第28話 人相書

 サツキとの戦いから三日が経った。

 ようやく退院となったモレットは、サラドラの所へと向かう前に、イサネと一緒に隣室のサツキの病室を訪れていた。

 サツキは、未だ目を覚ましていなかった。エイピアと戦い、傷だらけの身体のままローレンスまで辿り着き、商人たちを襲い続けていたのだから無理はないだろう。モレットたちと対峙した時点で、彼の身体はすでに限界を超えていたのだ。


「それじゃあ、元気でね」


 抱きついてくるフィノの頭を撫でて、モレットは泣きそうになりながらも、頑張って笑みを作った。

 モレットが病室にいる間に、イサネがシエラに事の顛末を伝えてくれていた。フィノとサツキも、今日中に王宮の騎士から迎えが来るらしい。

 つまりモレットとイサネとフィノにとって、お別れの時だった。

 ほんの少しの時間だったけれど、確かに元気を与えてもらった。楽しくローレンスを回れたのは、間違いなくフィノのおかげだ。僕よりもっと小さく幼い身体なのに、サツキを探している間、一切弱音も吐かずに。

 強い人は、誰かに何かを与えられるのだ。


「ありがとう、フィノ」


 僕も、強くならないと。

 首を振って一向に離れようとしないフィノに戸惑っていると、見かねたイサネが代わってくれた。

 しかし瞳に涙を浮かべた少女に見上げられて、イサネも感極まってしまったようだ。

 二人は抱き合ったまま、泣きだした。





 診療所を出ると、モレットとイサネはそばにある長椅子に腰かけて、ジュリセルを待った。

 相変わらず人の多い石畳の大通りは、絶え間なくその靴音を雑多に響かせている。

 隣のイサネはまだ、フィノとの別れの余韻に浸っているようだ。

 町行く人々を眺めている彼女に、モレットは礼を言った。


「ありがとう、イサネ。ついてきてくれて、心強いよ」


 ちらっとこちらを見て、イサネはまた正面に向き直る。


「それは、こっちこそだよ。ルカビエルの件……最初は驚いたけど、感謝してる。ヒノキに帰る口実ができたな~って」

 説明が不足しているため、モレットには理解できていない。けれどあまりにイサネの顔が穏やかなものだから、それ以上聞くことはしなかった。


「あ! やっと来たみたいだよ」


 イサネが指差した先には、まだ小さなジュリセルの姿が。


「……んだ!」


 先日と同じく、赤褐色の鎧を弾ませている。走っているのは、少し時間が遅れたことを気にしているのだろうか。


「大変だ、大変だ!」


 長椅子から立ち上がるモレットとイサネ。駆けてきたジュリセルは二人の腕を掴むと、診療所の裏側まで引っ張った。


「ちょっと、ジュリセル⁉ いきなりなんなの⁉」

「ここなら誰の目にもつかないか……」


 大通りからは見えなくなったことを確認すると、ジュリセルは懐から一枚の紙を取りだして、イサネの前に突きつけた。


「……ん? なにこれ? 誰?」


 モレットも何事かと、紙を覗き見る。それはどうやら、人相書のようだった。


「今日の朝、僕のところにも配られたんだ。連日商人を襲っていた犯人の人相が、ようやくわかったのさ。ローレンスでも結構有名な商人が襲われてね、これはその犯人の人相書さ。なにか、心当たりはないかい?」

「これ……この人、なんだかイサネに似てない? 白髪で金棒を持ってるって……」

「え? 私に? 私、こんなブサイクじゃ――あっ」


 慌てて口を抑えて、イサネはモレットと顔を見合わせた。二人とも、顔が青ざめている。


「……イサネ、何かしたのかい?」


 ジュリセルの声も震えている。というか、二人以上に血の気が引いているように見えた。


「あ、ああ~、えっと……ちょっとだけオークスの店を壊しちゃったかな~」


 イサネはテヘっと舌を出した。


「……マジかよ……」


 肩を落とすジュリセルは、しかしすぐに、

「その人だよ! 練所に被害届を出しにきた商人は!」

 と、イサネに詰め寄った。


「ちょ、ちょっと待って、その紙貸して!」


 イサネとモレットは改めて人相書を見る。

 目は吊り上がって、唇は厚ぼったく、いかにもな犯人面だが、おかっぱ頭を少し崩したような白髪の髪型は、やはりイサネに似ている。


「オークスのやつぅ! 私のことをブサイクに伝えたなぁ!」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ! どうするんだ、これ……」


