第3話 キャンドルとあたたかな屋台スープ(2)
「・・・ふう」
先ほどの蝋燭店から少し離れた場所で、リュックを置く。選び終わった安心で、ニーナは大きく息をついた。愛用のリュックに、抱えていたキャンドルのはいった袋を詰め込む。
(オーナメントも買ったし、キャンドルも買えた。それに・・・)
オーナメントよりも更に奥に指をいれると、冷たい感触が指から伝わってくる。ひんやりとしたその感触に、思わずニーナの顔が緩む。
(・・・買っちゃった)
実は、自分用に、新しいボウルを一つ、新調したのだ。もともと買うつもりはなかったのだが、通りがかりで少し寄った雑貨屋で、クリームを泡立てる用として売られていたボウルに、ニーナは一目惚れしたのだった。
つるりとした光沢。しっくりと手になじむ感触。これでクリームを混ぜたら、どんなにかなめらかになるだろう。
(今日帰ったらじっくり見よう)
キャンドルを折らないように、そっとリュックのチャックをしめる。
満足したら、お腹がすいたことに気がついた。ポケット時計を見ると、まだバスの時間までには余裕がある。
(なにか食べてかえろうかな)
家で留守番をしているシュシュには、ポトフを作ってある。先日フーからもらったベーコンで作ったもので、ここ最近のニーナの料理でも改心の味だと、自分でも感じるほどの出来だった。
塩だけで味付けされ、ローズマリーで風味付けした、料理の滋味。これこそが料理の本質なんじゃないかしら、と味見が止まらなくなるのを必死に押さえながら、ニーナは思ったのだった。
マーケットはますます賑やかだ。ホットワインを配る店、バーの屋台で飲み笑う人々、店の端で、大きなチキンにかぶりつく少年。気温はどんどん下がって、吐く息が白く現れる。
(温かいものが飲みたいな…スープとか…)
ポトフなら家に帰れば食べられるから、できれば魚介のスープが嬉しい。でも、そろそろ寒さが耐えられない。贅沢は言ってはいられない。
と、先程バレリーナのオーナメントを買った店の隣に、大きな寸胴鍋を据える店を見つけた。寸胴鍋からはもくもくと湯気が立ち込める。よく見れば、奥の方にも寸胴鍋が4つほどおかれていた。
(たくさんの寸胴鍋…スープ店だ!)
やっと見つけたオアシスに、思わず諸手を上げそうになる。うっかりしていた。さっきも通った道のはずなのに、オーナメントに気をとられて目に入っていなかった。
「すいません、スープを・・・」
そう声を掛けかけて、店のカウンターに、見知った女性が座っているのに気がついた。
「おかみさん!」
「おや!ニーナじゃないか」
村唯一の宿屋、明け星のペリカン亭のおかみは、ニーナもとてもお世話になっている。ニーナが森に住みはじめの頃から、なにかと世話を焼いてくれる、優しく、頼もしいおかみさんだ。
「マダムのお使いかい」
「はい、クリスマスの準備で。でも、自分用の調理器具も買っちゃいました」
「あっはっはっは!そりゃいいね」
おかみさんは、豪快に笑ったあと、手に持った黒パンをちぎって口に頬った。
「お隣良いですか」
「もちろんだよ、ほら、ここ座んな」
メニューはここにあるからね、と指を差された方向を見れば、カウンターの正面に取り付けられた黒板に、スープ、パン、そしてお酒の名前が書き連ねられている。
「おかみさんは、どれを選んだんですか」
「ここのエビのビスクが美味しくてねえ」
ほら、といわれ、指でつまんでいた残りの黒パンを渡される。そして、自分のスープボウルをぐいっとニーナの方に押しやると、パンをつけろ、というジェスチャーをした。
「えっいいんですか」
良いんだよ、とばかりに深く頷くおかみ。
「じゃあ、失礼して」
手渡されたパンで、ビスクをすくいとると、エビの香りがふわあ、と漂う。オレンジ色が鮮やかだ。口に含めば、想像以上の海老の風味、香りががつんと来る。黒パンの酸味にも負けない濃さだ。
