第7話 トレース村と騎士
トレース村は、村というよりも町に近かった。周囲は分厚い土壁で囲まれ、煉瓦造りの赤い家々が所々に建ち、青空の下でいろいろな屋台が開かれていた。そこかしこから、食欲をそそる美味しそうな匂いが漂ってくる。
そして何よりもモレットが驚いたのは、そこにいる人の多さだった。上層大陸には人間がこんなにいたのかと困惑するほど、たくさんの人間で賑わっていた。
観光地ということだから、ほとんどの人がこの村の者ではないのだろう。家の数と比較してみても、それは明らかだった。しかし、果たしてみんな、この村へ何を見に来ているのだろうか。
一人首を傾げ、観光客を眺めていると、いつの間にかそばにいたイサネたちの姿が消えていた。メイスの身長が高いおかげで——エイピアを背負っているのもあって——、すぐに見つけられたけれど、彼らはすでに雑踏の中だった。
しかし子どものモレットは、人の波に飲まれるとすぐに思い通りに進めなくなった。やがて視認できていたメイスの姿も消え、ついにははぐれてしまう。
焦りながらも、とにかくこの人混みから抜けようと、ぽっかりとその周辺だけ穴が空いたように誰もいない、白い馬車の元へと向かった。
金色の装飾が施された、荘厳な印象を与えるその馬車は、牽引するヒレウマもいないため、観光客を楽しませるためだけの置き物なのだと思った。
とりあえずここで、一旦休憩しよう。
鏡のように磨き上げられた車輪に手をつこうとした瞬間——
「そこのガキ! 何をやっている!」
雷のような怒号が飛んできた。
メイスやエイピアと同じ赤銅色の鎧を着た騎士が、怒りの形相で足早に歩いてくる。
「シエラ様の馬車に何をしているんだ、貴様は!」
「え——⁉」
モレットはいきなり手を掴まれ、乱暴に投げ飛ばされた。
「いたっ! いきなりなにを——!」
立ち上がろうとすると首筋に剣の切っ先を向けられ、もはや動くことはできなくなった。
歩いていた人たちも、屋台で楽しく飲み食いしていた人たちも、みんなが驚いた表情で二人を見ている。
「お前を連行する。何を企んでいたのか、ゆっくりと練所のほうで聞かせてもらおう」
状況が理解できないまま、モレットは後ろで手を固められ、強引に立たせられる。すると前方の人混みがざわざわとし始め、まるで海が割れるように、綺麗に両側へ掃けていった。
そして一人の女性が、モレットたちの前に現れる。
うわぁ、綺麗な人だ……。
痛みも忘れて、モレットはその女性に見とれた。脳内には美しいという言葉しか出てこなかった。綺麗な面長の顔に、黒色の長い髪が背中で揺れる。白い外套の下では、煌びやかな模様のはいった水色の礼服が、見え隠れしていた。
「シエラ様!」
騎士が急に膝をついて、捕らえられていたモレットは再度地面に倒された。
「これは何事ですか、ジュノー」
「はっ! このガ……子どもがシエラ様の馬車に近づき、何かしようとしておりました。もしかしたら、忌人の子どもかもしれません」
「何を言っているのですか、あなたは。それだけでは、丸腰の相手に暴力を振るっていい理由にはなりません。その子を離しなさい」
「しかし油断はできません——」
「離せ、ジュノー。シエラ様のお言葉だ」
いつの間にか、後ろにも人が立っていた。モレットには、全くその気配を感じ取ることができなかった。
「私がいるから問題はない」
身体の左側だけを覆う水色の外套に、銀色の鎧はジュノーやメイスのそれとも違って服のように薄い。腰には緋色の……剣ではなく鉄杖が差してある。少し茶色が混じった黒い髪を、かき上げて後ろに流しているその様相は、一目見るだけで威圧されるほどだ。
「……フレイムズ様」
彼女の黒い瞳に見つめられ、ジュノーはモレットの固めていた腕を緩めた。短刀をイサネに渡したままだったのが、幸いしたようだ。持っているのがバレていれば、こう簡単には放してくれなかったかもしれない。
「大丈夫ですか」
シエラと呼ばれていた女性が、モレットの前に跪いた。彼女から漂う甘い匂いに、モレットはどぎまぎとなって慌てて立ち上がった。
「だ、大丈夫です。ありがとうございます……」
本当に綺麗な人だ。騎士も観光客も落ち着きがないし、……一体何者なのだろう?
「お言葉ですがシエラ様、周りがかなり騒々しくなってまいりました。すぐに移動したほうがよろしいかと」
「そうね、ローグ。ひとまず
「練所ですか? 騎士の兵舎になぜ?」
「今しがた、負傷した騎士が運び込まれたそうです。私はその方を看にいきたいので」
「シエラ様……」
優しすぎる。
鉄杖を差した女騎士が小声で洩らしたのを、モレットは確かに聞いた。
「貴様も一緒に来い。まだ疑いは晴れていないからな」
ジュノーがモレットを睨みつける。言われるまでもなく、モレットは従うしかなかった。自然と、ジュノーと女騎士に挟まれるような形になっているのだ。
捻られていた腕をさすりながら、モレットは練所へと連行されていった。
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