第19話 オールの花

「あっ、モレット! あの人、あれ商人じゃない?」


 イサネがモレットの袖をぐいぐいと引っ張るものだから、ちょびちょびと味わっていた氷菓が地面に落ちてしまった。


「ぶわぁぁぁぁぁぁ‼」

「あぁ、もったいない! モレットったらぁ~」


 フィノが呆れた声を出すが……。

 冷たくてシャリシャリとした不思議な食感、それでいて舌いっぱいに広がる、これ以上ないアンの実の甘さ。

 初めて味わう感動を奪い去られた衝撃が大きすぎて、モレットの耳にフィノの声が届くことはなかった。


 そんなぁ……。


 王宮を出た最初こそ、下町を吹き抜ける風が涼しくて心地よかったが、それも頭上に鎮座する太陽の光の熱には勝てなかった。商人とサツキを探して歩きっぱなしの三人には余計に堪え、ローレンスという国の、とても一日二日では回れない広大さに、精神まで疲弊していた。

 そんな中で出会えたアンの実入り氷菓は、身体を内側から冷やしてくれて、みるみるうちに流れでていた汗も抑えてくれて、その甘さは脳に活力まで漲らせてくれた。


 素晴らしいお菓子だったのに……。


「ちょっとモレット? 氷菓なんてどこにでも売ってえるんだから、また買えばいいだけでしょ。こっちはオールの花の手がかりだよ! 早く行かないと!」


 イサネに腕を引っ張られ、モレットはハッと我に返った。確かにイサネの目線の先、商人らしき格好の人が、角を曲がって消えようとしている。

 けれどまた、モレットは地面に顔を戻してしまう。


「ちょ、ちょっと待って! 地面に落ちた氷菓、せめて拭かないと!」

「そんなの、地面の熱で溶けてなくなるって! バカなの⁉」


 言われて、あっ、そうか、と納得させられた。


「ちょっと待って! いきなり走りださないでよぉ!」


 二人のあとを、フィノが氷菓を舐めながら追いかける。

 汗がまた、身体から滲み始めた。

 それでも氷菓のおかげだろうか、さっきまでよりも不快には感じなかった。



 その人は、水色の服の上に白の前掛けをつけていた。イサネが声をかけると一瞬驚いて、しかしすぐに自分が商人であることを思い出したようだった。


「もしかして買い物か? 悪いが俺は葉巻専門で、子どもが欲しがるような物は売ってないぞ」

「やっぱり! 商人さんなんですね?」

「そうだけど、葉巻専門だよ?」


 売らないぜ……と訝しむように、商人は三人の子どもを見つめた。


「あの、オールの花について何か知っていたりしませんか? それを売っている人とか」


 なるほど、情報収集か……と呟くと、商人の目から警戒の色が抜けた。


「それなら、いつも西の店通りにいる、オークスのおっちゃんだな」


 商人はポケットから葉巻を取りだしながら、もう片方の手で右の通りを指差した。


「オークス……さんですか?」

「いない時もあるけど、いたらすぐにわかるよ。なかなか繁盛してる奴だから、屋台が大きいんだ」


 商人が葉巻を口に咥える。休憩中なのかもしれないと思い、モレットは礼を言って、すぐに西の方角へと向かった。クレアシ村にいた時も葉巻を嗜んでいる人がいたが、吸うのは決まって畑作業が終わった時か休憩中だった。あまり邪魔しては悪いだろう。

 後ろから、イサネとフィノが駆けてくる。それに気づいてようやく、自分の歩みが速さを増していることに気がついた。


 そうだ。あの商人の元からすぐに離れた本当の理由は、それだけじゃない。

 オークスという人……。オールの花を売っているということは、それを手に入れられる場所を知っているということだ!