「わあ、濃厚ですね!」
「おいしいだろう?」
「はい、凄く美味しいです」
「毎年この時期にマーケットにいくと、必ずこの屋台でビスクを頼むのさ。この濃厚さはどこの店でも味わえなくてねえ」
目の前にたつ、茶色い髭を長く蓄えた店主が、にっこり笑ってうなずく。
「ご店主、この子も料理人なんだよ。特にスフレが絶品でね。真っ白な雲みたいな、ふわふわの生地が焼けるのさ」
「そうなんですか。そりゃ、一度味わってみたいな」
にこやかに話をしながら、店主は手早く別の客のためにスープを寸胴から掬いとっていく。
「お客さん、お決まりになりましたか」
舌の上に残る、エビの濃厚さを確かめていると、黒板をみていると思われたのか、スープを提供し終えた店主がこちらを向いた。
(えっと、どうしようかな)
返答が遅れたニーナに、店主は失礼しました、ごゆっくり、と声をかけてくれる。ニーナは改めて黒板を眺めた。
スープは5種類。霜エビのビスク、ホロホロ鳥と玉ねぎのポトフ、カブの雪煮、ムール貝ときのこのクリームスープ、白身魚のトマト煮込み。パンはトーストに目玉焼きやチーズなど、オプションもつけられるようだ。それならば…
「じゃあ私は白身魚のトマト煮込みにしようかな」
屋台の側面に張ってあるメニュー表を指さして、ニーナは注文を重ねる。
「バタートーストに目玉焼きも追加してもらって・・・あっ、あとフォカッチャとホットワインもおねがいします」
「おおっ気合いが入るねえ」
おかみが楽しそうに声を上げる。
「今日はもう夜ですけど、明日からヒイラギ摘みなんです。いよいよ忙しくなるから、ちょっと贅沢したくって」
「そうかい、もうそんな時期なのか。早いもんだよ、全く」
「そうなんです、いつの間にか、こんな時期になってて」
注文を終え、またおかみのほうを見ると、おかみは最後の黒パンを、スープ皿に残ったビスクで拭い、今まさに口にほおりこむところだった。
(ビスクも美味しかったなあ)
ビスクがあれだけ美味しければ、否応にもトマト煮込みへの期待も高まる。
ひとしきり咀嚼し、大きな木のカップの飲み物を一気に飲み干したおかみは、タオルで口を念入りにふいたあと、ニーナの方に身体を向きなおして尋ねた。
「そうだあんた、マダムもそうだけど、今年のクリスマス拝礼の当番、誰だか知ってるかい」
「いえ、まだ教えていただいてないです」
拝礼―――シュシュの儀式のことだが―――は村の人々もお手伝いをしてくれる。毎年、村の子供が3人選ばれて、儀式の介助係を勤めてくれるほか、他の村の人々も、儀式の会場となるシュシュの家の前で楽器の演奏をしたり、拝礼を望む来客の列をさばいたり、ホットワインを振る舞ったりしてくれるのだ。
「多分、明日にでも話がくると思うけどね、マリアと、フェルクスと、ランジャになったよ」
三人とも、よく見知った子達だ。しっかりもののマリアは村の製粉所の看板娘。小麦粉を買いにいくときよく世話になっている。フェルクスとランジャはブドウ農家の娘で、よく歌を歌いに森に来てくれる。
「そうなんですね、全員今年はおんなのこだ」
「そうなのよ。まあ、みんなしっかりしてるから、問題はないと思うよ。しっかり働いてもらってちょうだい」
「あはは、はい、ありがとうございます」
おっちょこちょいだったり、抜けていたりする子が介助係を勤めることもあって、そのときはてんてこまいになるのだが、それもまた面白いじゃない、とシュシュは言う。“こどもたち”と儀式を一緒にできることが大切なのよ、と。
「おかみさん、クリスマスまでに、三人には会いますか?」
「ああ、会うよ。拝礼着の合わせがあるからね」
「今年のお昼は、コラモドラゴンのベーコンサンドイッチとチョコレートムースだって、伝えておいてください」
