第2話 サクサク落ち葉とキャラメルナッツ
カサカサ、と落ち葉を踏む音が心地よい。踏む度に落ち葉と土の匂いが下から香ってきて、ニーナは思わず息を吸い込んだ。冬になる直前の、森の香りだ。
歩き始めると、枯れ枝や、土に落ちたきのみなどの感触も感じる。
(昨日のナッツケーキみたいだな)
ちょうど、フォークをいれた時の、指に伝わる感触に似ている。スポンジ生地は、ふかふかの土のようだ。
昨日はあのあと、夜遅くまで「何のスイーツをつくってもらうか」で大変紛糾した。シュシュは悩みに悩み、ケーキ図鑑まで引っ張り出して、結局判断は今日に持ち越しになった。
さくさくなパイケーキ、生クリームがぽってり乗ったふわふわベリーケーキ、濃厚なチョコレートがとろりとかかったオペラケーキ。昨日の最後にそこまで絞りこんだシュシュの、「さくさくも、ふわふわも、とろーりも、全部食べたいの!」という心からの叫びが、ニーナの耳に響く。
彼女の要望を、全部叶えてあげられるケーキを。
それが、今のニーナの最大の命題だった。
ミルフィーユならば、パイ生地とクリームはクリアできる。しかし、ミルフィーユでは、ふわふわスポンジ生地を使用しない。水分量の多いぽってりとしたクリームをかけてしまうと、パイ生地のさくさくが損なわれてしまうだろう。
(さくさく、ふわふわ、とろーりの食感をすべて味わえるケーキ・・・)
ニーナは考えを巡らせながら、歩を進めていく。
と、突然、目の前になにか黒い物体が落ちてきたのが分かった。
「わっ」
咄嗟に避け、落ちてきたであろう上を見上げると、長いもこもこした尻尾が垂れ下がっているのが見える。
「なんだ、ジョニーか」
「なんだとはなんだよ」
シマリスのジョニーは、この森に住む生き物の一員だ。ニーナとは軽口をたたき合う中で、高い枝の木の実などを取ってくれたりもする。
「何度も呼んだんだぜ、無視すんなよな」
枝から切り株に飛び移り、不服かというように、持っていたクルミの殻をかんかん、と打ち鳴らした。
「ごめん、気づかなかった」
「そりゃねえぜ」
ジョニーは頬袋を膨らませて抗議の顔をした。
「オレ様がよっぽど小さいからってよ」
「考え事をしていたの。シュシュさんに頼まれているケーキについて」
「マダム・シュシュに頼まれたケーキだって!」
持っていたクルミの殻を放り投げて、ジョニーは切り株から落ちんばかりに身を乗り出した。
「そりゃ、なにより一番に考えなきゃいけないこった」
ジョニーは、シュシュに対して並々ならぬ好意を持っている。自分がシュシュとつがいになって、幸せにしてやるのだと、本気で考えているのだ。
まあ、当のシュシュはといえば、その好意に全く気がついていないので、いつも彼の“愛のコクハク”は失敗に終わっているのだが。
「それで、なにをしてるの」
ニーナは話を元に戻した。「私に用があったんでしょう?」
「用なんかねえよ。おまえが険しい顔して歩いてたから、声をかけただけさ」
ジョニーは鼻をぴくぴくさせながら、自分の尻尾の毛を整えるようになでとかす。
「おまえこそそんなでかい荷物抱えて、どこへ行くんだよ。森の入り口は逆方向だぜ」
「私は」
ニーナはしょっていたリュックを、ジョニーに見えるようにくるりと後ろに向いた。
「フーさんに、洗濯物を渡しに行くの」
「あいつの家か」
ジョニーはフーの名前を聞いた途端、顔をしかめた。
「オレ様はあいつが苦手だ」
「はっきりいうね」
放り投げたクルミの殻がなくなり、手持ち無沙汰になったのか、しきりに両手をこすり合わせる。
「あいつは、仏頂面だからな。何を考えているかわからねぇ」
「口数は少ないね」
「オレ様はちゃんと会話がしたいんだよ、わかるだろ」
確かに、お喋りで口から先に生まれたようなジョニーにとっては、口下手で、ほとんど会話をしないフーは物足りないだろう。
「ジョニーがお喋りすぎるんじゃない」
「オレ様が悪いのかよ」
「違う違う。お喋りの頻度は、それぞれって事だよ」
釈然としないという顔で、ジョニーはぴくぴくと鼻を動かした。
「ま、いいや。オレ様こんなところで油を売ってる場合じゃねえんだ」
