第30話 サラドラとシェリー

「……宝具ススタンシア?」


 聞き慣れない言葉に、モレットは首を傾げる。


「人の想いが宿り、不思議な力を持つといわれる代物だ。手に入れれば、それがどんな物であっても、一千万ルナはくだらない」

「一千万⁉」


 オールの花が二つ買えるほどの代物⁉!?


「驚きだろう。だがオールの花よりは見つけやすい。例えばそれが存在する国に行けば、必ず何かしらの伝説や、奇怪な出来事があるものだから」

「力が宿る物って……契器グラムとは違うんですか?」

「ああ、全く違う。契器グラムは、あれは神人が自身の能力を、物に宿しているだけだ。神人と血を交わして取引を行った騎士だけが、持つことを認められている。そして、契器グラムには最大の欠点がある。壊されてしまえば、契約者は死んでしまうのだよ」


 モレットは絶句する。

 そんな話は、ローグからは聞かなかった。


 もしも僕やサロアが契器グラムを壊していた場合、サツキは……いや、奪ったものだとしたら本当の契約者は……。


 知ってるはずなのに、どうして教えてくれなかったんだろうか。


「もし君が、まだこれからも旅を続けるのならば、宝具ススタンシアとは必ず出会うことになるだろう。それが手に入れられるかどうかはべつの話になるが……」

「それなのに、宝具ススタンシアを探すことが一番確実になるんですか?」


 今は、サラドラさんとの会話に集中しないと。わからないことは、あとで直接ローグに訊けばいいだけだ。


「その理由は——」


 サラドラの言葉をかき消すように、門柱の呼び鈴が鳴った。モレットが鳴らした時と違って、安定した鈴の音色が聞こえてくる。


「もしかしたら騎士かもしれないな。シェリー、念のためにモレットくんを隠してくれないか。オークスの件であれば厄介だ」


 詳しく事情を知らないサラドラの懸念も、もっともだ。モレットは何も言わず、彼に従うことにする。

 シェリーに連れられ、廊下にある小さな物置部屋へと入った。


「ごめんなさいね。少し狭いだろうけど我慢して。もしも偉い人たちだったら、主人も家に上げざるを得ないから……」

「こちらこそ、すみません。ご迷惑をかけてしまった時は、僕が勝手に侵入したことにします」


 シェリーがフフッと笑う。その笑顔に、モレットはなぜだか急に、フィノを思い出した。


「子どもが偉そうなこと言うものじゃないわ。あなたは、何も気にしなくて大丈夫よ」


 扉が閉められて、モレットは暗闇に包まれた。扉の下部に造られた三本の細い隙間から、微かに、光が入ってくるのみだ。


「やぁ、サラドラ」

「スミルーチ……神人がこんな時間にこんな場所まで、なんの用だ? 公務はどうした?」


 戸口のほうから声が聞こえてくる。サラドラと、相手のほうは少ししわがれて、ゆったりしたものだった。


「随分と素っ気ないじゃないか、サラドラ。短い間だったが、枢機卿として天啓機関でともに働いた仲だろう」

「お前と友達になったつもりはないのだがな」

「まぁそういうな。今日はお前に大事な——ん? もしかして取り込み中だったか? 子どものようだが」


 胸がどきりと鳴る。戸口にある靴を見られたのだ。


「ああ。近所の子どもが遊びに来ていてな。急な用事でトレースの親戚の所へ行かなければならないからと、その両親に頼まれた」


 サラドラの口調は平然としていて、見事なほどに違和感のないものだった。


「お前のお人好しは昔から変わらんな。しかしそれは失礼した。手早く済ませようか。今日はお前に大事なお知らせがあって来た。こちらも、子どもについての話なんだ」

「……聞こう」


 そう言うと、サラドラは外に出て戸口を閉めた。二人の声が一切聞こえなくなって、話の続きが気になりはしたが、同時にホッと息を吐いた。

 ふと、足元でガシャっと音が鳴る。動いたモレットの足が、何かに当たったらしい。目を落とすと、一つの大きな木箱があった。蓋がずれてしまい、少しだけ中身が見えていた。


 これは……子どもの遊び道具かな?


 扉の隙間から漏れる光に照らされたそれは、木でできた小さな玩具たちだった。円柱や三角錐、四角錐、球体など、色とりどりの積み木を見ていると、記憶にはなくとも、懐かしさを覚えた。


 子どもがいたのか。この家にいる感じはしないけど……。サラドラさんもシェリーさんも、見たところ四十は過ぎているから、きっともう大きくなってて、ここを出てるのかもしれないな。あまり詮索するのはやめよう——


 しかし一枚の絵が目に入った瞬間、モレットの思考が止まった。

 額に入れられているその絵には、シェリーと一人の女性が写っていた。銀の鎧に身を包み、左目に眼帯をしているが、見間違うはずはない。その赤い髪の女性は――。


 そんな……母さん……?




