第5話 情報収集へ

 剣での打ち合いをした日から、なぜかモレットは従順になってサロアの命令を聞くようになった。今までも命令を拒むことはなかったが、その顔には明らかな嫌悪の表情が出ていた。

 翌日の走り込みも、「今日は前回よりも時間を縮めろ」と言えば、「はい!」と即座に答えて走っていった。実際、ほんの数分だけだが時間もちゃんと縮まった。その後の腕立てや腹筋も嫌な顔をせずに済ませ——時間はかなりかかったが——、その後に冗談半分で菓子を買いに行かせたら、これも素直に従った。

 さすがにサロアも少し反省したが、こいつはいい……と、ほくそ笑んだのも事実だ。


 そしてその翌日、二度目の打ち合いの日もモレットは特訓に熱心だったのだが……。

 威勢のいい声とは裏腹に、そのげっそりとした顔には疲労が見られ、打ち合いを初めて半刻もせずに、モレットは短刀を落とした。


「しょうがねぇ。今日はもう終わりだ。休め」

「ま、まだやれるよ……」


 モレットが再び短刀を握るが、そのフラフラの構えを見ては、とても攻撃する気にはなれなかった。


「駄目だ。これは命令だぜ、モレット」


 サロアが木剣をしまうと、モレットは「ごめん……」、と肩を落とした。


「お前が謝ることじゃねぇよ」


 つらそうだが、意識ははっきりしているようだ。

 ゼンキチの家までは一人で歩けるだろうと、サロアはモレットに背を向けて、先に境内の階段を下りた。


 ……少し激しくし過ぎたか。特訓の内容をまた考え直す必要があるな。


 ふと、サロアは空を仰ぐ。今日も雲一つない晴天だ。高台にいるので時折吹く風は強いが、それでも涼しくて心地良い。それなのに……。


 なんで人間なんかのことを本気で気にかけてんだ、俺は。


 サロアの心には、深い霧のようなものがかかっていた。ここ最近、ずっとだ。

 人間とは関わらないほうがいい。それが十五年生きてきて、サロアが得た答えだった。だからルカビエルに従いはしても、人間と忌人が手を取り合って生きられる世界を、という彼の想いに賛同してはいなかった。

 なのに今は……。


 モレットの特訓に付き合って、ゼンキチやイサネとご飯を囲って、雑魚寝で眠りに就く日々が楽しく感じてしまっている。

 人間など信用しない。人間など頼らない。人間などつまらない。人間など救う価値もない。人間など……。


 この霧は、どうやって晴らせばいいのだろうか。




「あっ、サロア! ちょっとこれ、手伝って!」


 モレットが部屋に入るのを見届け、サロアは再びゼンキチの家を出た。すると納屋のほうから声がして、振り向いてみればイサネが大きな座卓を出しているところだった。


「……何してんだ?」


 近づいて座卓を見ると、少し埃が被っている。イサネは口を覆っている布巾を下げて、言った。


「そろそろミツ兄が帰ってくるだろうから出しておいてくれって、ゼン爺に頼まれてさ。出すの手伝ってよ!」

「嫌だな。なんで俺がそんなことしなきゃいけねぇんだ」


 ていうか、ミツニイって誰だよ?


 くるりと踵を返し、サロアはまた歩きだす。しかしイサネに袖を掴まれて、


「衣食住を提供してやってるんだから、このぐらい手伝ってくれてもいいでしょ」

「べつにこっちから頼んだわけじゃねぇし、俺は森の中で野宿でも全然——」


 ふと、ゼンキチに振舞われた料理と柔らかい布団が頭をよぎって、サロアは考えを改めた。

 座卓の角と足を掴みだしたサロアを、イサネは怪訝な顔で見つめる。


「な、なによ。急に」


 サロアは一言、「……やっぱ困るな」、と。


 ルカビエルとの旅では、夜は森で木を背にして眠るのがほとんどだった。町の中では牙や尻尾を絶対に見せないようにしていたので、食事処に入ることもなく、入った時も料理には一切手を出さなかった。

