第29話 サラドラから語られる、伝説の花の手がかり

 結局、モレットはシエラの地図とジュリセルの指示を頼りに、一人でサラドラの元へと向かうことになった。

 オールの花の情報を得るためとはいえ、正直、状況は非常によろしくない。ジュリセルに連行される形となったイサネを助けるため、練所にも行かなければならないのだ。

 ルカビエルとの合流は遅れる。ヒコリホンを抱くことももう覚悟していたが、果たしてそんな簡単にイサネは解放してもらえるだろうか。ジュリセルは一緒に弁明すると言ってくれていたが、モレットは全く安心できていなかった。


 とにかく、今は先を急ごう。


 慌ただしく行き交う人々に混じって、モレットは石畳の広小路を早足で駆けていった。




 サラドラ・アンヴィレッジの家は、二階建ての石造建築が並ぶ細い通り、そのちょうど突き当たりに建っていた。元枢機卿と聞いていたから、どんな豪華な家だろうと想像していたが、大きさも見た目も、周囲の家々と変わりなかった。精々違うのは、屋根が水色ではなく、派手な黄色であることぐらいだ。

 王宮に入った時のように強張ってしまわないかと不安だったので、モレットはひとまず安心した。

 それでも、やはり偉い人の家を訪問するのは緊張する。自身の人見知りの性格も災いしているのは間違いない。イサネであれば、きっと一切物怖じすることなく動けるのだろう。

 尻込みする気持ちを殺しながら、モレットは震える手で門柱に付いている呼び鈴を鳴らした。無様な音色が軒下に反響する。


「す、すみませーん……。旅の者なんですけど、サラドラ・アンヴィレッジさんはいらっしゃいますかー?」


 心が整うのを待ってはいられない。無駄に時間を消費してしまうだけだ。


「はい……ん? これはまた、随分若い旅人さんだな」


 戸口から出てきたのは、白髪に円縁眼鏡をかけた男性だった。もはや見慣れた、水色の服装をしている。どんな厳格な人だろうと想像していたモレットは、また一つ安心した。


「私の家になんの用だい?」

「あの、サラドラさんですか? 少しお訊きしたいことがあって来たんですけど……」


 懐からシエラの手紙を取りだすと、サラドラに手渡した。こっちのほうが、説明するよりも早いと踏んだ。


「ほぉ、シエラ様からか。珍しいな」


 サラドラは眼鏡を額に上げて、手紙を読み始める。その時初めて、モレットは彼の小さな瞳が赤いことに気づいた。

 やがて、「ふむ、まぁ入りたまえ」と、サラドラは門を開けてくれた。


 いまだ臆面を携えたまま、モレットは彼のあとをついて戸口をくぐった。




 サラドラの家の中は、派手な屋根をもつ外観と違って、落ち着いた木目調の壁や床であしらわれていた。木の匂いが鼻をつき、モレットはクレアシ村で過ごしていた我が家を思い出して、親近感が湧いた。外は石造りなのに、中をわざわざ木造にしているのは、家主のこだわりを感じさせる。

 サラドラに促されて廊下を進むと、その両側の壁の所々に、真四角にくり抜かれた空間ができていて、そこには様々な壺や皿など、高そうな骨董品が置かれていた。

 おそらくサラドラの趣味なのだろう。


 それから広々とした居間に出ると、サラドラが声を張った。


「おーい、シェリー。お客さんだ。お茶を用意してくれ」

「え⁉ あなた、そんな急に言われても……はいはい、少しお待ちくださいね」

「あ、お構いなく——」

「いいから、いいから。シエラ様のお知り合いに、無粋な真似はできんのだよ。ほら、そこで休んでくれたまえ」


 サラドラに勧められて、モレットは一人では充分過ぎるほどに大きな、ふかふかの長椅子に身体を沈ませた。綿でも詰め込まれているようなそれは、布団のように心地良い。


「こちらは家内のシェリーだ」


 やがてお盆を持った女性がやってくると、軽く会釈してきた。真っ白に近いほど綺麗な金髪。身体の線は細く、サラドラと同じように顔や掌に皺も刻まれているが、シエラに並ぶほど佇まいのしっかりした、美しい女性だ。