冬ごもりに備えてクルミをあつめないと、と言ったと思うと、隣の枝にぴょんと飛びうつった。
「じゃあな、マダムにもよろしく伝えておいてくれよ、オレ様の愛を!」
そういうと、がさがさと枯れ葉の音を立てながら、ジョニーは森の影に消えていった。
(相変わらず、せわしないな)
ニーナは一息つくと、また森の奥へと歩を進めた。
フーの家は森の湖の畔に位置している。森の木々を見回り、剪定をし、獣を狩るフーを、ひとびとは「森の番人」と呼ぶ。ニーナは、そんな「番人」にたくさん作りすぎたスープを届けたり、代わりに洗濯をしてやったりするなど、なにかと身の回りのことなどお節介を焼いたりしているのだ。
今日は、いつも通り、週一回洗濯したシーツを家に届けに行く日だ。そして、例の『モミの木』のことを聞くためでもある。
少し歩くと、視界が開けて、小さな湖が現れた。
カーン カーン
薪を割る音が響く。湖の先の、少し出っ張ったところに、フーの家はあった。今ニーナがいる場所から、フーが、家よりも少し離れたところで薪を割っているのが見える。
ニーナは、めいっぱい空気を吸い込むと、
「フーさん!」
とありったけの大きな声で叫んだ。
「シーツ!おうちにおいておきますね!」
ニーナの声に気がついたフーは、大きな体躯をこちらに向けて、持っていた大きな斧を少し上に上げて、応えるような仕草をした。
フーはあまり声を出すことを好まない。ジェスチャーで伝わるものであれば極力それですませることがほとんどだ。ニーナもそれが分かっているから、フーの仕草を見届けると、そのまま小屋に入っていく。
フーの住む小屋は至極シンプルだ。部屋にはベッドと小さなかまど、保冷庫が一つ。かまどの近くには古い大きめのフライパンと、欠けたティーポットとマグカップが2つ。長細い木製の机と丸椅子が2つあり、机の上にはマッチと、今日汲んだであろう水が大きなキャッチャーにたっぷり入っている。そして壁には大きなスプーンとフォークが立てかけてある。部屋の端にはもう一つ、小さな部屋があり、肉などの燻製や、黒炭を作るための燻製部屋になっている。
ニーナは小屋に入ると、しょっていたリュックを置いて、まずティーポットに水を注いだ。そうして、かまどにマッチで火をつけると、ポットをそっとおいた。
続いて、リュックから新しいシーツを取り出した。ベッドに持ってきたシーツを取り替え、古いシーツを丁寧に折りたたんでしょっていたリュックに入れ替える。
(うん、ぱりっとして良い感じ)
シーツを取り替え終わり、ちょうど沸いたポットを火から外して、小屋の外にでると、フーは薪割りを続けていた。
カーン カーン カーン
薪が割れる、乾いた音が森に響く。その響きが音叉となって、湖の水面に波紋を映し出し、広がっていく。
ニーナは、近くに転がっている大きな丸太にハンカチを引いて腰かけた。
カーン カーン カーン
ニーナは薪割りを見るのが好きだ。カーンと音がして、薪がパキッと割れ、木のかけらが飛び散ると、木の香りもぱっと香る。少し遠くにいても、漂ってくる木の香りが好きで、小屋を訪れた時、フーが薪割りをしていると必ず、こうやって近くに腰を下ろして、彼の一連の所作と、湖に写る美しい文様をぼんやりと眺めるのだった。
やがて音が止み、湖に静寂が訪れる。薪割りが終わると、大きな手で割った薪を慣れた手つきで次々と薪棚に積んでいき、最後にフードを覆いかぶせた。
「フーさん」
フーが一段落ついたのを見計らって、ニーナは今度はそっと声をかけた。
「お湯、沸いてます。お茶、一緒に飲みましょう」
声をかけられたフーは、ふん、と鼻を鳴らして黙って頷いた。
小屋に戻り、リュックのポケットから紅茶の袋を取り出す。今日はミントとメリッサのブレンドティだ。気温は低く、寒いけれど、薪割りで疲れた身体をスッキリさせてくれるだろう。味は清涼感があるけれど、血流をよくしてくれるから、身体を冷やす心配もなく飲むことが出来る。
ポットの中に入ってる茶こしを取り出して、茶葉を2杯入れる。お湯をポットからマグカップに注ぐと、鮮やかな若葉の色がカップを満たし、爽やかな香りがあたりに立ちこめていく。
