第5話 ここはけっこう、楽しい場所

 学校生活で、ウワサ話の中にいた先輩が堂々と現れて自己紹介をした日、それから半月ほどして私の日常に加瀬先輩が入り込んだのは、一番の変化と言えるだろう。



  ***



 三ヶ月も姿を見せなかった、ウワサ話の中の人、小人の靴屋の小人、よい人なのか遊び人なのか不思議くんであった、加瀬先輩が放課後の部活動によく現れるようになったのはなんとも不思議な光景であった。


 部活は毎日くる人もいるし予定があればその日だけ抜ける人もいる。基本、自由参加の緩い部活だ。

 私はわりと、ある程度の時間まではここに居ることが多く、ほとんど毎日部活動に勤しんでいたが、そんな中で一年生の中では加瀬先輩にいちばん会っていることになっていたらしい。そんな気はしていなかったけれど、そうか、でもそれは私が居る日が多いからではないだろうか。


「原田ちゃんだ。今日もいるー」

「加瀬先輩、こんにちは。今日は参加ですか?」


 カラカラ、と家庭科室のドアが開くと私は手を止めてそちらをみた。


「今日はタペストリーか刺繍でしょ? 俺、これ以上やるとみんなに非難されるからなー」


 とことことやってきて、テーブルの上にどさっと鞄を置く。お菓子とか作るならなーと言葉だけが悩んでいて、全くもって出席の様子。

 私の向かい側のイスを引いて座ると頬杖をついて、私をみた。顔になにかついていただろうか。目のやり場に困る。

 彼は、私が一人でいるとたいていこんな感じで気さくに話しかけてくれる。だからって、会話がないと苦しい、空気が重い、ということもない。それは彼が場の空気を上手に読んでいるからだろう。私はそういうことがあまり得意ではないから、返事か相づちくらいしかできない。


 明るめの茶色に染まった短い髪はぴょこぴょこと跳ねている。長袖のシャツの袖をくるくると肘の上まで丸めてあげて、ボタンも上ふたつはあけて。どちらかというと、やんちゃな印象がある。自己紹介の時もそうだが、物静かとは反対の位置にいそうな人だと感じた。

 そうだなあ、先輩たちとのやり取りやウワサから考えるになんだろう、大型犬? ぽくはあると思っていたのだが。

 けどどうしてそんな人が、帰宅部や本当の幽霊部員ではなく、お裁縫やら料理を定期的に現れて真面目にやっていくんだろうな、と不思議でしかたがなかった。


「非難、じゃなくて、みんな羨ましいんですよ」

「えー?」

「たまにしか現れなくて、時間がいちばん少ない人が、早くて丁寧で、ちゃんと出来てるのが、すごいって、なるんだと思います」

「……」


 加瀬先輩の言葉を聞きながら、手元に目を落としていた。だからこの時の、加瀬先輩の表情の変化を私は知らない。


 私も早い訳じゃない。だってこれは早さを競うものではないから。

 料理も、手際がいいことは悪いことじゃない。そういうやり方もあるか、と勉強になるし。

 でも、だから、早く出来たらいいな、とか追い付きたいなってなるんだろう。キレイなものは目の保養になるし。


「先輩、どうやったら、はやくて、丁寧に、縫い目を揃えられますか?」

「……ふはっ、今聞く?」

「みんながいたら、みんなとお喋り楽しそうですし、せっかく実在してるんですもん、聞けるときに聞いとかなきゃってなります」

「……実在……!」


 加瀬先輩がテーブルに突っ伏して堪えながら笑う。肩が体がとても揺れているから、わかってますよ、先輩。

 その反応にはちょっとムッとしてしまったが、実のところ作業の間は無音よりは適度に会話が飛び交って音がある方がいい。

 私は器用ではないから、話すか手を動かすか、どちらかに片寄ってしまう。ぼんやりと聞いているだけでいいのがいちばん楽だ。


「ここは楽しいよね」

「? そうですね?」

「疑問なの?」

「えっと、私も楽しいと思います。でも先輩の楽しいとは違うかもしれないので」

「……ああ、そういう。ふぅん」


 言葉が足りないかな、と思って付け足す。それが、失礼に当たらなければいいのだけれど、と願いながら。

 加瀬先輩は不快そうには見えなかった。むしろ、どこか満足げに私をみている。

 少しの沈黙の合間に話し声と足音が近づいてきてドアが開いた。


「あ! 加瀬くん!」

「原田さんがいると出席率いいって実証されつつあるのでは……。あ、今日は出席します?」

「どうして俺、今日居るか聞かれるの? てゆか、先輩ですけど?? 敬いは?」

「いやー、加瀬先輩すぐにいなくなるし、タメみたいに感じちゃって」

「今日はいてもいい気分なのかなって。あ! そうだ、加瀬くん! 一個聞きたいところあって」


 三年の先輩と二年の先輩の声のトーンが明らかに上がる。鞄を置くや否や、部の棚をガサゴソとこたいで、おそらくは先輩が進めている分を引っ張り出してきた。

 それなのに私はぼんやりと、加瀬先輩が犬っぽいと考えたことを思い出していた。


「誰かがリードつけて捕まえたらそんな心配なくなりますね……あ、いや、そういう意味ではないです、犬のこと考えてました」


 先輩方の目が私に集中してしまう。


「原田ちゃんてわりと過激なんだね?」

「捕まえる方法求む! 今日はそれ議題にしようか」

「本人がいるのに??」


 加瀬先輩がいよいよ焦って半笑いで私を見る。いっそう興味を持たれたみたいでさっと目をそらす。私は無害です。

 先輩二人がわちゃわちゃと今日の用意をしながら話しだす。


「誰が捕まえに行くか、だよねー。三年の教室前って異空間だから」

「学年違うとそうなるよね」

「何色のリードがいいかな? 加瀬先輩、何色でどんな装飾がいいですか?」

「シンプルな赤いのがいいと思……そうじゃない、そうじゃないぞ!?」


 原田ちゃんー! って加瀬先輩が私を名指しする。リードの話まで広げたのは私ではないが想像を掻きたてる話を振ったのは私だ。犯人は私です。

 でも加瀬先輩のその顔はどこか楽しんでいるように見えて怒ってはいなさそう。私は冗談が伝わる人で良かったな、と思ったのだけれど。

 先輩方は真面目に加瀬先輩を引きずってくる方法を検討しだしていて、部員が揃ってからも止めるのに苦労した。

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