第3話 忌人のすまう国

「よし! それじゃあ今日からサロア様の、激激超特訓を開始する!」

「……ふぁ〜い」


 大きな岩の上で、腕を組んで声を張るサロアに、モレットは覇気のない声で返事をした。


「腑抜けてんじゃねぇ! いいかモレット、戦い方を教えてもらうということはつまり、お前は俺のパシリ――弟子になるということだ。俺の言うことは絶対! わかったら復唱だ!」


 一瞬耳を疑う言葉が聞こえた気がしたが、抗議することなどできるはずもなく、モレットはまだしわがれた声で、頑張って復唱した。


「はい、サロアの言うことは絶対……です」


 サロアは満足げに頷き、胡座をかいて森の中を見渡した。壊れかけた社があった境内の奥だ。ラグナ・ライトニングにやられた鬼はどこへ消えたのか、その姿はもうなかった。


「しかしまぁ、やっぱり俺には人間の町より、こっちのほうが落ち着くぜ」


 よく言うよ……。昨日ゼンキチさんの家で誰よりも雑炊をおかわりしてたくせに。柔らかい布団に感動を洩らしながら、数秒で眠ったくせに。僕は……ゼンキチさんがお酒四本飲んで、寝落ちするまで付き合ってたんだぞ……。


 霞む目をこすって、モレットはサロアを見つめた。


「それで……サロア。特訓って何するの?」

「サロアじゃない! サロア様と呼べ! もしくは師匠でも認める!」


 ガハハハッ! と、盛大な笑い声が森に響く。なぜこんなに楽しそうなのだろうか……。

そしてサロアは、モレットを指差した。


「まずは……」

「まずは……?」


 モレットはごくりと唾を呑んだ。体調が万全でなくとも、今から特訓が始まるのだ。自分からお願いしたことだから、逃げるなんて許されない。


「うーん、そうだな……」


 サロアがまた腕を組んで、眉間にしわを寄せた。


「まさか……何も考えてないの?」

「そ、そんなわけあるか、ボケ! 俺は師匠だぞ! 今の発言は無礼ってやつだ! 罰として——!」


 サロアが何かに気づいて、「そうだ!」と妙に明るい声をあげた。


「お前は今からローレンスまで走って、またここまで戻ってこい!」


 モレットは固まり、三秒ほど遅れて、ようやく理解した。


「えぇぇぇぇぇぇ⁉」


 一気に目が覚める。


 ここからローレンスまでなんて、片道でも十五キロはあるぞ。しかもそのほとんどが、登り下りの山道……。昨日は暗い夜道でもあったため道はよく覚えてないし、ここまで辿り着くのに五時間近くかかっている。それを、今日も……行って戻ってくる?


 血の気が引いていく。モレットは青ざめた顔で、一応確認した。


「サロア——し、師匠! 思いつきじゃないですよね? ホントに考えてたんですよね?」


「あ、当たり前だろうが! わかったらさっさと行け! 歩くことは許さんし、休憩は往復で二回……えっと、三回までだ!」


 この人……明らかに考えながら言ってる……。


 モレットの胸中に不安が広がる。が、必死に頭を振って、自分に言い聞かせた。

 昨日の、サロアの戦いぶりはすごかった。最後こそラグナ・ライトニングに取られてしまったけど、自分よりも倍以上はある鬼に善戦していた。

 大丈夫、大丈夫だ。きっと強くなれる。


 モレットはこれ以上何も考えないように、臙脂色の外套を脱ぐと、水筒の入った背嚢を背負って走り出した。


 だけど……。


 昨日、照明火ノ木の前で、ゼンキチと話した時のことが蘇る。


 サロアの特訓で、僕はホントに強くなれるんだろうか……。



  ***


「で、モレットは大丈夫そうなの?」


 雲一つない青空の下、太陽に照らされたヒノキの町を歩くサロアの横で、イサネが訊ねた。

 モレットが走って山の中に入っていくのを見届けてから、ずっと森の中で待つのも暇だったので、ゼンキチの家でまた美味しい物でも食わせてもらおうと戻ってみた。すると二人は、ちょうど出掛ける準備をしているところで、お主も一緒にどうかと誘われたのだった。


 最初は渋ったが、サロアもヒノキは初めてだったので、少し歩いてみようと思った。この国の人間は容姿など気にしたりしないという、ゼンキチの発言が本当かどうかも確かめたかった。