ニーナの言葉に、おかみさんは実に愉快そうに身体を揺らして笑った。
「あっはっはっは!そりゃ大切な伝言だ!しっかり伝えるよ」
「お願いします」
「まあ、元気そうで安心したよ。しっかり食べられてるようだしね。あんたは仕事に夢中になると、寝食を忘れるんだから」
「えへへ、面目ないです」
頬を書く仕草をして、恥ずかしさをごまかす。主人・シュシュの栄養を考える仕事をしておきながら、自分はひとたび夢中になってしまうと、ミルク一杯とパン一枚だけでごはんを済ませてしまうことも、よくあるのだ。
「おまたせしました、白身魚のトマト煮込み、バタートースト、それとフォカッチャです」
声がかかって、ニーナの目の前に、あつあつのスープとパンが並ぶ。立ち込めるトマト、魚介の香りが、小麦の香りと一体になって、ニーナの鼻孔をくすぐる。
「今日の白身魚はランタンホウボウです。いま、ワインをお注ぎしますね」
透明なグラスに、紅色の温かなワインが並々と注がれていく。思わずニーナは息を大きく吸い込んだ。
「じゃあ私はおいとましようかね。ごちそうさま、お勘定頼むよ!」
そう言ってニーナに笑いかけるとおかみは立ち上がって、膝にかけていたマフラーをくるりとまき直した。
「へい、ありがとうございます」
「じゃあ、マダムにもよろしく伝えておいておくれよ」
パニーをじゃらじゃらと財布から出しながら、ニーナに声をかける。
「あっ、おかみさん、フォカッチャ食べますか」
「いいよいいよ、あんたが全部食べな」
「でも、さっき黒パンいただきましたし」
「私はいいんだよ、味はわかっているからね。ニーナ、今日だけじゃなくて、ちゃんと毎日ご飯食べるんだよ!」
「はい、肝に命じます」
顔を重要そうにしかめて返答するニーナの肩をぽん、と叩いたあと、ゆっくり食べて、鋭気を養いなよ、じゃあまたクリスマスにね、と手をあげながら、マーケットのネオンに消えていく。そんなおかみさんにひとしきり手を振って、ニーナは目の前の料理に、改めて対峙する。
トマト煮込み、フォカッチャ、バタートースト。
(最初はトマト煮込みかな)
いただきます、と小さくつぶやいて、トマトとほろほろにほどけた白身を一緒に口へと運ぶ。
(良い香り!)
セロリやパセリなどの香味野菜や、ハーブ類もふんだんに入っているのだろう、爽やかな青い香りとともに、トマトの酸味がいっぱいに広がる。ランタンホウボウの具合も絶妙で、臭みもなく、まったくパサついていない。寧ろ、油がたっぷりと蓄えられていて、噛んだときのうまみがかなり強い。
追いかけるように食べたフォカッチャは、もっちり、しっとりとして弾力があり、小麦の味わいがダイレクトにわかる。トーストはフォカッチャとは違う、バターとミルクのコクが味わい深く、つやつやと黄身をたたえた目玉焼きをスプーンで割れば、黄身がとろりと外にあふれ出す。
(うわー、おいしいな)
いつもなら、店主に魚のパサつかない煮込み方など、質問攻めにする所だが、今日は不思議と、そのようなことをする気にならなかった。
(鋭気を養わないと、ね)
あたたかいワインを飲めば、冷たかった指先も温まってくる。
スープ店は盛況だ。おかみが座っていたニーナの隣の席もすぐに埋まり、今にカウンター席は満杯となっていた。
「いらっしゃい、へい、カブの雪煮ですね。そちらの方は?ホットワインとチーズパン。ええ、ウインナーもおつけできますよ」
店主の注文を聞く声をBGMに、マーケットの雑踏と、光の暖かさをより強く感じる。
(こんなに食べたら、バスの中で寝ちゃいそうだな)
そう思いながら、ニーナは大きな口を開けて、残りのフォカッチャをほおばった。
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