第17話 青い大理石の広間

 王宮の台座は、それを囲む周壁よりもさらに高い。

 上部に向かって傾斜している台座と周壁との間隔は、人が一人も通れないほど狭く、訪問する者は周壁をくぐると、台座の一部が隧道のようになった細い一本道を進むしかない。

 全てが、侵入者を阻むための作りとなっている。

 台座の上には天を突くように三本の塔が建っていて、それぞれ連絡用の通路で繋がれている。これにはべつの役割もあるのだが、ローグは未だそれを目にしたことはなかった。そしてそれらの中心、塔たちに守られるようにして、シエラたち王族が住む、立派な王宮が佇んでいる。

 ローレンスの王宮は水色を基調としていた。これは、穏やかな雰囲気を国民や外から来た人に与えられるように、とのことらしいが、実のところは初代の王が好きな色だっただけだというのを、ローグは幼い頃に父から教えてもらったことがある。

 その王宮と三つの塔は大きすぎて、残念ながらこの距離で見上げても、その全体は視認できないが、モレットたちを驚かせるには充分だった。

 これほどの巨大な建造物を見たことがないのだろう。窓から顔を出す子どもたち三人の口は半開きになったまま、言葉を失くしてしまっていた。


 周壁と同じく、分厚い鉄の門が設けられた台座の入り口を通ると、そこは青い大理石で作られた荘厳な空間が広がっている。前方と左右には一つずつ、金色の装飾が施された扉と階段があり、上階はおもに天啓機関てんけいきかんの枢機卿や騎士たちの居住区、この階にある扉の向こうは、馬車の格納庫や武器倉庫となっている。

 なのでこの台座の中は、赤褐色や銀の鎧を着た騎士や、一目でその地位の高さが伺える、金の模様のはいった白い帽子と装束に身を包んだ、数人の枢機卿が行き来している。イサネとフィノは、「わぁ……」と感嘆を洩らして広間を見回していたが、モレットだけは身体を硬くして、挙動が不審になっていた。


「お待ちしていました、シエラ様」


 ローグたち四人が馬車から降りると、すぐに一人の騎士が歩み寄ってきて、片膝をついた。


「……ラグナ」


 金色の長い髪を後ろで束ねているその騎士は、ローグと同じく服のように薄い銀の鎧に、水色の片掛外套を羽織っているが、その端はギザギザにほつれてしまっていた。

 会うのは、三か月ぶりになる。


「ラグナ⁉ 王宮での護衛は、テラではありませんでしたか?」


 シエラが珍しく声量をあげ、慌てて自分の口元を手で隠した。


「あの男なら、今こちらへ向かっております。なにぶん、シエラ様の帰還が急でしたので……。先に戻った騎士から、その理由も聞いております。長旅でお疲れでしょう。よければ王宮のほうで、しばし休憩を——」

「私なら大丈夫です。このまま、お父様の所へ向かいます。あなたこそ、少しお休みになりなさい。ずっと働き詰めだったのでしょう。せっかく、ここにローグもいるのだし……ねぇ」


 シエラが目を細め、ローグに笑みを向ける。しかしラグナは、少しも考える素振りも見せずに、その提案を拒んだ。


「いえ、ザイラス様の所へ行かれるのでしたら、私がご案内致します。そういう命を受けていますので」

「全くあなたは……。ところでその口ぶり、お父様は自室にいらっしゃらないのですか?」

「はい。先ほどまでウォーテス王国のサザイ様がお見えになられていて、フレアルイス様と共にお話しを……」

「サザイ様が?」


 シエラの顔が沈む。

 ローグはすぐに、サザイ王の要件を察することができた。

 どうせまた、結婚の申し込みだろう。シエラに会いに来たのだ。いないと知って残念がる表情が目に浮かんだ。


「そうですか。では少しだけ待って頂けますか? まだこの子たちに話すべきことがあるのです」


 そう言ってモレットたちを見るシエラの顔は、もう明るさを取り戻していた。


「それでは、私はここでお別れのようです。モレット、オールの花についてわかったことがあれば、手紙を書いて騎士に届けさせましょう……モレット? 聞いていますか?」

「あわわわわわわ……」


 モレットは忙しなく両の掌を合わせ揉み、ビカビカの青い世界にキョロキョロと落ち着かない様子だった。ローグが、「モレット!」と語気を強めて呼ぶと、ようやく我に返った。


