第6話 金色の瞳

 一夜が明けたドスカフ村は、朝から騒がしいぐらいに活気づいていた。

 村のみんなで力を合わせ、使イ魔に壊された階段を修復していた。あっちこっちから、掛け声や指示が飛び交い、悲しみや苦しみに打ちひしがれている者は誰一人としていなかった。


「気をつけて行くんだよ」


 マーフィーが、モレットとイサネの肩に手を巻いて、ぐいっと抱きしめる。

 こんなに強く抱きしめられたのは生まれて初めてで、モレットは少し呻いた。けれどそれ以上に、確かな温かさを感じて……母との記憶の残滓が、心をかすめた。


「これを持っていきな」


 別れ際、マーフィーに手渡されたのはカミヨリの葉と、黒い木の実だった。摘まみ上げた指にちょっと力を込めると、ぐにっと弾力があった。


「これは……アンの実ですか?」

「おぉ、よく知ってるね。結構希少なものさ」


 モレットも実物を見たのは初めてで、書物の絵でしか見たことはなかった。試しに一つ噛んでみると、もちもちとしていて、重たいぐらいの甘さが口の中に広がった。

 同じように口に含んだイサネが、「美味しい!」と声を出す。


「小腹が空いたときや、食料に困ったときにでも食べればいい。日持ちする上にお腹にたまる。非常食として優秀なんだ。あんたたちは村を、ワジルを守ってくれたから」

「私たちは何もできなかったですよ! 使イ魔を倒したのルカだし……泊まらせてもらっただけでも、ありがたいです。私なんてこうやって、村の服も貰っちゃって」


 イサネの言う通りだ。何もできなかった。ワジルくんを助けようとして、逆に危険にも晒した。僕は、何もできなかったのに。


 ——人を助けなさい……。

 母の言葉を思い出して、胸がキュっとなる。


「だけどね……あんな無茶は、二度とするんじゃないよ」


 マーフィーがもう一度、二人を抱きしめる。

 ああ……心配してくれていたのか……。


 モレットもぎゅっと、マーフィーを抱き返した。

 なぜだかやっぱり母の面影が脳裏に蘇ってきて、どうしようもなかった。




 木々が繁茂する森の中を、モレットは黙々と進んだ。陽が差さないので気温は涼しく、枝や小石は転がっているが、地面もほぼほぼ平坦で歩きやすい。

 出発する前に、マーフィーさんが酒場で出してくれた朝食も美味しかった。ハネナシドリの玉子焼きは精がついて、朝食に最適らしい。おかげで、身体もすこぶる快調だ。


 この調子なら、今日の夕方にはローレンスに着けそうだ。ただ一つ、厄介な問題があるけど……。


 モレットは横目で、後ろをちらりと見た。

 ずっと下を向いて、すっかり肩を落としたイサネが、モレットの後ろをついてきていた。するとその視線を感じたのか、顔を上げて、「遠いよぉ……。モレットおぶってよぉ」と気だるそうに言った。


「まだ五キロも進んでないのに……ていうか、なんで君は僕についてくるの?」

「私も同じ方向なの。どうせなら一緒行こうよ」


 イサネの行く先は知らないが、モレットは少し不満だった。

 正直なところ、もっと速度を上げたい。早くローレンスに入りたかった。

 昨日の夜、マーフィーのお誘いに甘えて夕食をご馳走になった時、彼女からオールの花についての情報を得ることができたのだ——。




「ローレンスで、手当たり次第に商人を当たってみるといい。信憑性は限りなく薄いけど、どこぞの商人がたまにオールの花を仕入れてくるらしい。その人なら、木のある場所を知っているかもしれない」


 コウラウサギの鍋を、ワジルのお皿に取り分けながら、マーフィーが教えてくれた。


「モレットは、なんでオールの花を探してるの?」


 左隣にいるモレットを見て、イサネが訊ねてきた。


「母さんが、ずっと眠りから覚めないんだ」

「何かの病気ってこと?」

「わからない。村のお医者さんにも診てもらったけど、見たことない症状だって」

「へぇ〜、どれぐらい眠ってるの? 三日とか?」

「十年ぐらい、かな」

「えぇっ⁉ 十年って……それ、もう死んでるんじゃ……あっ、ごめん」


 驚いて声が大きくなったと思ったら、みるみるイサネの声は小さくなった。マーフィーも一瞬驚きの表情を見せたが、何も言わずに、ただ二人の会話を聞いていた。ワジルはといえば、目の前にある料理に夢中だ。


