桜の木に誓って(悲)


走り出す電車。

俺は東京で就職が決まり、恋人の春香を地元に残し、旅立つ電車に乗っていた。

段々と加速する電車。

俺はドアの窓から春香を見ている。

春香は一生懸命走りながら、俺を見つめていた。泣きながら。

俺も涙をこぼしながら春香を見ている。

やがて視界から春香が消えた。

俺は電車の中で声を殺して泣いた。

途中、桜の木が見えた。

あの桜の木は、俺と春香の思い出の場所。

付き合って1年半。

遠距離恋愛になるなんて思ってもいなかった。

ても、自分のやりたい仕事が都内でしかなく、受かるかどうかも解らない就職試験で合格してしまった。

すごく嬉しかったのに、素直に喜べなかったのは、春香と遠距離恋愛になってしまうことがあったからだ。

春香は俺の内定の話を聞いて喜んでくれた。でも、複雑な表情は隠せなかった。

「大丈夫!毎日連絡するから!それに、マメに帰るようにするから!」

俺は自分に言い聞かせるように、春香に言った。

「うん。郁夫を応援するよ!」

春香は頑張って作ったであろう笑顔で頷いた。

俺達の付き合っての1年半が、大丈夫だと背中を押してくれてる気がしたから、俺は春香にそう約束した。


俺が旅立ってから、春香に毎日ラインや電話をしていた。

地元とは違う事、仕事の大変さ、話したいことは沢山あった。

春香も嬉しそうに聞いてくれていた。

春香の声を聞くのが、俺の癒しだった。

だが3ヶ月ほど経つと、俺も都内の生活に慣れ始め、仕事の忙しさもあって春香への連絡が疎かになり始めていた。

春香から連絡が来ても

「ごめん、仕事で忙しいから」

と、素っ気ない態度も増えた。

実際、仕事が忙しいというのもあったが、都内での遊びなども覚えて、自分の時間を優先することが多くなっていた。

春香が自分を好きでいてくれるという安心感を、自分勝手に思い込んで…

俺が都内に来てから半年ほど経った、ある日。

「今度の連休、地元に帰るよ」

春香に電話でそう伝えると

「そっか…。ちょうど良かった。会って話したいことがあったから…」

春香の声は少し暗かった。

「おいおい、まさか別れ話でもするんじゃないよな?」

俺はふざけながら言うと

「こっちに着く時間教えてね。迎えに行くから。それじゃ」

そう言って、春香は電話を切った。

俺の心臓がバクバクしている。

『嘘だよな?別れ話じゃないよな?そりゃ連絡前よりも減ったけど、こんなことで俺達終わったりしないよな?』

俺は不安な気持ちを抱えながら、地元に帰る日を迎えた。

地元に帰る電車の中で色々考えていた。

『もし別れ話だったら、俺はどうするんだ?受け入れるのか?いや、俺達がそんな簡単に別れるはずがない。あんなに仲良かったんだから…』

しかし、不安の方が遥かに勝っていた。

駅に着くと、改札の前に春香は立っていた。

「おかえりなさい」

春香は笑顔で迎えてくれた。

でもその笑顔は、どことなくぎこちない笑顔だった。

「おかえりなさい!会いたかった!」

そう言って春香が抱きついてくるという俺の予想は裏切られた。

「少し時間ある?」

「あぁ、実家には夜までには帰るって言ってあるから…」

なんだろう、恋人同士の雰囲気では無い雰囲気が漂っている。

半年会わなかっただけで、こんなにも雰囲気が変わってしまうのだろうか…

それとも、春香の気持ちが変わってしまったのだろうか…

俺たちは今、付き合っていた時によく歩いていた道を歩いていた。

「懐かしいな。まだ半年しか経ってないけど、色々あった道だもんな。」

この道で、俺たちは出会い、付き合ってからは一緒に散歩したり、時にはケンカもして、仲直りして手を繋いで歩いた思い出の道。

でも

「そうだね」

曇った表情で、俺のことを見ずに春香は答える。

俺の不安な気持ちは膨らむばかりだった。

到着した場所は、大きな桜の木が一本だけ立っている公園だった。

「ここは、春香が俺に告白してくれた場所だよな」

「そうだね」

相変わらず、春香は俺を見ない。

桜の木の側で俺達は立ち止まった。

「どうしたんだよ?春香。なんか変だぞ」

しばらく無言の状態が続いていて、耐えきれず俺が口火を切った。

春香は俯いたまま、しばらく黙っていたが

「私達、別れよう」

顔を上げ俺の目を見て、そう告げた。

「な、なに言ってるんだよ?」

俺は衝撃のあまり、そんな言葉しか瞬時に出なかった。

心臓がバクバクと異常に大きな音を立てているのが解る。

「どうしてだよ!理由を教えてくれよ!」

余計な事を何一つ考えられず、ストレートにそう聞くことしかできなかった。

「郁夫と遠距離になるのが怖かった。

でも、ワガママは言えないから我慢しなきゃって思ってた。どんなに寂しくても我慢しなくちゃって思ってた…」

春香は俯きながら話し始めた。

「でもね、郁夫からの連絡が段々減ってきて、不安と寂しさばかり大きくなって…」

俯いたままの春香の目から涙がポロポロ落ち始めた。

「それは悪かった!俺も忙しいことを言い訳に、春香への連絡をあまりしなかったのは…本当に…ごめん…」

春香がこんなに寂しくて我慢してたなんて、俺は思いもしなかった。

でも、春香が寂しがり屋なのは知っていた。知っていたのに俺は、勝手に大丈夫と思い込んでた。

春香なら俺の状況を理解してくれてると、変わらず好きでいてくれてると思っていた。

気持ちを繋ぎ止める事を俺はしていたのか?

少しの電話や、ちょっとのラインすらしていなかった。

もう俺の言い訳は「忙しかった」しか無かった。

「好きな人が…できたの…」

春香のセリフに、俺は胸に何か鋭い刃物が突き刺さったような感じがした。

「誰だよ…」

もう胸の痛みで、あまり言葉を発せなくなっている俺。

「仕事先の先輩…」

春香は俯いたまま言う。

「自分が寂しくなったら、すぐ他の男に傾くのかよ!寂しかったのは春香だけじゃないだろ!」

怒れる立場じゃ無いのは解っているが、こみ上げてきた怒りが俺の口から酷い言葉を吐き出させた。

「俺が仕事で忙しい時に、お前は他の男と楽しく過ごしてたのかよ!」

「そうだよ。私は酷い女なんだよ。

郁夫が思うような我慢強い女じゃなんだよ」

顔を上げて涙をこぼしながらも、まっすぐ俺を見ながら春香は言った。

「ごめんね、こんな女が彼女だったなんて…」

何も言えない俺の横を春香は通り過ぎながら言った。

そして

「さようなら」

最後にそう言って、春香は去って行った。

俺は振り返る事もできず立ち尽くしていた。

「始まる時はあんなに盛り上がったのに、終わりはこんなに呆気ないんだな…」


俺は桜の木を見上げた。


この桜の木の葉が全て落ちる頃には、春香の事を忘れよう。

この桜の木に桜が咲く頃には新しい恋を始めよう。

2人の始まりと終わりを見届けた、この桜の木に誓って…

例え強がりでも、歩き出すための精一杯の決意だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恋愛話の詰め合わせ @MIKIMAKOTO

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