第2話 火ノ木

 もうすでに夜も遅いからだろうか、通りを歩く人は少なかった。皆ゼンキチと同じ、少し歩きづらそうな、お洒落な模様のはいった服を着ていた。イサネ曰く、唐草模様というらしい。

 ヒノキの町並みも、初めて目にするものばかりだった。

 両端に並ぶ木造の家たちは、一軒一軒が平たくて大きい。しかし屋根だけは鉄のような色で、これはイサネ曰く『かわら』、と。

 その窓から漏れる中の明かりと、微かに聞こえてくる笑い声に温かい気持ちになるのは、きっと自分が育ってきた家の風景と無意識に重ねているからだろう。


 そして一際モレットの目を引いたのは、家々の軒先でまばらに灯っている明かり——境内で目にしていた、ぽわぁっとしていた赤い光の正体だった。

 その明かりは球体や箱型、人形のようなものと、様々な形をした物体から光が放たれており、しかもぷかぷかと宙に浮いているのだ。紐で家と繋がれているのは、飛ばないようにするためだろうか。

 ローレンスから山を一つ越え、さらに鬼などという化け物と対峙することになって、少し眠気に襲われていたモレットだったが、これだけは訊ねずにいられなかった。


「これは……なんですか? 中で蝋燭が燃えてるようにも見えないですけど……」


 イサネと並んで前を歩くゼンキチが、こちらを振り向いて答えた。


「それは、この国の名前の由来にもなっている、という木じゃよ。切ってから、それぞれ自由に加工したものでな」

「木⁉ 木が浮いているんですか⁉」

「そうじゃ。火を当てると吸い込んで、その通り光って浮かぶ。すぐに見せてあげよう」


 火を吸い込んで浮く……?


 いくら頭で思い浮かべてみても、モレットにはまったく想像できなかった。


「さぁ、我が家に着いたぞい。大きくはないが、これでも昔は宿をしていての。お主らにそれぞれ部屋も貸してやれる」


 四人が暗い戸口に入ると、さっそくゼンキチが部屋の隅にある小さな木の球体を掴んで、モレットの目の高さまで持ち上げた。


「これも火ノ木じゃ。よく見ておきなさい」


 火を点けた燐寸りんすんをそれに近づける。するとたちまちに球体へと燃え移り、かと思うと小さな火は球体の表面を少し滑って、すぅっと中に消えていった。

 やがて球体は自然にゼンキチの掌から浮き上がり、その中心から放つぼんやりとした柔らかい光で、少しだけ家の中を照らした。


「触っても大丈夫じゃよ」


 ゼンキチが言うので、モレットは恐る恐る指でつついてみる。

 うん、たしかに熱くはない。

 今度は掌を柔らかく当てると、ほんのりと温みを感じた。悪戯心でちょっとだけ押してみたが、わずかしか動かなかった。木の塊だから当然なのだが、それが浮いている光景は何度見ても不思議に思わざるをえない。

 イサネとサロアが居間へ入っていっても、モレットとゼンキチはしばらくの間しゃがみ込み、妖しく光る火ノ木を見つめていた。


「優しい光じゃろう。ちゃんと部屋を照らしてくれるのに、じっと見ていても疲れることはない」


 優しい光……。


 モレットは、横で語るゼンキチを見て、もう一度火ノ木の球体に視線を戻した。


「じゃがこの光は、実際は弱いものだから、明るい場所では見ることができぬ。お主の目も、似ておるよな。さっきまで金色じゃったのに、部屋が明るくなった途端、茶色に変わった。不思議な瞳じゃのぉ」

「あっ……はい」


 今さら隠すことなどできず、モレットは声を低めて答えた。


「遠い先祖に、忌人がいたそうです。この目以外、なんの特徴もないですけど」

「ほぉ、充分じゃと思うがのぉ」


 ゼンキチは遠くでも見るように、火ノ木を見つめている。時折、顎から伸びた白髭を撫でる彼の表情は、まるでクレアシ村の爺ちゃんを思わせた。爺ちゃんには、髭は生えていないのだけれど。


