第21話 サロアの推理
「おや、ゆっくりしていていいと言ったのに」
追ってくるモレットに気づいて、ルカビエルは足を止めた。
「ご飯までご馳走になって、そこまで甘えるわけにはいかないよ! それに、この件は僕自身の問題でもあるから……」
モレットは拳を握り締めた。やはり今は、休んでいるわけにはいかない。
触ることさえできなかった、あのオールの花の影に押し潰されてしまいそうだ。
「眠った母を目覚めさせるために、ですか……。わかりました、では一緒に探しましょう」
ルカビエルが手を伸ばす。モレットもそれに倣い、二人は握手を交わした。
初めて会った時、サロアに襲われてから助け起こされた時以来だった。この人の手はいつもひんやりしていて、でも温かい。
「町を出るの?」
ローレンスの西口をくぐり抜けながら、ルカビエルに訊ねた。見張りの騎士二人に見られているのを背中で感じたが、今度は止められはしなかった。
「さすがにここで、翼を広げるわけにはいきませんから」
そうか。空からサツキを探すんだ。確かにそれなら、一時間もあればローレンスの町全体を見渡せる。
でもあれ? それじゃあ僕とサロアは必要ないんじゃ……。
モレットは首を傾げながら、ルカビエルたちと森の中を進む。枝葉に太陽の光が遮られ、ローレンスの町中よりも涼しかった。
「サツキについて、風貌などわかっていることはありますか?」
森の中を十分ほど進んだ所で、ルカビエルが立ち止まった。ずっと聞こえていた町の喧騒は枝葉のさざめきや鳥のさえずりに変わり、もはや騎士の視線も感じない。
モレットはフィノから教えてもらった情報を短く伝えた。ルカビエルは聞き終えると一度頷き、
「緑の髪に灰色の服ですか」
外套の下から漆黒の翼を生やした。木漏れ日に照らされたその四枚の翼は、なめらかに陽の光を滑らせ、ドスカフの時と同じくモレットは見とれてしまった。
「それでは行ってきましょう。地上は任せますよ、サロア」
「はい」
サロアが片膝をつき、頭を下げる。ルカビエルは高く跳躍すると、あっという間にモレットの視界から消えてしまった。
ぽつりと残されたモレットとサロア。心なしか、森の中の音も大きくなった気がする。
「あ、えっと……よ、よろしく」
気まずさを解消するための、なけなしの挨拶だった。何よりも初めての出会いは襲撃であり、サロアがルカビエルと違って、人間に不信感を抱いていることはこれまでの言動でわかっていたから、余計に接しづらかった。
「おう、よろしく」
まさか返事がくるとは思わず、少し安心した。
モレットを見ることこそなかったが、その声音に刺々しさはなかった。
「けどよ、ルカビエル様の言う通り休んでりゃよかったんだ。こっちは俺一人で充分だったし、もしあの白髪女たちも一緒に来てたら、ルカビエル様の優しさも台無しになるとこだ」
やっぱり自分とは一緒にいたくないのかと受け取って、モレットはへこむ。サロアは依然としてモレットを見ることはなかったが、説明するように言葉を付け加えた。
「あの人は、俺を気遣ってくれたんだよ。……そういう方なんだ」
それでもすぐには意味を汲み取れず、だから数秒遅れて理解した時には、つい謝ってしまった。
「あ……ごめん」
やはりサロアは不機嫌に顔をしかめ、モレットを横目で睨んだ。
イサネとフィノは、サロアの牙や尾を見ていない。異形の使イ魔にも臆さないイサネはともかく、もしフィノが見てしまえば、彼女はきっとびっくりしてしまうだろう。もしかしたら、サロアを恐れてしまうかもしれない。ルカビエルは、サロアが傷つくことを心配したのだ。
それを僕が謝ったことで確定的にしてしまった……のだろう。
「ったく、そこら辺はあの人に似ててムカつくな。お前に謝られる道理はねぇ。俺の容姿は俺の問題で、お前の気にすることじゃねぇんだ。そもそも俺は……今さら誰に嫌われたって構いやしねぇ」
嘘だ、と思って、なぜだか急に親近感が湧いた。
二人の会話が微妙に噛み合っていないことはわかっていた。サロアの言葉はモレットの思考とはズレていたが、それでもモレットは少しだけ、サロアがどういう人なのか知れた気がした。
思えば、きっと会話とはこういうものなのだろう。爺ちゃんや婆ちゃん、イサネやフィノ、シエラやローグとも——他愛のない会話を交わしながら、時には互いに心と言葉をすれ違いさせながら、でも確かに少しずつ、相手をわかっていくのだ。
会話だけでわかり合えることはないだろうけど、言葉は全能ではないけれど、それらには間違いなく、不思議な力がある。
「俺はあの人ほど人間に期待しちゃいねぇが、友達としてあの人を裏切ったら許さねぇぞ」
サロアは未だにモレットを見ない。それどころか、せっせとどこかへ歩きだした。
