第8話 王女様との対話
トレースの端の端、建物も観光客も全くいなくなった場所に、練所はぽつんと建てられてあった。お洒落な家々や屋台と違って、なんの面白みもない真四角で無骨な木造建築だ。
シエラがその玄関へ足を踏み入れると、たまたまそこにいた騎士数人が、慌ただしく整列を始めた。シエラがここに入ってきたことに、驚きと戸惑いを隠せないでいるようだ。
「お勤めご苦労様です。お忙しいところすみませんが、負傷した騎士がいると聞きました。どなたか、その方のもとへと案内して頂けますか」
「では私が!」
「では私が!」
「では私が!」
シエラのお淑やかな頼みに、顔を赤くした騎士たちは俺が俺がと言わんばかりの勢いで、一斉に前へ出る。
しかしシエラの後ろにいる、水色の片側外套の女騎士に気づくと、一斉に姿勢を正して身体を引いた。心なしか、その顔から血の気も引いているように見えた。
するとその直後、今度は廊下の奥から慌ただしい音が近づいてきた。
「あ! モレット!」
騎士たちの横をすり抜けてきた女の子が、モレットを見つけるなり、声を上げて駆け寄った。
見知った顔に出会えて、モレットの張り詰めていた心がようやく緩む。
「いきなりいなくなったと思ったら、こんな大勢で……どこ行って何してたのよ、もう」
「失礼だぞ、小娘。ここにおられるのはローレンス公国の王女、シエラ・ヘブンズアース様だ。控えろ」
「ジュノー、おやめなさい。子どもに対して口が悪いですよ」
優しくも厳しい口調で咎めた女性が、すみませんとイサネに頭を下げた。
「ローレンスの王女様?……ローレンスの王女様っ⁉」
イサネのうるさい反応に、ジュノーが無言で睨みつける。
モレットはといえば、驚きすぎて言葉さえ出てこなかった。
こ、この綺麗な人が……。
「ところで、お嬢さんはどうしてこんな場所に?」
「この二人は、負傷したエイピアを助けてくれたんですよ、シエラ様」
騎士たちの後ろからまた一人。その大柄な体躯は、目を凝らさずとも誰だかわかった。
「メイスか……。このガキには、そのシエラ様に傷害を加えようとした容疑がかかっている。今から尋問の予定だ」
今度はモレットを睨みながら、ジュノーが言った。
尋問……恐い響きだ。
飲む唾がゴクリと喉を鳴らす。
「そんなことをする必要はありませんよ。負傷者の方と関係があるのなら、それも含めて病室のほうで話を聞けばよいだけです」
モレットの心に再び立ちこめる暗雲を払ってくれたのは、やはりシエラだ。
「シエラ様の言う通りだな。それはちと早合点し過ぎだぜ、ジュノー。それよりもエイピアの件が重大だ。
騎士たちの雰囲気が変わるのを、モレットは肌で感じた。
「彼の元へ急ぎましょう」、というシエラの言葉を合図に、皆足早にエイピアの病室へと向かった。
一瞬でみんなからの関心を失ったモレットは、イサネと並んで最後尾だ。
「ねぇ、ローレンスの王女様だってよ。すごくない? モレットの……あれ、なんだっけ? 探してる花について何か知ってるかもしれないね」
イサネがモレットの肩をツンツンして、小声で話しかけてきた。他人事なのになぜか嬉しそうなその表情からは、彼女の人柄が見てとれた。
この村に連れてきてくれたことに感謝しつつも一言、「……そうだね」、とモレットは返した。
早くも、有力な手がかりが得られるかもしれない。
いろんな意味で、緊張が彼を襲った。
「さて、それではまずエイピアさんの件について、お聞かせ願いますか?」
病室には包帯を巻き直されたエイピアが寝かされていて、今はそのそばに、シエラが王女らしく姿勢を正して座っている。モレットとイサネは彼女に勧められて壁際の椅子に腰かけた。
エイピアを診てくれた白髭の医師は、すでに部屋を出ていた。シエラたちに気を利かせて、一時的に退いてくれたのだ。単に、この集団と同じ空間にいるのが嫌だっただけかもしれないが。
シエラから話を振られたメイスは、ジュノーと並んで部屋の入り口に立ったまま、話を始めた。
といっても、彼もわかっていることは少なく――深夜、見回りに行ってすぐにエイピアの行方がわからなくなったらしい——、早々にモレットとイサネが話を引き継ぐ形となったが。
ローレンスへ向かう途中でエイピアを見つけ、メイスと共にそのままの流れでトレースに立ち寄ったこと。そして、一休みできるかと考えてシエラの馬車に近づいたことも、洩らさず説明した。
「なるほど……。モレットくんとイサネさんの事情についてはわかりました。エイピアさんを助けて頂いたこと、本当にありがとうございます。モレットくんにつきましては、一方的にいらぬ疑いをかけ、拘束したことをお詫びします。申し訳ございませんでした」
王女からの思わぬお礼と謝罪に、モレットは胸の前で手をバタバタさせた。
「そ、そんな! 僕はほとんど何もしてませんし、謝罪なんてもっといいです! 疑われるようなことをしたのも事実だし……」
「そうですシエラ様。エイピアを助けたからといって、この者の疑いが晴れたわけではありません。シエラ様に近づくためにエイピアを襲って現場に戻り、手当をした可能性だって充分あるのです。私にこの者の尋問を――」
