第9話 虹色の湖

「オホン、え、えぇー、まずここトレースというのは、ローレンスから北に十五キロ行った所に位置している村であり、周りが森で囲まれているため、ローレンスと違って自然を感じられる場所としても人気だ。さらに湖もすぐそばにあることから、肉料理も魚料理も豊富で、美食家の間でも評価が高い店が並んでいる。たとえば、あちらにあるアンの実入り氷菓などは、今ローレンスでも流行っているほどの、人気菓子だ。そしてトレースのお土産としては、銀細工の装飾品も外せない。この辺りで獲れる銀はいつまでも褪せないことで有名であり、ローレンスの生粋の職人たちが、腕によりをかけて作っている。シエラ様も仰っていたが、ぜひ一度は手に取ってほしいものばかりだ——」

「ローグさん、いつもそんな喋り方なんですか?」


 屋台通りに戻り、虹色の湖へと向かう道中、不自然極まりない話し方をするローグに、イサネがとうとう指摘した。


「こ、この村の解説をしていたんだ! シエラ様に頼まれたからな! へ、下手なのは許してくれ。こういうのは初めてなんだ……」

「アハハハ!」


 吹きだしたようにイサネが笑いだす。モレットは怒られやしないかと、冷や冷やして鉄杖の女騎士を見つめた。ローレンスの騎士の怖さなら、もう嫌というほど知っている。

 しかしローグは、「あまり笑わないでくれ」、と、顔を伏せるだけだった。


「硬すぎますよ。もっと普通に話してくれればいいのに」

「そ、そうか? 私は真面目に務めを果たそうとしたんだが……」

「たぶんシエラ様は、そんな業務的に頼んだわけじゃないと思いますよ」


 イサネにそう言われると、ローグは「なるほど……」、と腕を組んだ。

 この人はもしかしたら、人付き合いが苦手なだけなのかもしれない。


「では、お前たちももっと気楽に話してくれ。敬語は必要ない」

「え⁉」


 あまりに飛躍した答えに、モレットは思わず声を出してしまった。


「それはさすがにどうかと——」

「いいんですか⁉ よーし決まり。よろしくね、ローグ」


 イサネ⁉ 受け入れるのが早いっ‼


「お前たちにこんなことを言うのもなんだが、子どもとどう接したらいいかわからないんだ。これが手っ取り早いと思ってな」


 そういうことなのか? 単に村の解説を、もっと砕けて話したらいいということではないのか?


「よかったね、モレット!」


 心底嬉しそうな瞳でイサネが見てくる。

 ホントに大丈夫なのだろうか? イサネは単純に堅苦しいのが嫌いなんだろうけど。

 爺ちゃんには、目上の人には敬語を使えって、それが礼儀だと教わったぞ。僕は敬語で話したほうがいいよな……。

 いや、でもローグさんはそれでいいって言ったし、この場合、敬語で話す方が失礼になるんじゃないか?……礼儀ってなんだろう?


「何考えこんでるの、モレット」


 イサネが顔を覗き込んできて、モレットは咄嗟に首を横に振る。


「あ、いや、なんでもないよ。僕も敬語は使わないようにする。使わないようにします! ローグさん!」

「あ、ああ。そんな気張られても困るが……ほら、着いたぞ。虹の湖だ」


 気づけば三人は、煉瓦の敷き詰められたお洒落な道から、柔らかい芝生の上に移動していた。

 シエラの言う通り、ローグがいたおかげで歩くのがずっと楽だった。周りの観光客が、騎士である彼女を認識すると、すっと離れてくれたのだ。ただ恐れられているだけなのかもしれないが、一度人混みに流されたモレットにとってはありがたかった。


「この虹の湖というのはだな、」

 ローグが再度、解説を始める。モレットはゆっくりと、整えられた芝生の地面から前方へと視線を向けた。


「伝説では、竜が水浴びをしていた場所だったそうだ。その身体から剥がれ落ちた鱗が、長い時間をかけて水に溶け、湖を虹色に染めたといわれている」


 そこには、クレアシ村が丸々おさまりそうなほどの、広大な湖が広がっていた。

 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、と、どこかで生き物の起こす波紋が広がる度に、徐々に、鮮やかに、色が変わっていく。

 太陽の光によって、赤色の所はさらに真っ赤に、黄色の所は燦燦と輝いて、青色の所は底が見えるほどに透き通り……。湖はそれを、延々と繰り返していた。

 いつまでも見ていられた。がやがやとしていた周りの観光客の声も、一気に消えていく。

 クレアシ村で、料理やお風呂の準備をするために火を炊くことがあった。火には不思議な魅力があって、引き込まれるようにモレットは見つめていたものだが、それと同じような状態に近かった。いや、この湖の魅力はそれ以上のものだ。脳が、この光景を焼きつけようと必死になっている。目を逸らしたくないと、全身が言っている。