 歩いているうちに、ローレンスという国の地理が段々とわかってきた。シエラの馬車で入ってきた時は寝ていたために見ていないが、トレースと同じで国の周囲を壁で囲っているのだ。土地の広さこそ天と地ほどの差があるが、もしかしたら今のトレースは、この国を参考にして開発されたのかもしれない。壁のすぐ内側には、これまたトレースで見た、おそらく練所と思われる白い建物が並んでいて、それが中心に向かっていくにつれ、水色の屋根の民家やお店に変わる。そして次第に土地は盛り上がっていき、台地に建つヘブンズアース家の王宮が三百六十度、壁の向こうまで見渡せるようになっているのだ。

 行き交う人々の数も、十人二十人ではない。トレースほど密集していないのは、広大な土地のおかげだ。


 国ってすごいんだなぁ……。


 オールの花について考えながらも、モレットはふとそんなことを思っていた。




 オークスの屋台は、葉巻専門の商人が言っていた通り、すぐにわかった。大きくて、でかでかと「オークス雑貨」という看板が屋根に掛けられていたからだ。


「いらっしゃい――ん? 旅人か? 珍しい色の外套だな。ボウズ、どこの村の子だ?」


 いきなり出身を訊ねられて、モレットの心臓がドクドクと血を送る。祖父との約束で、クレアシ村の名は出してはいけない。


「北の方にある……」

 えっと、名前、名前——。


「あ、アトキンって所から来ました」

「アトキン村? 聞かない名だなぁ」


 ふいに出た名は、昔書物に記されてあった名前だ。誰だったか、なんの名前だったかは忘れてしまったけれど。

 髭を生やした小太りな男性が、腕を組んで考える仕草をする。彼は、ここを教えてくれた商人と同じく、水色の服に白い前掛けだ。


 この人がオークスさんで間違いない。


 とりあえずこれ以上村のことを追及されないよう、モレットは一旦彼から離れて、屋台の中に並べられた様々な商品を眺めて回った。お米や山菜などの食品から、新品も古書も混じった本の数々。不思議な形をした壺に、よくわからない木彫りの人形……。

 目的も忘れ、フィノと一緒に夢中で商品を見ていると、ある一点でモレットの目が止まった。血流がさっきよりも早くなる。


 ついに……見つけた……。


 成人男性の顔ぐらいもあるそれは、透明な箱の中に入れてあった。本の文字でしか形を知らなかったので、こんなにも蒼い色だとは思わなかった。

 そして、こんなに不気味とも……。

 茶色の鉢から伸びる太い茎。それから伸びる多数の丸い葉っぱ。わずかに光沢のある蒼い花弁が大きく開いて、その真ん中、本来雌しべや雄しべがある部分には……キラキラとした黒い目玉が……こちらを見ていた。ゆらゆらと微かに揺れているのは、間違いなく生きている証拠だ。

 目と目が合って、モレットは思わず顔を逸らした。


「えええっ⁉ これがオールの花⁉⁉ 見つかってよかったけど……キモ……」


 それを見てあからさまに嫌な顔をするイサネは、しかしその花の下についている値札を見ると、眼球が飛び出るのではないかと思うほど、目を見開いた。


「ご、五百万ルナ⁉ おじさん、これ高過ぎじゃない⁉」


 イサネに同感しながらも、モレットは声さえ出なかった。

 クレアシ村では基本的に物々交換でみんな生活を賄っていた。つまり通貨という概念はクレアシ村に存在しない。

 それでもモレットが知っていたのは、眠りについている母が持っていたからだ。彼女の持っていた五千ルナを、念のためにと背嚢に入れておいた。そしてイサネたちと氷菓を買い、その時モレットは生まれて初めて売買というものをおこなった。だから今では、上層大陸におけるルナという通貨の価値も、大体理解できていた。

 それ故の絶句だ。


 高い……。×の数が六個ある数字なんて。氷菓の値札に×は一つしかついてなかった。十ルナだ。つまり計算では……あのお菓子が五十万個買える……。あんなに美味しいお菓子が……五十万……。