「あ、す、すみません! ありがとうございます! ここまで連れてきてくれたことも……シエラ様には、ホントにお世話になりました!」

「声が大きい。どうしたんだ、急に」


 モレットは相変わらず挙動不審のままだ。するとイサネが、


「たぶん、この場所に緊張してるんだと思う。床も壁も天井も、透き通って豪華だから……私も少し緊張してる」と、自分の肩を抱きながら説明してくれた。

 シエラはそれを聞いて、フッと顔を綻ばせた。


「早くここを出たいのですね。わかりました。ではローグ、すみませんが二人を裏の出口まで、送ってあげてくれませんか?」

「はい。それは構いませんが……」


 ローグはちらりとフィノを見る。彼女はモレットたちと打って変わって、今にも広間を探検したそうに、身体をうずうずとさせていた。


「ではフィノ、私と一緒に行きましょう。当分の間、私の部屋を貸してあげます」


 その言葉を聞いて、フィノの表情が変わった。眉を寄せてシエラを見上げるその顔は、まるで小動物だ。ローグは思わず、かわいい……と思ってしまう。


「あ、あたしも、モレットたちについていっていい?」

「……サツキを探したいのですね」


 フィノがこくんと頷くと、シエラは「ほらね」、とローグを見て微笑んだ。


「では私からモレットたちにお願いがあるのですが……この子と一緒にサツキを探して頂けませんか?」

「そんなの、もちろん——」

「もちろんです! 最初からオールの花を売ってる商人を探すつもりで、この町を探索する予定でしたから!」


 イサネに返答をとられてしまって、モレットは不満そうに口をパクパクさせた。


「それではフィノをよろしくお願いします。では皆さん、またお会いしましょう」


 踵を返すシエラのあとを、ラグナが立ち上がってついていく。


「あっ……」


 ローグは喉から出そうになる名前を、咄嗟に飲みこんだ。胸につっかえて、どうしようもなく不快なのに、どうすればいいのかわからなかった。



  ***


 モレットたちがいた広間の、左に設置されている階段を上がっていくと、王宮や三本の塔が建つ台座の上、つまり外へと繋がる。そして王族と枢機卿、一部の騎士しか出入りの許されない王宮の中に入ると、そこはもう謁見の間であり、左右に王宮を支えるための柱が並んだ最奥には、背もたれ部分が天井近くまである、黄金の玉座が据えられている。

 そして今は誰もいない謁見の間を右の方へ進み、銀色の扉を抜けると、今度は枢機卿たちの部屋がある。

 現在、その部屋の一つでは、シエラに付き従っていた一人の騎士がトレースでの件を枢機卿に報告していた——。



 スミルーチの部屋は薄暗かった。大きな卓の上で角灯が灯っている程度で……どこからか微かにお香の匂いが鼻をついて、騎士の心を落ち着かせた。

やがて、その卓の向こうから、金色模様の白いローブを着た、スミルーチが姿を現した。

 この御方のお部屋は、いつもこうだった。


「トレースでは大変だったようだな。騎士が謀反を起こしたのだろう。シエラ姫は、無事に戻られたか?」


 穏やかな、しかしずしりと重さのある声が、騎士に片膝をつかせた。


「はい。フレイムズ殿がおられたので、大事には至りませんでした」

「それは何よりだ」

「謀反を起こした騎士どもは全て捕らえ、ただいまこちらへ移送中です。お話を聞かれるようでしたら、私が手配しておきますが」

「構わんよ。それに関してはフレイムズやほかの『凶器』が動いてくれるはずだ。それよりも、早速だが君の話を聞かせてもらいたいな、ジュノー。ようやく見つかったのだろう? あの子どもが」


 スミルーチが卓に近づく。角灯の明かりが次第に彼の姿を浮かび上がらせ、黒い髭を生やした彼の顎先で止まった。それでも騎士は、自分に向けられた鋭い視線を感じ、顔を上げることができなかった。

 伝えるべきことを頭で整理し、やがて騎士は口を開いた。

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