第10話 理由が知りたい。

「た、立てるか?」


 伸びてきた女騎士の腕に、少女はびくっとなって目を瞑った。


「ローグ、離れて。私たちに任せてくれない」


 イサネがローグの前に出て、少女のそばにしゃがみこんだ。

「ごめんね」、と言って、そっと手を出した。


「その鞄を返してくれれば、私たち何もしないから」


 優しい声音だった。今までずっと、空気も読めないような、少しうるさいぐらいの、明るいイサネしか見ていなかったから、彼女の意外な一面にモレットはちょっとだけ見直した。

 けれど女の子のほうは鞄をぎゅっと胸に抱いて離そうとしない。


「イサネ、悪いがもう無理矢理連れていく。私はあまり、シエラ様の元から離れるわけにはいかない。鞄を盗られた女性だって、私たちを待っているだろう。それに、騎士を襲った子どもには見えないが、何か知っているかもしれない。こんな所でうだうだしている暇はない」


 ローグが女の子の腕を掴もうと手を伸ばす。しかしそれを、イサネが握った。


「……どういうつもりだ?」

「り、理由があると思う。鞄を盗ったのも、離そうとしないのも。まずはそれを聞かないと——」

「どんな理由があろうと、人の物を盗っていい理由などない。モレット、お前からも何か言え」


 発言を促されたモレットは、悩んで悩んで……イサネのほうについた。


「ぼ、僕も、理由が知りたい」

「お前たちは……まったく。いいだろう、私はシエラ様の護衛を任されている騎士だ。護衛という最優先任務を遵守しなければならない。が、騎士として盗人を放っておくわけにもいかない。つまり、ここに留まっている時間はない。イサネ、その背中の武器を取れ。短刀と金棒、どちらかはモレットの物だろう? 武器を構えないなら、それでもいいが」


 ローグの雰囲気が変わった。近づいてくる彼女の身体から発せられる空気が、肌をひりひりと刺してくる。

力づくで、女の子を連れていくつもりだ。

イサネがモレットに短刀を渡し、自分は金棒を構えた。ドスカフ村で使イ魔と戦った時と違って、その布は覆ったままだ。


「旅人が武器を携帯するのは珍しいことじゃない。自分の身を守ってくれる物だからな。しかし、武器を持つということの意味は理解しておくべきだ。お前たち、鞘に入れたままの剣では、何も斬れないぞ」


ローグが鉄杖を腰から抜いた瞬間、周りが火柱に包まれたみたいに、温度が上がった。ローグを太陽として周囲は照らされ、まるで焼かれるようだった。

 モレットは短刀を鞘から抜き、柄を握りこむ。イサネも急いで、金棒の布をといた。それを見て、ローグはにやりと笑みを浮かべる。


「安心しろ。殺したりはしない。怪我はさせるかもしれないが」


 ローグが一足で間合いを詰め、鉄杖を振り上げた。


 動けない……!


 モレットの首筋を、汗が伝う——



「もうおやめください!」


 ローグの鉄杖が、モレットの短刀を弾き飛ばすその直前。ぎりぎりのところで、鉄杖が止まった。


「……誰だ? お前たちは何者だ?」


 ローグが鉄杖を一振りし、腰に納めた。上がっていた気温が急激に元へ戻る。

 気づけば服が張り付くほど、全身が汗で濡れていた。


「全て見ていました。どうか、もうおやめください」


 この森の中に、自分たち以外の誰かがいることを、モレットはようやく知った。女の子と同じ、灰色の衣装を纏った人たちが、モレットたちを取り囲んでいた。

 その中の一人、杖をついたお婆さんが、木々の間から出てきた。無造作に伸びた白髪はぼさぼさで、開いているのか閉じているのかわからない目が、見え隠れする。それに、一歩一歩前に出す足の動作が悪い。特に右足は、歩いているというよりほとんど引きずっていた。


「お婆ちゃん!」


 モレットの後ろにいた女の子が叫ぶと、お婆さんに駆け寄った。


「フィノ、その鞄を騎士さんにお返し」

「でも……これがないと、また村の皆が、あいつらに……」

「大丈夫。お婆ちゃんね、今良い方法を思いついたから」


 二人の会話の内容が理解できない。モレットたちは困惑していた。イサネはもちろん、ローグでさえ、どうすべきか迷っているようだった。

 お婆さんは女の子の頭を撫で、もう一度、「お返し」と言った。

 女の子は胸に抱いているバッグに目を落とし、苦渋の顔をして、ローグに向き直った。


「……ごめんなさい」


 お腹の辺りに押しつけられたそれを、ローグが受け取る。


「わかればいい。それよりも、お前たちは一体なんなんだ? どこの村の者だ」

「どこの村の者だと⁉ お前がそれを訊くのか!」


 お婆さんの隣にいた男が、ローグを睨みつけた。よく見ると、男は全身を包帯で巻かれていた。木の枝で固定されている両の腕は、間違いなく折れている。


「セプター、おやめなさい。この騎士様は、おそらく『五つの凶器』であらせられる方ですよ」


 お婆さんの言葉に、周りの人間たちがざわついた。モレットも唾を飲みこんで、目を見開いて、ローグを見た。『五つの凶器』……かつて忌人の王を打ち倒した五人の英雄たちで、凄まじい力を有していると言われている。


