第二話『ハレ、時々、ケ』その8
勢十郎が大花楼にやってきて、三日目の朝。
祝日だというのに、納屋の掃除を言いつけられた勢十郎は、トレードマークである赤ジャージ、そして顔中が
「あいつら、人をこき使いやがって……ッ」
もうずいぶんと片付けた気もするのだが、母屋の裏手にある納屋は、先日迷い込んでしまった蔵と同様に、馬鹿げた広さを誇っている。
八兵衛の遺品整理に訪れた親類達は、めぼしい物品を求めて屋敷中を探し回ったという話だが、ほとんど何も見つからなかったそうだ。今となっては、それが大花楼に巣くうモノガミたちの仕業だと、勢十郎には想像できている。モノガミ達は八兵衛の死後、金目の物を片っ端から隠し部屋へと放り込んでいたらしい。
屋敷内に隠された八兵衛の遺品(そのほとんどはガラクタだろうが)を、勢十郎がサルベージするのは後日になるだろう。とりあえず当面は、納屋の整理が彼の仕事に割り当てられていた。
天窓から差し込む陽光が
……ほんの五分前までは。
「ざけんな」
彼が死に物狂いで確保したスペースは、今しがた奥から
集中力が切れてしまった勢十郎は、休憩がてら、母屋へ引き返すことにした。
「だいたい、なんであいつらは誰も手伝わねえんだよ……」
そんな勢十郎を待っていたかのように、台所へ続く土間には調理中の黒鉄がいた。
「おつかれさまです」
「お、おう……」
不当な重労働に文句をつけようとしていた勢十郎は、早速出鼻をくじかれてしまう。台所に漂っているのは、朝食の時とは少し違う味噌汁の香り。一人暮らしなのに毎食用意がされている、という不思議な状況に、勢十郎はいまだに慣れないでいる。
壁掛け時計の針は、すでに十一時半を回っていた。
「ちょっと待ちな、勢十郎」
「なんだよ。お蘭……、さん」
廊下からこちらを呼び止めた金髪美女に、勢十郎は鼻白む。
ボディーラインが浮くニット地のシャツを着ているせいで、お蘭のとんでもないプロポーションは丸分かりだった。が、それでもなんとか赤ジャージの少年は、平静を保つふりをする。
お蘭は、ぴっ、と勢十郎を指差した。
「そのナリで屋敷にあがるんじゃないよ。あんた、煤だらけじゃないか」
「そりゃ今まで納屋にいたからな、お前らのせいで」
「庭にある井戸で水浴びしてきな。着替えは持っていってやるからさ」
「井戸水浴びろってのか!? シャワー……は、ねえんだよな。はぁ」
大花楼のインフラは、八兵衛の意向によって電気系統が最低限に抑えられている、とはすでに述べた。そもそも、こんな山奥に送電線が届くわけもなく、屋敷で使う電気はすべて屋外の発電機で
ただ、電気を必要としないシャワーの取り付けまで
「わざわざ
もちろん、彼は文句を言ったわけではない。むしろ逆である。頼んだわけでもないのに家事をこなしてくれるこの少女には、勢十郎もかなり感謝しているのだ。だから余計に、彼女に無用な手間を取らせるのが気の毒なのである。
だが、黒鉄は竈の火から目を離さない。
そして、
「
と、あくまでも
人間にもありがちな話だが、アナログに固執するモノガミは、そもそも機械類の操作が苦手なのかもしれないと勢十郎は思った。こんなところで暮らしていれば、それはそれで仕方のない事なのかもしれなかった。
「それはそうと、黒鉄。あんたまだそんな恰好で……。ちゃんと
お蘭が不思議なことを言い出したせいで、勢十郎は足をその場に
確かに墨色の髪が美しいこの少女は、昨夜の一時を除いてずっと黒装束を着込んでいる。だが、蔵での一件以来、あの
火力の安定を確認し終えた黒鉄は、濃紺の瞳を金髪美女へ向けていた。
「今は良いのだ、お蘭。必要な時にはちゃんと被る」
「あんたねえ……」
「勢十郎どの。もうすぐ