 だからといって人前でとんがり帽子をとったり、尻尾を出したりする勇気はないのだが……。

 サロアは後頭部で手を組んで、イサネの問いに答えた。


「さぁな、知らね。大丈夫なんじゃね」

「え~……。もうちょっと考えてあげなよ」


 イサネは見慣れない服装、ヒノキの着物を着ていた。白地に薄緑の矢絣柄やがすりがら――というらしい――があしらわれ、下も同じく緑色の、膝上ぐらいまでの短めのはかまだ。いつも着ていたドスカフ村の服に比べて、随分と洒落ている。


「私に修行頼んでこなかったのは不服だけど、きっとモレットは必死だよ」

「うーん、そうだな」


 走り込みは実際テキトーだったし、もうちょっと考えてやるか……。


 正直なところ、誰かに喧嘩の仕方を教えるのも初めてだったので、サロアも手探り状態だった。


「ところでよぉ、ゼン爺さんは一体どこに用があんだ? メシの材料買いに来たわけじゃねぇのか?」

「残念じゃが違うのぉ。料理に関係はしてるのじゃがな」

「なに⁉ ホントか⁉」

「ああ。ここじゃ、ここじゃ」


 建ち並ぶお店の一つにゼンキチが入っていく。ご飯に関係しているものだと聞いて期待したサロアは、鉄色の屋根につけられた看板を見て、がっくりと肩を落とした。


「『おしどり夫婦の刃物店』? なんだよ、包丁買いに来たのかよ」

「料理には使用する道具も大事なんじゃよ。のぉ、スサク」

「おぉ、そうだ。料理人に不満持たれるようなもん作ったんじゃ、メシもマズくなるってな」


 スサクと呼ばれた男がでてきて、サロアは唖然とした。

 彼は、単眼だった。和服こそ着ているが、袖や裾から覗く肌は灰色で、身長はゆうに二メートルを超えている。どう見てもサロアと同じく、能力が身体に現れた忌人としか思えなかった。


「おぉ、イサネも一緒だったのか。もう帰ってたんだな」

「久しぶり! アキさんも久しぶり!」


 イサネも何事もないように挨拶を交わし、スサクの後ろで銀色に光る立派な刃物を陳列していた女性が、「あら、イサネちゃん!」と、振り向いて笑った。

 サロアはさらに衝撃を受ける。


 アキは……人間だ。

 昨日ゼンキチが言っていたことは本当だったのだ。

 こちらを見下ろしたスサクと目が合って、ようやくサロアは口を開いた。


「あんた、忌人か? なんでこんな……人間の町で平然と商売ができてんだ?」

「あんたとは失礼だな。俺はスサクっていうんだ。ここで鍛冶師をやってる。お前さんは……異国の旅人か?」

「俺はサロアだ。俺も……忌人だ」


 帽子を取ろうとしたが、隣にイサネがいるので外套からちょろっと尻尾だけを見せた。


「忌人ねぇ。この国で俺らをそう呼ぶのは、異国の者だけだよ」

「俺ら? あんたのほかにも、この国には忌人がいるのか?」


 サロアが訊ねると、スサクは声をあげて笑った。


「そうか、まだ城下町のほうには行ってねぇんだな。あそこじゃあ普通にみんな、出歩いているぞ」

「城下町?」

「御将様のお城、二陽城がある町のことだよ。行ってみる? 今はあちこちで祭りの準備をしてるから、ちょっと騒がしいだろうけど」

「儂は最初からそのつもりじゃ。ほかにも用事があるんでのぉ」


 忌人が普通に出歩いてる?


 信じられない言葉だった。何百年も前、まだ神が存在した時から睨み合いを続け、ついに十年前の戦争で人間と神人に敗れてからは、忌人は世界中から迫害されたのだ。

 サロアが生まれた国でも、耳や尾を隠してこそこそと暮らさなければ、容赦のない暴力が襲ってくるのは常識だった。


「なんでここは……ヒノキは安全なんだ」

「それは城下町のほうに行きながら、儂が話そう。長話はスサクに悪いからの」

「悪いな、ゼン爺。祭りの日でありゃあウチも休みだから、いくらでも付き合ってやるんだが」

「構わんよ。その時は、ぜひ共に飲もうぞ」


 ゼンキチが包丁を買ってお店を出ると、三人はいよいよ城下町へと向かった。次第に道は細くなり、家屋同士も隙間なくびっちりと建ち並んで、くねくねと入り組んだ狭い道を行くことになった。

