第6話 武士に金棒
「あんたも黙ってよ」
今まで聞いたことがないほど、イサネの声は低かった。
三人は固まり、場に沈黙が流れる。
最初に動いたのはイサネだ。緑色の瞳は鋭くラグナを睨みつけたまま、その金色の髪にわずかに触れている剣をそっと離した。
「こんな所で争ったってなんにもならないから止めたけど……もしまた私の友達を悪く言ったら、今度は許さない」
「なぜ俺が、部外者の忠告を聞かなければならない? お前たちは勘違いしているようだが、俺はべつにここで戦っても全然構わない。忌人の協力者など、本来ローレンスに必要ないからな」
いちいち癪に障る奴だ。だが、イサネがキレてくれたおかげで、少し冷静になれた。
「まぁ、てめぇがどう思ってようが、どうでもいいぜ。とにかく俺はもう戦う気はねぇ。だからてめぇは、黙って情報を差しだせばいいんだよ」
こいつは俺たちをわざと挑発して、自分が剣を抜ける理由を作ってるんだ。腐っても騎士。無闇矢鱈に自分からは抜かないってわけだ。
ラグナがもう一度、鼻で笑う。
「お前の質問には答えたはずだ。あとは自分で考えろ。用が済んだのなら、さっさと帰れ」
「ホント……もう少し穏やかに話せないの? ローグと同じ『五つの凶器』ってのが信じられないんだけど」
イサネが肩を竦めて、ため息を吐いた。その一瞬、だが確かに、ラグナの目の色が変わった。そして彼が口を開きかけた直後——
地面が激しく揺れ、それとほぼ同時に赤銅鎧の騎士が、足をフラつかせながら部屋に飛び込んできた。
「わっ、わっ——」
倒れそうになるイサネを、意外にもラグナが支える。
「ライトニング様!」
「かなり近いな。動ける奴ら全員を、鬼のもとに向かわせろ!」
赤銅鎧の騎士が報告するよりも先に、ラグナが命令を下す。
「サロア!」
その間に、身体を起こしたイサネが腕を伸ばしてきた。その手を掴んだ瞬間、サロアはぐいっと引っ張られる。
なるほど、とイサネの考えを察し、腕に力を込めてこちらも引っ張る。
イサネはその勢いに任せて、赤銅鎧の騎士と一緒に部屋を飛び出していった。
素早い判断力。ラグナが騎士に命じて、すぐに自分も行くことを決めたのだ。この近くということは、町なかの可能性が高い。それも彼女を動かした理由の一つだろう。
揺れが収まり、サロアも動く。が、すぐに立ち止まって、後ろを振り返った。
「お前は行かねぇのかよ。最優先事項なんだろ?」
「行くさ。だが慌てて向かう必要もない。今動ける騎士は十人以上いるうえに、町であれば武士もいるだろう。気にいらないが……貴様もそう判断したんだろう?」
「まぁな」
実際、武士のことは考えていなかったが。
それでも、自分も力を貸す必要がでてくるかもしれない。
サロアが早足で部屋を出ようとすると、後ろから「ん?」と声がした。
ラグナが、畳に手を置いて硬直している。そしてバタバタと手を動かして、再び、「ん?」と声を出した。
「剣ならイサネが持っていっただろ」
サロアが言うと、ラグナはバッと顔を上げて、目を大きくした。
「なんだとっ⁉ 馬鹿なのか、あの小娘は⁉」
いや、気づいてなかったのか、こいつ。てっきりそれも含めたうえで、余裕こいてんのかと思ったら……。
焦り狂うラグナを見ていると、サロアはつい吹きだしてしまった。さっきまで厳格に恰好つけていた男は、もうそこにはいなかった。
ちょっとだけ気が晴れる。
「べつに問題なんてねぇだろ。イサネはそこそこやる奴だし、それに俺は知ってるぞ。てめぇらの剣は特別製で、そうそう折れることはないってな。雷の能力も、宿ってんのは剣じゃなくて鞘のほうだろ? 剣が
「問題はそこじゃない!」
ラグナが必死の形相で、横を走り去っていく。サロアはまた吹きだして、とうとう笑い声をあげてしまった。
片掛外套をはためかせながら走るラグナの後姿は、なんとも普通の男だった。
***
駐屯地を出ると、ヒノキ特有の打楽器である太鼓の音が、ドンドンとあちこちから鳴っていた。祭りやおめでたい日に使われる打楽器らしいが、現在のようにべつの用途で使われることもある。
警報だ。
遠くで何かが壊れるような音が聞こえ、続けて、たくさんの人の悲鳴が耳をつんざいた。
あっちか。
鬼の咆哮、家屋の崩壊する音、そして人間の悲鳴。
様々な音のするほうから、人の波が押し寄せてくる。ラグナは一瞬でそれに飲まれた。
人々の顔はみな同じ、恐怖一色。
存在しないはずの誰かの泣き声まで、聞こえてきた。
十年前の、戦争の記憶だ。『赫雷の剣』の後継者だからという理由で、まだ十七歳の新米騎士にも関わらず、忌人と使イ魔に占領された村……最も凄惨な戦場へと駆り出された。下卑た忌人の笑い声に、嬲り殺される村人たちの悲鳴。
助けを求めて泣き叫ぶ子どもの手を、ラグナは掴むことができなかった。
くそっ!