「ああ、そうだった。さっさと早くいってきな、勢十郎」
「わーったよ!!」
人使いの荒い女どもにやり込められた勢十郎は、足早に中庭へ回り込んだ。
昨日はここで、あの
……とはいえ、まずは水浴びである。汚れたジャージと黒のTシャツ、そしてジーンズを縁側に脱ぎ捨てて、勢十郎はボクサーブリーフだけの姿になった。
「冷めッた!! やっぱりかよ!」
湯殿に引き入れている天然温泉とは、わけが違う。
「聞こえてたよ。ったく、文句の多い小僧だねえ」
震える勢十郎を縁側から見下ろしているのは、着替えを持ってきたお蘭である。
あまりの冷たさに頭が痛み出した勢十郎は、顔や手足の煤汚れを素早く洗い流し、飛びつくようにバスタオルにくるまった。
「お、お、お前ら、お、俺を殺す気じゃ、ね、ねえよな?」
「大げさな。これくらいで死にゃしないよ」
急いで水気を拭きとった勢十郎は、さっさと新しい赤ジャージに袖を通してしまう。彼は一秒でも早く、黒鉄の作っていた温かい昼食で暖を取りたかった。
一方、お蘭は縁側の柱に寄りかかり、興味深そうに勢十郎を観察している。
「人間にしちゃ、なかなか良い体をしてるじゃないか」
「そりゃどうも。これでも色々苦労してんだよ」
「今朝だって、ずいぶん精が出てたようだしねえ」
「……見てたのかよ?」
「この屋敷にいるうちは、あたしらの目から逃げられるとは、思わないことだよ」
プライベートもくそもない話だった。
日課のトレーニングを見られたくらいで、いちいち目くじらを立てるような勢十郎ではない。部活をしていない身でも、健康は第一である。そして健康のためには適度な運動が必要という、それだけのことだった。
「そっちこそ、たまには運動した方がいいんじゃねえのか?」
「やなこったい。あたしはこれでもツクモガミだよ。高貴なモノガミは、無様な真似はしないのさ。酒を呑み呑み、毎日を面白おかしく過ごしてる」
「あんた……、妖怪なんだな。本当に」
「そうさ」
ツクモガミであるお蘭は、同じモノガミである黒鉄とは雰囲気が違う。勢十郎がその違和感に注意を払わなかったのは、あまりにも超常的な存在や現象は、理解しようとしても無駄だという事を、本能的に察した為だ。
むしろ、八兵衛がモノガミ達とどのような関係を築いていたのか、という点の方が勢十郎には気になっている。ただでさえ個性の強い大花楼の面々に、クセの強い祖父が折り合いをつけていたという事実が、彼にはとても信じられないのだ。
少なくとも、一人で納屋掃除を押し付けられた勢十郎には、彼女達と仲良く打ち解ける日が来るとは思えなかった。
そんな彼の気も知らず、お蘭は笑顔を浮かべていた。
「いい事を思いついた。昼から出かけるよ勢十郎」
「出かける? どこに?」
「そいつはあんたが決めるのさ」
「めちゃくちゃ言うな、あんた……」
「運動をした方がいい、って言ったのはあんただろう? 忘れたのかい? あたし達モノガミはね、依り代から離れて動き回ることはできないんだよ。あんたが黒鉄を学校に連れて行ったみたいに、今日はあたしを連れて行きな」
一昨日の夜見たお蘭の依り代は、確か
思わず、勢十郎は顔を
あんなものを持ったまま、街中を歩けるわけがない。ただでさえ彼は職務質問を受けやすい外見だというのに、手荷物から刃物など見つかった日には、まず逮捕案件である。
お蘭は久しぶりの娯楽に、ニコニコと口元を
「さ、メシ食ったらお出かけだよ」
「行くったってどこに……。いや、まてよ」
勢十郎には、この唐突なデートに適したスポットに一ヵ所だけ心当たりがあった。
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