第18話 王女と国王、父と娘

「では、私もここでお別れだ」


 ローグに連れられ、正門とは真反対にある、小さい扉から周壁を出た所で、モレットたちは一度足を止めた。


「まだやらなければならない仕事があってな。できれば一緒に行ってやりたいんだが……」


 そう言ったローグの表情は本当に申し訳なさそうで、本気で三人を心配しているようだった。


「大丈夫だよ。とりあえずサツキと、ついでにオールの花について知ってる商人を探すだけだから。フィノもちゃんと、またここまで送り届けるし」

「……それが心配なんだよ」


 ローグの言葉の意味が読み取れず、モレットとイサネは首を傾げた。そばにいるフィノは、会話が耳に入っていないのか、口を開けてじいっと巨大な王宮を見上げていた。


「私は……」


 しばらくして、ローグがまた言葉を発する。


「サツキがお前たちに危害を及ぼすかもしれないことを、心配しているんだ」


「サツキが?」と、横のイサネが聞き返す。


「……契器グラムという物を、お前たちは知っているか?」


 突然話が変わって、モレットはまた首を傾げる。

 傾げたあとで、かつて負傷したエイピアと出会った時、彼が口にしていたのを思い出した。


契器グラムというのは、力を宿した物のことだ。……今から私の言うことを、二人ともよく聞いてくれ」


 そう言うとローグは一拍置いて、


契器グラムとは本来ローレンスの、銀鎧以上の騎士が持つことを許される、特別な武器なんだ——」


 覚悟を決めたように、語りだした。




 澄んだ青空に、銀色の太陽が眩しい。暑すぎず、寒すぎず、ちょうどいい空気が石造りの町に流れている。ローグと別れてから、モレットはずっと彼女の話してくれたことについて考えていた。


「ねぇ、サツキってどんな人なの?」


 隣でイサネが、手を繋いでいるフィノに問いかけた。

 フィノは初めて見る町の景観を楽しみながら、陽気に答える。


「うーん、なんとなくモレットに似てるかも。髪は緑色だけど」


 ふいに名前を呼ばれて、モレットは思わず二人の会話に入った。


「僕に?」

「いつも優しくてね、私やお姉……ちゃんを守ってくれたから」


 明るかったフィノの顔に影が落ちる。モレットとイサネは事情を察して、三人はそれきり黙ってしまった。


 トレースの人たちを村の診療所で看病している時、アーススさんが言っていた。根無し草だったサツキとフィノと仲良くし、特にフィノにとっては姉のような存在だった女の子がいた、と。そしてその子はメイスたちに連れていかれ、どこか遠い所へ売られたのだと……。

 ローグが言っていた『やらなければならない仕事』とは、その人たちの捜索なのだろうとモレットはなんとなくわかっていた。


 虹の湖がそこにあっただけで、トレースの人たちは迫害されて、メイスたち不良騎士の横暴に苦しめられた。

 ほんの少しの違いだ。

 もしも僕がトレースに生まれていたのなら、今ここに僕はいないかもしれない。有無を言わさずに引きずられ、どこかへ売られて……。母さんだけじゃない。爺ちゃんや婆ちゃんとさえ離れ離れになって……。


 トレースに起きた理不尽を想像するだけで、モレットは言いようのない恐怖と悲しみに襲われた。

 サツキと違って、僕は騎士に一人で立ち向かうことなんてできない。トレースでも、フィノやイサネが戦っていたから……退くことができないで、戦っただけだ。

だから、それに立ち向かったサツキは……。


「戦ったサツキは、すごい人だね」


 顔を上げたフィノの目が、きょとんと丸くなる。と思ったら笑みを浮かべて、


「うん! だからね、モレットと似てるんだよ!」


 今度は、モレットがきょとんとなってしまった。


 話を聞く限り、全然似ていない気がするけど。


「ま、とにかくさ! そのサツキを、必ず私たちの手で見つけようよ!」


 フィノが元気を取り戻して安心したのか、イサネがモレットの手まで握ってきて、フィノと一緒に無理矢理手を重ねられた。


「……なにこれ」

「気合入れてるんでしょ! 三人いれば必ずできる! 賛私燦燦!」

「さんしさんさん!」


 イサネの掛け声に、フィノが無邪気に乗っかる。モレットも仕方なく二人に従った。イサネの発した言葉の意味もわからなかったけど、なぜだか不思議と元気が湧いてきた。


 今はとにかく、サツキと商人探しだ!