 これが正規の道らしいが、まるで迷路のようだ。先が全く見通せず、後ろを振り返っても家屋の壁なので、どこをどう来たのかわからなくなった。ゼンキチとイサネがいなければ、確実に迷子だろう。おそらくだがこれは、敵が侵入してきた時のための、一つの対策だ。


「スサクのような者たちは、最初からこの国におったのじゃ」

「最初から?」


 サロアは周りをきょろきょろと見回しながら、ゼンキチの言葉を繰り返した。性格上、自分のいる場所をきちっと把握しておかないと、サロアは落ち着かなかった。

 会話をしながら、必死に道を頭に叩き込んでいた。


「ヒノキは四方を山に囲まれておって、ずっと鎖国状態じゃった。もちろん、ローレンスや近くの国々には、存在を知られてはおったが」


 ゼンキチは、平然と迷路を進みながら言った。


「忌人がいるのに、なんでそんなことが許されたんだ? 一歩間違えばこの国も、人類に仇名す敵とみなされても、おかしくなかっただろ。世界は人間と忌人で、ずっと戦争を繰り返してたんだからよ」

「歴代の、御将様たちのおかげじゃ。この国に住む忌人を、人間と変わらず大事な民とし、武士による自衛の力を示して、ヒノキは世界に対して中立であると、主張した。世界の国々は不服だっただろうが、戦争中だったこともあり、それどころではなかった。

 結果的に神人が認めたことで、この国に住む忌人はお主らとは全く違う歴史を歩んできた、というわけじゃ」


 つまり、誰からも疎まれない人生、か……。


「羨ましいもんだな。世界じゃ、たくさんの命が消えていったってのに」

「確かに、この国が戦争で苦しむ人たちを無視し続けたのは事実じゃ。他国から憎まれても、仕方がないのかもしれぬ。じゃが、御将様のおかげで、この国の人々が戦争に巻き込まれずに済んだことも事実じゃ。そしての、サロアくん」


 ゼンキチがサロアの目を見つめて、続けた。


「戦争が終わり、ローレンスの王が疲弊した自国を立て直すために、この国を訪れた時、今の御将様は快くそれを迎え、少しでも助力になればと国交を始めたのじゃ。御将様は言っておった。いつかは忌人と呼ばれる者たちの助けにもなりたいと、ローレンスの王の前での」


 なるほど。つまりローレンスの助けにはなるし、ヒノキへの入国も認めるが、ヒノキにいる忌人に危害を加えることは許さず、そちらも忌人と仲良くするようにしろと、暗にそう言ったわけか。ヒノキの御将様とやらは、どうやら相当強いらしい。

 こんな恵まれた国にいるスサクが羨ましく、嬉しくも思うが、同時に妬んでしまうつまらない感情も、拭い去ることができなかった。

 結局、その迷路のような道を抜けるのに、十分ほど時間を要した。相変わらず先は見通せないが、急に道は単調になって、すぐに三人はがやがやと、喧しい大通りに出た。

 サロアはそこで行き交う人々を見て、大通りの先にある巨大な城を見て、またも驚きの声を上げた。


 腕が四本ある忌人や、鱗の皮膚を纏った忌人が、人間たちと手を取り合って、何やら作業をしている。しかもなんとそのそばを、ローレンスの騎士たちが素通りしているのだ。

 大体の国では、忌人は入国禁止だ。見つかれば即追放。国の外では殺しも黙認されている。

 ローレンスを含め一部の国では入国を認めている所もあるが、結局は、忌人はその特徴を隠さなければならない。

 忌人の国、アイスベルムを不可侵領域として認めてやったのだから、そこに帰って一生出てくるなと、世界は冷たく主張していた。


 子どもの頃からそれをぶつけられてきたサロアにとって、忌人が人間と仲良く喋っている姿は、やはり信じ難いものだった。

 いくらゼンキチから教えてもらったとはいえ、今までの経験と相反し過ぎているのだ。


 そしてあれが、


二陽城にようじょう……」


 巨大な石垣の上に佇み、まさに文字通り太陽を反射して、直視できないほど光り輝いている鏡のような城……。


 まるで全くべつの世界に来たようで、サロアはまだまだ己が無知であることを実感した。

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