第31話 決意を新たに。

「お待ちしていましたよ、モレット」


 サラドラの家を出るなり、早足で練所へと向かっていたモレットの足を止めたのは、ルカビエルだった。

 本来なら、西口近くの森で落ち合う予定だったはずだ。


「どうしてルカビエルがここに? ごめん、まだもう少しだけ時間がほしいんだ。とある事情でイサネが騎士に連れて行かれて、なんとか一緒に連れてくるから——」

「その件なら大丈夫です。イサネはすでに西口の森にいます」

「えぇっ⁉ なんで⁉」


 わけがわからず、大通りの真ん中でつい大声を出してしまった。


「……まぁ説明は、ひとっ飛びした後にでも」

「ひとっ飛び?」


 ついてきてください、と、ルカビエルが背を向けて歩きだす。何もわからないまま、モレットはただ夢中で彼のあとを追った。

 ルカビエルが立ち止まったのは、家屋と家屋の間を抜けた細い路地裏だった。人目は愚か、二人が並ぶだけで窮屈だ。


「それではこちらへ来てもらえますか、モレット」


 ルカビエルが伸ばしてきた手を掴むと、ぐいっと引き寄せられた。


「あなたは肝が据わっているので、大丈夫でしょう。しっかり掴まっていてくださいね」

「え——!」


 バサリと、黒翼の翼に囲まれる。

 そしてルカビエルが跳躍したと思ったら、次の瞬間にはもう地面がなくなっていた。

 ローレンス公国が、その全体が視界に収まるほど、遥か真下にある。

 ようやく自分が空を飛んでいることに気づくと、モレットは思わずルカビエルの服を強く握った。

 空に吸い込まれるように飛んだ空昇からのぼりの儀と違って、ルカビエルの翼が羽ばたくたびに身体が上下するため、不安定であるのは否めないが……それにしても……。


 ローレンスの王宮、それを囲むたくさんの家々。周壁を挟んで、どこまでも続く森林地帯。地平線の向こうでは、所々に浮かぶ雲から顔を出した銀色の太陽が、世界を照らしている。

 空昇りの儀では到底見ることができなかった景色。

 クレアシ村を出なければ、ルカビエルに出会わなければ、見ることのなかった景色。


 世界は凄い。どこまでも果てがない。僕も……ローレンスというおっきな国でさえ、ちっぽけだ。


 恐怖さえ忘れてしまうほどの光景に、モレットは息を呑んで見入る。


「やはり君は、肝が据わっている」

「え?」


 吹きすさぶ風に、ルカビエルの声はかき消されてしまった。すると、今度はちゃんとモレットが聞き取れるように、珍しく大声を出した。


「イサネはずっと臆していて、周りを見る余裕なんてありませんでしたよ! まだ見ていたいでしょうが、風邪をひかせては悪いのでそろそろ行きますね!」


 モレットを抱くルカビエルの腕に力が籠る。それからの黒翼の動きを、モレットの目では捉えることができなかった。

 一瞬、まさに風を切るような鋭い音が聞こえて、思わず目を瞑る。そして次に目を開けた時には、ルカビエルはもう森の中に降りようとしていた。




 地に足がついてよろめくのを、ルカビエルが支えてくれる。が——

「モレット!」


 イサネに飛びつかれて、結局倒れてしまった。


「イサネ!」


 だけど、痛みよりも嬉しさが勝る。こうして簡単に、また再会できるとは思わなかった。


「どうして君がルカビエルと? ジュリセルはどうしたの?」

「あ、ジュリセルは……」


 起き上がったイサネが気まずそうに言い淀む。答えを返してくれたのは、ルカビエルだ。


「非常に申し訳ありませんが、彼には少し眠ってもらいました。おそらくあのまま練所に向かえば、数日は解放されなかったでしょうから」

「そんなことないって私は言ったんだけどね。ジュリセルも味方になってくれるって言ってたしさ」

「それは……」


 オークスは神人御用達の商人だった。そのうちの一人に過ぎないのだとしても、そんな商人の屋台を壊した犯人を、そう易々と解放するはずはないだろう。

 サラドラの話を聞いたあとでは、とても楽観的に考えることはできなかった。

 何よりも……。


「サツキくんの事件の犯人にされるだけですよ。騎士たちにとって、別件であるとはいえ一商人の屋台を壊した子どもを、そう簡単に解放するはずがありません」


 ジュリセルが言っていた通り、『ローレンスの騎士に暴力を受けていたトレースの子どもが犯人でした』では困る騎士たちからすれば、『商人襲撃事件はトレースとは無関係でした』、にできるイサネという存在は願ってもない犯人像だ。

