちゃ綺麗でね……」
囲炉裏に照らされる親子三人の顔は、皆楽しそうで。
ときにゼンキチに寄りかかって甘え、ときにヨシミツの肩を叩いて笑うイサネを遠目で見ていて、郷愁に駆られていたモレットはようやく気づく。
あぁ……そっか。
今まで旅をしてきて、イサネが親を探す気配をちっとも見せなかったのは、その必要がなかったからなんだ……。
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