 数分後、戻ってきたサラドラが廊下を通る音を聞いてから、シェリーが物置部屋の扉を開けにきた。

 居間に再度入ると、サラドラは神妙な顔つきで何か考えているようだった。

 だけどモレットの心中も、それどころではなかった。


「あぁ、モレットくん、話を中断してすまなかったな。昔の同僚だった。騎士ではないから、心配しなくていい」

「すみません……」


 喉が震えて、か細い声しか出なかった。サラドラもシェリーも眉根を寄せ、モレットはもう一度、今度はちゃんと聞こえるように、声を絞り出した。


「すみません。物置部屋にあった木箱の中を、少しだけ覗いてしまいました」


 二人はあまり驚かなかった。むしろ笑って許してくれた。


「実直なのね。でも気にしなくていいわ。隠すような物は、入ってなかったでしょう」

「違うんです。箱の中に、僕の母の絵があったので……」


 さすがに、これにはサラドラとシェリーも驚いたようで、その目を大きく見開いた。


「君の母親……?」

「母の名前は、ヘンリエッタ……といいます。シェリーさんと一緒に写っていました。お二人は母を知っているんですか?」


 母のことは、ローレンスで騎士を務めていたことしか知らない。眼帯をしていたのは、おそらくだが金色に変わるのを誰にも見られないためにだろう。母は、モレットと違い左目しか変化しなかったらしい。


 シェリーは口に手を当てて、黒い瞳に涙を浮かべていた。


「その赤い髪……。あなた、本当にヘンリーの……」


 両手で顔を覆う妻の背中を、サラドラはそっと撫でてやった。



「私とヘンリーは、若い時同じ部隊に配属されていた騎士だったの。いわゆる先輩と後輩の関係だった。戦争が激化する前に部隊が変わって離れ離れになったから、あなたがまだ生まれる前のことだし、結婚していたことさえ知らなかったわ。ただ……戦争で行方不明になったことは風の噂で聞いていたから……そう、ヘンリーは生きていたのね」


 目尻を拭いて話しだしてくれたシェリーの瞳に、再び涙が滲む。

 母に何があったのか。父が誰でどうなったのかはわからないが、この上層大陸で母を知る人物に初めて出会えて、モレットは素直に嬉しかった。


「……まさか、君がオールの花を探していることと関係があるのか?」


 訊ねてきたのはサラドラだ。


「はい。母は生きてますけど……もう十年、ずっと眠ったままです。僕はその母を目覚めさせたくて、オールの花を探しに旅を始めました」


 モレットの返答を聞くと、シェリーはついに堪えきれなくなったのか、静かに嗚咽を洩らして、泣きだした。

 対してサラドラは何かを決心したように、モレットの顔を強い目で見た。


「モレットくん、君の母に何があったのかは知らないが、協力はできる。話を戻したいが、それでもいいかな?」


 モレットは「お願いします」、と頭を下げる。

 サラドラはシェリーを支え、三人は最初と同じ場所に腰かけた。


「オールの花を手に入れるのに、ススタンシアを探すのも方法だと言ったのには、三つ理由がある」


 お茶をぐいっと飲んで、サラドラは気を取り直してから話を再開した。


「一つはさっきも言ったように、その価値だ。手に入れれば間違いなく、取引に使える。それを欲しているのは商人だけじゃない。騎士や神人もだからな。利用できるものは、利用しなさい」


 なるほど。おそらくそれを手に入れることができれば、あのオークスでさえも交渉に応じさせることができるのだろう。


「二つ目は、宝具ススタンシアを探す道中でオールの花を見つけることができるかもしれないからだ。オールの花は、運によるものが大きい。諦めずに探すべきではあるが、闇雲にそれを探し続けるよりかは、ほかにも目的があったほうがいい。心にゆとりを持てる」


 モレットは姿勢を正して、「はい」と頷いた。

 たしかに今までの旅では、オールの花の手がかりを得るのに夢中で、焦り、一喜一憂して、心に余裕はなかった。

 サラドラには全て見透かされているみたいだ。


「三つ目は、宝具ススタンシアによる力だ。それで、ヘンリエッタさんを助けられる可能性がある。これは、オールの花以上にわずかな確率だが……ない話ではない。それほどに宝具ススタンシアというのは、我々の想像を超える力を持っている。今まで以上に、危険を伴うかもしれんが……」


