第12話 ローグとシエラ

 まさに風を切るように、ローグは途轍もない速度で練所へと戻っていた。

 シエラが気がかりだ。アーススたちのことについて、おそらく何も知らないのだろうと睨んでいた。そこに希望的観測を含んでいるのは否めないが、とにかく何も知らないのであれば、シエラは現在危険に晒されているのかもしれないという不安が、全身を駆け巡ってローグを支配していた。


 シエラが知らないと仮定した場合、アーススたちを害している者たちにとっては、シエラにそれを知られるのは間違いなく避けたいはずだ。シエラの頑固で優しい性格は、国の民全員が認知している。アーススたちを助けるために、国の大問題となることは、火を見るより明らかだ。

 もし……もし、この件に関わっている騎士が複数なら、仮にトレースに常駐している練所の全員だった場合……シエラの命を狙う可能性も十二分にある。

 フィノがやったとは思っていないが、エイピアを襲ったという子どもの件がまだ解決していない。シエラがその子どもに襲われたように偽装することも、今ならできるのだ。証拠がなければ、『白火の鉄杖』といえども、どうにもできない。

 頭を働かせていると、次第に全てが、誰かに仕組まれていたのではないかと、錯覚を起こしてくる。

 だがそんなわけはないと、ローグは頭を振った。

 シエラがここへ視察に来たのは、一度虹の湖を見てみたいと仰ったからだ。それに、観光地として発達したこの町の料理や銀細工を見て、ローレンスにも取り入れられるものがないか、参考にしたいとも言っていた。

 何より、ここへ来ることを言いだしたのは、ほんの三日前だ。予めここの騎士たちに伝えているとはいえ、そんな短時間で計画できるとは思えない。全てはシエラの言動から始まっていることだし、本来であれば『五つの凶器』がその護衛につくこともわかりきっている。この状況が異常であり、そしてこの状況は偶然が重なってできたのだ。ただの騎士たちに、これほどまでに先読みできる力などない。

 しかし……。頭に残るもう一つの可能性が、嫌な光を放ち続けている。その仮定が示すのはシエラの無事であるが、ローグにとっては認めたくないものだった。


 もしもシエラ様が、この件をすでに知っていたとしたら……。


 林を抜けてトレースの町に出ると、ローグはさらに速度を上げた。夕暮れのトレースでは、観光客は陽の沈み始めた虹の湖を見るため、その場所へと密集する。よって屋台や雑貨屋は昼間と違って閑散とし、おかげでローグはなんの障害もなく、練所まで辿り着けた。

 建物の綺麗な白が、夕日に反射して赤く染まっていた。その玄関を抜けて、エイピアのいる部屋へと入る。けれどそこには、寝ているエイピア以外誰もいなかった。


どこにいる? まさかもう——


「どうしたのですか、ローグ。そんなに慌てて」


 隣の部屋のドアが開くと、シエラがひょっこりと顔を出した。


 よかった……無事だった……。


 ローグは胸を撫でおろして、ふぅと息を洩らした。


「随分と遅かったですね。モレットたちはどうされたのですか?」


 シエラの質問に答えるよりも先に、ローグは彼女のいる部屋へと入って、ドアを閉めた。

 するとそこには、白衣を着た男が一緒にいて、思わず変な声が出てしまった。


「あ、あなたは、たしかエイピアの処置をしてくれた……」

「ユイン医師です。今までずっと、話に付き合ってくれていたのですよ」

「医者……」


 薄くなった頭に白髭の男が、ローグに向かって一礼した。

「それよりも、モレットは今どちらですか? ぜひ彼と話したいことがあるのですよ。エイピアの処置が素晴らしかったと——」


 そうだ、今はそんな場合ではない。


 ローグは厳格な表情になって、シエラの目を見つめた。


「シエラ様……シエラ様は、この村の真実を知っておいでですか? この村に住んでいた者たちが、ローレンスの騎士によって迫害されていたことは」


 迫害という言葉に衝撃を受けたのか、シエラの表情が固まる。


「……突然、何を言いだすのですか? この村が再建されていた時のことを言っているのでしたら、あれはちゃんと、お父様とお兄様が——」

 ふいに、シエラが口に手を当てる。恐いものでも見るように、ローグを見返した。


 聡い人だ……。


「真実? あなた、何を言っているのです……」


 この方は何も知らなかった。

 それがわかって、ローグは安堵すると共に、自身の身の振り方を定めた。


「シエラ様、これから私の言うことを聞いてください。この村にいる騎士たちの中に——」

「シエラ様、フレイムズ様……」


 ゆっくりとドアが開いてローグの後ろから現れたのは、くの字のように身体を折ったエイピアだった。沈痛な面持ちのその顔は、雨でも浴びたように汗でびっしょりだ。立っているのでさえ、辛苦なのだろう。