「いいよ。普通そう思うだろうし。でも、母さんは絶対生きてるんだ」


 モレットはずっと、手元のお皿に目を落としていた。それは、話していて母のことを思い出したからでもあるが、それだけではなかった。



 ——後ろを歩くイサネにちらりと目を向ける。

 昨日の夜のことを、イサネはまったく気にしていないようだった。

 クレアシの村人たちの遠い祖先には、忌人いびとがいたらしい。つまり今の村の人間たちには、わずかだが忌人の血が混ざっている。そのことを、モレットは十歳になった時に祖父から聞かされた。

 しかしモレットにとっては、そんなことはなんでもない事実だった。夜になると瞳が金色に変わるのは、村では当たり前のことで気にしたことなど一度もなかった。

 ただ、上層大陸に行けば隠すよう祖父に言われていたし、自分でもこの大陸での忌人の立場を知っていたから、なんとなく隠したほうがいいのだろうな、とも思っていた。


 思ってはいたけれど……。


 嫌でも、村人たちとルカビエルのことを思い出してしまう。モレットは、忌人があんな風に嫌われていることをもう知ってしまった。のと、のとでは全然違う。モレットはそれを痛感した。


 もしかしたら僕が眠っているうちに、イサネがマーフィーさんに話して、捕らえられるかもしれない。追い出されるだけなら良いほうだ。下手したら……。


 明るい食卓にいるのが、自分だけになったような錯覚に囚われていた。

 次第に、美味しく感じていた鍋の味がわからなくなってくる。

 結局、モレットはそれ以上食べきれなくなって、一人だけ先に部屋へと戻った。夜のうちに村を出ようとも思ったが、暗い森を歩くのは危険が伴う。方向がわからなくなるし、何より今日一日で、すでに忌人二人と使イ魔に遭っているのだ。ほかにいても、全然おかしくなかった。

 そうこう迷っていると再び睡魔が襲ってきて、モレットはついに考えることをやめた。捕らわれても、最悪殺されることはないだろう。ルカビエルに向けられていたあの冷たい目が、自分にも向けられるだけだ。それに耐えるだけでいい。

 そう覚悟していたのだが……。


「イサネはなんで、僕の目のことをマーフィーさんたちに言わなかったの?」


 ローレンスへ向かう森の中、後ろを振り向いてイサネに訊ねた。

 モレットにとって勇気を要する問いだったが、彼女の返答はのほほんとしたものだった。


「なんで言うの? べつに、金色に変わっただけじゃん。明るい所に出たら、すぐ戻っちゃったし。あ、でも、綺麗でちょっと羨ましかったなぁ」


 もしかして、僕に忌人の血が混じってることに気づいてない? 確かになんの説明もしてないけど……そんなものなのかな?

 もしかしたら、僕が思っているほど、深刻なことじゃないのかもしれない。ただ瞳が金色に変わるっていうだけで、ルカビエルの翼やサロアのような尻尾を持っているわけでも、ほかにすごい力があるわけでもない。身体能力だって普通の人間と全く変わらない。

 きっと僕の考えすぎだったんだろう。

 胸のつっかえが下りた気がした。イサネのおかげで心が軽くなった。


「君の緑色の目も、充分綺麗で珍しいと思うけど」

「やだ、ちょっとなに急にぃ! こんな所で口説かれても困るよ!」

「いや、べつに口説いたわけじゃ——」

「残念だけど私、年下は対象外なの。それに、今は恋愛どころじゃなくって、ごめんね」

「いや、べつにそんなつもりじゃないんだけど……まぁいいや」


 困ったって言う割に、随分と嬉しそうだし。るんるんと歩みも軽快になったよ。さっきまで疲れていたのはなんだったのか。

 というか、年下っていっても十四歳で、僕と一つしか違わなかったはずだ。それも話した時、「私お姉さんだ!」とかはしゃいでいたけど。


 イサネは不思議な女の子だった。素性や生い立ちを詳しく聞いたわけではないが、どうやら旅の目的は、両親を探している、とのことだった。離れ離れになったのか、はたまた捨てられたのかも知らないが、彼女は旅を急いでいる様子でもなく、モレットにはわけがわからなかった。昨日ドスカフ村にいたのも、たまたま好奇心で寄ってみただけのようで、日なたが気持ちよかったから、村の服まで貸してもらって、マーフィーの酒場の屋根で寝そべっていたらしい。

 かと思えば、使イ魔相手に無茶はするし……本当によくわからない。



「あっ、大丈夫ですか⁉」


 前を軽快に先行していたイサネが、突然右側の雑木林の中へと駆けだした。何事かとモレットもついていくと、一本の木に背を預けて、男性が倒れていた。母のものと見た目は少し違い、色も銀ではなく赤褐色だが、これは鎧だ。

