第27話 強くなるために。
「あなたは何を考えているのですか!」
人差し指で胸を軽く突かれながら、ルカビエルの見たこともない目つきに、モレットは気を呑まれていた。
「まだ傷も癒えていないうちに病室を抜け出すなど! あの診療所に勤めている方々の仕事が増えるのですよ! 一人患者がいなくなれば、当然その捜索をしなければならないのです! なぜここに来たのかは知りませんが、人に迷惑をかけることを少しは考えなさい!」
ルカビエルの怒声に、木々に止まっていた鳥たちが一斉に舞い上がった。
モレットは項垂れる。何も言い返せなかった。診療所の人たちのことは、まったく頭になかった。
変わろうと決めたのに……自分のことばかりだった。
「本当にごめんなさい」
「戻ったら、正直に話して頭を下げなさい。あなたを手当てしてくれた方々全員に、です」
「はい……」と、項垂れたままモレットは答えた。
「それで? 一体私になんの用だったのですか? 一応聞いてあげましょう」
モレットのために前傾になっていた姿勢を戻して、ルカビエルが見下ろす。その後方で木に寄りかかり、頭の後ろで手を組んでいるサロアも、じっとモレットを見ていた。
怒られて沈んだ気持ちをなんとか上げて、モレットはグッと、ルカビエルの目を見つめ返した。
「ルカビエル、僕に戦い方を教えてほしいんだ!」
二人とも目を丸くして、眉間に皺を寄せた。その表情が似ていたのは、ずっと一緒に過ごしているからなのだろう。
「……戦い方? それはまた、どうしてです?」
数秒が経って、ようやくルカビエルが口を開いた。
「この旅を続けるためには、僕はもっと強くならないとダメだ。みんなに助けてもらってばかりの子どもに、オールの花なんて到底見つけられない。サロアには、喧嘩の勝敗なんていくらでも覆せるって言われたけど、でもやっぱり今の僕じゃ、どれだけ戦いを挑んだところで、サツキやメイスには勝てない気がするんだ。イサネやサロアを見ていてわかった。たぶん僕は、身体の動かし方や武器の使い方が、全くなってないんだと思う」
「ふむ……ではなぜ私なのでしょうか」
「サロアは強い。でもルカビエルはそのサロアが仕えている人だから、もっと強いと思ったんだ。実際ドスカフ村では一瞬で使イ魔を抑えつけてたし。使イ魔退治に僕も協力するから、だから僕も一緒に連れていって、鍛えてほしいんだ」
「なるほど、そういうわけですか。使イ魔を抑えたのは、実際には私の力ではないのですがね……。まぁ、話はわかりました」
そう言うとルカビエルは少し考えて、答えを出した。
「大変嬉しい申し出ですが……お断りします」
「でえぇ⁉」
ヘンな声が出てしまった。彼らについていくという提案であれば、ルカビエルなら受け入れてくれると思っていた。
「でも僕は本気で——」
ルカビエルの掌に、言葉を遮られる。その瞳はモレットを突き放してはいなかった。
「勘違いしないでください。その相手には、私よりも相応しい者がいるというだけですよ」
するとルカビエルはサロアのほうに身体を向けて、
「君がモレットに戦い方を教えてあげなさい。サロア」、と微笑んだ。
「はぁ⁉ なんで俺が——なぜ俺なんですか⁉」
寄りかかっていた木から身体を離して、サロアは抗議の姿勢を示した。
「喧嘩の勝敗なんていくらでも覆せる。そう言ったのはあなたなのでしょう? 病室を抜け出したことはともかく、痛む身体を引きずってここまで来たモレットの覚悟が、生半可なものでないのは確かですよ」
病室を抜け出したことはともかく。と、もう一度説くように言って、ルカビエルはモレットに目を戻した。
サロアはぬぬぬ……と、何か言いたげだが、堪えて悶々とした表情を浮かべている。しかしルカビエルはサロアのことなど気にせずに、一方的に話を進めた。
「しかしモレット、これは使イ魔退治の任務に協力してくれるというのが条件です。すでに次の行き先も決まっていますが、当然その場所に行けないというのであれば、サロアを貸すことはできません」