フーには砂糖を2杯。自分には入れずに。
「はい、どうぞ」
フーの前にマグカップを置く。大きな、ところどころささくれだった手でマグカップを包み込むようにもって、慎重にすすった。
「ゆっくり飲んで下さい、熱いですから」
そう言いながらニーナは、ポケットから、布製のキャラメルナッツの小袋を取り出した。フーにも取って食べやすいように、長机のふたりの真ん中におき、ざらざら、と中のナッツを机の上に出す。
キャラメルナッツはフーの好物の一つだ。香ばしくローストしたナッツを、たっぷりの砂糖でキャラメリゼしたもの。
このナッツはナッツケーキに混ぜ込んだナッツと同じものだ。言い方を変えれば、ケーキを作る際に余ったものともいう。甘党のフーは、作ってくれとは言わないまでも(そもそも、フーからこれを作れ、などとリクエストされたことはない)、持ち込むたび、フーの食べる手が止まらないのが、このキャラメルナッツだった。
2口ほどすすり終えたフーが、キャラメルナッツに手を伸ばす。一粒、また一粒、またまた一粒。今回も成功のようだ。ナッツを食む軽快な音が小屋に柔らかく響く。
(私もちょっと食べちゃお)
フーのために作ったつもりで、小袋ごと置いて帰ろうと思っていたのだが、誘惑に負けた。最近、シュシュと一緒に毎日ナッツケーキを食べているから、なるべく甘いものは控えようと、ミントティにも砂糖を入れなかったのだが。
「ところでフーさん」
ひとしきりすすり、キャラメルナッツも半分ほどになった頃、ニーナはフーに声をかけた。
「この前、モミの木の剪定を頼んだじゃないですか。あれってどうなってますか」
「木を落ち着かせているところだ」
唇の周りのひげについた砂糖を丁寧に拭いながら、フーは答えた。
「もう掘り起こしたんですね」
「小屋の裏にある。落ち着いたら、持っていく」
「えっ、去年みたいに持ってきてくれるんですか」
「ああ」
去年、モミの木を持ってきてくれたとき、森では珍しく早めの雪が降った。この辺の気候は割と温暖なので、雪がクリスマス前に降る事は滅多にないのだが、そんな雪のひにもかかわらず、木が落ち着いたから、とわざわざ持ってきてくれたのだ。
「ありがとうございます。助かります」
でも、去年みたいに雪の予報がでたら、次の日でかまいませんからね。そうニーナが言うと、フーはふん、と鼻を鳴らした。
この鼻を鳴らすのはフーの癖で、かまわない、という意味で鳴らしたり、返答に困ったときに鳴らしたりと、その用途は広い。だが、嫌だ、と思ったときははっきりと「やらねェ」と言うから、今回は悪い意味ではないのだろう。
「じゃあ、よろしくお願いします。急に慌ただしくてごめんなさい。私、そろそろ行きますね。お邪魔しました」
コップを置いてニーナは立ち上がった。と、同時にフーも立ち上がる。
(珍しい、見送りなんて)
ニーナが少し驚いたように立ち止まると、
「ちょっと待っていろ」
そうフーは言うと、燻製部屋のドアを開け、中に入っていった。しばらくして出てくると、手に、麻の袋と、肉の塊を持っている。
「わあ、大きなベーコン!」
一月ほど前、コラモドラゴンを狩ったとフーから話を聞いていた。恐らくそのベーコンだろう。コラモドラゴンは肉質は良いが少し臭みがあるから、ベーコンなどの燻製の加工肉にするのが最適だと、フーと話したものだった(といっても、話の九割八分はニーナが喋り、フーはというと、そのお喋りを受けて相づち代わりの鼻を鳴らすのに終始していたのだが)。
フーは手に持ったベーコンを麻の袋に入れると、それ持って行け、とばかりにニーナに突き出す。
「ありがとうございます、嬉しいです。シュシュさんも喜びます」
麻の袋を受け取ると、ずっしりとした重量感を手に感じる。そして、燻された香ばしい、木の香りが鼻に抜けた。麻の袋をそっとリュックに入れて、ぺこりと頭を下げた。
「モミの木、楽しみにしていますね。あ、そうだ、フーさんもクリスマス、来て下さいね」
軽く頷くフーを見て、ニーナはにこっと笑うと、
お邪魔しました、と声をかけて家のドアを開けた。