「シエラ様が今日、視察でこの村を訪れたのは本来予定になかったことだ。エイピアの件とそれを結びつけるのは、かなり横暴だと思うが……本気で言っているのか? ジュノー」
シエラの後ろで、壁に寄りかかり腕を組んでいる女騎士の眼力が、言葉が、瞬時に場の空気を凍りつかせる。
この女性の潜ませている冷たさを、モレットはたしかに感じ取った。
「もうやめとけ。少なくともこのボウズが悪い奴じゃないのは、俺もこの目で見てる。お前の推測は的外れだ」
「……了解した」
頑なにモレットを疑っていたジュノーが、ようやく大人しくなった。メイスは彼の肩に手を置いて、シエラに向き直った。
「すみません、シエラ様。俺とこいつは、ちょっと見回りに行ってきます。エイピアを襲った子どもについて、少しでも早く手がかりを得ないといけねぇですし。おそらく、そっちのほうがいいでしょう。フレイムズ様も、構わねぇでしょ?」
ローグはシエラと顔を見合わせてから、「ああ、頼む」、と了承した。
シエラとローグ。そしてモレットとイサネ。エイピアの穏やかな寝息だけが部屋に流れ始める。
ローレンスの王女様など、本の中に出てくる登場人物でしかなかった。直接会話を交わすことは、モレットにとってはオールの花と同じぐらい伝説的なことである。
「シエラ様は、どうしてこの町に来られたんですか?」
なぜこの空間で平然といられるのか、口火を切ったイサネを、素直にすごいと思う。
「一度来てみたかったのですよ。私の父と兄が観光地として開発したこの村を。それに、この村の銀細工が個人的に好きでして……昔から有名なのです。二人はどういう関係なのですか? なぜ一緒に旅を?」
まるで普通のお姉さんのように話すシエラに、余計困惑するモレット。
その間に、イサネがまたも先に答えた。
「モレットは私の弟みたいなもんです。旅には、それぞれべつの理由があるんですけど……」
ほら、と目配せしてくる。
質問できる、いいタイミングだと言いたいのだろう。弟みたいな、という発言には不服だが、話の流れを作ってくれたイサネに、モレットは胸の内で礼を言った。
ローレンスの王女様なら、オールの花について何かしら知っている可能性が高い。
「僕は眠っている母を治すために、オールの花を探しているんです。シエラ様は、何か知りませんか?」
「オールの花、ですか……。どんな病でも治すという花のことですね。詳しいことは私も知りませんが、確か……昔、私の祖父に当たる人——つまり先代の王が重い病気を患って、その花の蜜を口にしたという話を聞いたことがあります。その程度のことしか、私には与えてあげられる情報がありませんけれど、もしよければ、ローレンスに帰ってから父に訊ねてみましょうか」
「ホントですか⁉ ありがとうございます!」
モレットは立ち上がって頭を下げた。
「お座りなさい。大した情報は得られないかもしれません。祖父はすでに亡くなっているので……父が何か覚えているといいのですが」
フフッと笑うシエラに宥められ、モレットは顔を赤くして、椅子に座り直した。
「私はまだほかにも行かなければならない場所があるため、お二人を送ってあげることはできませんが、ローレンスに来たときには、ぜひ王宮にお寄りなさい。ローグの名前を出せば、彼女が迎えにあがります」
モレットはもう一度、今度は座ったまま、深く頭を下げた。至れり尽くせりで、シエラには感謝してもしきれなかった。ジュノーに投げ倒されていたさっきまでのことが嘘のように、次第に心が晴れていく。
「ところでお二人は、もう虹色の湖は見られましたか? 私の視察の一番の理由でもありますが、ここトレースはそれで人が多いのですよ」
「虹色の湖⁉」
モレットとイサネが同時に声をあげた。顔を見合わせると、彼女の目はキラキラと輝いていた。きっと自分もそうなっているのだろうと、モレットは彼女の瞳に自分を見た。
「それならばローグ、一緒に行っておあげなさい。湖の伝説については、あなたも知っているでしょう?」
急に名指しされて、強そうな女騎士は見るからに慌てふためいた。
「わ、私がですか⁉ 私はシエラ様の護衛で来ているのです。エイピアを襲った輩の件もありますし、子どものお守りなど——」
「私たちは彼に迷惑をかけたのですよ。メイスがこれから村の周りを見回るそうですし、せっかくだからあなたは羽根を伸ばしなさい。城を出てから、私のためにずっと気を張っているでしょう。案内役がいれば知識を与えられますし、あなたが一緒にいれば、湖までの移動も楽になります」
それに、私なら大丈夫です。
最後にそう付け加えたシエラの目は、有無を言わせない力を持っていた。「しかし……」と納得していない様子のローグだったが、やがて折れた。
「わかりました。ではこの二人は、私が責任をもって湖へ案内します。もし何かあれば、私の力を宿した、火焔箱をお開けください。ただちに向かいます」
「ええ。二人をよろしくね、ローグ」
シエラは嬉しそうに、にっこりと微笑んだ。
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