第26話 光明

「ええっ⁉ オークスさんの屋台を壊した⁉⁉」


 寝台から立ち上がるモレットに、イサネはもう一度頭を下げる。


「ごめんなさい……。自分でもなんであんなことしちゃったんだろう、って思ってる。でもマジで頭にきて、モレットとかフィノのこととか考えたら、無意識に金棒に手が伸びっちゃってて……ダメだってわかってたのに……。でも、あいつも情報ぐらい教えてくれてよくない? なんでそんな意地悪してくるのか意味わかんないじゃん。モレットもそう思うでしょ? オールの花をタダでくれって言ってるわけじゃないんだしさ。あーなんか言ってたらまた腹立ってきた。大体あいつから一方的に、商人襲撃したやつ捕まえてくれって言ってきといてさ! 約束を反故にするなんて大人としてありえなくない? なんかもう、一発だけじゃなくてあと三発ぐらい金棒叩きつけとけばよかったかも――」


「お、落ち着いて、イサネ! ここ、病室だから……」


 昂るイサネを、なぜかモレットが宥める羽目になった。

 たしかにオークスの言動には腹が立つし、残念でもあったが、不思議と受け入れている自分がいた。

 これからも旅を続けるには、ほかにもしなければならないことがあると、今は強く思っているからだろう。


「イサネがしたことを肯定はできないけど、たぶんその感じだとオークスさんは、最初から僕たちに教えるつもりはなかったんだと思う」

「……怒ってないの?」


 イサネが上目遣いで見てくる。モレットは頷いて、「うん。怒ってないよ」と答えた。

 それを聞いた途端、イサネは安堵したように、肩の力を抜いた。


「そっかぁ。よかったぁ」

「また一からやり直しだけど、頑張るよ。今度からは僕もちゃんと、イサネの両親探しを手伝うから」


 思えば、ずっと一緒にオールの花を探してくれていたのに、イサネの両親についての情報は得ようとしていなかった。絶対に、心の底では気になってるはずなのに。

 今になって気にかけることができたのは、どうしてだろうか。オールの花の情報を失ったからなのか、自分の無力さを知ったからなのか。

 イサネはなぜかまた俯いて、それから顔を上げた。


「……モレット、私ホントはべつに——」

「あ、あの~……いい加減入ってもいいかな?」


 イサネが口を開きかけたとき、扉がまたコンコンと鳴った。するとイサネは思い出したように、「あぁっ!」と腰を上げた。

 入ってきたのは赤銅鎧の騎士だった。見覚えのある人で、モレットは一目見てピンときた。


「あの時の、西口にいた騎士の人ですか?」

「おぉ! 君は気づくのが早いね!」


 騎士は嬉しそうに元気な声を出した。

 モレットはふと、立て掛けている短刀に目をやった。トレースでのメイスたちの暴力を見ているため、近づかれて警戒心が湧いたのだ。

 味わってきた経験は比べ物にならないだろうが、騎士を信用できないと言ったサツキの心情が今はよくわかる。


「俺はジュリセルっていうんだ。君がモレットだったんだな。よろしく」


 騎士は立ったまま挨拶して、手を出してきた。モレットは短刀を気にしたまま、恐る恐る握手を交わした。


「そう硬くならないでくれ。たぶん、ジュノーって騎士がトレースでお世話になったと思うけど、あの人は俺の兄貴なんだ」

「えぇ⁉ 全然似てない!」


 声をあげたのはイサネだ。

 たしかに。でも言われたら、目元とか少し似てる気がしないでもない。


「中身だって、あいつは性格最悪だし!」


 それは……同意する。職務として仕方ないのだろうけど、ジュノーの高圧的な言動は、未だ忘れることができない。


「ハハ……ひどい言われようだな。安心させようと思ったのに、逆効果だったか」


 ジュリセルは頭を掻いて、「まぁでも仕方ないか。あの人は堅物真面目人間だし」と、ぼやきながら、鎧の内側から一通の封筒を取りだした。


「はい。これを君に渡してほしいって頼まれたんだ。シエラ様からだよ」


 受け取った白色の封筒を裏返すと、口には見たこともない立派な封蠟がされてあった。金色でHのような形の奇妙な文字。これはローレンスの国章だが、ヘブンズアース家の徴でもあるのだろう。

 開けることさえ憚られたが、おそらく手紙の内容はオールの花についてのことだ。ずっと躊躇しているわけにはいかなかった。

 震える手でそれを開けて中身を覗くと、二通の手紙と手書きの地図が入っていた。裏側には、封筒にされていたのと同じ封蠟が留められ、一通には『モレット様へ』、一通には『サラドラ様へ』と書かれていた。