さく、さく、と落ち葉や小枝を踏みしめる音が続いていく。
大きな袋がずっしりと重いが、ニーナの心は浮き足立っていた。
よく燻製され、木の香りが移ったベーコンは、それだけで絶品のごちそうになるだろう。
(スープに入れてよく煮込むのがいいかな。朝市で大きなキャベツを買ったから、にんじんとタマネギと一緒に煮込んだら、最高に美味しいだしが出るだろうな)
シーツを持ってきた行きの路よりも、肩に掛かる重さがあるはずだが、足は行きよりも軽やかな気持ちだった。
と、カサカサ、と音がした方向を向くと、こんもりと盛られた落ち葉の山の上に腰かけたジョニーが、クルミをもってこっちを見ていた。
「よお、また会ったな」
ニーナはジョニーと話しやすいように、リュックをおいてしゃがむ。
「木の実は集められた?」
「ぼちぼちな。奴さんには会えたのかよ」
「うん、一緒にお茶を飲んだよ」
ニーナの言葉に、ジョニーは冬毛に覆われた身体をのけぞらせる。
「あいつとお茶なんて飲んだら、三時のおやつにされちまわぁ」
「フーさんのこと、何だと思ってるの。取って食べやしないよ」
「おまえはな。オレ様は油断できねえ」
「大丈夫、食べないって。ジョニーなんて、肉はあんまりないんだから」
少しからかってやれ、と、言ったニーナの言葉を真に受けたジョニーはヒイ、と情けない声を出して、尻尾を持って丸まる。
「冗談冗談」
フーはニーナよりも洗濯物のたたみ方はうまいし、掃除も毎日の日課として欠かさない。綺麗好きで、仕事ぶりは繊細なのだ。さっきだって、ニーナは紅茶を勝手に入れはしたが、マグカップの片付けはしていない。ニーナが森に来たての頃フーの小屋に訪れた時、洗ってから小屋を出ようとしたら「俺がやっておく」と3回連続で言われたため、お言葉に甘えて、いつもそのままおいとましている。
そんなフーの一面をジョニーが知ったら、きっと調子に乗って、いろいろと話しかけ、絡んでくるに違いない。
(ほんとのところは、黙っておこう)
ジョニーの方を見ると、ほんとうかよ、と疑いの目を向けている。本当だって、とだけ短く答えたあと、ニーナは話を変えた。
「ところでジョニー、今年のねぐらはもう決めたの?」
「ああ。この上だぜ」
ジョニーにつられて上を見上げると、木の枝に枯れ葉が詰められた小さなうろがぽっかりと空いている。
「小さくないの?落ちない?」
「小さいくらいが落ち着くんだよ。それに、オレ様くらいになると、落ちたときの備えだって完璧だ」
トクベツに教えてやるぜ、というと、ジョニーは落ち葉をポンポンと叩いた。
「この落ち葉の下には細い木の枝が敷き詰められているんだ。木の枝の下にはふかふかの柔らかい土。冬になりゃあ凍るけどな」
「冬になったら凍っちゃうから、木の枝でクッションにしてるんだ」
「そういうこった。それに、雪が降りゃあそれもクッションのかわりになるんだ。この場所は木にかこまれてるけど、日当たりがいいし、枝があるから、雪が溶けても凍る可能性は低い、しかも、枝の中には食料のクルミも保管してあるんだぜ!そう、これがオレ様の考えた、」
「それだ!」
話をするジョニーを遮って、突然しゃがんでいたニーナが立ち上がった。
「は?なんだよ、なんだってんだ」
電流に打たれたよう、とは言い過ぎだが、小さな流れ星が落ちたくらいのひらめきの衝撃が、ニーナを貫いていた。
「ありがとうジョニー、思い付いた」
「なんだよ、何を思い付いたんだよ」
「ずっと考えていたの!ありがとう、またね!クリスマスには来てよね」
「いや、だから何を」
ジョニーが聞き止める間もなく、ニーナは走り出した。さっきよりもより軽やかに行きよりも、もっともっと軽く、足が動く。
クリスマス終わり、シュシュへのねぎらいの、プレゼントケーキ。
(さくさく、ふわふわ、とろーりをすべてかなえるケーキ!)
「おい、ニーナ、まてって、おい!」
ジョニーの声が響く中、ニーナは森をかけ、走り去っていった。
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