元々、根無し草の旅人だ。そんなものは、クレアシ村を出た時から覚悟している。
「僕は母さんを目覚めさせるために、オールの花を探すために、旅を始めたんだ。最初から、どこにだって行くつもりだよ!」
きっぱりと言い切ったモレットにルカビエルは、「無駄な問答でしたね」、と笑みを洩らした。
「行き先はヒノキという国です。距離はそれほど遠くありません。できればイサネにも相談したいので、よければ後日、改めてお話を——」
「ル、ルカビエル様⁉ 本気でこのガキを、俺たちの任務に同行させる気ですか⁉」
堪えきれなくなったサロアが、とうとう口を挟んだ。人間と行動を共にするのが、よほど嫌なのだろう。
「ええ。それについては、ちゃんと話をしましょう。私からも、あなたに伝えておきたいことがありますから」
落ち着いた口調でそう返されると、もはや何も言えなくなったのか、サロアはそれ以降異議を唱えることはなかった。
「ではモレット、次はいつお会いしましょうか。あなたの傷もありますし、イサネの都合もあるでしょう」
モレットは、二日後退院する予定でその後すぐにイサネと一緒に、サラドラという人物に会いに行くつもりだと伝えた。
「わかりました。それではそのあとで、またこの場所でお会いしましょうか。私たちが不在だった場合も考えて、この子を留まらせておきます」
すんなりとこちらの事情を受け入れてくれたルカビエルは、なぜか顔の前まで右腕を上げる。
すると上空から、大きい芋虫のような黒い物体が降ってきて、べちょりとその腕に巻きついた。液体のように流動的な動きで、頭部には大小様々な八本の角が綺麗に並び、その背には、透明な翅が生えているのも確認できた。
「ヒコリホンという使イ魔です。可愛いでしょう」
「つ、使イ魔⁉ 大丈夫なの⁉」
陶然とするルカビエルをよそに、モレットは短刀を抜いた。大きさはたいしたことないが、それでも油断はできない。
「心配はいりません。この子は無害……というわけではありませんが、いたずらに攻撃することはありませんよ」
ヒコリホンはルカビエルの腕を這うと、急に角の生えた頭部を擦りつけ始めた。気持ち悪いが、懐いているのだろうと近づこうとした矢先。
ルカビエルの腕から血が流れだした。
「やっぱり攻撃してない⁉」
モレットは短刀を構え直す。だが腕を噛まれている当の本人は、依然として芋虫のような使イ魔に見惚れたままだ。
「武器を納めて構わねぇよ。ありゃあ血を与えてるだけだ。ヒコリホンの主食だからな。それに、血を吸った人間の追跡もしてくれる。三日経ちゃあ忘れちまうが」
代わりに答えてくれたのはサロアだ。どうやら、もうモレットの同行に関しては吹っ切れたらしい。
「二日後、この子をここに置いておきますので、もし私たちがいない時は、この子に居場所を探させてください。話すことはできませんが、多少人語を理解してます」
いやぁ……。
素直に、はいと言えないモレットだった。
虫は平気なほうだが、さすがに大きすぎる……。小っちゃい足の粒が、たくさん見えてしまっているのだ。
「あぁ、あとくれぐれもローレンスの中に入った時は、周りに見えないよう懐に隠してあげてくださいね」
ますます、はいとは言えない。
救いを求めるつもりで、モレットはサロアを見た。
「俺もあの可愛さは理解できてねぇが、もう何度も身体に引っ付かせてきたんだ。お前も我慢しろ。さっきもルカビエル様が仰ったが、いたずらに血を吸ったりはしねぇしな」
「……はい」
頼むから二人とも森にいてくれよ。そう祈りながらモレットは小さく返事をした。
そしてモレットはルカビエルたちに見送られ、急いで西口の森を出た。
診療所に戻ると、すぐに医師や看護師たちに謝って回った。幸い大事にはなっていなかったが、冗談で「騎士の出動を要請するところだった」と言われた時は、慌てて土下座した。
しかも退院するまでの二日間、モレットはこの件でたっぷりと弄られることになってしまった。
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