 ***


 時は少し遡り——モレットたちと別れたシエラはラグナに連れられて、この国の王であり父親でもあるザイラスの元へと向かっていた。青い大理石の床を一歩進む度、カツカツという音が広い王宮内に反響する。


「あなたは、今度はいつまでこちらに滞在できるのですか?」

「私はまた使イ魔退治です。まだ調査という名目ですが……明日にはまた発たなければなりません」

「そう……」


 休みなどないではないですか。

 そう言いそうになってシエラは口を噤んだ。王族である自分がそれを言うのは、お門違いもいいところだ。

 二人の間に、カツカツ音だけが響く。ラグナは昔から、あまり喋らない寡黙な男だった。シエラやザイラス、王族の者とは、業務以外のことは語ろうとしない。同じ『五つの凶器』の者たちとも、無駄話をしている場面など目にしたことがなかった。

 けれど幼少の頃は、ただ一人だけ親しくしている者があった。


「ローグとは久しぶりでしょう? なぜ話さないの?」

「……ローズなら、べつに大丈夫です」


 誰も、大丈夫かどうかは訊いていない。今でもその名前で、彼女を呼んでいながら……。


「あなたは……何もわかっていないわ」


 シエラの鳴らすカツカツ音が、一層大きくなった。


 王宮は、上から見れば綺麗な四角形の形をしている。一階は謁見の間となっており、二階と三階にはそれぞれ回廊があって、様々な部屋が設けられている。

 そして今、シエラたちが向かっている二階に、応接室が存在する。異国の者が来訪した時ぐらいにしか使われないため、王族であってもほとんど出入りすることはなく、シエラにとっては二階に上がること自体が久々だった。なのでその階段の途中、天啓機関てんけいきかんの枢機卿とすれ違いになるとは思いもせず、少なからず驚きを感じた。


「おぉ! これはこれは、シエラ姫! そしてラグナか!」

「スミルーチ卿……」


 シエラは、この男が苦手だった。

 白髪混じりの黒髪はぴっちりとかき上げられ、口元の髭も綺麗に整えられている。口調も紳士的で、特に王族に対しては礼儀を欠くことなど決してしない。しかし……。


「トレースでは危険な目に遭われたとお聞きしました。お怪我もされなかったようで安心です。わたくしスミルーチはささやかながらも、姫様のお身体の健康を祈っております」

「……ありがとうございます」


 スミルーチが優しげな笑みを作る。

 そう。作っているようにシエラには見えた。

 この男はまるでいつも仮面を被っているみたいで、話していても心を感じなかった。まだシエラが小さい頃、初めて挨拶した時からそれを感じて、以来この男がどこか苦手だった。


「それでは私も仕事があるので、これで失礼します。是非とも近々、ゆっくりお茶でも致しましょう」


 スミルーチがシエラの横を通り過ぎる。その際、ほんのりとだが、お香の匂いが鼻腔をついた。


「ラグナ、君もな」


 スミルーチは横目でラグナを一瞥して、階段を下りていった。

 枢機卿とこの場所で出会うのは初めてだ。今応接室にいるのは、ラグナの話を聞く限り、一人しかいない。


 この方は、お父様に何の用が……?


 応接室の前に着くと、シエラは扉をコンコンと叩いた。




「お疲れさま、シエラ。よく帰ったな」


 ザイラスの言葉には応えず、シエラは彼の対面にある椅子に腰かけた。ラグナはもういなかった。ザイラスとはすでに挨拶しているからと、早々と業務に戻ってしまった。本当に忙しない男だと思う。


「スミルーチ卿は、一体なんのご用で?」


 特別な石で作られた、飲みこまれそうなほどに純黒なテーブルを挟んで、ゆったりと椅子に座っている父親に問いかけた。彼の後ろには、四百年前に亡くなった有名な画家の絵が飾られてある。貴婦人の肖像画で、目鼻立ちの陰影から服装、背景まで、色とりどりに塗り分けられていて、その表情は笑っているようにも、悲しんでいるようにも見える。どこにいても目線が合うせいか、初めてここに入った者は、必ず数秒目を奪われてしまうのだ。


 やがてザイラスが口を開いて、シエラは肖像画から目を移した。


「大したことではない。……いつもと同じ、ただのお告げだよ」


 その返答に何か隠したことを感じとったが、シエラは、「そうですか……」とだけ答え、追及することはしなかった。


「ウォーテスのサザイ様が来られていたようですね」

「ああ。あの方には少々困っている。お前も重々わかっていると思うが」

「トレースの件について、お父様は全部知っておられたのですか?」


 スミルーチ卿のこともサザイ様のことも、ただの前口上に過ぎない。そんなことは今のシエラにはどうでもよかった。

 国王としての職務から解放され、一息ついていたザイラスの表情が変わる。トレースの事件を聞き、娘が帰ってくるという報を騎士から伝えられれば、この質問をされることもわかっていただろうに。