 モレットはぎこちなく頭を下げた。


「そして……まだ自己紹介をちゃんとしていなかったな。私がサラドラだ。よろしく、モレットくん」


 目の前の卓に、お茶の入った陶器を置いていくシェリーを挟んで、サラドラが挨拶した。


「では、どうしようか? さっそくオールの花について話したほうがいいのかな? そのためにここへ来たのだろう?」

「あ、えっと……はい」


 サラドラがお茶を一口啜って、木造の卓に戻した。緊張しながら、モレットも立派な白い陶器を掴んだ。

 美味しい。ドスカフ村で飲んだカミヨリのお茶とまた違う。匂いはそんなにないが、味がしっかりと効いている。


 シェリーが隣に座るのを見届けてから、サラドラは口を開いた。


「君は、今のところオールの花について、どれだけ知っているのかな? モレットくん」

「それが、まだ何もわかっていません。一度、目にはしたんですけど」

「そうか……。予め言っておくが、私も全てを知っているわけではない。私がちょうど二十歳の頃、たまたま先代の王に仕えていてね。ジーノ様が病に倒れられた時は、それは王宮中が混乱に陥ったものだ」


 サラドラは茫洋の目で、部屋の隅にある巨大な壺を見た。つられてモレットも、その壺に視線を移す。

 雲のような炎のような、奇妙な柄の入った壺だった。


「あれは、私が天啓機関てんけいきかんの枢機卿となった時に、ジーノ様から頂いたものだ。あの方はホントに優しい方でな、騎士としてまだまだ未熟で、護衛の仕事さえまだロクにできなかった私のような者にも、気さくに話しかけてくれるお方だった……」


 言い終わると、サラドラはふっと我に返った。


「おっと、いかんいかん。つい思い出に浸ってしまった」

「いえ……それでジーノ様はオールの花を探すことにしたのですか?」


 モレットの問いに、サラドラが短く頷いた。


「うむ。伝説の花はベイクンの有名な植物記に登場するからな。ベイクンは実在したし、おそらく君も、それを読んで知ったのではないかな?」


 モレットはただコクリと頷く。ベイクンの植物記は、母が空昇りの儀をおこなう前から、すでにクレアシ村にあった。祖父が言うには、昔同じように上層大陸へと行った村人が、持ち帰ってきたものらしい、と。

 モレットが上層大陸の知識を得るのに、一番お世話になった書物だ。


「当時からたびたび目撃証言も出ていたし、ジーノ様はその存在を確信し、各地に散らばる騎士たちも含め三百人あまりを総動員して、花を探させた。人海戦術だな。一年というかなりの時間を要したが……無事に見つけられたよ」


 モレットの胸が高鳴る。早くなっていく鼓動を抑えながら、あくまで落ち着いて言葉を発した。


「オールの花は、一体どこに咲いていたんですか?」

「それは言っても無駄だろう。……ローレンスの付近にある森の中、一本の木だよ、モレットくん」


「……え? オールの花が樹木に咲いていた? ベイクンの本には……」

「『水も干上がるような砂漠の中、それは雄大に咲いていた』、『動物たちの駆け抜ける宝石の草原に、ひっそりと』、『年中吹雪いている透明の大地に、凍りついたそれを』、か」


 ベイクンの綴った文言だ。

 ジーノが病を患った際、サラドラも相当読み込んだのだろう。

 しかし、まさか……。


「劣悪な場所にその花は咲いている……そう思い込んでいたから私たちは、一年もの間見つけられなかった。こんなに近くにあったものをな。ベイクンでさえ、おそらく知らなかったのだろう。オールの花は全ての場所、全ての木にも、咲く可能性がある」