心に抱くあらゆる憎しみで正気に戻り、ラグナは赫雷の能力で瞬時に移動し、人の波を抜け出した。
損壊した家屋が見えてくると、地響きはさらに増した。
急ぐラグナの前に何かが降ってくる。
地面に落ちた瞬間、それは「うっ!」と呻き声を上げた。
赤銅鎧……ローレンスの騎士だ。
「大丈夫か?」
ラグナは片膝をついて、騎士の上半身をゆっくりと起こす。だが彼はなんの反応も示さなかった。首筋に指を当てる。どうやら気絶しただけのようだ。
その時、さらにドシンと音が鳴って地面が揺れた。
前方で一本の黄色い角を生やした真っ黒な巨体が、騎士たちを蹴散らしながらこちらへ近づいていた。
あのイサネとかいう小娘はどこだ? 先に出たくせに、まだ来ていないのか?
目を右に左に動かして彼女を探す。そして……ラグナは見つけた。
壊れかけた家屋の上から跳躍し、すでに鞘から抜いた剣で鬼を斬りつけていた。鬼の太い首筋に当たるが、かすり傷のように浅い。
「うわっ、すごい切れ味!」
感心しながらも、イサネは鬼の猛攻を蝶のように華麗に舞って躱す。しかもその際に鬼の至るところに剣を突き刺して反撃していた。
だがやはり浅い。全く攻撃が効いていないのを見て、イサネは一度距離をとった。
「くそぉ、これじゃあ倒せないなぁ。どうやったら雷出せるんだろう。サツキみたいに、本当の持ち主じゃなくても能力を引き出せるはずなんだけど――」
「おい、小娘!」
ラグナは全力で腕を振り、イサネのもとへ走った。
「その剣を返せ! そいつで戦うな!」
雷は出せるかもしれないが、調節もできない人間が使えば、体力を全部放出して死ぬ可能性がある。
「あっ、ラグナ! ごめん、気づいたら手に持ってたから……借りてる!」
「わかったから、返せと言っているんだ! 貴様では扱えん!」
その瞬間、鬼の鋭く尖った爪が二人を襲う。間一髪地面に飛び込んで二人はなんとか躱した。
「あ、あぶなかったぁ……」
「邪魔を。俺がすぐに仕留めて——って、おい馬鹿! やめろ!」
再び鬼に攻撃を仕掛けようと、イサネが飛ぼうとし——ラグナがその袴の裾を掴む。イサネは前のめりになって、上半身から地面に倒れた。
「きゃあ! 何すんのよ、変態! あんた向こうの味方なの⁉」
「そんなわけがないだろ! いいから俺に剣を返せ。そうすれば一撃で——」
突然視界が揺れる。前方から鬼の筋肉質な体躯が消え、そして二人の足元に巨大な影ができた。
鬼は、二人の頭上だ。
「マズい! 逃げるぞ!」
ラグナがイサネの腕を掴み、強く引き寄せた。
途轍もない量の砂埃が舞い上がり、その振動と衝撃波ですでに形を成していなかった家屋は、木くずの山へと変わり果てる。
吹き飛ばされたラグナとイサネは、砂に塗れながらも無事に生き延びていた。
「げほっ、ごほっ……くそっ、剣は無事か?」
「私よりも剣の心配? 信じられないんだけど!」
「お前が無事なのはわかっているからだ!」
俺が下敷きになったんだからな!
そう吐き捨てたかったが、今は痴話喧嘩のようなことをしている場合ではない。鬼はもう次の攻撃へと移っている。姿勢を低くし、二人に向かって突進してきていた。
ラグナはようやくイサネから剣を回収する。
ピリピリと、刃の表面を赫い電気が走る。
サロアは間違っていた。赫雷の能力が宿っているのは、鞘ではなく剣のほうだ。これを何十年もの間壊さず受け継いできたこと。それ自体が先代たちの強さそのものを表しており、ラグナにも課された責務だ。
剣を小娘に奪われたことに気づかなかったのは……いや、今はあれを倒すのが先か。
しかしラグナが剣技を放つよりも前に、状況は一変した。
どこからか飛んできた三本の太い
三人が同時に地面を蹴る。鉄縄に捕らわれた鬼の足を伝い登り、その腹に金棒を叩きつけるが、鬼は少し呻いただけで、暴れ回って三人を払いのけた。
「硬いな。鉄縄も外そうと足掻いている。リョウ、最初の手筈通り、怪我人を頼む。アイジロウ、俺が奴の左足を狙う。お前は頭を狙え。
短く刈り込まれた頭に鉢巻きをした男が指示を出すと、ほかの二人も同じ言葉を唱えて散開した。
「ミツ兄……」
イサネの口から洩れ出たのは、おそらくは鉢巻き男の名前か。
リョウと呼ばれた武士が倒れている騎士と町民を担いでいる間、ほかの二人は鬼の攻撃を躱しながら、どんどんと近づいていく。
鉢巻き男は難なく鬼の足元に潜りこむと、その左足めがけて金棒を振り抜いた。鬼を跪かせるとは、人間の身でありながら凄まじい腕力だ。
続けて今度はアイジロウが飛ぶ。
天高く金棒を翳し、鬼の頭部に強烈な一撃をお見舞いした。
角が折れた鬼は、一気に力が抜けたように膝から崩れ、地面へと伏した。
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