第16話 ついに到着、ローレンス。
「二人とも、やはり相当疲れていたのでしょうね。特にモレットは、昨日の夜遅くまで、村人たちの看病をしてくれましたから……」
窓に頭をもたれかけて眠るモレットと、彼の肩に頭を乗せているイサネに目をやりながら、シエラがぽつんと言った。
「彼らには、本当に助けられましたね」
「ええ。二人がいなければ、メイスたちの横暴を止めることができませんでした」
二人がいなければ、あの林で起きていたことの何一つ、自分には止められなかった。
シエラ様の元へ向かった時……私はいくつかの命を天秤にかけて、選んだ。悔やむことさえ許されない、騎士として正しく非情な選択を。
だが結果的に、モレットとイサネがいてくれたおかげで、誰も死なずに済んだ。もし二人がいなければ……アーススやフィノ、トレースの村人たちは無事では済まなかっただろう。
シエラと同様に二人を眺めていたローグは、ふっと笑って窓の外に視線を移した。トレース村はとうに過ぎており、景色は森から草原へと変わっている。ローレンスへと続く整えられた道を、馬車は一定の速度で進んでいた。
今さら人の命の一つや二つ……私は何を安堵しているのだろうな。
すでに私の心は穴だらけだ。『白火の鉄杖』を父から継いだあの日に、私は全てを捨てたはずだ。
「サツキという子……先ほどはアーススさんの手前、発言は控えましたが……急いで見つけたほうがいいかもしれませんね」
話が変わって、ローグはさっと外の景色を視界から消した。
仕事の話だ。自分には、感傷的になるような時間など必要ない。
「はい。ジュノーがメイスから聞いた話によると、サツキは
一つの立派な犯罪事件として、大々的に捜索が行われてしまう。そうやってサツキが捕まれば、たとえシエラであっても助けることは難しいだろう。
「私もローレンスに戻り次第、すぐにサツキを探します。必要であれば、フィノを連れて——」
「そのことですが……」
シエラに言葉を遮られる。子どもたちのほうを見たまま、彼女は話を続けた。
「サツキについては、彼らに任せてみませんか?」
「……もし何かあれば、三人だけでは危険だと思いますが」
シエラにしては、らしくない発言だ。
子どもであっても油断はできない。現にサツキは、エイピアに重傷を負わせているのだ。
「アーススさんを、フィノを信じてみましょう。おそらくフィノも、向こうに着けばすぐに、サツキを探したいと言いだすでしょうし」
「しかし——」
「ローグ、すみませんがあなたには、べつに頼みたいことがあるのです」
シエラの口調が変わった。珍しい、怒りの音だ。
「ええ。構いませんが……」
「メイスたちに攫われたトレースの方々が、一体どこへ連れていかれ、どこに売られたのか、あなたにはそれを調べてほしいのです。ほかに仕事があるでしょうが、それを優先するよう、私がお父様に頼んでみます」
言われて、ローグもピンときた。あの林の中、騎士たちが逃げようとした時に発した言葉が、たしかにずっと頭に引っかかっていた。
『ちっ、卑怯な力を使いやがって。おい、逃げるぞ! ババァどもはもういい!』
普通、ローレンスの騎士であれば、逃げ場所などないことは百も承知のはず。シエラ様に剣を向け、さらに私に抵抗した時点で、奴らの情報は大陸中に流布されるのだ。それを知っていながら逃げるということは、身を隠せるアテがあるのだと考えられる。そしておそらくそれは……連れていかれた村人たちの場所に関係している。
ローグはぎゅっと、膝の上で拳を握り締めた。
「もちろん、ほかの騎士にもメイスたちの取り調べをさせますが……斬首の決まっている彼らが、素直に教えてくれるとは思いません……」
斬首と言った時、微かにシエラの声音が揺らいだ。彼女はきっと、それさえもできれば止めたいのだろう。
ローグは、彼女の目をしかと見つめて答えた。
