第25話 これからの旅に必要なもの。

 目を開けると、ぼんやりとしていた視界が段々と鮮明になって、白い天井を写した。ふいに腕を動かそうとして、ふかふかの毛布に阻まれる。そこでようやく自分が寝台に寝ているのだと気づき、身体の節々を襲う痛みに耐えながら、なんとか上半身を起こした。

 窓掛けを開けると外はもう暗く、街灯の明かりがちらちらと、点線の道を作っていた。


 今日は何日だ? 僕はどれぐらい寝ていた? サツキは……オークスさんとの取引は——!


 モレットは毛布を乱雑に払いのけて、寝台から出ようとした。けれど痛みで足がもつれて、危うく顔面から着地しそうになる。


「何を焦ってんだ、お前は」


 磨き上げられた白い床から視線を上げる。抱いて受け止めてくれたのはサロアだった。


「サロアが……どうしてここに? 僕は何日寝てた?」

「四時間ぐらいしか経ってねぇよ。俺がここにいるのは、イサネに頼まれたからだ。あの女、ルカビエル様と一緒にお前らを運ぶと、すぐにどっか行っちまってな。フィノは隣の部屋でサツキと寝てるし、誰も来ねぇから俺もお前のお守りを離れられねぇんだよ。ただでさえ人間とはあまり関わりたくねぇってのに、こんな場所……冗談じゃねぇぜ」


 あとで金でも請求するからな。

 最後にそう吐きながら、サロアはどこからか持ってきた椅子に腰かけた。


「で? 何をそんなに焦ってるんだ?」


 今度はゆっくりと床に足をつけて立ち上がるモレットに、サロアは止めることもせず、腕を組んで訊ねた。


「イサネがオークスさんと取引してくれたんだ。期限は明日までだから、早く行っておかないと」


 自分でも説明になっていないのはわかっていたが、悠長にサロアと話している暇はなかった。着ていた服を探すが、棚にもどこにもない。さすがに、入院着のままで外に出るわけにはいかない。


「服なら、イサネが洗濯しにどっかへ持ってったぜ。サツキとの戦いで土塗れになってたからな。まだ乾かしてる頃だろう」


 サロアは寝台の下にあったモレットの背嚢はいのうを膝に置き、中をまさぐりながら言った。


「おっ、美味そうなもん持ってんな」


 サロアは勝手に、まるで自分の物のように、モレットがその中に入れていたアンの実の袋を取ると、パクリと一粒口に入れた。ドスカフ村で、マーフィーにもらったものだ。


「これ、うんめぇ!」と感動の声をあげるサロアを傍目に、モレットは脱力して寝台に座った。アンの実を取り返すような気力などなかった。代わりに、


「もう僕は目覚めたから、君がここにいる理由はなくなっただろ。お金は無理だけど、それは持っていっていいから……」


 一人にしてくれないかな。

 そう言葉に含ませて、モレットは言った。

 サツキのことを口に出されて、何もできなかった自分の無力さが蘇ってきて、さらに落ち込んだ。オークスのことも、明日朝早くに行けばいいか、と思い始めていた。


「おいおい、サツキの捜索を手伝って、お守りもしてやったってのに、随分な言い草だな。なに拗ねてんだ?」

「べつに拗ねてないよ」

「拗ねてんだろ」

「拗ねてないって」

「……あっそ」


 サロアがため息を吐いて、椅子から立ち上がった。やっと、病室から出て行ってくれるらしい。

 けれどその去り際に、


「これだからガキは嫌いなんだ」


 彼の放った一言が、モレットの心を刺激した。


「わかってるよ!」


 叫んですぐにしまったと我に返ったが、もう自分でも止められなかった。

 悔しさが、怒りが、心から溢れでてきてたまらない。


「君と違って、僕は弱くてなんにもできない! でもどうしようもないじゃないか! 僕はガキなんだから!」


 僕は何もできない。ルカビエルがいなければ、イサネがいなければ、サロアがいなければ、誰かを助けることも、止めることもできない——!


「そう思うんだったら強くなれよ」


 サロアがモレットに近づき、その胸ぐらをグイッと掴んだ。


「どうしょうもねぇだと? なんで周りの人間の強さが、お前の弱さを証明することになるんだ?」

「サツキを止められなかったのは事実だ! 僕は——」

「確かにお前はサツキに勝てなかった。だが一回負けただけで、お前が弱いと決まったわけじゃねぇ。喧嘩の勝敗なんざ、やり方次第でいくらでも覆せるしな。そんなんで早々と自分を諦めてるから、お前はガキなんだよ」

「でも……でもメイスやサツキに勝てるようになるなんて、どうすれば……」

「そんなもん、自分で考えろ」


 サロアはようやく手を離して、モレットを解放した。


「えぇ……」


 自分で考えろって言われても、旅に出るって決めた時から身体はある程度鍛えたけど……そういう問題じゃない気がする。もっと、戦い方とか、武器の使い方とか——

 棚の横に立て掛けてある短刀を見つめ、それからサロアに目を移すと、モレットは閃いた。


 そうか!


「サロア……ルカビエルは今どこにいるの?」

「あの方もイサネと同じで、サツキとお前をここまで運んだあと、またどこかへお出かけになられたよ。何かほかの用事ができたんだろ。いつもそうなんだ。俺に一言も言わねぇで」


 最後のほうは本音が漏れたのか、うんざりしているようだった。


「いつ戻ってくるんだろう?」

「さぁな。ここにはもう戻ってこねぇんじゃねぇの」

「えぇっ⁉」

「うるせぇな。もうデカい声出すなよ。俺が言うのもなんだが、ここ病室だぞ」


 それは困る。サツキの捜索を手伝ってくれたお礼さえ、まだ言っていないのに。


「ルカビエル様とは、離れた時はいつも、次の日の朝に西口近くの森で待ち合わせすることになってる。来たいなら勝手に来い。それで会える保証もねぇけど」


 けっ、と吐いて、サロアは病室を出ていった。


 西口の森か。今日行った所だ。

 だけど明日の朝にはオークスさんの所にも行きたいし……うーん、どうしようか……。




 寝台に座ったまましばらく考えていると、また誰かが病室を訪れた。

 コンコン、と木製の扉を叩く音が鳴る。モレットが返事をして、少しだけ開いたその隙間からひょこっと顔を出したのは、イサネだった。


「イサネ? どうしたの?」


 なんだかすごくバツが悪そうだ。イサネは俯いて病室に入ってくると、静かに椅子に座った。さっきまでサロアが座っていたものだ。


「モレット……ごめん」


 急に頭を下げてきて、モレットは戸惑う。何かされたっけ? と考えてみても、心に当たることは一つもなかった。

 イサネは顔を伏せたまま、ちらちらとモレットを見る。やがて膝に置いた手をもじもじとさせながら、オークスの元に行ったことを説明し始めた——。


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