 モレットはもうだいぶ、大人というものの厭らしさをわかっていた。


「でも、私がオークスの屋台を壊したのは事実だから、それはやっぱり謝りに行かないと……」

「オークスという男は君たちを騙したのでしょう? 因果応報というものです。あなたがちゃんと反省しているのなら、それでよろしい」


 ルカビエルの声音には、怒りが籠っていた。イサネに、ではないのは、彼女を諭すその目を見れば明らかだ。

 それにしても、よくイサネが練所へ辿り着く前に見つけられたものだ。モレットは不思議に思い、直接訊ねた。


「大して探していませんよ。今朝方あの人相書を目にしてから、診療所から練所への道を見ていっただけのことです。サツキの時と同じく、サロアにも手伝ってもらいましたし」


 やっぱりこの二人は凄いな。モレットは改めて、この二人の忌人に尊敬の念を抱く。互いを補い合っているその関係も、羨ましいと思ってしまう。


「ところで……モレットのほうは、サラドラ氏から有力な情報を得られましたか?」

「あっ! それ私も聞きたかったやつ!」


 イサネに詰め寄られ、モレットはたじろぎながら、サラドラに教えてもらったことの全てを話した。もちろん、母と知り合いだったことも。


宝具ススタンシア……ですか」


 腕を組み、難しい顔をして考え込むルカビエルを、モレットとイサネが下から覗いた。


「ルカビエル、知ってるの?」


 返答はなかった。イサネが彼の肩を揺さぶろうとすると——

「俺のいた国じゃあ、そのまま宝具って呼んでる奴もいたな」


 森の奥からサロアが現れる。その顔が嫌悪感に溢れているのは、首にあのヒコリホンを巻きついているからだろう。


「サロア!」

「ルカビエルと一緒じゃなかったんだね」

「イサネを連行していた騎士を、診療所の前まで運んでたんだよ。道の真ん中で気絶したまんまじゃ、すぐに騒ぎになっちまうからな」


 そんなことよりも、と、サロアはヒコリホンを首から剥ぎ取った。ぎゅぅ~と鳴いて、ヒコリホンは翅を広げて飛び立つ。足をもぞもぞとさせたまま森の奥へと飛んでいく姿は、ルカビエルと違ってとても優雅とは言い難い。


「うへぇ……何あれ……」


 初めて目にするイサネは、その大きな芋虫みたいな使イ魔を見送りながら、自分の肩を抱いた。モレットも心底、ローレンスでルカビエルと出会えたことを感謝した。

 唯一、何も気にしていないルカビエルが会話を戻した。


宝具ススタンシアは、物によってはそれ一つで戦況をひっくり返せるほどの、強大な兵器になりえる力を有しています。私が見たことのある宝具は、人を傷つけるような力はありませんでしたが……とても人が運べるような大きさではなかった」

「サラドラさんは一見、普通の物だって言ってたんだけど……」

「そうですね。そういう物もあるでしょう。オールの花と平行して探す価値は、充分あると思います。危険が伴ってしまいますが……それは今に始まったことではありませんしね」


 危険なら、もうすでに何度も味わった。


「そのためにも、サロアに鍛えてほしいんだ」


 ルカビエルは一度目を閉じ、息を吐いてから、「それでは本題に入りましょうか」と、人差し指を立てた。


「お二人にはこれからサロアと共に、ヒノキへと向かって頂きます。少々気になることがありまして私はローレンスに残ります。代わりに使イ魔退治の任務を果たしてもらいたいのですが……まず、イサネはよろしかったですか? 決して無理強いはしませんが」


「もちろん! ローレンスに着いてからどうしようかなーっていうのは、ちょっと考えてたことでもあったし。今じゃあお尋ね者になっちゃって、この国にいられないしね」


 自分のことだというのに、その口調は軽い。

 笑う彼女の横顔を見ては、モレットの心が少し痛くなる。


「ごめん、僕のせいなのに。本当は僕が――」

「モレット! 私はこうやって、モレットやルカビエルから旅に誘ってもらえて嬉しいよ。オールの花を探す旅、意外と楽しいしさ。ヒノキを出てからはずっと一人で、ドスカフ村に着いた時はもうここに住まわせてもらおうかなー、なんて考えてたんだから。私がモレットに感謝してるんだから、モレットは謝っちゃダメ!