 同じ場所にずっと咲いているものじゃないのか。


 サラドラから花を見つけた場所とそこへ行く方法を聞き出せればと、そう考えていたのだが。

 見えないもので喉が詰まって、言葉が出ない。モレットの胸中にある不安を、サラドラが代わりに吐いた。


「もしかしたら、またこの近くに咲いているのかもしれないし、もっと言えば、すでに君が通ってきた森の中に咲いていたのかもしれない」


 目の前が真っ暗になるようだった。


 そんなの探しようがない。どれだけ旅を続けても、どれだけ情報を得ても、見つけられるかどうかは運次第ということだ。

 僕の運がよければ、今日、明日にでも見つけられる可能性があるけど、下手したら一生……。


 部屋に沈黙が流れる。モレットの頭は目まぐるしく働いて、より確実な方法がないかと探した。

 そして、

「やっぱりお金を稼いで買うしかないんでしょうか?」、と訊ねた。


「これから働いて……時間は間違いなくかかるけれど、五百万ルナ貯めれば、確実に商人さんから買えますよね?」


 しかしサラドラは、肯定してはくれなかった。悲しげに目を伏せて、額を抱えてぽつんと言った。


「そうか……。オールの花を売っている商人を見つけたのだな。一度目にしたというのはそれか」

「はい。たぶんその商人からは、もう買うことはできないですけど、ほかにも仕入れてくる人はいるんでしょう?」

「いるだろうが……君では買えない……」

「僕、必死で働きます。眠っている母さんを——母を助けたいんです。だから何年かかったって——」

「無理なのだよ。そういう問題ではないのだ」


 サラドラは顔を上げ、沈痛な面持ちで言った。


「私は、騎士を十年ほど勤めたあと、天啓機関の枢機卿となった。この国のことを、よく知っている」

「あなた、それ以上は——」


 ふいに肩へ手を置くシェリーに、サラドラは自分の手を重ねて優しく諭す。


「シェリー、旅人である彼には、関係のない話だ。シエラ様に助力をと頼まれ、了承した以上、私はモレットくんの力にならなければならない。わかってくれ」


 すぐに口を噤む妻は、伴侶のことをよく理解しているのだろう。

 旅人の少年は口を挟まず、ただ会話が再び紡がれるのを待った。


「すまない、モレットくん。これから言うことは一度しか話さないから、よく聞いてくれ。先ほど、ジーノ様が花を探すために数百人の騎士を動かしたと言ったが、それでも一年かかった。銀鎧や赤銅鎧の騎士たちの中には命を落とした者もいる。そんな代物を、どうして一介の商人がたった一人で手にできると思う?」


 問われたモレットには、全くわからない問題だった。

 その表情を見て察したのか、サラドラは早くも答えを教えてくれた。


「商人は密かに騎士の力を借りて、それでオールの花を見つけているのだ」


 モレットは益々わからなくなった。


「ど、どういうことですか? なんで騎士が?」

「ジーノ様の件があってから、神人はオールの花の有用性を理解した。商人が仕入れたオールの花は、神人にしか売られないのだよ」

「ま、待ってください。じゃあ仮にお金があっても、オークスさんは売ってくれなかったってことですか?」

「オークス……! そうか、商人の店を破壊したというのは君……か?」


 しまったとばかりに、モレットは両手で口を覆った。

 元騎士なのだ。情報が入ってきてもおかしくなかった。

 空気が張り詰め、どうなるだろう……と、固唾を呑んでサラドラを見つめた。


「大丈夫だ。私から何かしたりはせんよ。そもそも君がやったとは思えない。関係はしているようだが……今のは全て忘れよう」


 サラドラが口を開けて笑い、空気が和らぐ。モレットも安堵して、胸に手を当てた。



「一番確実なのは……宝具ススタンシアを探すことだな」

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