「うん! サロアのことも裏切らないよ!」
ちゃんと届くように、モレットは答えた。もう言葉はなかったけれど、そんなことは構いやしなかった。
「ねぇ、町に戻らないの? 空から探してくれてるからって、ルカビエル一人じゃ見逃しちゃうかもしれないよ」
くだらない会話をしながら歩いていたが、一向にサロアが森を出ようとしないので、モレットはついに、訊いてみることにした。もう三十分は森を探索しているのだ。
サロアは説明するのが面倒くさそうに、ため息を吐いた。
「サツキってガキは商人を襲ってるんだろ?」
「そうだけど……なんで?」
「そのガキは悪いことしてんだから、きっと町にはいねぇよ」
「え⁉ どういうこと⁉」
「……お前みたいな奴、初めて会ったぜ」
サロアは呆れたような、感心したような表情を見せて、説明を続けた。
「悪いことをしてる奴ってのは、人の目が怖いもんなんだよ。たとえ指名手配されてなくてもな。サツキはとくに、自分が騎士に追われていることに気づいてる。だからまぁ、そんな状況でもなお商人を襲うってことは、相当イカれた奴か、病的なまでの理由を持ってんだろうな」
病的……。
サツキは商人を襲って、その商品を盗んでいるんだ。フィノや、トレースの人たちを守るため、その一心で……。
モレットは奥歯を噛み締める。フィノやアーススたちのためだけじゃない。どうしてもサツキを止めたいと思った。
どうにか助けてあげたい。
「とにかく、だ。そういう奴が、町の中を馬鹿みたいにうろつくわけはねぇ。うろつくにしても、日が暮れて人間の顔が判別しにくくなってからだ」
サロアの言葉には不思議な説得力があった。もしかしたら、サロアもそうやって世界を生き抜いてきたのかもしれない。歳は十五だとルカビエルが言っていたから、十年前の戦争は経験していないけれど、戦争に敗けた
「だから昼間は、森の中に潜んでるんじゃねぇかって、俺の推理よ」
サロアがフフンと鼻を鳴らす。
けれど話を聞いているうち、モレットの頭に疑問が浮かんだのも事実だった。
「でも、じゃあサロアは、最初からルカビエルとは違う考えだったんだよね。それ伝えてあげたほうがよかったんじゃ……」
ルカビエルは無駄足、もとい無駄羽になるのではないだろうか。
「バカヤロウっ! 町にいる可能性もゼロじゃねぇんだよ。例えば、建物の屋根の上とか、路地裏とかな。ルカビエル様も全部わかって、その上で俺に地上を任せてくれたんだ」
サロアがもう一度、自慢げに鼻を鳴らす。モレットはただただ、二人に感激するばかりだった。
「さぁ、わかったらついて来い! お前も五感全てを使って探すんだ。ヘヘヘ、俺が必ず見つけだしてやるぜぇ!」
気分が高揚しだしたサロアの足取りは速く、モレットはついていくのに精一杯になった。
「あっ! この匂い!」
森の中を駆けだして数分、婆ちゃんを思い出させる懐かしい匂いが鼻腔をついて、モレットは立ち止まった。
「なんだ⁉ 人の匂いでも嗅いだか⁉」
木の下にしゃがみ込んだモレットに近寄り、サロアも屈んでそこに生えているものを見ると、落胆の声をあげた。
「んだよ、草かよ。期待させやがって」
「アメサっていう花なんだ。花はまだ咲いてないけど。これ、葉っぱは怪我の手当にも使えるし、食べることもできるんだよ。甘くて美味しいから、旅してる今の僕には貴重だ」
お金も持ってないし……。
「ふぅん」
サロアはまるで興味無さそうに、相槌を打った。
「アメサは珍しいけど、匂いが独特でさ。近くに生えているとすぐにわかるんだ」
「……たしかに変わった匂いだな。植物っていうより、薬とかの匂いだ。あんまり良いモンじゃねぇや」
葉っぱに顔を近づけると、サロアは鼻をつまんで離れた。彼の言う通り良い匂いではないが、モレットにとっては、クレアシ村にいた時を思い出させてくれる匂いであもある。
あまり動物を狩ることをしたくなかったモレットは——それが生きるために必要なことだとはわかっていたけれど——、爺ちゃんではなく、婆ちゃんと一緒に山菜を取りに行くことが多かった。美味しいもの、不味いもの、薬として使えるもの、毒があるもの……。婆ちゃんからはいろんな種類の植物が生きていることを教わった。
アメサの葉を摘みながら、そういえば、とモレットはふと思う。
そういえばオールの花も、特徴的な匂いがしたりするのだろうか。箱に入っていたせいで、それさえもわからなかったな……。
急いでサツキを見つけないと。
俄然気力が湧いた、その時だった——
「あぶねぇ、モレット!」
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