第22話 サツキとの戦い、そして……。

 襟をグイっと引っ張られ喉が閉まる。と同時に、眼前を何かが走った。それは木に突き刺さり、モレットは尻もちをついた時に、ようやく剣が飛んできたのだと理解した。

 すぐに腰の短刀に手をかけ、木々が密集している闇の中を注視する。

 地面に落ちた木の枝が音を立て、その暗闇からフラフラと人影が現れた。


「どうやら、俺様の推理はマジで当たったらしいぜ」


 すでに短剣を構えているサロアが言った。

 自分たちと変わらない身長。その様相を見て、モレットも察した。


「君が、サツキ……?」


 ボサボサの頭に、ボロボロの服。眉間に皺を寄せ、敵意剥きだしの暗い瞳。初めてフィノと会った時と、同じ様相だった。


「……いていけ」

「え?」

「その武器と、背嚢はいのうを置いていけっ!」


 サツキが突進してくる。モレットは慌てて横に飛んで、それを躱した。


「ま、待って! 君がサツキだろ! ずっと探してたんだ。伝えることが——」


 言葉が間に合わない。サツキが木から剣を引き抜いて、すぐさま斬りかかってきた。なんとか短刀で相対するが、戦うつもりのないモレットは防ぐばかりだ。


 束の間、右腕が赤く染まる。斬られたわけではない。

 それは、サツキの血だった。彼の右腕から出血していて、それがモレットの腕に飛び散ったのだ。鞘のついたままの短刀では、つくれない傷だ。


「怪我してるじゃないか! 早く手当しないと」


 しかしサツキは止まらない。いくら対話を呼びかけても、返ってくるのは刃ばかりだった。サツキは一心不乱で、まるで聞く耳を持っていない。


 くっ、このままじゃサツキの傷が悪化する。どうにかしなきゃいけないけど……。


 腕に赤い線を走らせながら、それでもなお剣を振るサツキは、まさに狂気そのものだった。気圧されて、短刀を握る力が緩む——


「さっさと攻撃しろ!」


 サロアの怒号が耳を突く。反射的に手の力が戻って、すんでのところでサツキの剣を受け止めた。切っ先が首に触れている。血が首筋を伝っていくのを、肌で感じた。


「止めるにしても、攻撃するしかねぇぞ! 言葉で説得できると思うな!」


 サロアの叫びに鼓舞され、モレットは身を翻してサツキの剣を流すと、足蹴にして弾き飛ばした。

 剣を失ったサツキが距離をとる。

 モレットは背嚢を投げ捨てて、短刀を構え直した。


 そうだ、サロアの言う通りだ。止めるにはまず反撃するしかない。


 ごめんなさい、と胸の中で謝り、モレットは覚悟を決めた。

 雑に振った短刀は難なく躱され、二撃目を繰り出す暇もなく拳が飛んでくる。モレットは咄嗟に、左腕で防御した。

 あまり痛みはない。弱っているおかげもあるのだろうが、メイスに比べれば速度も重さも大したことはなかった。


 大丈夫、いける。

 間合いを詰めて、連続で短刀を振る。攻撃も後退もさせないつもりだった。それでもサツキは短刀を避け続けたが、疲労により動きは鈍る。その隙を捉えたモレットは、彼を引き倒そうとその細い腕を掴んだ。


 瞬間、サツキが腰に差している剣の鞘が光って——


 掴んでいた腕の感触が消える。あり得るはずもないが、モレットはサツキを見失った。


 姿が消えた⁉ 一体どこに……!


 突然背中に痛みが走って、モレットは前のめりに転がった。すぐに立ちあがってサツキを視認するが、またしても一瞬で視界から消える。そして今度は左頬を殴られ、モレットは再び地面に倒れた。


 強い……。もしかしてこれが、契器グラムの力……なのか?


 ローグとの会話が、脳裏に蘇る。王宮を出てから、彼女が語った言葉が。


契器グラムとは本来、ローレンスの銀鎧以上の騎士に持つことを許された、特別な武器なんだ。それに宿る能力は無数でな、私も全てを説明はできないが、だが共通点がある』


 サツキの予測できない攻撃を受けながらも、モレットは頭を働かせていた。サツキが消える直前、必ず起きている現象がある。


契器グラムは、力を発動する時に光を放つ。騎士の中にはそれを悟られぬように、契器グラムを懐に隠している者もいる。敵に対策をたてられてしまう可能性があるからだ』


 頭の中でローグが教えてくれる。モレットは殴られながら、蹴られながら、それでもサツキの鞘が光を放つのを確認すると、大雑把に短刀を振り回したり、どこへともなく駆けてみたりして、抵抗を試みた。