 モレットは自分宛てのほうを開いて、綺麗に三つ折りにされた手紙を広げた。イサネが寝台に乗り、モレットの後ろに回り込んで顔を覗かせる。ジュリセルは逆に、手紙の内容が見えない位置までモレットから離れた。彼の誠実さが見えて、少しだけ警戒心が解ける。


 シエラの字は流麗な筆致で、それでいて読みやすかった。



  モレット様へ


 オールの花について、簡単ではございますが、わかったことをお伝えさせて頂きます。

 お父様に訊ねてみたのですが、当時はこの国にあまりおられなかったそうで、さらに三十年以上も前のこととあって、詳しくは覚えておられませんでした。

 しかしお爺様の付き人であったサラドラ・アンヴィレッジという男が、もしかしたら何か知っているかもしれないと、そう仰られていました。時間が許すのであれば、一度訪ねてみるとよいでしょう。

 彼の家の場所を記した地図を、同封しております。

 もしもサラドラの家を訪ねられた折には、もう一通の手紙を彼にお渡しください。きっと、あなたを受け入れてくれるはずです。

 地図につきましては用件が済み次第、そちらのほうで燃やして頂けると幸いです。

 サラドラ宛の手紙がもしも必要なければ、地図と共にジュリセルへお返しください。


 改めて、トレースでアーススさんたちを守ってくれたこと、サツキの捜索に協力してくれたこと、感謝いたします。

 どうかあなたの旅が、無事に目的を果たせますように。


                         シエラ・ヘブンズアースより



「サラドラ……さん」


 読み終わって、モレットは遠くを見るように呟いた。消えたはずの火が、また灯ったようだった。シエラには、感謝してもし尽くせない。


「サラドラ? 元枢機卿のサラドラ様のことなら、俺も知ってるよ」


 ジュリセルが言葉を発して、モレットとイサネは手紙から視線を移した。


「元々騎士だった方で、その後は天啓機関てんけいきかんの枢機卿としてこの国を支えてくださったんだけど、今はご隠居なさっていると聞いている」

「天啓機関?」


 言葉を繰り返したのはイサネだ。ジュリセルはうーんと唸って、


「説明するの難しいんだよな。めちゃくちゃ簡単に言えば、この国と神人しんとを繋ぐ、仲介役のようなものだ。この言い方は失礼に値するから、聞かなかったことにしてほしいけど」


 神人――その昔存在した神によって特別な力を与えられた、特別な者たち。

 忌人と違って書物に記載が少なく、モレットはその程度のことしか知らなかった。


「へぇー。あのジュリセルさん、私たちをここに連れていってくれませんか? 地図あるけど、探す手間が省けるから」

「君は……随分とグイグイ来るね……。数分前までとは別の子みたいだ」


 眉をピクピクさせて、ジュリセルは苦笑する。イサネは意に介さず再度頼み込み、モレットも彼女に続いた。人として正しいのかわからないけど、彼女のこういうところは見習うべきだと思った。正しいのかはわからないけど……。

 結局、二人して五回ほど頼み続けると、ジュリセルは折れてくれた。


「わかった。わかったよ。だけど行くのは、その身体が回復してからだぞ。何があったか知らないが、包帯だらけの子どもに訪ねてこられても、むこうも困るだろうからね」

「はい!」


 モレットとイサネは、声を合わせて承諾した。

 用件が終わると、ジュリセルは早々と病室をあとにした。まだ仕事が残っているのかもしれない。

 そしてイサネも、フィノを王宮へ連れていかないといけないからと——サツキのことも報告するため——、そのあとを追うように出ていった。フィノの世話係として、彼女も今夜はそっちに泊めてもらうつもりらしい。勝手に言っていただけで、まことに図々しいと思うが……きっとシエラは許可するだろう。




 その日の夜は眠れなかった。トレースで朝焼けに照らされる虹の湖を見て、ローレンスに来てからたくさんのことがあって……。間違いなく身体は疲れているはずなのに、脳みそはぐるぐるといろんなことを考えていた。


 とりあえず明日だ。ルカビエルは僕の頼みを受け入れてくれるだろうか……。


 窓掛けの隙間から覗く、蒼色の夜空。流れる雲によって、満月が満ちたり欠けたりしている。大小様々な星粒たちも、大きな月の光には負けていたが、たしかに光を放っていた。

 クレアシ村にいたときから、何度も目にした夜空だ。たまに外に出て、金色に変わる瞳のことも気にせず、麦畑に挟まれた畦道あぜみちで見るこの夜空が、モレットは大好きだった。


 いつも変わらないけど、いつ見ても綺麗な空だ。

 でも僕は人間だから、いつまでも子どものままじゃいられないから、やっぱり変わらないといけないよな……。


 モレットは温かい布団の中で、おもむろに拳を握り締めた。



 そうして迎えた次の日の朝、こっそり病室を抜け出して西口へと向かったモレットは、会って早々ルカビエルに叱られることになった。

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