「そうでしょうか……」


 モレットには、とても充分だとは思えなかった。どうせ人と違うのなら、ルカビエルの翼やサロアの尻尾みたいに、戦える力がよかった。

 境内でのサロアの戦いを見て、モレットはつくづく思った。サロアがいなければ、自分たちはやられていたかもしれない。


 戦い方を教えてもらったとして、果たして自分があそこまで強くなれるのだろうか……。


 明かりが弱まるにつれて、球体はゆっくりとその高度を落としていった。


「さぁ、そろそろ儂らも居間のほうへ行こう。腹が減った」


 ゼンキチが言って、モレットも立ちあがった。

 居間に入ると、とんがり帽子を取ったサロアの頭を、イサネが撫でながらはしゃいでいる。

 一体どういう状況なんだと二人を観察すると、


「可愛い! めちゃくちゃ可愛いじゃん、この耳! 絶対帽子ないほうがいいよ! みんなの可愛いの的だよ!」


 サロアの、ボサボサ頭の黒髪の上に、灰色の獣耳がぴょこんと二つ付いている。

 たしかに可愛いけれども……まさかサロアに、まだこんな特徴があったなんて。


「それ良いことじゃねぇだろ! 帽子返せ! ったく! ルカビエル様に頂いた大事な帽子なんだぞ!」


 イサネの手からそれを奪い取ると、サロアは目が隠れるぐらいまで深々と被った。


 もしかしたら、と、モレットはサロアを見て微笑む。


 常に帽子や外套を纏っている訳……人間を敵対視しているからというのは、ほんの些細な理由に過ぎないのかもしれない。


「腹減った……」という彼の合図で、ゼンキチはいまだ帽子を取ろうとするイサネを居間から連れ出し、食事の準備を始めた。

 モレットも二人を手伝いにいく。鬼と戦ってくれたサロアはできるだけ休ませてあげたかった。





 ぐつぐつと鍋の中で煮込まれる、ニワニワトリの親子雑炊をすくって、お椀に入れてから熱が冷めるのを待つ。

 そして心して口に入れた瞬間……。


 美味しい!


 熱さはあるが、舌の上で卵と絡み合う肉の味は絶品だ。煮込まれて柔らかくなったご飯も、空っぽになった胃に優しく、するすると入る。

 サロアも初めて食べるのか、一口目を恐る恐る食べたあとは、すっかりそれに囚われてしまっていた。


「それで、なんで戻ってきたんじゃ? 親御さんは見つかったのか?」

「なに、その言い方。まるで戻ってきてほしくなかったみたいに。それより、ミツ兄はまだ帰ってないの?」


 囲炉裏いろりの火に照らされたイサネの横顔が、赤く染まっている。見慣れない部屋着で足を伸ばしている彼女は、いつもよりくつろいでいる印象だった。実家だからなのだろうが、よそ者であるモレットも気分が落ち着いていた。


 クレアシ村の家と同じような、懐かしい匂いがする。それにこの畳とかいう床……。木造の床と違って硬くないし、気のせいかもしれないけど温もりも感じる。


「今日はちょうど、御将様おしょうさまとの会談の日じゃ。ヨシミツは戻らんじゃろう」


 長卓の向こうで答えるゼンキチの横顔も赤い。しかしそれは、囲炉裏の火のせいだけではないだろう。もうすでに、お酒の瓶を二本も空けているのだ。イサネが飲み過ぎだよ、と注意しても、大人数で食卓を囲むのは久しぶりなんじゃ、と言って聞かなかった。


「……イサネ、なんで戻ってきたんじゃ」

「またその質問? サロア、代わりに答えてよ」

「はぁ⁉ なんで俺だよ!」


 サロアは誰かに取られると思っているのか、親子雑炊をバクバクと頬袋に貯めたまま喋る。


「だってここに来たの、ルカの指示じゃん。実際、私よくわかってないし」

「ルカビエル様と呼べ! そんでゼン爺さん、俺らがここへ来たのは使イ魔退治のためだ! さっきの奴がそうみてぇで、もう解決しちまったけどな。これで話は終わり! 俺にメシを堪能させろ!」


 そうしてサロアは食事に向き直ると、うめぇうめぇ、という言葉しか発しなくなった。


「使イ魔……鬼のことじゃな」


 とろんとした目でお酒を煽りながら、ゼンキチは言葉を紡ぐ。


「鬼は、あの一体だけではない。イサネ、なんで戻ってきたのじゃ。本当の親を見つけるまでは帰るなと、あれほど……」


 やがて、うつらうつらして上体を揺らしだしたゼンキチは、今にも眠ってしまいそうだ。イサネは呆れた様子で立ち上がって、居間の襖を開くと、


「もういいよ。私もう寝るから。モレット、ゼン爺は放っといていいからね」


 暗い廊下に消えていった。

 怒ってる? と少し心配したが、すぐに自分の置かれている状況に気づいて、モレットは目をぱちくりさせた。隣では狂ったようにサロアが雑炊を食べ続け、卓の向こうではゼンキチが、身体を揺らしながらぶつぶつと何か唱えている。


 この空間……僕はどうしたらいいんだろう。明日から修行が始まるし、僕もそろそろ寝たいんだけど……。



 しかし真面目なモレットは、結局サロアも寝たあと、案の定酔っ払ったゼンキチの相手をするハメになる。

 彼が囲炉裏に木炭を継ぎ足してから、それが自然に消えるまで、床に就くことはできなかった。

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