「エイピア、なぜ起き上がっているのですか。ひどい傷なのですよ。早く寝台に戻らなければ——」

「この練所の騎士たちの中に、シエラ様を狙っている者がいます。今すぐ、この練所を出てください」


 エイピアはよろめきながら、「俺についてきてください」と先頭をきった。


「お待ちなさい。何が起きているのか、私に説明をしなさい。動くのはそれからです。ローグも、先ほどの話がまだ終わっていません」


 強い言葉だった。

 ローレンス公国の王女としての風格と威光を兼ね備えた、強い言葉だった。

 幼い頃からシエラを知っているローグにとって、彼女の王女たる立ち居振る舞いは、目を見張るものであり、同時に……悲しいものであった。頑固で、ときに我儘で、しかしいつも優しかっただけのシエラは、もうどこにもいないのだ。

 だがそれは自分も同じだ。騎士となってこれまで、たくさんの命を奪ってきた。戦を終えた日の、化粧台の鏡に映るのは、濁った瞳にやつれた人相の、綺麗さも可愛げもない女の姿だ。

 生きていく限り、人は変わるものだ。誰も、情や優しさだけでは生きていけない。


「答えないのであれば、全ての騎士を招集しなさい。私を狙っている者がいるのなら、まずはその者に事情を聞きます。無暗に傷つけることは許しませんし、私はそれまでここを動きません」


 それなのに、こうやって時折、昔のシエラが顔を出してくるのだから、困ったものだ。

 ローグは王女を振り返って、彼女の前に片膝をついた。


「シエラ様……王騎法・第四条でございます」


 シエラは一瞬目を大きくし、瞼を閉じ、息を吐いて、「わかりました。あなたに従いましょう」、と言った。


 エイピアも白衣の医者も、固まったままローグを見ている。ローレンスの国民であれば知らぬ者はいない。

 王制騎律士法、またの名を、王制騎律十一の法。


 ローレンスの騎士を律する法律。

 その第四条——緊急の場合に限り、『五つの凶器』である騎士がこの法を唱えたときは、王族はその者の判断に従わなければならない。なお、その判断により王族の身が危険に晒されたときは、その騎士を死罪とする——。

 ローグは顔を上げると、平静とした口調でシエラに言った。


「では行きましょう、シエラ様」


 一同は部屋を出て、出入口へと向かった。廊下の途中、背にいるシエラに常に気を配りながら、前を歩く満身創痍の騎士に訊ねた。


「エイピア。シエラ様を狙っているのは、この村の裏で悪事を働いている奴らだな? 騎士どもの名前を教えろ。それだけで、私が全て収められる」


 しかしエイピアは何も答えなかった。彼らの前方に、ジュノーが現れたのだ。


「エイピア? なぜその身体で出歩いているのだ。それに……シエラ様? フレイムズ様も……一体どうされたのですか? 外はもう夜が迫っております。出歩かれぬほうが……」


 エイピアが、左手に持つ剣を鞘から抜く。それを向けられたジュノーも、咄嗟に剣を構えた。


「どういうつもりだ、エイピア! 貴様、自分が何をしているのか、わかっているのか!」


 エイピアは答えない。二人はただ動きを止め、睨み合った。互いの出方を伺っているのだ。

 ローグは二人を見つめ、考えた。


 ジュノーが、この村の原住民たちを苦しめている騎士の一人……か? いや、今優先すべきはシエラ様の御身だ。こんな場所に留まって大勢の騎士に囲まれると、一番厄介だ。この男を、一瞬で見定めなければならない。


 エイピアの前に出て、ローグも鉄杖を抜く。ジュノーが唾を飲みこんで、剣を構え直した。


「ジュノー、お前はこの村の者たちがどこへ消えたのか、知っているか?」


 その瞬間。

 ジュノーが眉をひそめたのを認めた瞬間、ローグは後ろを振り返った。

 ジュノーが、「シエラ様!」、と叫んだのとほぼ同時——。


 ローグの目は閃光のように、シエラに向かって剣を振り下ろそうとしているエイピアを捉えた。



 そして彼女の鉄杖が白い輝きを放ち、純白の炎を纏った。

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