第4話 ドスカフ村

 途中で、祖母に握ってもらったおにぎりを食べたりしながら、二時間ほど歩き続けたところでようやく村が見えてきた。

 さすがに足もくたびれ、早くどこかで休憩したい思いだったが、そこに建つ家々を見ると、疲労は一気に吹き飛んだ。

 五メートル以上ある大きな木々の上にそれらは建ち、その太い幹に巻きつくように階段が設置されている。

 頭上から漏れ差す太陽の光を浴びて、村一帯が緑色に映えていた。どこか神秘的で、モレットは村の入り口で立ちつくした。

 すごい……。木も家もクレアシ村のと全然違うなぁ……。どうして木の上に建てたんだろう? 昇り降り大変そうだけど——

「旅人さんか? 珍しい外套だが」


 急に後ろから声をかけられて、モレットはビクッとなった。


「は、はい!」


 振り返ると、仕留めたコウラウサギを肩に担いだ、白髪のお爺さんだった。


「よく見れば髪色も珍しい。最近は外の客が多いな」

「モレットって言います。あの、この村はなんていう村ですか?」

「わしはフェブラル。ここはドスカフだぞ。不思議な質問をするなぁ」


 お爺さんがワハハと声をあげる。彼が笑うたびに、ぐったりとなったコウラウサギの頭が大きく揺れた。

 よかった。無事にドスカフまで辿り着けた。あとは……。


「この村からローレンスまで、どのぐらいありますか?」

「ローレンスとはまた……二十キロ以上あるぞ。今日はもう、この村に泊まっていったほうがいい」


 二十キロ……つまりモレットの足では大体五時間近くかかるということだ。道も知らないので、さらに時間がかかる可能性を考慮すれば、フェブラルの言う通りだろう。


「あそこの家を訪ねてみるといい。すでに二人、休ませていたはずだから、あと一人ぐらい増えたって構いはせんだろう」


 え? 大丈夫なのだろうか、それは……。しかもその二人って、さっきの二人じゃないのかな……。


「あ、ありがとうございます。ちょっと行ってみます」


 モレットはぎこちなく笑顔を作って礼を言うと、フェブラルの指差してくれた方向に歩いてみた。

 家屋に近づくにつれ、モレットはその大きさに圧倒された。というか、その家屋の建つ、大木に。

 周りの木々とは比べものにならないほどの巨大な木の上に、三階建ての木造家屋が乗っかっている。たくさんの太い枝たちの間を縫って、巧妙に造られていた。

 二階部分に取り付けられている看板には、マーフィー酒場とだけ書いてある。モレットはゆっくりと、その酒場に続く階段を昇った。五メートルも昇れば、結構な高さだ。普段からよく木に登って遊んでいたモレットにとって、高所など全然怖くなかったが、この手作り感満載の階段には、さすがに恐怖を感じざるをえなかった。一歩上がるごとに、ギシギシと音が鳴るのだ。

 は、早く昇って、酒場に入ろう……。

 できるだけ上を向いて、モレットは階段を上がる。近づけば近づくほど、酒場は大きくなり、この大木の凄さも改めて実感した。一体どれだけの年月を生きているのだろうか。幹に手を当ててそんなことを考えていると、モレットは次第に階段への恐怖を忘れていった。


「いらっしゃい!」


 両開きの扉を押し開くと、女性の溌剌とした声がモレットを出迎えた。

フェブラルと同じ緑色の服に、白い頭巾を被ったその女性が、「おや、見ない顔だね」、と言って訊ねてきた。


「どこから来たんだい?」

「えっと……北にある小さな村から来ました。モレットです」


 クレアシ村のことは話さないこと。爺ちゃんとの約束だ。

 それでも嘘をつくことには気が引けて、モレットの手には汗が滲んだ。


「北? ここより北に村なんてあったかな? まぁいいや。あたしはこの酒場の店主のマーフィー。よろしく、モレット。ここ座りな」


 ……ほっ。なんとか切り抜けられたみたいだ。

 勧められた横長の卓に、モレットは腰掛けた。ずっと座っていなかったので、途端に疲労感が彼を襲った。さっそく本題に入ろうと思ったのだが……。

 ここに泊めてもらってもいいですか? なんて、いきなり訊くのは図々しいよな。ここ、どう見たって酒場だし。どうやって切りだそう……。


「あんたも、今日の宿を探してるんだろ?」

「あ……そうです。フェブラルさんに、ここを訪ねてみろって言われて……」


 助かった。向こうから切りだしてくれた。


「フェブラル? まったくあの人は……まぁ構わないよ。三階の部屋を好きに使っていい。この店で酔っぱらった客を寝かせられるように、狭いけど二部屋だけ、常に用意しているんだ。ここの場所が場所だけに、無理に帰らせて転落死なんて、笑えないからねぇ」