「……仕方がなかったのだ」


 ようやく父親が返事をしたかと思えば、シエラの耳に届いた言葉はそれだった。


「戦争で疲弊した国を立て直すのには、どうしてもお金が必要なのだよ。トレースの虹の湖は、人を寄せる観光地として打ってつけだった。それにシエラ、これは神人しんとたちからの進言でもあったのだ」

「だからといって……あの村に住んでいた方々は、ほぼ一方的に家を壊され、守り神まで失ったのですよ! そのうえで、ローレンスの騎士たちに苦しめられて……お父様は、ホントにわかっておいでなのですか!」


 つい声を荒げてしまった。けれど、感情的になる自分を今は抑えたくもない。

アーススや村の人たちには、何度も頭を下げた。何度も謝った。しかしそれで、彼らが奪われた居場所が、大切な人たちが戻ってくるわけではない。その人たちを取り戻せるかどうかは、これからの自分の行動にかかっているのだ。


 私が、なんとかしなければ……!


「彼らへの対応が酷いものであったことは認める。しかし、あの時はああするしかなかった。国と神人との関係は、お前もよくわかっているだろう」

「神人の話はしておりません!」


 神人がなんだというのだ。彼らは、この国を治める者ではない。真に騎士を指揮する者は、紛れもなくヘブンズアース家なのだ。


「騎士を、数十名ほど私に預からせてもらいませんか? それと『白火の鉄杖』、ローグ・フレイムズを」

「……なぜだ?」

「トレースで攫われた人たちを捜索します。メイスたち謀反の騎士によれば、方々の異国へ売ったとのことなので」

「売買か……。シエラよ、覚悟はできているのか? その者たちが今も生きている可能性は低く、たとえ運よく生存者を見つけられたとしても……」


 ザイラスは、最後まで言葉を続けなかった。シエラは何も言わず、ただ奥歯を噛み締めた。


 この人は、なぜそんなふうに言えるのだろう。

 国王という立場上、仕方がないのかもしれないが、この人は昔からこうだった。常に物事を大局に見ているためか、その口から出る言葉は、どこか他人事に聞こえてしまう。

 普段は優しい人だ。誰にでも温厚で、シエラやフレアルイスなどは、過不足なく愛情を注がれ、育ててもらった。

 本当に優しい人なのだけれど……。


 いざとなれば、この人が冷徹になれるだろうこともわかっていた。国やヘブンズアース家の存続のためならば、数人の民や騎士は、簡単に切り捨てるだろう。それが、国を背負う王家に必要な素質、背負うべき業なのかもしれないが。


「私は私の力で、できうる限り、苦しんでいる方々を助けたいだけです!」


 シエラは立ち上がる。もはや許可をもらわなくとも、攫われた人たちの捜索を始める気だった。ザイラスは神妙な顔をして左手で頭を抱え、シエラが背を向けても何も言わなかった。よほど疲れているのか、もしくはシエラが煩わしかったのかもしれない。


 部屋の扉に手をかけたところで、シエラはそういえば……と、国王のほうを振り返った。これ以上言葉を交わすのは億劫だったが、あの子と交わした約束は守らなければならない。


「お父様は、オールの花について、何か知っておいでですか?」

「オールの花? 父が昔、病気を患った時に助けられたものか。あの頃、私は異国への視察ばかりで、ほとんどこの国にいなかったからな。だが……」


 国王は少し考える素振りを見せ、間を置いてから続けた。


「サラドラという男が、何か知っているかもしれぬ。ずっと父の付き人をしていた者だ。オールの花を探しているのか?」

「いえ、大したことではありません。ありがとうございました」


 シエラは頭を下げると、応接室をあとにする。そのドアを閉める時、無意識に肖像画と目が合った。


「すまんな、シエラ」


 ドアの向こうで、微かに声が聞こえた。その言葉の意味を、シエラはなんとなく察する。


 だが今は……。


 廊下には、赤銅鎧の騎士が二人、片膝をついて待機していた。王族は自室を出ると、王宮の中を歩き回るだけでも護衛がつくことになっている。本来は『五つの凶器』か、契器グラムを持つ銀鎧の騎士一人がつくのだが、今は人がいないため、赤銅鎧の騎士二人となっている。

 若い頃は鬱陶しくて嫌だったが、それもいつしか慣れた。


「お願いがあります。ローグを呼んできてもらえますか。それと、数名の騎士も」


 一人の騎士が足早に階段を下りていく。その瞬間、シエラはふと陽の差し込む窓のほうに目を向けた。誰かに見られているような視線を感じたのだが、外に覗くのは三つの塔の一つ、監視塔の三角屋根だけだった。

 視線を感じるようになったのは、もう半年も前からだ。それもローレンスにいる時ばかり……。


 誰かが私を見張っているのでしょうか? それとも……。

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