 こんなに近くにあるのに、手に入れられないなんて……。


「おいおい、オールの花はとても希少なものなんだぜ。しかも万病を治す、どんな薬よりも優れた代物だ。妥当な値段だね」


 オークスは、自分と客とを隔てる卓に頬杖をついて、イサネを見返した。と思ったら、

「んんっ!」

 突然その卓から身を乗り出して、イサネをまじまじと見つめた。


「な、なによ……」

「お嬢ちゃん、その背中の武器は金棒かい?」

「え? うん、そうだけど……これは売れないよ!」

「違う違う」


 オークスは体勢を戻すと笑って手を振って、

「金棒なんて大して売れねぇ。欲しいっていう物好きは、ヒノキで直接買うしな」、と嘲るように言った。


「失礼な! じゃあこの金棒になんの用よ!」

「いやね、もしかしたらお嬢ちゃんが、ヒノキの武士なのかも、と思ってね。着ている服はドスカフの物のようだが」

「……武士だったら、なんなの?」


 イサネの顔が曇る。何か事情があるのか、その声は小さかった。


「最近、このローレンスで商人が襲われる事件が起きてんだよ。その犯人をとっちめてくれねぇかと思ってね。ほら、同業者が襲われてんのは俺も面白くねぇし、こいつみてぇな高価な物を狙われたら、たまったもんじゃねぇ。俺も怪我したくねぇしな」


 オークスはまた卓に頬杖をつくと、オールの花の箱をコンコンと軽く叩いた。


「騎士たちも動いてはいるが、ありゃあ真剣に探してねぇ。犯人は子どもだって噂もあるし、大した事件じゃねぇと思ってんだ」

「え⁉ それって……」


 三人は顔を見合わせる。そしてモレットがこくりと頷いて口を開こうとすると、イサネの手に塞がれてしまった。

 彼女はオークスに向き直って、

「ねぇ、もしその事件を解決したら、このオールの花をどこで見つけたのか、私たちに教えてくれない?」、と迫った。


 唐突な取引にも関わらず、オークスは考えることもなく答えを出した。


「いいぜ。ただし、俺は明日にはまたこの町を出るから、期限はそれまでだ。わかったな、お嬢ちゃん……とボウズたち」


 イサネは目を輝かせて、うんうんと首を上下に振った。




「すごい! すごいよ、イサネ! ありがとう!」

「わ、わかったから。手離して」

「あっ、ごめん」


 言われて、モレットは咄嗟に両手で包んでいたイサネの手を解放した。


「それにまだ、サツキを見つけたわけじゃないんだから。時間はそんなにないし」


 顔を赤くしたイサネが背を向けて、足早に歩きだす。モレットはフィノと顔を合わせ、急にどうしたんだろう……と、首を傾げた。


 なんにしても、願ったり叶ったりだ。商人を襲っている犯人とは、十中八九サツキだろう。彼を見つけることができれば、フィノやシエラの心配も消えて、僕はオールの花の情報を得られる。一石二鳥というわけだ。

 ただ一つ、問題は時間だ。イサネの言う通り、僕が情報を得るには、期限が明日までしかない。果たして、それまでにサツキを見つけられるだろうか。この広大な町で……。


 いや、やるしかないんだ!

 悔しいけどお金がない以上、僕は自力で探してオールの花を見つけるしかない。

 その存在を確認できただけでも……収穫だと思わないと……。


 もう遠くに見えるオークスの屋台を惜しみつつ、モレットはその場を離れた。




 それから三人は、二時間あまりローレンスを歩き続けた。フィノの持つサツキの情報を頼りに、町の人に聞き込みもしてみたが、なんの手がかりも得られなかった。


 このままじゃ、到底明日までに見つけられない。というか、何日かけても見つけられる気がしない。

 陽射しも強くなるばかりで、気温も少し上がったように感じる。


 疲労と焦燥が、モレットの身体を蝕んでいた。

 ここで足を止めるわけにはいかないのに、身体が休みたいと主張をやめない。


 それに……。


 もうずっと前から言葉を発していないことから、イサネとフィノも疲れているのだろう。とくにフィノは、つらそうに頭をゆらゆらとさせている。

 誰かが倒れてしまったら本末転倒だ。


 モレットはとうとう、「少し休もうか」、と口を開いた。




「ここで何をしていたと訊いているんだ! いいから答えろ!」


 ちょうど三人掛けの長椅子を見つけて休憩を始めたのも束の間、どこからともなく聞こえてきたのは、男の問い詰めるような怒鳴り声だった。

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