第3話 サロアとルカビエル

「しまった、ルカビエル様とはぐれてしまった」


 森の中を見回し、嗅覚と聴覚を研ぎ澄ませる。が、鬱蒼と茂る木々の葉が擦れる音や、植物の匂いのせいで、何も捉えることはできなかった。サロアは白いとんがり帽子の上から頭を掻いて、腕を組んだ。


 どうしたものか。ルカビエル様も俺を探しているだろうし、動かないほうがいいか……。いや、厄介な使イ魔も、早く回収しなければならないし……。


 サロアは考えに考えて、ここから動くことを決めた。外套の下から尻尾を出して、思いきり地面を蹴った。飛び上がった勢いで一本の木を駆け上がり、そのてっぺんに辿り着くと上から周りを見下ろした。

 北の方向、二百メートルほど離れた細い小道に、人の歩く姿がちらっと見えた。サロアは素早く木を降りて、その人影の元へと走った。


 この辺りは、南のほうにあるドスカフ村ぐらいしか人間の住んでいる場所はない。あれはルカビエル様の可能性が高い——


 数秒もせずに、その背中に追いついたサロアは、しかし瞬時にその人間から距離をとった。

 そう、人影は探している人物ではなかった。身長は約百五十センチと、自分と同じぐらいだが、緑色のバッグの下に、短刀を差しているのが一瞬見えた。

 サロアの足音に気づき、その人間がこちらを振り向く。

 目と目が合い、その瞬間、サロアは覚悟を決めた。


「わっ! 化け物!」


 相手が短刀を掴むよりも先に、間合いを詰めたサロアが相手の身体を押し倒した。そしてすぐさまこちらも短剣を抜き、その喉元へと突きつける。子どもだとわかったが、武器を持っている以上、油断はできない。


 ……殺すか!


 サロアが相手の喉を掻き切ろうとした、そのとき——

「待て、サロア!」


 聞き慣れた声が耳を突いて、サロアの手が止まる。

 ルカビエルだ。なんという美声か。


「その少年の眼をよく見なさい。騎士ではありませんよ」


 言われた通り、自分が抑えつけている子どもの顔に視線を向ける。その茶色の瞳は恐れ、怯えていた。サロアは、自分が恐怖の対象として見られていることに気づいて、慌てて子どもから離れた。


「わ、悪い……」

「私の連れが無礼を働いたようで……申し訳ありません」


 ルカビエルが倒れたままの子どもに近づいて、その手を差し出す。しかし子どもはそれを握ろうとはしなかった。まだ怯えているのだろう。


「私の名はルカビエル、彼はサロアです。信じてもらえないかもしれませんが、君に危害を加えるつもりはありませんでした。本当にすみません」


 ルカビエルが優しく言うと、子どもはようやく彼の手を掴んだ。

 子どもを立たせると、ルカビエルは頭を下げる。サロアもあたふたとそれに倣った。

 状況を理解できないのか、子どもは呆然となっているが、サロアに対する恐怖は少し薄れてくれたようだった。


「一人で大丈夫ですか? ドスカフ村の住人でしょうか?」


 ルカビエルの問いに、少年が遅れて頷く。


「……ならよかった。それでは、私たちはこれで」


 子どもに最後の会釈をすると、ルカビエルはこちらを見た。


「さぁ、行きましょう、サロア。ローレンスの騎士たちが言っていた使イ魔は、ドスカフ村に向かった可能性が高い。このままでは村人たちが危険です」


 ルカビエルは子どもの横を通り過ぎて、颯爽と歩いていく。サロアは急いで彼のあとを追った。




「変わった服装の少年でしたね」


 子どもと別れて五十メートルほど進んだ所で、ルカビエルが突然口を開いた。


「え? あ、ああ……そうですね」


 言われてみれば、確かに変わった服装をしていた。手首の辺りでばっさりと切ったような、臙脂色の外套を羽織っていて、その下はどこの村のものかわからない、白色の衣装だった。

 ドスカフ村の人間じゃないのは確かだ。


「どこの村人だったんですかね?」

「少なくとも、この辺りの村の子ではなさそうです。赤い髪の人間は、そう見ないですし……。ときにサロア、君が騎士と一般人を勘違いするのは珍しいですね」

「す、すみません……です」


 弁明のしようがない。自分は、ただの村人を傷つけようとしたのだ。しかし……。


「べつに怒ってはいませんよ。ほんの一時間前まで、私たちは騎士たちに囲まれていたのだから。きっと無意識に神経を張っていたのでしょう」


 ありがたいお言葉だ。サロアはただ頭を下げて応えた。

 しかし……なぜ自分は、あの時あの子どもが、騎士かもしれないと誤認したのだろう。本当に、神経を張っていたからなのだろうか……?



  ***


 こ、怖かったぁ……。


 黒服に白い外套を羽織った二人が見えなくなると、モレットは思わず地面にへたりこんだ。

 旅に出て早々殺されるとこだった。

 それにしてもなんだったんだろう、あの二人は。獣のような牙と尻尾を持った、サロアと呼ばれていた人は、忌人いびとという人種なんだろうけど、もう一人の黒髪の男性は、普通の人間のようだった——

「あっ!」


 二人はローレンスを知っていた。

 ということはやっぱり、ここは上層大陸なんだ!

 モレットは手をポンと叩いて、ホッと胸を撫でおろした。

 死にかけたけれど、早々に手がかりも得ることができた。

 二人の言っていたドスカフという村へ行けば、さらにローレンスへの手がかりを得られるだろう。

 けども……。


「あの二人もそこに向かったんだよなぁ」


 できればもう会いたくないが、あいにく二人の歩いていった道を行けば、無事に辿り着けるだろうこともわかっている。


「はぁ……」


 立ち上がるモレットの足は、始まったばかりにしてすでに重くなった。

 しかし日が暮れてしまえば、森の中の移動は困難になり、獣に出くわす可能性も高くなる。それにモレット自身にも、夜に出歩くことは避けたい、ある事情があった。

 どちらにしろ昼であっても、この自然の中では何が起きるかわからない。さっきの二人組と再会するのは本当の本当に嫌だが、少しでも早く村には着いたほうがいい。


 用事があるみたいだったし、ドスカフ村に長居することはないかもしれない。僕が着く頃には、すでにいないかも。

 ……うん、すでにいないだろう。


無理矢理、楽観的になってモレットは重たい足を進ませた。

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