第2部 ヒノキ国〜……

第1話 ヒノキ

 ヒノキに着いたのは陽も沈みきった夜。代わりに剣のように細い月が、辺りをかすかに照らしている時分。先を歩くイサネとサロアのあとについて、ようやく山を抜けた時には、モレットはぜぇぜぇと息絶え絶えになっていた。

 二人に追いつくのに必死、かつ周りには木々しかなかったため、どこをどう歩いてきたのか、モレットはさっぱり覚えていない。一人でローレンスに戻ることは、おそらくできないだろう。


「しかしその目は、ホントになんの役にも立たねぇんだな。金色に変わるだけなんてよ」


 サロアが振り向いて、物珍しそうな顔でモレットを見てくる。

 元々忌人である彼には、知られることにも見られることにも抵抗がなかった。むしろ今では忌人に対して、親近感さえ湧いていた。


「ちょっとサロア、もう少し言葉選びなよ。綺麗だなとか、美しいな、とかさ」

「構わないよ。べつに事実だし」


 それに、サロアにそう言われても反応に困る。


「ところで、ヒノキまであとどれぐらい?」

「あとちょっとだと思うよ。あっ、ほら!」


 前方に何かを確認して、イサネが駆けだした。モレットとサロアも、金棒を携えた少女の背中を追っていくと、やがて視界の開けた場所に出た。地面が土から、四角い石の畳へと変わった。

 イサネが見つけたものはくすんだ赤色をした二本の大きな柱が印象的な、奇妙な形の出入り口らしき建造物だった。それはこちら側と向こう側を隔てる、なにかの境界線の役割を果たしているのだろうと感じたが、扉のようなものもなく向こうを見通せるので、モレットには一体なんのための建造物かわからなかった。

 その奇妙な形の建造物をじっと眺めていると、隣でイサネが鳥居とりいというのだと教えてくれた。


「おぉ、なんだこりゃあ!」


 突然、後ろでサロアが声を上げる。モレットも視線を移すと、そこにはこれまた見たことのない建物が、身体を半分ほど山に埋めて建っていた。

 いや、建っているというよりも、これは……。


「ぎりぎりで保ってるようだけど、最初からこういう建物なの?」

「まさか! やしろって言って、ホントは立派な建物なんだよ」


 鈍色の不思議な材質の屋根はほとんど崩れ落ち、壁も穴だらけで、中はただただ真っ暗な空間が広がっていた。立派な建物だというイサネの言葉を疑ってしまうほど、それは朽廃していた。

 モレットは社から鳥居に目を戻して、おもむろに近づいた。よく見ると所々にヒビがはいっていて、下のほうは苔がびっしりと生えている。


「どこもボロボロだな。なんでこんなになるまで放っておいたんだ? 管理人みたいなのはいねぇのか?」


 社を見上げながら、サロアが呟くように言った。


「ここは境内けいだいっていう場所でね。ホントは住職じゅうしょくさんがいたはずなんだけど……最近はそういう人たちが減ってるみたいで」


 答えづらそうに返すイサネを横目に、モレットは鳥居をくぐった。先は下へと続く階段となっていて、モレットはそこで初めて、自分たちが高台にいるのだとわかった。

 麓には町が広がり、社と同じく鈍色の屋根の家屋が、連なっているのが確認できる。それらを浮かび上がらせているのは、あちこちに灯った、ぼんやりと光る赤色の小さな明かりたち。

 そしてその奥には大きな黒い影……奇妙な輪郭を見せる建造物が佇んでいた。

 どこからか、聞いたことのない音も響いてくる。ドンドコドンッ、ドンドコドンッと力強く、お腹の底から震わせられるような音だった。


 ここが……ヒノキ……。


 胸がドキドキと鳴る。

 まったくの別世界に来たみたいに、モレットは異様な雰囲気を感じていた。無意識に足が動く。早くあそこへ行ってみたいと、好奇心が身体を支配していた。

 そして、モレットが階段に足をかけた時。


「おぉ! すまんっ! お主たち武士じゃろ! すまんが助けてくれぇ!」


 後ろで声がしたと思ったら、今度はサロアが「うぉうっ!」と変な声を出した。見ると、緑色の変わった服を着た白髪のお爺さんに、抱きつかれていた。


「な、なんだ⁉ 離れろバカッ! ぶっとばすぞ、バカやろうっ!」


 サロアが必死に引き離そうとするが、お爺さんはがっしりとサロアの腰にしがみついて抵抗していた。モレットはすぐに二人を落ち着かせようと駆け寄る。イサネと一緒に、とりあえずお爺さんを引きはがそうとすると、


