第24話 振り出しに戻る。

 イサネは最悪の気分だった。

 サロアと共に医者を探している途中、ルカビエルと合流して、無事にサツキとモレットを町の診療所まで運びこむと、彼女はその足ですぐにオークスの元へと向かった。

 ほぼ一日中歩きっぱなし、走りっぱなしのイサネの足は、まさに棒のような感覚になっていたが、動けなくなったモレットの代わりを務めなければ、という想いがあった。本当はモレットが目覚めるのを待って、一緒にオークスの所へ行くべきなのだろうけれど、明日目覚めなければオークスはこの国からいなくなってしまうし、たとえ目覚めたとしても、身体中青痣だらけのモレットを、診療所から連れ出したくなかった。


 とにかく、せっかくサツキの件を解決できたのに、全てがパァになってしまうことだけは、何がなんでも避けなければならない。だから、あとでモレットに恨み節を唱えられたとしても、できるだけ早く、一人で行かなければならないと思った。必ず、オールの花の情報を手に入れてくると。

 それなのに……。




 ——オークスの屋台に到着すると、ちょうどお客さんが買い物をしているところだった。何やらお米や紙製品を大量に買っている。もしかしたらどこかへ旅に出掛けるのかもしれない。

 イサネはそのお客さんと入れ替わるように、屋根の下に入った。オールの花が置いてあった場所にはもう何もなく、すでに売れてしまったらしい。五百万ルナもする物が半日もせず売れたことに驚き、少しだけ喪失感を覚えた。

 モレットがいなくてよかったかも……。

 と思ったところで、イサネは首を振って自分に言い聞かせる。


 私たちが約束したのは情報だ。情報が手に入れば、きっとお金がなくたって手に入れられる。きっと……。


「おぉ、嬢ちゃんか。臙脂色のボウズと、ちっこい女の子は一緒じゃないのか?」

「うん! ねぇおじさん、オールの花についての情報を教えて!」


 イサネは単刀直入に話を切りだした。オークスは口をぽかんと開けると、「あぁ……あれか」と思い出したように言った。


「商人を襲ってた奴を捕まえたのか?」

「捕まえたわけじゃないけど、でも解決はさせたよ! だから教えて!」


 オークスは苦笑して、「うーん」と頭を掻いた。


「お嬢ちゃん、残念だがそれじゃあ教えられないなぁ」

「えっ⁉ なんでよ⁉ 解決させたんだよ! もう商人が襲われることはないんだから!」


 イサネは身を乗り出して、卓越しのオークスに詰め寄った。オークスは驚いて身体をのけ反らせたが、イサネの肩に手を置いて宥めた。


「違うなぁ。俺はとっちめてくれって言ったんだ。つまり捕まえてくれってな。事件は解決させただって? そんなのお嬢ちゃんの言い分にすぎないだろ」


 そんなの、言い方の違いじゃん!


 沸々と怒りが湧いてくる。しかし、イサネは卓の下で拳を握り締めるだけで、ぐっと我慢した。


「じゃあせめて、もう少し待ってよ。今はサツキ——襲っていた奴は怪我して寝てるから、あとちょっと待ってくれれば——」

「待つのは明日までだと言ったはずだぜ。それも明朝。それ以外は認められないねぇ」


 明朝なんて聞いてない。それにサツキだってすぐには連れてこれない。彼はモレットよりも重傷なのだ。

 イサネはどう主張すればいいのかわからなかった。どう頼んでも、オークスは情報を教えてくれそうにない。


「ワリィなお嬢ちゃん。わかったらまた犯人を探しに行くか、諦めな。米が切れちまったから、早く補充しないといけねぇ。俺は忙しいんだ」


 オークスが虫を払うように、手でシッシとあしらった。その瞬間、イサネの中で何かが切れてしまった。


 モレットがなんでオールの花を探してるのかも知らないくせに。

 モレットは傷だらけになってサツキを止めたのに。

 私やフィノだって、あんたとの取引があるから、疲れた身体を引きずって、町中歩き回ったのに。

 何も、知らないくせに……!