 しかし結局、どれもサツキには通用せず、モレットは何度も土を舐めた。


『そしてどんな契器グラムにも、必ず弱点がある。それを見極めることができれば、こちらの勝率を上げられる』


 わかっている。わかっているんだ! わかってるけど……。


 頭の中のローグに言い返す。短刀を握り締めてモレットは立ち上がろうとするが、脇腹を蹴られてそれすらもできなかった。

 痛みで呻き声が漏れる。ちょうどメイスに殴られた部分に当たったのだ。

 近づいてくるサツキの赤い手には、いつの間にか剣も戻っていた。


 負ける……。手負いの、同い年の子どもにさえ、僕は、勝てない……。


「そこまでだ」


 サツキの前に、サロアが立ち塞がった。


「決着はついただろ。まだやりてぇなら、今度は俺様が相手してやる。ガキ同士の喧嘩に参加するなんて、くそダサくて嫌だが」

「決着? 喧嘩だと? 俺は……最初から喧嘩なんてしてない」


 今にも倒れそうな、虚ろな目でサツキが睨む。だがサロアは怯むことなく、逆に短剣を鞘に納めて、挑発した。

 二人の間に流れる空気が、一層険悪になる。直後、サツキの鞘が光った。


「さっさと死ねよ」


 サツキがサロアの後ろをとった。

 と思ったら、その剣が届く前に鈍い音がして、サツキの身体が宙に浮いた。

 サロアの背中で、灰色の尾がうねうねと揺れている。モレットはすでに知っているとはいえ、もはや隠す気はないらしい。


「卑怯とは言わせねぇぜ。お前の契器グラムだって、似たようなもんだしな」


 サロアは本気で、サツキを潰すつもりだ。

 モレットは重い身体を起こして、よろめきながらも立ち上がる。けれど……。


 本格的に戦い始めた二人の間に、割って入ることなどとてもできなかった。

 二人を戦わせるわけにはいかないのに……。


『決着はついただろ』


 サロアの言葉が刺さる。自分の弱さを突きつけられて、モレットは悔しさに溺れながら、二人を見ていることしかできなかった。



 それからどれぐらい経っただろう。サロアの短剣と尻尾に翻弄されたサツキは、ついに剣を振る力もなくなって、一人でによろめいた。


「限界だな――」

「サツキ!」


 突如、背後から飛んできたフィノの声に、追い詰めていたサロアは短剣を納め、瞬時に後退した。


「……フィノ⁉」


 初めてサツキの表情が揺らぐ。血だらけではあったが、フィノを見つめるその顔は普通の子どものように変わっていた。

 フィノの後ろから、ハァハァと息を切らせてイサネも現れる。


「なんで、お前がこんな場所に……」

「ずっと探してたんだよ!」


 フィノが駆け寄って、サツキに抱きついた。


「もう……こんなことしなくていいんだよ。トレースの悪い騎士たちは、みんながやっつけてくれたから」

「な、何を言ってんだ……? ぐっ!」


 サツキが呻いて頭を抑える。すると、「はなれろっ!」とフィノを身体から剥がした。


「くそ……幻覚でも見てるみたいだ。フィノがこんな所にいるわけがない。いるわけがないんだ! なんでもいいから早く盗んで、トレースに戻らないと!」


 錯乱している。サツキは頭を抑えながら、むやみやたらに剣を振り回し始めた。だがそれも長くは続かず、サツキは糸が切れたように、突然膝から崩れ落ちた。

 どうやら気を失ったらしい。モレットもようやく気が抜け、ヘタッと地面に座りこんだ。


「何があったの?」


 イサネが訊ねてくるが、モレットには説明する気力などなかった。心配した彼女はモレットの顔を覗き込むと、


「うわっ、あんたも傷だらけじゃん。首も血出てるよ」


 と、手拭いで首筋を拭こうとする。しかしモレットはその手を制して、彼女を見ずに答えた。


「大丈夫だよ。僕は、大丈夫だから」


 今は……サツキの手当てが何よりも先だ。




 アメサの葉を患部に当てて、その上から包帯を巻く。リークスの葉に比べれば即効性はないが、少しは傷の痛みを和らげてくれるだろう。

 サツキの傷の手当てを終えると、モレットは深く息を吸って吐いた。森の空気が、疲弊した身体に心地良い。


  ただの応急処置だから、まだ安心はできない。右腕に巻いた包帯は、早くも赤く変色してしまっている。イサネとサロアが、それぞれ医者とルカビエルを呼びにいってくれたが、すぐに来てくれるとは限らない。