 モレットはまさに、目を奪われていた。

 どれぐらい時間が経っただろう。イサネもローグも一言も喋らなかったので、モレットの意識が湖から戻ってくることはずっとなかった。おそらく、二人もそうなのかもしれない。


 竜が水浴びしていた場所……。


 ふと、ローグの解説を思い出して、モレットは恐怖を覚え、我に返った。

 竜——その存在は認められているが、その姿を見た者は誰もいない。矛盾しているようだが、朝にその咆哮で目覚めるのが当たり前となっている、この世界の人間にとっては、疑問を抱くことなどあるはずもなかった。

 モレットが読んだ書物によれば、竜が人前に姿を現さないのは、人間界に興味がないからだとか、四人の神の子どもたちが竜を操って制御しているのだとか、いろいろな説が記されてあった。

 人前に現れることがあれば、全てを破壊して去っていくのだ。竜は天災と同義だった。書物ではそれを、焉天えんてんと呼称していた。

 この世界で絶対的な存在の、その片鱗をこの湖に感じて、モレットは恐怖を覚えたのだった。


「いかんな。初見ではない私まで引き込まれていた。そろそろ行こうか」


 意識を取り戻したようにローグが言う。

 動きだした彼女のあとについていくが、モレットだけでなくイサネも湖に気圧されたのか、口数は減っていた。


「私はもうシエラ様の所に戻るが、お前たちはどうする?」


 ローグが横を歩くモレットたちに目を移した。


「僕はもうこの村を出ようと思う。ローレンスに行って、オールの花について情報を集めたいから」

「そうか……。さっきはシエラ様が話しておられたから、発言を控えたが」


 ローグは一拍置いて、


「オールの花は、確かに希少なものであることに違いはないが、存在もあやふやな、空想上の代物ではない。ローレンスの町で商人が売っているのを、二回ほど見たことがある」


 モレットから目を逸らして、ローグはさらに続ける。


「だからその……根気よく情報を集めていけば、手に入れられるものだ。打ちのめされることもあるだろうが……方法はいくらでもあるはずだ。忘れるな」


 この人は、ホントに良い人なんだろうな。

 最初に抱いた印象と全く違う。モレットは目を丸くすると、頭を下げて礼を言った。そして彼女の目線を追って、煉瓦造りの道から芝生、虹色の湖へと、目を向けた。

 その瞬間、ふと、モレットの頭の中を黒いもやが覆った。


 本当に綺麗だった。本当に綺麗だったけれど……。


 モレットは虹色の湖を見つめたまま、

 なんだろう? 何か、違和感が——


「きゃあぁぁぁ! ひったくりよぉぉぉぉぉぉ‼」


 突然雷が鳴ったように、女性の悲鳴が屋台通りに響いた。

 ローグの反応が一番早かった。モレットとイサネがそちらを見た時には、すでに人だかりの中へと走っていた。

 倒れた女性を助け起こしている彼女に追いつくと、


「小汚い子どもが、私の鞄を盗って向こうへ逃げたわ! 誰か捕まえて!」


 女性が村の出口のほうを指差して叫んだ。


「子ども……!」

「ローグ! もしかしたら、エイピアさんを襲った奴かも!」


 モレットとイサネの推測が合致する。ローグも頷いて、


「ああ、必ず捕らえる」


 彼女のスピードが上がった。ぐんと速くなって、子ども二人はついて行くのが精一杯になった。銀色の鎧を着ているのというのに、恐るべき脚力だ。

 村を出て、壁伝いにある森の中へと入る。倒れた木や枝を避けながら、必死にローグの背中を追うモレットたちは、自分の居場所も方向もわからなくなった。

 このままでは戻れなくなる。その不安が頭をよぎった頃。


「やっと捕まえたぞ! もう終わりだ! 暴れるな!」


 ローグが子どもの腕を捻じって倒し、その背中に乗っかった。


「鞄は返してもらう。それと、騎士に手を出した罪は重いぞ。子どもでも覚悟しておけ——」

「ごめんなさい、ごめんなさい‼ ぶたないで……」


 子どもは自由のきく左手で、必死に顔を庇っている。ぶるぶると震えて、ひどく怯えていた。


「お、お前は……」


 ローグがその背中から下りた。息を切らしながら駆け寄ったモレットたちも、その子を見て愕然となる。



 灰色の衣服は所々破けてボロボロで、その服から出た手や足は、今にも折れてしまいそうなぐらい細い。そして腰あたりまで伸びきったボサボサの黒い髪、その間から覗く大きな瞳や薄赤い小さな唇は……紛れもなく女の子だった。

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