「は、早く逃げんと! あ、あいつが来る!」

「はぁ⁉ 何言ってんだ、ジジィ! いいから早く離れろ——」

「あれ⁉ ゼン爺⁉ なんでここに——」


 サロアとイサネの声が、バキバキという大きな音にかき消される。全員が一斉にそちらに目をやると、白く長い髪に青黒い肌をした、三メートルはある大きな生物が、軽々と木を倒して山の中から出てきた。


 モレットは口をあんぐりと開けた。


「な、なにあれ⁉」


 神社を壊しながら近づいてくるそいつは、もりもりと筋肉質な身体をしていて、頭には一本の黄色い角が生えており、歯も爪も視認できるほど鋭く尖っていた。


「あれはおにじゃ! い、いかん! もう駄目じゃぁ!」


 お爺さんがサロアに巻きつけていた腕を離して、地面にうずくまった。状況を何も整理できていなかったが、モレットは咄嗟にお爺さんの腕を掴んで引き上げると、その場を移動しようと引っ張った。

 イサネとサロアは、瞬時に武器を抜いて構える。


「そのジジィを連れて下がってろ、モレット!」


 最初からそのつもりだったが、改めて言われるとへこむ。自分だけ戦力外だと言われているようで。


 だけど今は、自分にできることをやらないと! そんな場合じゃない!


 鬼は歩くのをやめず、どんどんと近づいてきている。


「わけわかんないけど、今は逃げましょう! 頑張って立ってください、お爺さん!」


 身体を丸めているお爺さんに、モレットは必死に言葉をかける。そうこうしているうちに、イサネとサロアが自ら鬼に立ち向かっていった。狙いを自分たちに引きつけようとしてくれているのだ。


「ウォォォォォ!」


 鬼が咆哮し、二人を見た。いや、見ているのだろうが、その眼は白一色で、イサネもサロアも写していなかった。

 距離はまだ離れているのに、ぞくりとモレットの肌を恐怖が襲った。



  ***


「へっ、やべぇ目つきしてんなぁ、おい」


 サロアはニヤついて、左へと向きを変えた。目論見通り、鬼の目線はイサネではなく、サロアを追った。


「イサネも逃げろ! 使イ魔の類だろうが、こいつはやべぇ!」

「でも、サロア一人じゃ——」

「俺は大丈夫だ。秘策がある!」


 イサネは体力も運動能力も大したものだが、それでもこんな巨体相手では分が悪いだろう。

 鬼の後ろでイサネが方向を変えるのを確認すると、サロアはさらに速度を上げて動き回り、鬼の目を誘導した。


 ホントは秘策なんてねぇ! テキトーに俺を狙わせて、モレットたちが逃げたら俺も逃げる。今はそれしかねぇ! 幸いあの化けモンは動きが遅いし、充分逃げ切れるだろ——


 イケると思ったその瞬間だった。鬼が地面を思いっきり蹴って、一瞬で距離を詰めてきた。

 サロアは目を剥いた。


「なっ……マジかよ⁉ おいお——」

 鬼が右の拳を振り下ろしてくる。凄まじい音と共に、敷き詰められていた石畳の破片と土が、そこら中に飛び散った。直撃は避けられたが、吹き飛ばされたサロアは木へとぶつかった。


「ってぇ! ちきしょっ、あの図体で動きも速いなんざ、反則だろ」


 背中をさすりながら急いで立ち上がる。鬼の向こうから、「サロア!」と、モレットとイサネの声が飛んできた。

 早く逃げろと叫びたかったが、すでに鬼の二撃目が迫ろうとしている。今度は左拳による一撃だ。


「くっ——」

 サロアは咄嗟に尻尾と両足を使って、空へ跳び上がる。それでも凄まじい風圧に身体は持っていかれ、山の中へと落下した。


「マズい!」


 自分が視界から消えれば次に狙う対象はモレットたちだ。

 サロアはなんとか体勢を整えて獣のように木を伝い降りると、またすぐに鬼の元へと走った。

 境内に出ると鬼がまさに、モレットたちの行く手に飛び降りたところだった。


 くそっ! ルカビエル様に守るよう頼まれてんだよ!