「わかりました。私も気になることがあるので、早急にその居場所をつきとめます」
「お願いします。もしかしたら、まだ救える方たちもいるかもしれません。今は、何を優先してでも」
シエラは羽織っている白い外套を胸の前で引き締めて、田畑の広がる外に顔を向けた。
戦争は終わったのだ。
戦争が終わって、世界がようやく平和になろうとしているというのに……その禍根は様々な形で、いまだに罪のない人々を苦しめている……。
ただ座っているこの時間が、まどろっこしい。ローグは頭の中で、ローレンスに着いてからの、自分の行動を組み立てた。
***
イサネに揺り起こされて目を覚ますと、馬車はもうローレンスの中だった。寝ぼけ眼をこすって窓を覗き込むと、外は硬そうな灰色の世界に包まれていた。
石造りの家々の間、綺麗に舗装された石畳の道の上を、カタカタと音を立てて馬車は進んでいる。
どうやら自分は、半日以上寝てしまっていたらしい。頭上から陽射しを落とす太陽が、それを示していた。
「モレットも目覚めたか。さすがに町中で馬車を止めると、民の注目を浴びるからな。城門をくぐった先で、お前たちを降ろす」
フィノを膝に乗せたローグが、彼女の黒い髪を櫛でとかしながら、モレットに教えてくれた。知らない間に、随分と仲良くなったようだ。
「……お二人は何があったんですか?」
訊ねると、ローグの隣にいるシエラが微笑んだ。
「目を覚ましたら急に、私の髪が羨ましいって言いだしたのです」
「だってシエラの髪、あたしと同じ色なのに全然違うんだもん」
フィノがシエラのほうを振り向いて、頬を膨らませる。
「だから私がといてあげようとしたらローグが、『私がいるのにシエラ様にやらせるわけにはいきません』なんて、また意味のわからないことを言いだしてね」
「わ、私はただ、シエラ様のお手を煩わせるわけにはいかないと思い——」
「わかっていますよ。とにかくそういうわけで、私はフィノとの貴重な交流を、護衛にとられてしまったというわけなのです」
皮肉のきいたその説明に、ローグは初めてシエラの気持ちに気づいたようだった。「あぁ!」と声を出したと思ったら、フィノの髪に櫛を通す手は動かしたまま、放心状態になってしまった。
……この人、大丈夫だろうか。
フィノは昨日、トレースの診療所で傷を診てもらったあと、シエラとお風呂に入っていた。その時にはもう髪は綺麗に整えられ、どこから調達したのか、服も女の子らしい水色の服装に変わっていた。初めて会った時の、ぼさぼさ頭でぼろぼろの服を着た女の子は、どこにもいなかった。しかし……。
それでもフィノの目はずっと、隣に座っている王女様を気にしているようだった。艶のある黒髪に、鮮やかな水色の礼服を着た、美しい女性を。
「あっ、着いたみたいだよ! お城!」
ずっと外を眺めていたイサネが突然声を上げて、シエラに見惚れていたモレットも外を見た。他愛のない話をしているうちに、馬車は壁門の前へと到着したのだ。窓からはてっぺんが確認できないほど高い鉄の壁が、ぐるりと五角形に王宮を囲んでいるのだ。
その壁の入り口である門の前には、銀色の鎧を着た二人の騎士が厳しい顔つきで立っていた。ヒレウマから降りたジュノーがなにやら懐から紙を取りだして、門番の騎士に見せる。すると彼らの顔がふっと緩んで、門の真ん中にある、モレットたちからはほとんど見えない小さな鍵穴に、鍵をさし込んだ。
そしてそれをガチャリと右に回すと、鉄製の門がガラガラと鳴り始めて左右に開いていった。
「すごい! 自動なの⁉」
「異国から伝わった技術だ。詳しいことは教えられないが」
イサネにそう説明すると、ローグはフィノを膝の上から移動させて、馬車を降りた。
「ここからは私も手綱を引く」
そうして再びヒレウマは歩きだして、モレットたちは壁の中へと入っていった。
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