第二話『ハレ、時々、ケ』その9


「……、


 勢十郎も多少は覚悟していたが、クラスメイトの皮肉は痛烈だった。


 接客モードで参拝さんぱい者を境内けいだいに迎え入れようとしていた切絵は、やってきたのが見覚えのある赤ジャージの少年だと気づくや否や、意味ありげなジト目を作っていた。勢十郎の同行者を考えると無理もなかったが、神社の娘がするべき対応でない事は確かである。


「本ッ当に、いいご身分だねえ。大槻君」


 勢十郎は、苦笑いで事情を誤魔化した。


 彼の両脇には、いつものVネックニットを着た金髪美女、お蘭と、ワンピースにフレアスカート姿の黒髪美少女、黒鉄がいた。もちろん、彼が持ってきたボディーバッグの中には朱塗りの短刀が入っており、首からは組紐を通した鍔がげられている。


「気にするな」

「それは無理だね」


 即レスであった。 

 本当はお蘭だけを連れて、こっそり参拝するだけのつもりだった勢十郎である。

 ところが、彼の目論見もくろみは、玄関で彼を待ち構えていた黒鉄によってあえなく頓挫とんざした。


 結局、学校の時と同じく黒鉄に押し切られてしまい、勢十郎は両手に花ならぬ、妖怪を抱えて、ここまでやってきたというわけだ。


 七期大社しちごたいしゃは比較的大花楼から近い場所にあり、街へ繰り出すよりも人目につきにくい。警察に刃物所持が見つかるのを恐れていた勢十郎には、実に都合の良いデートスポットであった。

……ただひとつ、、という点を除いては。


 フード付きパーカーにデニムパンツというボーイッシュな服装で、切絵は栗色の髪を耳にき上げつつ、黒鉄とお蘭を交互に見比べた。


「こちらの方々は?」

「俺の親父の親父の知り合い」

「うん。他人なんだね」

「ま、そうなるな」


 実体化したモノガミは、人間離れした容姿を持つ者が多い。

 お蘭は特にそうなのだが、ただ美人というわけではない。どこか人間らしさのない、造花のような美しさがあるのだ。よく注意して観察すれば、この二人の言動には、現代人と乖離したものを感じるはずだった。


 しかし、切絵がそこまでモノガミ達に突っ込んだ質問をしなかったのは、そんなことをしなくても、自分の目の前に極上の玩具が転がっていたからだ。晴れて彼女の遊び道具に選ばれた勢十郎は、黒鉄とお蘭が参拝している真後ろで、自分でもどうかと思うほど、苦しい言い訳を並べる羽目になる。