 モレットのそばにはフィノがいて、じっとサツキの手を握り、心配そうに見つめていた。

 イサネの話によると、モレットがルカビエルたちのあとを追ってからほどなくして、フィノが目を覚まし、店を飛び出したらしい。

 町人や騎士に聞き込みして、森の中へと入ったイサネはなんとかフィノを発見したそうだが、その時にはもう自分たちのいる場所さえわからなくなっていたそうだ。それから二人は森を彷徨い続け、遠くで金属のぶつかる音が聞こえると、またフィノが走りだして、サロアとサツキが戦っているところに遭遇した、ということだ。


 アーススさんたちから離れ、一人になってもサツキを探そうと心に決めていたんだ。僕がルカビエルたちと一緒に探しにいったことを知ったら、動かないわけがなかった。僕もイサネも、見通しが甘かった。


 いや、僕はもっと……もっと、もっと見通しが甘い。


 陽の光が差す森の空気は心地良かったけど、モレットの心をきゅっと締めつけるようだった。




「……フィノ?」


 サツキの口から、消え入りそうな声が漏れた。フィノは一瞬目を大きくして、穏やかに微笑んだ。

 その横顔は、彼女がまだ八歳の女の子であるということを忘れかけるほどに……大人びていた。


「どうして、フィノがここに……?」

「サツキを止めるために、追っかけてきたんだよ」

「俺を……?」


 フィノがゆっくりと、優しく語りかけるように、トレースで起きたことを話した。その声は森に漂う空気に溶けて、そこにいる虫や草花までもを包みこんだ。

 きっとこういう場所を、神聖というのだろう。


「おばあちゃんがね、サツキと一緒にローレンスで暮らしなさいって」


 フィノが続けた言葉に、サツキの重たそうな瞼が大きく開いた。彼は胸元に落ちる日差しに手を置いてから、答えた。


「俺は……騎士どもを信用できない。この国がトレースの犠牲で成り立っている事実を、俺は許せない。それに、アーススたちはまだあそこにいるんだろう? 危機が去ったからって、放っとくわけにはいかない」

「……あたしだってそうだよ。できれば、おばあちゃんたちと一緒にいたい……」


 フィノの目に涙が滲む。ずっと溜まっていたものが溢れだしたみたいに、それはぼろぼろと彼女の頬を流れた。


「でもね、シエラやローグだって良い人なんだよ。モレットとイサネだって……優しい人たちはたくさんいる。だから——」

「俺は、この国の人をたくさん傷つけたんだ。居場所なんてない。いちゃいけない人間だ」

「なんで、そんなこというの? じゃあ……あたしは? あたしはどうすればいいの? おばあちゃんたちの気持ちに応えようって、トレースを出たあたしは、じゃあどうすればいいの?」

「それは……」


 サツキの言葉が詰まる。フィノは彼の手に自分の手を重ねて、喋り続けた。


「王宮ってすごいんだよ。氷菓って美味しいんだよ。お箸の持ち方って難しいんだよ。あたし、知らないことばかりだった。シエラやローグが話してることも全然わかんなくて、でも二人が、あたしたちみたいな人を助けるために、何かしようとしてるんだっていうのはわかって……だからね、あたし勉強したいって思ったの。おばあちゃんに言われたのもあるけど……きっと勉強したら、シエラたちの難しい話もわかるようになって、そして、いつかあたしも、誰かを助けられるような人になりたいなって」


 フィノがサツキの手を強く握る。サツキは唇を結び、怪我をしている右手で顔を覆って、「あぁ……」、と声を震わせた。


 膝を抱えてフィノの話を聞いていたモレットも、顔を膝に埋めて目をぎゅっと閉じた。

 彼女の強さを知って、自分の惨めさを知る。彼女の優しさを見て、自分の不甲斐なさを知る。


 サツキはずっと何も言わなかったけれど、やがて枕にしていたモレットの外套から頭を離した。


「ダメだよ。もう少し寝てなくちゃ。ゆっくり休んでから、シエラのとこに行こ」


 フィノが彼の身体を抑える。けれどサツキは、それを聞こうとしなかった。


「……お前が覚悟を決めてるのに、俺が寝てるわけにはいかないだろ。この国で住まわせてもらえるよう、償いをしないと」

「はいはい、わかったから。今はまだ寝てなさい」

「ガ、ガキ扱いするな。お前のほうが年下のくせに」


 サツキの胸に手を当てたまま、フィノは泣きながら笑った。


「とにかく今は休んでよ。もう物を盗まなくていい。誰かを傷つけなくていいんだから……」


 サツキの目から、また一筋の涙が零れる。彼はそれを見せないように、すぐに顔を伏せた。そのあとの彼はフィノに言われるがままで、まさに母親に寝かせられる子どものようだった。



 それからフィノは、独り言のようにモレットやイサネ、シエラやローグと出会ってからのことを語り始めた。

 それを聞きながら……けれど次第にフィノの声に、鳥のさえずりに、木の揺れる音に、モレットの意識も溶かされていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る