「水色の外套にその武器が……『白火はくび鉄杖てつじょう』なのですね?」

「私を知っているのなら話が早いな。お前たちは何者なのか、手短に話せ」


 ローグの発言に、またしてもどこからか怒りの声が漏れた。この人たちがなぜ騎士を毛嫌いしているのかはわからないが、ひとまずローグも口が悪いな、とは思う。


「私たちは、トレースの村人です……」

「なに?」

「お前らローレンスの騎士に追い出された、トレースの原住民だよ!」


 セプターが掴みかかりそうな勢いでもって、ローグに怒りをぶつけた。


「五年前、虹の湖が観光地として目をつけられ始めた頃だ! 突然ローレンスの王子が、騎士を引き連れて村にやってきた! 神人の命令だとか言って、俺たちの家を壊して、村一帯を更地にした。そしてあいつらは、湖の守り神まで壊しやがったんだ!」

「待て。トレースの開発は、お前たち村人と話し合いがなされた上での決定だったはずだ」

「ローレンスの国民どもには、なんとでも報告できるだろう! お前のそのとぼけた態度は気に入らんがな! 『白火の鉄杖』様が、真実を知らないわけがない!」


 セプター、とお婆さんがもう一度宥めた。


「私は……いや、何も言うまい」


 ローグは言いかけた言葉を飲みこんで、「国は、なんの保障もしなかったのか……?」と訊ねた。ローグは明らかに動揺している。


「お金を渡されました。追い出された村のみんな全員が、ほかの村に移っても、数年は不自由なく暮らしていけるほどのお金を」


 お婆さんの返答に、ローグは眉をひそめた。モレットとイサネも同様だった。


「ならなんで、こんな場所にいる? 村に拘る気持ちはわからないでもないが——」

「確かにトレースに未練があるのは事実です。私たちは、この村が好きでしたから。でも、ここにいる理由はそれだけじゃありません。お金は……騎士たちに奪われました」


 モレットは耳を疑った。お婆さんから発せられた言葉が、とても信じられなかった。


「なんで⁉ どういうこと⁉」


 声を上げたのは、ローグではなくイサネだった。


「村を追いだされて、すぐのことです。おそらくローレンスは、最初からそうするつもりだったのでしょう」

「馬鹿を言うな! ヘブンズアース家が、そんな横暴を働くわけがないだろう! 訪れた王子と言うのは、フレアルイス様だな? あの方はシエラ様の令兄だぞ! シエラ様が——」

 急にローグが言葉を切った。その表情は凍りついていて、そして突如、「私はシエラ様の元に戻らなければならない」、と言いだした。踵を返して走りだそうとする彼女を、お婆さんが止めた。


「お待ちください、白火の騎士様! 本当に私たちのことを知らなかったのであれば、どうか助けてほしいのです!」

「ローグ!」


 モレットとイサネの声が重なる。けれどローグは、「……話はあとだ」としか応えてくれなかった。

 走りだした彼女の背中は一瞬で見えなくなった。



 森の中に沈黙が流れる。トレースの村人たちは肩を落として、森の奥深くへと潜っていく。


「ま、待って! 私がちゃんと掛け合ってみるから!」

「嬢ちゃんが? ただの観光客だろう?」


 イサネの言葉に、セプターは鼻で笑った。


「相手はローレンスの騎士だ。何ができるってんだ」

「戦わないの? やられたままでいいの?」


 セプターが身体を翻して、イサネを睨んだ。モレットは慌てて、彼女の前へと出る。


「ちょっとモレット! 邪魔しないで——」

「ま、まだその子が鞄を盗んだわけを聞いてません! よければ、聞かせてもらえませんか?」


 僕だって、何も納得できないままだ。でもイサネの言い方じゃ、ちゃんと話ができない。僕は……。


「どうして、そんなに気になるのですか? 正直、あなたには関係のないことでしょう?」


 細い目を大きくしたお婆さんが、モレットに訊ねた。


「理由があるかもしれないって……イサネが言った。自分でもわからないけど、僕はなぜだかどうしようもなく、それが知りたい。なんで女の子がバッグを盗んだのか。なんであなたが足を悪くしてるのか。周りの人たちが、なんでみんな傷だらけなのかを」


 ドスカフ村の人々が、なんで木の上に住んでいたのか。忌人のルカビエルを嫌っていたのか。全て理由があった。僕やイサネが旅をしていることにも。きっと、母さんが深い眠りに就いたことにだって、何か理由がある。

 モレットは、知らなければならない気がした。


「僕たちは、ローレンスの王女様と知り合いです。話を聞かせてもらえれば、事情も説明しやすい」


 なぜそんな言葉が出たのか、自分でも驚いた。ただ無意識に、そう伝えたほうが、話が進んでくれると直感した。


「王女様と?」


 お婆さんは少し考えて、「あなたたちにも、危険が及ぶかもしれません。もしそれでもいいのなら、ついてきなさい。粗悪ですが、一応落ち着ける場所があります」

「あ、ありがとうございます! えっと……」

「私はアーススと言います。この子はフィノ。あなたは、モレットと呼ばれていましたね。そっちの子は、イサネと」

「はい、イサネです! よろしくお願いします!」


 イサネが元気な声で敬礼する。そして、モレットの耳に顔を近づけて、「すごいじゃん、ありがとう」と言った。


 モレットはなぜ礼を言われたのかわけがわからず、しばしポカンとなってしまった。

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