第207話 苦境の運命

 ブリジットらが出発するのを見送った後、十刃長ユーフェミアは自身の執務しつむ用の天幕には戻らず、宿営地の一番はしに建てられた天幕へと足を向けた。

 その天幕の入口に立つ2名の衛兵は、ユーフェミアの顔を見ると背筋を伸ばして敬礼する。

 彼女はそれに手を上げてこたえると、天幕の中へと足を踏み入れた。

 

 その中には3メートル四方の鋼鉄のおりが収容されていた。

 下部に車輪がついていて、移動可能なそのおりは、ダニアの中で罪を犯した者が収監されるものだ。

 今そこにとらわれているのは、2名の赤毛の女だった。

 2人は手枷てかせ足枷あしかせをはめられて拘束こうそくされている。

 

「どうだ? 少しは話が出来そうか?」


ユーフェミアの問いに、おりの前に立つ拷問ごうもん官の女は渋い顔で首を横に振る。

 今このおりとらわれている2人は、先日の戦いでブリジットを背後から襲撃した。

 ユーフェミアはおりの前に立つと、うつろな表情で座り込んでいる囚人しゅうじん2人を冷たい目で見下ろす。


れ者ども。ダニアのはしくれでありながら、恐れ多くもブリジットに刃を向けた己の愚行ぐこうを恥じる心は残っているか?」


 2人はユーフェミアを見上げると、知性の感じられない目を向けながら手を差し出した。


「ア、アレを……アレをくれ……頼むから」


 そう懇願こんがんする2人がおりの間から弱々しく差し出す両手は、左右共に小指の爪ががされ、血がにじんでいる。

 拷問ごうもん官にやられたものだ。

 拷問ごうもん官は忌々いまいましげにそれを見ながらユーフェミアに報告した。


「終始この調子です。薬物をもらうこと以外に頭が働かないのです。薬が抜けないうちは痛めつけても何もしゃべりそうにありません」

「チッ。ダニアの誇りを捨てたか。同族であることに吐き気がするほどの醜態しゅうたいだな」


 ユーフェミアはそう言うとこれ以上、醜悪しゅうあくな同胞の姿を見たくないとばかりにおりに背を向ける。

 

「今、十刃会から全軍に通達を出している。他に薬物を持ちかけられた者がいないか、確認中だ。裏切者を生み出した張本人をあぶり出さねばならん」

拷問ごうもんは一旦中止しますか?」

「ああ。こいつらにとっては薬物をもらえないことが一番の拷問ごうもんだろう。水だけ与えて放置しておけ。徐々に頭が冷えれば、おのれのしでかしたことのおろかさに気付き、青ざめて震え出すだろう」


 そう言うとユーフェミアは天幕を出る。

 そして自分の天幕に足を向けながら思索しさくふけった。


(あの2人に薬物を与えた同族の女。その目的は何だ? 我らの部隊を混乱させることか?)


 本家だけなく分家にも裏切り者が出ているという。

 それはダニアを困惑させ、その戦力にほころびを生じさせた。

 そんなことをして得をするのは、敵対する黒き魔女アメーリアと、その裏で糸を引くトバイアスをようする公国軍。

 そう考えるのが普通だ。

 ユーフェミアは暗澹あんたんたる気分になった。


(完全に風向きが変わってしまった。一年前では考えられなかったことだ)


 公国軍と争えるだけの戦力はダニアにはない。

 いかにダニアの女が勇猛だろうと、いかに一騎当千の女王を抱えていようと、数で大きく勝る公国を相手に戦を続けられるわけがなかった。

 公国軍が全軍を上げてダニア本家をつぶしにかかれば、おそらく彼女たちは一ヶ月と持たずに全滅するだろう。


 公国と王国が互いに牽制けんせいし合っていた今までが幸運だったのだ。

 200年以上も続いた絶妙な均衡きんこうの上にダニアは存続することが出来た。

 だが、時代の潮目は明らかに変わった。

 ダニアという一族がこの後、どのような運命を辿たどることになるのか。

 ここが正念場だった。


「十刃会の再構成も行わねばならんし、頭の痛いことばかりだ。アタシの人生はこうして悩み続けているうちに終わるのか。リネット……今頃おまえは安らかに眠っているのだろうな。うらやましいことだ」


 今は亡き同輩に思いをせながら、ため息交じりにユーフェミアは1人愚痴ぐちを吐く。

 苦境の運命を感じながら、それでもユーフェミアは先のことを考える。

 先日の宴会場での戦いで、カミラとドリスという十刃会の評議員2人が死んだ。

 2人とも年齢は40歳を超えていて、共に十刃会の中では最年長の2人だった。

 その2人の後任を早急に選ばねばならない。

 そのことで頭を痛めるユーフェミアの背後から声がかけられた。


「お疲れですね。母様」

「ウィレミナ……」


 振り返ってそう言うユーフェミアの目の前に立っていたのは若きダニアの女だった。

 ウィレミナと呼ばれた彼女は現在18歳。

 ブリジットと同い年の彼女はユーフェミアの養子だった。

 若い頃からダニアを軍事的政治的に支えてその身をささげてきたユーフェミアには子供がいなかった。

 そんな彼女が養子としたのが、このウィレミナだった。

 

 ウィレミナの母は彼女を産んで一年足らずの間に病でこの世を去った。

 孤児となった彼女をあわれに思い、ユーフェミアは自分の養子として育てた。

 ウィレミナは相当に賢い子で、教えたことはあっという間に吸収し、若くして才覚を発揮はっきしたのだ。 

 ユーフェミアは彼女を自分の補佐官として働かせ、経験を積ませた。

 まだ誰にも言っていないが、ユーフェミアはいずれ彼女を自分の跡継ぎにしたいと考えている。


「皆のいる前で母様はやめろと言っただろう」

「も、申し訳ありません。ユーフェミア様」


 ウィレミナはあわててそう言うと頭を下げる。

 そんな彼女を見てユーフェミアは目を細めた。

 養子とはいえ、幼き頃から育ててきたせいか、ユーフェミアは本当の子供のように彼女に愛情を感じていた。


「全軍への通達はとどこおりなく終わりました。一両日中には薬物を持ち込んだ犯人に対する調査結果が出る予定です」

「ご苦労。おまえも疲れているだろう。しっかり休息はとっておくように」


 そう言うユーフェミアを心配そうに見つめ、ウィレミナは気遣きづかうように言った。


「ご無理を……なさらないで下さいね」

「今は仕方ないさ。無理をしなくてはどうにもならない時だからな。おまえも時間を無駄むだにするなよ。一族の危機を乗り越えねばならないのだから」


 そう言うとユーフェミアはウィレミナの肩に手を置き、それからきびすを返して自分の天幕へと向かった。

 ウィレミナにはああ言ったが、とりあえず一息つきたかった。

 だが、宿営地の中心部にある天幕へと足を踏み入れたユーフェミアは、ハッとして足を止める。

 彼女を出迎えるはずだった側付きの小姓こしょう2人が地面に倒れていたのだ。


 2人とも胸に小刀を突き刺されていてすでに死んでいた。

 そしてユーフェミアはすぐに気が付いた。 

 自分が普段、執務しつむ用に使っている椅子いすに誰かが勝手に腰をかけていることに。

 その人物は不遜ふそんにも椅子いすに背中を深く預け、執務しつむ用の机の上に両足を投げ出している。


「これはこれは。お邪魔してますよ。十刃長ユーフェミア殿」


 不敵に笑いながらそう言ったのは目が大きく、形の良いまゆをした美しい顔立ちの赤毛の女だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る