 サラドラは自身の提案に迷いを覚えたのか、顔を伏せてしまった。ようやく落ち着いたのか、シェリーがその先の言葉を継いだ。


宝具ススタンシアを探すことはどうしても危険を伴うけれど、仮に私たちがここで止めたって、あなたは旅を続けるのでしょう? であれば、目的は多ければ多いほどいい。本当は私たちもついていってあげたいけど……それはできないから、せめて一つ、約束をしましょう。これからまた旅に戻って、その先にどんなことがあっても、強く優しい心を持ち続けて、貫き通してくれる?」


 優しい人たちだな。母の友達がこの人で良かった。

 シェリーの濡れた瞳を見ると、モレットはその約束を守らなければと思った。


「はい、必ず」

「それじゃあ……」


 シェリーが立ち上がり、お茶のなくなった陶器を手に取ってお盆に置いた。


「これで話は終わりね。ここからは、私から提案があるのだけど、あなたが生まれる前のヘンリーのことでよければ、話しましょうか?」


 はい、ぜひ!

 即答したい気持ちをこらえて、モレットは言葉を飲み込んだ。


 今は……時間がなかった。ルカビエルと合流しなければならないし、何よりイサネが気がかりだ。早く助けてあげたい。

 だけど断るのも失礼だ……。


「モレットくんは旅人なんだ。あんまり引き止めるのも悪かろう。それにお前の知っていることは、ヘンリエッタさんも知っているのだ。目覚めさせて、そのあとで聞けばいい」


 サラドラが穏やかな笑みをモレットに向ける。彼なりの応援、験担ぎなのかもしれない。

 やはりこの二人には、言いづらいことでもちゃんと言わなければならない。


「すみません。僕が物心ついた時にはもう母は眠っていたので、本当に知りたいことばかりですけど、今は旅を共にしてくれている友達が危機に陥っていて、先を急がないといけません」


 本当にありがとうございました、と、モレットは立ち上がって頭を下げた。


「それは大変ね。じゃあこれだけ最後に……。ヘンリーは後輩なのに頑固で、一度決めたことは絶対譲らないような子だったわ。そんな子が赤ちゃんを妊娠して生むことを決めた。それはつまりね、あなたのこと、誰よりも愛しているのよ」


 急に目頭が熱くなる。

 疑ったことなんてない。だけど、一度も言われたことはなかったから……。


「はい」


 モレットはシェリーに深々と頭を下げた。




「モレット、訪ねてきてくれてありがとう。ヘンリーのことを聞けて、私も感謝しているわ」


 二人に見送られて、モレットはアンヴィレッジ夫妻の家をあとにした。




  ***


「今日は、いろいろありすぎたな」


 椅子に座ったまま、サラドラが天を仰いで呟いた。シェリーはまだ、蘇ってきた思い出の余韻に浸りたくて、物置部屋から木箱を引っ張りだすと、そのまま絨毯に座りこんで、中に入っている物たちを手に取っては、しみじみと眺めた。

 するとサラドラも床に腰を下ろしてきて、シェリーの右手を強く、柔らかく包み込んだ。


「……とうとう、時が来たよ」


 シェリーは目を大きくして、サラドラの横顔を見つめた。


「そう……」


 彼が何を言っているのか、これから何が起きるのか、瞬時に悟った。

 皺は増え、瞼も頬も少し弛んだけれど、眼鏡の奥の赤い瞳は、昔と変わらずに強さと優しさを帯びていて、シェリーは二十年以上の付き合いを経た今でも、時々惹かれることがある。

 私論に過ぎないが、恋は相手の目——瞳から始まるのではないか、と思っている。言葉や容姿以上に、瞳はその人を語っている気がするのだ。

 そんなことを、ヘンリエッタと話したことがある。しかし彼女は笑って、一蹴した。


『瞳……ですか。私にはわからないなぁ。私にとって恋愛は、もっと感覚的なものです!』


 そんな女性だったから、シェリーもまったく関知しないうちに、いつの間にか結婚して子どもも生んでいた。人と忌人との争いが激化しだした頃だから、報告する余裕がなかっただけかもしれない。実際ほかにも、シェリーの知らぬうちに結婚していて、死んでいった者たちはたくさんいた。

 霞んでいたヘンリエッタの笑顔が鮮明になって、次第にモレットへと変わる。

 そして今、あの子の子どもが全てを受け止めて、必死に助けようとしているのだ。


 ならば私も自分の過去から、人生から逃げるわけにはいかない……。


 シェリーはサラドラの左手の上に、さらに自分の左手を重ねた。


「その言葉を聞いたのが、今日でよかった。今なら全て、しっかりと受け止められるわ」


 サラドラの瞳から、静かに涙が零れる。


「すまない、シェリー。ありがとう……」


 久しぶりに抱きしめた彼の身体は、とても温かった。

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