 マーフィーが口を大きく開けて笑った。モレットは笑うべきか笑わないほうがいいのかわからず、結局中途半端に口角を上げた。


「あ、ありがとうございます」


 とにかく、話があれよあれよと進んでくれて安堵した。


「ちなみに、二階はあたしの家族の部屋だから。まぁ気が向いたら、入ってくれても構わないよ。これは私からの奢り。ここまでの旅お疲れさまってね」


 マーフィー店主が、お茶をモレットの前に置いた。そっと手に取って、それを一口啜ってみる。すると、


「美味しい」


 思わず声がでた。


「僕の村のと全然違う味です。匂いも」

「ふふっ、旅人に言われると嬉しいもんだねぇ。ここらに育つ、カミヨリって花の葉っぱを使ってるんだ。そうだモレット、あんたよかったら、夜ご飯あたしらと食べないかい? やっぱり二階のあたしらの部屋に入っていきなよ」

「そ、そんな、そこまでお世話になるわけには……」

「あんたの話を聞かせておくれよ。あんたみたいな子どもが旅をしているんだ。理由があるんだろ?」


 卓に肘をついて、マーフィーがにんまりと笑みを浮かべる。どうやらこの方は、好奇心が強いらしい。


「それに、食事は大人数で食べるのが一番美味しい。あんたのほかにも、もう一人泊まっていく旅人の女の子がいてさ、あんたと同じぐらいの歳の、イサネっていうんだけど、そのお嬢ちゃんも誘ってるんだ。普段はあたしと息子の二人だけだからね。きっとあの子も喜ぶ」

「一人? 女の子ですか? 白い外套を羽織った男の人たちじゃないんですか?」


「確かに男も訪ねてきたけど……一人だったし、使イ魔を見なかったかとか、恐ろしいことだけ訊いてきて、またすぐ出て行ったよ。あんたの知り合いだったかい——」

「おーい、ママぁ。こっちに酒くれよぉ。足りねぇ、足りねぇ」

「はいはい。すまないね、モレット。話の続きはまたあとでしよう」


 背筋を伸ばして、手際よくお酒を四本の杯に注ぐと、マーフィーはそれを隅の円卓へと持っていった。


「あんたら昼間から飲み過ぎだよ。いい大人がみっともない。子どもがいるんだから、少しは自重しな」

「そう言うなよ、ママ。昼間から飲む酒が、一番うめぇんだ。それに、やっとローレンスからの出稼ぎを終えて、久しぶりに帰ってきたんだからさぁ」


 酒場特有の、他愛ない会話が聞こえてくる。クレアシ村と同じで、優しい人たちばかりだ。最初に訪れたのが、この村でよかった。

 モレットは夕食もお世話になろうかと考え始めていた。

 思えば、いろいろしてもらっているのに、夕食だけ断るなんて逆に失礼な気がする。それに、マーフィーさんからローレンスやオールの花の情報を聞けるかもしれない。

 モレットが一息ついて、もう一度お茶を飲もうとした直後——

「た、大変だ! 使イ魔が現れて、マ、マーフィー、大変だ!」


 酒場の扉が勢いよく開いて、村人が飛び込んできた。息を切らして、相当取り乱している。


「落ち着きな。普通の使イ魔じゃ、あたしらの住居は到底襲えないだろ。それとも、五メートル以上のヤツが現れたってのかい?」

「違う、そうじゃない! そうじゃないんだよ! ワジルが、お前の息子が襲われてるんだ!」

「なんだって‼」


 声を発すると同時に、マーフィーが目を剥いて店を飛びだした。数人いたお客も全員が外に出て、モレットも最後に続いた。

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