 自分たちの想いを無下にされて、拒絶された気がして……イサネはすっと、背中の金棒を掴んだ——。




 イサネは最悪の気分だった。

 診療所までの道を、とぼとぼと肩を落として歩く。空はもう夕焼けで、水色の家々だけではなく、道行く人たちの顔さえも赤と黒で染めて曖昧にしている。周りから見ればきっとイサネの顔も、輪郭さえぼやけたように見えているのだろう。


 貴重な情報源だったのに……これで振り出しに戻っちゃった……。


「うぅ……。こんなのモレットに伝えられないよぉ」


 イサネは一人ぼやく。

 ただでさえ疲れていて足取りは重いのに、さらに重くなっていくようだ。まるで足枷を付けられているみたいで、それも一歩進むたびに重量が増す、とんでもない枷だ。


 どう説明しようか。そればかりが頭をぐるぐると回り続ける。けれども一向に正解の言葉を見つけられず、ため息だけが口から出ていく。


「そこの君!」


 後ろから男の声が飛んでくる。しかしイサネは、呼ばれているのが自分だとは思わずに、相変わらず重たい足を引きずり続けた。


「ちょっと、そこの白髪のお嬢さん! 君、臙脂色の少年と一緒にいた子だろ!」


 とうとう肩を叩かれて、イサネはようやく、呼ばれていたのが自分だと気づいた。


「……なんですか?」


 肩をがっくりと落としたまま、イサネは目を細めて振り返る。

 若くて、精悍な顔つきの男。どこかで見たことのある騎士だった。記憶を遡ろうとしてみるが、モレットとオークスのことばかりが浮かんできて、イサネは思い出すのをやめた。


「なんだか……とても機嫌が悪そうだね」


 若い騎士は口角を引き攣らせて笑う。きっと、イサネの目がどんよりと沈んでいるからだろう。

 だがすぐに真面目な表情になって、用件を口にした。


「シエラ様から、モレットっていう少年宛ての手紙を預かったんだ」

「シエラ様から?」


 イサネの瞳がわずかに揺れた。若い騎士もそれに気づき、「やっぱりそうか」、と言葉を紡いだ。


「俺はジュリセル。まだまだ新米の騎士なんだが……さっきはホントにすまなかった」

「さっき?」


 言われて、イサネは「あっ!」と思い出す。西口の近くで、ルカビエルとサロアを問い詰めていた騎士たちの一人だ。


「やっと思い出してくれたみたいだね。ところで、モレットっていう少年は今どこにいるんだい?」

「モレットは……」


 ふいに、手拭いを拒まれた時のことを思い出して、イサネの表情が再び沈んだ。

『大丈夫。僕は、大丈夫だから……』

 いつもと変わらない優しい声だったけれど、その顔は物憂げに落ち込んでいた。サツキとの戦いで何があったのかは知らない。だけど、聞いてもきっと教えてくれないだろう。

 あの顔は、そういう顔だった。


「今は、傷ついて寝てるから……手紙は私が渡しておきます」


 イサネは俯いて、振り絞るようにそれだけ答えた。だけどジュリセルは腕を組んで、うーんと唸った。


「君を信用してないわけじゃないんだけど、なにぶんシエラ様の手紙だから、頼まれた以上は、直接俺が渡さないといけないんだ。もし今日渡せなかったら、また明日訪ねるから。せめて、彼がいる場所に連れていってくれないか?」


 イサネはもう、何も言い返せなかった。ジュリセルにとって大事な仕事であるなら、従うほかない。もし万が一、イサネに手紙を渡して、彼女がそれをなくしてしまえば、処罰を受けるのはジュリセルだ。シエラはそんなことで罰しはしないだろうけれど、騎士のほうは軽い気持ちでは預かれないだろう。なんてったって、このローレンス公国の王女様の手紙なのだから。


「わかりました……。ちょうどそこに戻ってるところなので、勝手についてきてください」


 イサネは気力のない、低い声で返した。

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