 サロアは本気を出す。血を身体中に巡らせ、尻尾が青黒く膨張する。それを発条ばねのようにして踏み込むと、石畳がべこりとへこんだ。


 鬼の眼前に一筋の線が走る。

 遅れて鬼の両目が裂け、血が噴き出した。


 ちっ、やっぱ短剣じゃ倒せねぇか。


 サロアは咄嗟に庇い合うモレットたちを引っぱって、瞬時に鬼から距離をとった。


「イサネ、お前の金棒を貸せ」

「いいけど……壊さないでよ」


 短剣を鞘に納めて金棒を掴むと、サロアは再び飛び出した。鬼は雄叫びを上げながら、目を斬られたにも関わらず的確にサロアめがけて、鋭い爪を突き立ててきた。サロアは膝を曲げてわざと地面に転がり、それを躱す。そしてすぐさま、太く大きくなった尻尾で地面を叩き、身体を回転させながら金棒を振り抜いた。

 足を殴られた鬼が、よろよろとよろめく。サロアはその隙を逃さず、鬼の膝を駆け上がった。


「おらぁぁぁ!」


 こいつで終わりだ!


 サロアが鬼の顔を狙って、金棒を振りかぶった。

 その直後——


「アーロエ」


 危機を感じたサロアは、咄嗟に身体を捻って鬼から離れた。ピリピリと大気が震えた刹那、鬼の巨大な体躯が電撃に包まれた。

 鬼の咆哮さえかき消すほどの雷鳴が轟き、それは数秒もの間、やむことはなかった。


 黒焦げになった鬼が、全身から煙を出して地面に倒れる。サロアは何がなんだかわからないまま、しかし金棒は構えつつ、鬼がやられる前、確かに聞こえた声のほうを見た。


「……お前は、ローレンスの……」


 ヒノキへの使イ魔退治を依頼された時の会合に、たしかにこの男もいた。ローレンスの王子であるフレアルイスや枢機卿から、ルカビエルと共に命を受けていた。

 が、こんな場所で会うとは予想外だ。

  忌人や使イ魔を憎み、『五つの凶器』の中でも随一の、嫌な男。


「『赫雷かくらいつるぎ』、ラグナ・ライトニング……」


 よりによって派遣されてきたのが、こいつとは。


 男は赫く光る剣を鞘に納める。一歩足を踏み出すたびに、左半身を覆った水色の片掛外套が靡き、服のように薄い銀の鎧がカツカツと音を立てる。結んだ金色の髪を背中で揺らしながら、その無表情な目つきでサロアたちを順に見ていった。


「お前は、黒翼の忌人の下僕か。そっちのガキどもは……シエラ様やローズと一緒にいた奴らだな」


 それだけ言うと、ラグナは一人納得したように、くるりと踵を返した。


「おい待て、コラァ! 俺様まで巻き込もうとした挙句、獲物を横取りしやがって! それでもローレンスの凶器か、てめぇ!」


「忌人相手に、騎士の心得など必要ないだろう。それに、凶器の名に恥じぬ行為だと自負している」


 淡々とした口調でそう言うと、ラグナは足早に階段を降りていった。


「あ、あの金髪野郎……いつかぶん殴ってやる」


 ぷんぷんと恨み節を唱えながら後ろを見ると、モレットが息を吐いて地面にへたり込んでいた。その横では、


「イサネ! お主、イサネじゃったか!」

「ゼン爺! やっぱりゼン爺だったんだ!」


 爺さんとイサネが、喜びの声を上げて抱き合っている。どうやら知り合いだったらしい。


「早い帰りだったのぉ……。親御さんは見つかったのか?」

「今はそんなことより、家に帰ろうよ。話はそのあと、そのあと」

「おぉ、そうじゃな。助けてもらったお礼に、もてなさんとな。名乗りが遅れて申し訳ない。儂はゼンキチといって、血は繋がっていないがイサネの育ての親じゃ。よろしくの〜」


 頭を下げる爺さんを傍目に、サロアはイサネへ金棒を返しながら言った。


「じゃあ俺は、一旦ここでお別れだ。モレット、明日は朝方にはここに集合だぜ。じゃあな」

「え? サロアも一緒に行こうよ」

「冗談言うな、俺は忌人だぞ。爪も尻尾も見られちまったしな。これからは、お前の修行以外は別行動だ」


 人間との面倒事はできるだけ避けたい。それにまず、忌人を家にあげようなんて人間はいないのだ。


「それなら僕だって——」

「この国では、容姿の違いなど誰も気にしたりせんよ」


 モレットが何か言おうとしたのを、爺さんが遮った。


「お主もきたまえ。誰であろうが助けてもらった恩を返さんのは、ヒノキの人間として恥じゃ」


 サロアは複雑な表情で頭を掻く。


 義を貫こうとする人間は、嫌いではない。

 ……何より、受け入れてもらえるとは思っていなかった。



 頭を掻きながらサロアは、「わかったよ」と、か細く答えた。

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