 だから温かい食べ物は滅多に食べられず、柔らかい布団で寝ることもできなかった。

 知らないままであれば、こんなふうに人間と関わることもなかっただろう。

 けれど、知らないほうがよかった、とも思ってはいない。


 心に立ち込める霧が、また一段と濃くなっていく。


 もしかしたらこいつは、無理矢理晴らそうとするもんでもないのかもな。

 いっときはこのまま、この生活を……。



「手伝ってくれて、ありがと」


 座卓を小屋から出し、埃を拭いて居間まで運び終えると、イサネが伸びをしてサロアに礼を言った。


「ところで、モレットの修行はもう終わったの? 今日は随分と早いけど」


 イサネの問いに、サロアは一拍置いてから口を開いた。


「まぁな。とりあえず……あれだ。使イ魔調査のほうをしようと思ってな」


 正直に話すのは気が引けた。モレットが倒れたのは自分の不手際に違いないので、それを説明したくなかった。


「あっ、そっか。一応それが理由で、この国に来たんだもんね」


 イサネがポンと手を叩く。


「でもその使イ魔って、きっと鬼のことだよね。ヒノキには武士がいるから、サロアが出る幕はないと思うけど」

「武士か……」


 まだその実力は目にしていないが、ヒノキの武士はそこらの騎士よりも強いと、そういう噂は耳にしていた。

 そしてイサネの言葉を聞いて、一つ疑問が湧いた。


「そういやなんでローレンスは、俺たちにこの件を任せたんだ? この国にはその武士どもがいるんだ。俺たちは——赫雷かくらいのあいつだって、必要ねぇだろうに」


 鬼は確かに手強かったが、あれぐらいであれば銀鎧の騎士でも充分対処できるだろう。


「そんなこと、私に訊かないでよ。わかるわけないじゃん」


 それもそうか。質問する相手を間違えたな。


「イサネ、お前はローレンスの騎士たちの駐屯地がどこにあんのか、知ってるか?」

「うーん、駐屯地は知らないけど、騎士たちがよくいる場所なら知ってるよ。案内しようか?」


 サロアは少し悩んで、同行をお願いした。

 できれば一人で行動したかったが、さすがに騎士の屯する場所に単身で行くのは、常に気を張ることになるので嫌だった。それにイサネが一緒であれば、情報も聞きだしやすいように思えた。


 イサネは、相手が誰であろうと気楽に話しかけられる。


 今考えるとイサネのこの性格は、人間と忌人が当たり前に共存しているヒノキゆえに、育まれたものなのかもしれない。


「いいね、それじゃあ行こう! 情報収集!」


 イサネが居間の襖をピシャリと開いた。




 先日と同じように迷路のような路地を抜けて、城下町に来た二人が辿り着いたのは観光案内所だった。騎士たちがよくいる場所だというから、どんな厳格な所かと思えば、ヒノキ独特の家屋を模した、それでいてローレンスの象徴色である水色の屋根が印象的な、じつに乙な建物だった。


「騎士たちがよく行く場所って……ここかよ。あいつら仕事サボって観光してんのか?」


 サロアがぼやいている間に、イサネはすでに中へと足を踏み入れていた。

 先日と同じく、矢絣柄やがすりがらの着物に丈の短い女袴だが、今日は珍しく金棒を背負っていなかった。聞くところによると、まだ武士見習いの身である子どもが金棒を持って町を出歩くことは認められていないらしい。先日は、保護者であるゼンキチが同行していたからよかったのだと。


 彼女のあとを追って木製の扉を開けると、目に飛び込んできたのはピカピカの大理石でできた壁と床だった。

 一目見ただけで、ローレンスの王宮の中を意識して造られたのだろうと察した。ヒノキの人間は受付の女性ぐらいで——鮮やかな花びらが舞う、藍色の着物をきている——、あとは騎士が数人いるだけだった。肝心の観光客がいないのは……忌人がいるからにほかならないだろう。

 ローレンスとしてはここを新たな観光地にして、自国民を呼び込みたかったのかもしれないが、忌人を嫌悪しないか、あるいは全く関心がないような、よほどの物好きしか来ることはあるまい。