 右肩の部分に刻まれている国章は、母のものと一致する。五つの交差した剣を背に、Hのような形の奇妙な記号。水色なのは、ローレンスの象徴色だからだろう。


 この人は、ローレンスの騎士だ。


 しかし今は、その鎧も含めて身体中傷だらけだ。脇腹から流れている血が、目を背けたくなるほど痛々しい。

 獣か使イ魔にでも襲われたのかもしれないと、モレットは即座に腰の短剣に触れ、周りを警戒した。

 昨日のようなヘマはしない。

 騎士を気にしながら、イサネも背中の武器を握った。

 柄から先端にいくにつれて太くなり、大きな棘が点々とついている黒いそれは、金棒というらしい。マーフィーさんも見たことがなかったようで、興味深くイサネと話していた。


「こ、子どもだ。契器グラムを持っていた。武器も食糧も、地図まで盗まれた……」


 振り絞るように、騎士が言葉を発した。まだ意識があったことにモレットとイサネは驚いたが、同時にホッとした。


「よかった。まだ生きてた」

「盗んでいったってことは、もうこの近くにはいないのかも。今のうちにここを離れたいけど……動けそうですか?」


 騎士の前にしゃがみこんで、モレットは訊ねた。が、応答はない。腹部辺りが微かに上下しているので、ただ気絶しただけのようだ。しかし……。


「急いで医者を探さないと」


 ローレンスはまだまだずっと先だ。ドスカフ村に戻るにしても、五キロは来てしまった。ほかの村を探すのに、この人を連れ回すわけにもいかないし、ここに置いていくわけにもいかない。


 どうする? どうする?


「私、近くに村がないか見てくる! 金棒置いてくから、代わりにモレットの短刀貸して!」


 モレットが渡すよりも早く、イサネはそれを取りあげていった。

 これで正しいのかはわからないが、彼女の素早い判断に助けられた。おかげで、自分のすべきことが明瞭になった。

 とりあえず、できる限り騎士の手当てをやって、どうにか移動できるよう準備しておこう。


 ぼろぼろの鎧を脱がし、全身の傷を確かめる。多数の切り傷が見受けられたが、一番ひどいのはやはり左脇腹の傷だ。おそらく刃物で刺されたのだろうとモレットは推察した。瓢箪の水で傷を軽く洗い——痛々しくて直視できなかったけれど——祖母がバッグに入れてくれていた塗り薬と包帯で、なんとか応急処置を終えることができた。

 包帯の巻き方は荒いし、血も完全には止まっていないが、塗り薬で多少はマシなはずだ。軽い擦り傷程度なら一日で治るほどの、祖母お手製の植物由来成分——リークスの葉っぱが、傷に効くのだ。

 人の傷の手当てなど初めてのことだった。処置を終えた頃には息があがっていて、モレットは木にもたれて心を休めた。


 ハァ、ハァ……ありがとう、婆ちゃん。ありがとう……。


「エイピア! おいおい、こんな所で何やってんだよ」


 突然の男の声に、気を抜いていたモレットはビクリとなった。雑木林の中から草木をかき分けて、一人の騎士が出てきた。手当てした男と同じ、赤褐色の鎧を着ている。

 モレットは咄嗟に腰に手を回すが、短刀はイサネが持っていたことを遅れて思い出した。寝ている騎士の足元にある金棒に手を伸ばすと、「モレット!」と男の後ろからイサネが現れた。


「騎士の人連れてきたよ。この近くにあるんだって、村!」


 彼女を視界に捉えて、モレットの緊張がようやく解ける。


「わりぃな、ボウズ。お前が応急処置してくれたのか? ありがとな」


 騎士が近づいてくる。正面に相対すると、かなり大柄な男だった。身長も二メートル近くはありそうだ。


「俺はメイスってんだ。そんでこいつがエイピア」


 そう言いながら、メイスは軽々とエイピアを背負った。話し方は快活で、なんとも言えない陽気さを感じる。やはり騎士だから、エイピアの状態を見ても、全く動じないのは、日ごろからこういうことに慣れているのだろう。


「お前らもトレースに行くんなら、案内するぜ」

「いえ、僕はローレンスに用があるので、これで——」

「行こうよ、モレット! なんか、すごい観光地らしいよ!」


 金棒を回収したイサネが手首を掴んで、無理矢理引っ張ってきた。

 しかしモレットには寄り道する時間などない。エイピアが助かったのなら、トレースという村に行く理由はなかった。


「ちょっと待って、イサネ。僕は早くローレンスに行きたいんだ。観光するつもりは——」

「いいじゃん、ちょっとだけ! ちょっとだけ見てみようよ!」


 彼女はぐいぐいと引っ張る力を弱めない。力いっぱいに振りほどくのも悪い気がして、モレットはとうとう諦めた。


 ……少しだけなら、べつに構わないか。今日の時間は、まだたくさんあるし。


 メイスのあとについて雑木林を抜けると、馬車が離合できそうなほどの、大きな道に出た。「こっちだ」とメイスが言って、モレットとイサネはその整えられた道を進んでいった。

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