 それに私が悪い奴じゃないってことは、モレットもこの二人も、シエラやローグ、それにフィノやトレースの人たちだって知ってくれてるから、それで充分だよ」


 気を抜けば、涙が零れそうになる。


 救われているのは僕のほうだ。強い君には何度も、助けてもらったんだから。

 イサネの両親も探す。それも僕の、この旅の一つの目的だ。


「だけどさ、そもそもになるけどなんで私も必要なの?」

「その金棒……イサネはヒノキの出身でしょう? サロアは一度も行ったことがなく、道を知らないので、よければその案内をして頂けないかと」

「あ、なるほど!」


 ポンと、イサネは拳で掌を叩く。

 たしかに案内役がいるのといないのとでは、着くまでの時間が明確に違うだろう。それにヒノキに着いてからも、その町を把握していて、かつ明るいイサネがいるのは心強い。警戒心の強いサロアと人怖じするモレットでは、食事や寝床を見つけることさえ難航しかねない。


「使イ魔退治についてですが、どうやら最近その出現が頻発している、ということだそうです。まぁローレンスのほうも、『五つの凶器』を一人向かわせたそうなので、たぶん大丈夫でしょう。ただモレット……」


 ずっと笑みを浮かべていたルカビエルの顔が急に真剣になって、モレットを見た。


「強くなるための稽古は、おそらく厳しいものになりますよ。サロアは私と違って甘くありませんから。断るなら、今が最後です。本当にヒノキへ行くのですね」


「うん‼」


 モレットは力強く答えた。

 オールの花を手に入れるために、メイスやサツキからは力が必要なことを、オークスからは利口に立ち回れる頭を、アンヴィレッジ夫妻からは絶望と希望の情報を。

 これまでの旅が、今自分がしなければならないことを明確にしてくれた。


「それではサロア、二人を頼みましたよ」

「お任せください。モレットの稽古も使イ魔退治も、完璧にこなしてみせます!」


 仁王立ちで胸を張るサロア。そんな彼の肩を軽く叩いて、ルカビエルは「いってらっしゃい」、と伝えた。



「よし! それじゃあ行くぜ、お前ら!」


 ルカビエルに背を向けて、サロアは昂然としたまま駆けだした。

 モレットとイサネも、慌てて大地を蹴る。


「ちょっと待って!」

「サロア、道わかんないんでしょ!」


 モレットは後ろを向いて、ルカビエルに手を振った。

 ルカビエルも手を振り返してくれる。気をつけてー、という彼の言葉が森にこだました。


 もうかなり先を行っているサロアに追いつくため、モレットはさらに強く、大地を蹴った。


 新たな決意を、その胸に抱いて。




  ***


 シエラがフィノとサツキのいる診療所を訪れたのは、モレットがローレンスを発った日の夕刻だった。

 包帯だらけのサツキを見た時は、その痛々しさに、思わず目を逸らしてしまった。聞いたところによれば、モレットも怪我を負ったらしい。サツキと戦ったのだと。


 甘かった……。ローグが正しかった。


 彼女か、もしくはほかの騎士を同行させていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。モレットのほうが大事に至らなかったことが、せめてもの救いだった。


 王宮を囲む三本の塔の一つ、その三階にある自身の部屋まで運び込んでから翌日、サツキも無事に目を覚ましてくれた。

 心の底から安堵した。

 本当はまだ安静にさせてあげたかったが、しかしシエラにも早く訊いておかなければならないことがあった。


 契器グラムを一体どこで手に入れたのか、を。


 サツキは、フィノと出会うよりも前に拾ったのだと教えてくれたが、シエラは直感的に嘘だと察した。同時に、今はどれだけ訊ねても、教えてくれはしないだろうことも。シエラ自身が、まだサツキに信用されていないのだ。

 だからそれ以上、契器グラムについて追及することはしなかった。


 それからも、頭の中でサツキのことが渦巻いて、公務が手につかなかったというのに……。

 そのうえで、イサネだ。この国にはもういないのだろうけれど。

 シエラは手元にある人相書きを見て、ため息を吐いた。

 ジュリセルを呼び出してそのことを訊ねると――彼も一体何があったのか、多少の記憶障害を起こしていたが――、真実を知ることができた。

 町ではすでに、イサネが商人襲撃事件の犯人になってしまっている。

 シエラはこれから、その襲撃事件の真相を民に明かさなければならない。当然サツキの名前は伏せるが、だからこそ、どれだけ弁明しても民のイサネへの印象を変えることはできないだろう。オークスという商人の屋台を壊したのが、事実である以上……。


 ハァ、私にまだ子どもはいないはずなのに、最近は子どものことばかり……。


 シエラは少し気分転換に、外に出てみようと思い立った。塔の足元に自ら細々と造りあげた、小さな庭園がある。気分の浮かない日は、そこで椅子に座って花々や木々を眺めるのが習慣になっていた。

 あの人が好きだったハルベニの木も、ようやく花を開いてくれた。

 美しい美しい、吸い込まれてしまいそうなほど鮮やかな、深紅の花。


「王女は大変よ、ケイエ……。どうか、早く帰ってきて……」





  第一部 完

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