 そんなことよりも今は、使イ魔の調査だ。

 欠伸を手で隠しきれていない受付嬢を傍目に、サロアとイサネは隅っこの長椅子に腰かけている騎士たちの所へ歩み寄った。

 彼らも、随分と暇そうだ。


「ん? なんだ、僕ちゃんたち」

「はぁ⁉ 誰が僕ちゃんだ! てめぇら、あんまナメてっとぶっ飛ばすぞ——」

 いきなりイサネに口を塞がれて、サロアは目をパチパチさせた。


「バカなの、あんたは! え、えっと……ラグナって人は今どこにいますか? 赫雷の」

「ライトニング様のことか?」


 二人の騎士が、お互いに顔を見合わせて笑った。


「悪いが、嬢ちゃんたちに教えられることじゃないんだよ。ライトニング様の追っかけなのかもしれないが、子どもは大人しく家に帰って、親のお手伝いでもしてなさいな」


 そう言うと、騎士たちは再び声を上げて笑った。イサネはむすっとした顔になって、

「なにその言い方! あんたたち騎士でしょ! もっと言葉選べないの?」、と吐き捨てた。


「おい、イサネ……」


 お前も俺と変わらねぇぞ。


「なんだと小娘。俺たちはここで、武士たちと一緒に町を守ってやってんだぞ」


 騎士たちが立ち上がって、こちらを睨みつけてきた。イサネも負けじと睨み返して、結局、険悪な雰囲気が四人の間に流れてしまった。


「おい、何をしているんだ、お前たちは」


 と、そこへ一人の男が割って入ってきた。金色の髪に、端がほつれた水色の片掛外套。その腰からは剣の柄が見え隠れしていた。


「……ライトニング様! いえ、なんでもございません。ただこのガキどもが、あなたに会いたいなどと言っており……」

「俺に? 忌人が俺になんの用だ?」


 ラグナがサロアを見下す。その目は冷たく、人の持つ一切の情も宿っていなかった。

 このヤロウ……。


「忌人⁉ このガキども、忌人だったのか!」


 騎士たちが、腰の剣に手を掛ける。忌人が『赫雷の剣』に接触を図ってきたことを、只事ではないと判断したのだろう。しかしすぐに、ラグナがそれを手で制した。

 そして向こうで何事かと目を丸くしている受付の女性たちを見ては、「騒がせてすまない。すぐに出て行く」、と告げた。


「話は聞いてやろう。場所を変えてな」


 サロアとイサネは不貞腐れたまま、ただ黙って頷いた。




 ローレンスの騎士の駐屯地は、観光案内所がある城下町をまた抜けて、郊外とも呼べるような場所にあった。案内所とはうって変わり、そこらに建つヒノキ式の建物と何も大差はなかった。言われなければ、駐屯地であるとは誰も気づかないだろう。

 騎士に囲まれたサロアとイサネは、ギシギシと軋む廊下を進んで、とある一室に入れられた。


「うわぁ、何もないじゃん」


 イサネが部屋をキョロキョロと見回して、そう零した。たしかに、畳に座椅子が一つあるだけの、質素で無骨な部屋だった。


「ここは俺の部屋だ。ここなら、暴れても構わないぞ」


 先に部屋に入ったラグナが、振り返って二人を見た。

 この男は、サロアたちが案内所で暴れるかもしれないことを本気で危惧したのだ。それだけ、彼は忌人を信用していないということであり、同時に、この場所に連れてきたのは人目を気にせずに斬り捨てられるから、というわけだろう。

 どうやってもこいつらとは仲良くなれそうにないな、とサロアは思う。それでも今はイサネがいるし、何より使イ魔調査についての情報を得なければならないから、無用な争いをするつもりはないが。

 サロアはおもむろに、外套の下に隠している短剣を出すと、畳に落とした。武器はもうない。イサネも金棒は持っていない。ラグナに剣を抜かれれば、確実に一撃はくらってしまうだろう。

 ラグナが忌人を信用していないのと同じぐらい人間を信用していないサロアにとっては、死さえも覚悟する行為だった。

 だがそれも杞憂に終わる。

 ラグナも腰の剣を畳に置き、その場で胡坐をかいた。


「この国では、会談や密談はこういう形で行うそうだ。貴様らも座れ」

「それじゃあ」


 部屋の空気に全く物怖じしていないイサネが従って、サロアも続いた。少しは緊張が解けたが、それでも少しだった。

 ラグナのそばに剣がある限り、サロアが完全に気を緩めることはない。


「それで、俺に何を聞きたいんだ? 使イ魔についての情報か?」

「それも知りたいが……なんでローレンスは、あんたや俺たちをこの国に派遣したんだ?」


 ローレンスの王宮、フレアルイスや天啓機関からは、使イ魔が頻出しているようだから調べろ、としか言われなかった。


「あの鬼とか言われる使イ魔たちは、この国では日常的に現れるみてぇだし——」

「武士がいるから、俺たちは必要ない、か」


 ラグナが言葉を奪い、鼻で笑った。


「使イ魔の調査をしろ。そういう指令だったはずだ。もっと本質を理解するんだな。貴様がそれでは、あの黒翼のほうも頭は賢くなさそうだ」


 サロアは目を剥いて短剣を掴み、片膝を立てた。


「てめぇ!」


 立ち塞がったのはイサネだ。彼女は瞬時にラグナの剣を取ると、身体を反転させてサロアと向かい合う形になった。


「落ち着いて、サロア」

「どけ、イサネ。こいつはルカビエル様を侮辱した。俺の命を賭けるに値する言動だ。たとえ殺されても、剣を振らなきゃいけねぇ」

「大した忠誠心だな。が」


 イサネがさらに身体を捻じり、鞘がついたままの剣をラグナのこめかみに向けて振るった。

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