第23話 ルカビエルの視点
風の音だけが身体を包む。
地上よりも太陽との距離は近いが、吹き去っていく強風がその暑さを殺してくれるおかげで、地上を歩いているより遥かに涼しかった。
空を飛んでいると、時々前方から鳥が飛んできて、危うく正面衝突しそうになる。まだ飛ぶことに慣れていなかった頃は、実際ぶつかってしまったこともあった。フクロスズメなど小型の鳥はまだよかったが、シアシワシなどとぶつかると、鎖骨やあばらが折れることもザラだった。
しかし今では翼の扱い方も完全に覚え、難なく回避できるようになったものだから、つくづく慣れとは凄いものだ。
眼の前に広がる、壮大な景色を楽しむ余裕も生まれた。
町では建物が多すぎて遠くを見れない。自然界でも木々が邪魔だ。歩いていては見れないものが、飛んでいるとたくさん発見できる。
このローレンスもそうだ。
王宮や三本の塔が建つ台地の屋上部には、木々や草花が植えられた小さな庭園がある。
シエラの庭園だ。そこにはいろんな木が育っているのだが、一本だけ、異様に存在感を放っている木があった。
深紅の花を咲かせる、ハルベニの木だ。花を咲かせたのは、つい最近だろう。もう何度もローレンスの空を飛んでいるが——今日もすでに二回目だ——、植物に疎いルカビエルは、初めてそこに、ハルベニが植えられていたことに気がついた。
緑の中に咲いているその真っ赤な木を見ていると、途端に懐かしい記憶が蘇ってきて、ルカビエルはそっと目を逸らした。
今はサツキを探さなければいけない。町の中にいる可能性は少ないが、万が一ということもある。
水色の屋根の家々、その隙間を観察していると、ふいに町の外へと視線を移した。
あれは……。
数十人は入る大きな馬車を引き連れた騎士の列が、ちょうど北口からローレンスに入っているところだった。
北から来たということは、おそらくあれの中に、モレットとイサネが言っていた、トレースで事件を起こした騎士たちが運ばれているのだろう。
トレースの村人を攫い、売買していたという騎士……。
ふと降りてみようかとルカビエルは翼を畳み、うまく人目につかないよう、家と家が並ぶ細い路地に降り立った。
「随分な仰々しさですね。どんな恐ろしい人が乗っているのです?」
練所へと向かうその一行に近づいて、ルカビエルは先頭の、馬の手綱を引く騎士に訊ねた。鉄製の護送馬車は上空で見た時よりも大きく、やはり運んでいるのは一人や二人ではないな、と確信した。
「なんだ、貴様は。悪いが今は急いでいる。あとにしてくれ」
騎士は怪訝な顔をして、ルカビエルを見返した。
「ただの旅の者なんですが、つい先日までトレースにいましてね、事件があったんですよ。騎士様ももちろんお知りだと思いますが……もしその犯人だったら、怖いなぁと思いまして」
トレースの言葉を出した瞬間、騎士の眉根がピクッと動いた。そしてルカビエルをまじまじと見つめて、
「貴様、名はなんという?」、と逆に訊ねてきた。
「私は、サロアといいます」
ルカビエルは爽やかな笑顔を作って答える。本当の名を言わなかったのは、言えなかったからだ。ローレンスでは素性を隠す……それが、騎士上層部や
たとえ、今は利用されているだけだとしても、いつか真に人間たちが、自分たちの存在を認めてくれる日が来ると信じていた。
「旅の者だと言ったな。まだその情報は、この町の者には伝わっていないことだ。……誰かに話したか?」
ルカビエルは笑顔を作ったまま、「いえ」と短く答えた。
「それでは、くれぐれも他言しないようお願いしたい。ヘブンズアース家から、直接公報が出るまではな」
言われるまでもなく、そのつもりだ。いたずらに話して広まってしまえば、混乱を招きかねない。犯人が騎士であることから、この情報を表に出すのに、慎重を期することは理解していた。
まったくモレットたちも、厄介な問題に巻き込まれたものだ。
「トレースの村人が売買されていたと聞きました。本当に、彼らだけでやったのでしょうか?」
護送馬車を見ながら、ルカビエルは眉をひそめてボソッと洩らす。騎士は目を大きくすると、声を抑えて答えた。
「……それはわからん。いまだ調査中だが……安心しろ。ローレンスで問題は起こさせん」
「おい、こんな所で立ち止まってる暇はないんだぞ。旅人なんぞ放っておけ」
後ろの騎士が促して、列は再び前進を始めた。ルカビエルは数歩離れて、過ぎゆく護送馬車を見送る。
こう言っては悪いが、サロアがいないおかげでそこまで怪しまれずに済んだ。彼は、必要以上に人間を敵対視している。せめて見た目だけでもと思い、お洒落なとんがり帽子をあげてみたが、あまり効果はなかった。
寄せ付けようとしない雰囲気が、どうしても相手に警戒心を与えてしまう。
命令だと言えば割り切って接するようになるのだろうが、そんなこともしたくはない。
それにしても……やはりただの騎士たちの悪事、というわけではなさそうですね。
とりあえずサツキの捜索を再開しようと、ルカビエルは踵を返した。
「ったく、あんな旅人の質問に、律義に答える必要なんかないんだよ。好奇心で訊いてるだけだ。それに、お前だって聞いただろ? 『
ルカビエルは反射的に足を止める。
それは、決して常人には聞こえるはずのない距離だった。もはや後姿では判別がつかなかったが、間違いなく先ほど耳にした騎士の声だ。
忙しくなるいうことは、今日か明日にはこの国に運ばれてくるのか? もしかしたら……。
思いがけない情報だった。自分の耳が良かったことに、初めて感謝した。
私はもう少し、この国にいたほうがよさそうだ。しかしそうなると、ヒノキへの使イ魔退治をどうするか……。
ルカビエルが腕を組んで思案していると、遠くのほうで町を全速力で駆ける、二つの影が視界に入った。
白髪の少女と、自分と同じ外套を羽織った少年が……。
「おや? あれはイサネではありませんか。それにサロアも。慌ただしい様子ですが……何かあったようですね」
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