 ジュリセルはとうとう頭を抱えて、壁にもたれて座ってしまった。


「ど、どうしようか。これじゃあ外に出られないよ。イサネの人相書があるってことは、僕のも存在するかもしれないし」

「あぁ……たぶんそれについては心配ないよ」


 頭を抱えたままだが、ジュリセルが答えてくれた。


「オークス氏の事件の報告があった時に配られた人相書は、それだけだから。オークス氏からはモレットの話も出たのかもしれないけど、おそらく相手をした騎士たちが、必要ないと判断したんだろう。

 とても情けないことなんだけど、練所の騎士たちはあまりこの事件に力を入れていないんだ。襲われた商人のほとんどは軽傷で、取り立てて重大なものではないとしている。犯人は子どもらしいという情報が一件目で入ってきて、少しタチの悪い悪戯だろうと判断したのさ。実際……」


 ジュリセルが目を細めてイサネを見ては、「子どもだったしね」、と続けた。


「ち、違う……とは言えないか。モレットも……ホントにごめん……」


 イサネは頭を下げて謝った。サツキのことを打ち明けられないのだ。彼のことについてはシエラとローグに任せようと、お互い話し合っていた。

 しかしそのせいで今、犯人がサツキからイサネに変わろうとしているのを、止めることができない……。


 モレットはひっそりと、唇を噛んだ。


「まぁ騎士たちが力を入れない理由は、それだけじゃない。そのあとトレースでの事件が起きてから……こっちの事件もそれに絡んでいるらしいという噂が出たんだ。君たちも関わった事件さ。シエラ様から少しだけ聞いたよ。

 とにかく、そのトレースの事件が王宮から正式に発表されれば、国民たちは多かれ少なかれ、騎士たちに不信感を抱く。それは仕方がないと覚悟しているんだけど、でもそれは、そんなものはいっとき経てば収まるとわかっているからだ。少しの間の辛抱だと。

 でも商人襲撃事件の犯人が捕まって、噂も事実だったと判明して、もしそれも公になったら、騎士たちへの不信感がさらに高まりかねない。火消しに労力を使わざるを得ないほどにね。だから今は余計に、この事件の犯人をなるべく捕まえたくないのさ。

 それで今、騎士の先輩方は、警戒を少し強めれば犯人の子どもは勝手にトレースへ帰るだろうと、そうお考えになられているところ、なんだ」


 まくし立てて教えてくれたジュリセルの言葉には、どこかトゲがあるのを感じた。

 しかし、どうしてだろう。

 モレットにはわからない部分があった。

 不信感を与えたくないのなら、逆に力を入れるべきじゃないだろうか。隠そうとするのもわからない。信頼されたいのなら、誠実に国民と向かい合うべきだと思うけど……。


「さて、とりあえず連続傷害事件の犯人まで、イサネだとは思ってないけど、オークス氏の屋台を壊したのが事実であれば、見過ごすわけにはいかない」


 はぁ~と、心底嫌そうなため息を吐いて、ジュリセルがイサネに近づいた。


「ま、待ってください」


 咄嗟にモレットは言葉を発する。

 当然の流れだ。ジュリセルは善良な騎士で、悪いのはイサネだ。

 それでも、自分は止めなければならない。イサネをむざむざ連れて行かせたくない。


「イサネが……イサネがオークスさんのお店を壊したのは、僕が理由なんです。動けなかった僕の代わりに、オールの花について聞きに行ってくれて、その結果壊してしまったんです」


 イサネ自身は、オークスさんになんの用もなかった。自分と関わらなければ、彼女がお店を破壊することはなかったのだ。


「……まずは、話を聞こう」


 シエラから聞いたとは言っていたが、サツキの存在はやはり知らないようだ。モレットはそのことは伏せたまま、ここまでの旅路を、オークスの元に辿り着いた過程を、要約して伝えた。


「……なるほど。話を聞く限りでは、非があるのは先に約束を反故にした、オークス氏のようだね」

「だから、イサネだけが悪いわけじゃ——」

「わかってるよ。僕もイサネのそばで、一緒に弁明しよう。もう一度訊くけど、ほかの商人が襲われた件については、君は無関係なんだろ?」


 問われたイサネが、俯いて「うん……」、と答えた。


 本当はもっと話を追及したかったが、これ以上会話を続ければ、サツキのことを口に出してしまいかねない。


「とりあえずはこれで、それぞれどうするべきかは明確になっただろう。僕はイサネを練所へと連れていく。モレットは一人で、サラドラ様の所へ行くんだ。君たちがまだ何かを隠しているのはわかっている。おそらく今はこうすることが、お互いにとって一番いいんじゃないかな?」



 全て見透かされているうえでの、最大限の譲歩。ジュリセルがこちらの気持ちを汲んでくれている以上、モレットもイサネも、もう頷くことしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る