「……というわけなんだ」

「そうやって、いかにも説明し終えた雰囲気を醸し出すのはやめてくれないかい? 私はまだ、君から何も聞いていないし、本当のお楽しみはこれからだと思ってる」

「人の心とかないのか……」

「はっはっは。そういうものは、社の中に置いてきた」


 神仏に仕える身とは思えない言い草である。

 しかし、他人を批判できるほど自分が高潔こうけつな人格者でない事を思い出した勢十郎は、みずから飲み込んだ己の言葉によって、胸を詰まらせた。


 境内は少し肌寒い。パーカーのポケットに両手を突っ込んだ切絵は、れ馴れしく、勢十郎を肩で小突いた。


「ずいぶんと仲がよさそうだね。知り合ったばかりなんだろう?」

「まぁな。静かなところに行きたいって言われたんで、ここに連れてきたんだよ」

「確かにね。ウチの神社は寺社仏閣という点を差し引いても、特別静かな場所にカテゴライズされるだろう。普段はまったく人なんか来ないしね」

「それは経営的に大丈夫なのかよ?」

「おや? 心配してくれるのかい?」


 切絵は教室にいた時と同じ、余裕の笑みを浮かべている。

 数百年も前からこの地の神職を務めあげてきた松川家、その娘ともなれば、七期山の大自然に負けない鋼のメンタルを備えているらしい。


「お互い大変だよな。こんなところに住んでると」

「その様子じゃ、だいぶ七期山の洗礼を受けてきたようだね。大槻君」

「家の周りが野犬だらけだ。あと、聞いたこともない動物の鳴き声が……」

「それは大変だね。そういえば私も、今朝庭先で虎のつがいを見たよ」

「だからお前んちの神社は、参拝者が少ねえんだよ!」


 勢十郎は思わず怒鳴ってしまった。


 七期山には野生化したペットや、動物園から逃げ出した外来生物の参入によって、日夜、苛烈な生存競争が行われている。かくいう勢十郎も、黒鉄とお蘭がまともな人間だったなら、こんな場所には連れてきていない。 


「――ちょいと、お姉さん」

「え?」


 参拝を終えたお蘭が急に振り返ったので、切絵は少し驚いた様子だった。


「お守りを買いたいんだけどね。どこに行けばいいんだい?」

「あ、ああ。はい。ではご案内しますね」


 親切に先導する切絵の後ろで、お蘭は小さく舌を出していた。そろそろ話題を逸らすのにも限界がきていた勢十郎は、彼女の助け船にほっとする。……が、その一方で、彼の隣を歩く黒鉄の視線は、なぜか恐ろしく冷たかった。


「なんだよ、その目はよ」

「先日の神崎巡査の件といい、少し女性に節操がなさすぎでは?」

「お前なぁ……」


 思い違いもはなはなだしい黒鉄の指摘に、勢十郎は思わず額が熱くなる。


 社務所に入った松川切絵は、窓口の向こうから木箱を差し出してきた。


「ひとつ五百円になります」


 箱の中には、色とりどりの絹袋きぬぶくろ金刺繍きんししゅうほどこしたお守りが並んでいる。いかにも可愛らしいその意匠に、黒鉄とお蘭は目を輝かせるが、勢十郎にはただの布袋の何がそんなにありがたいのか、まったく理解不能であった。


 お蘭は上機嫌のうちに、勢十郎のジャージの裾を引っ張っていた。


「ほら、勢十郎。ぐずぐずしてないで、あたしと黒鉄に一つずつ買っとくれ」

「結局俺が買うのか。まぁ、そんな気はしてたけどよ」

「知らないのかい? お守りってのは、人からもらう方が正しいんだよ。あたしも先生に買っていく」

「へいへい」


 木箱の前に立たされた勢十郎は、直観的に二つのお守りをつかみ取り、切絵に千円札を支払った。


「ほら、お蘭さん。こっちは黒鉄だ」

「おや、気が利いてるじゃないか」


 受け取った商売繁盛のお守りをつまみ上げ、お蘭は嬉しそうに笑っている。一方の黒鉄は、どこかあきれた様子で安産祈願の刺繍を見下ろしていた。


 気を良くしたらしいお蘭は、社務所の脇に置いてあった別の木箱を手に取った。


「あたしはここでおみくじ引いてるから、あんたは黒鉄とそこらを回ってきな」

「いやそれは……」


「無理だろ」と言いかけた勢十郎へ、お蘭は催促するように右手を差し出していた。

 社務所の中でこのやりとりを眺めていた切絵には、金髪美女が勢十郎の財布を求めているように見えただろうが、実は違う。意図を察した勢十郎は、短刀が入ったままのボディーバッグをお蘭の足元にそっと置き、黒鉄を連れてその場を離れた。


「……よく、お蘭の言いたいことがわかりましたね」

「まぁな。だんだん慣れてきた」


 珍しく感心したように漏らす黒鉄に、勢十郎もあえて視線は合わせない。 

 モノガミは、依り代からあまり離れて移動することができない。そのルールを理解していれば、このような振る舞いも可能になる、というわけだ。


 おそらく勢十郎の祖父八兵衛も、外出の際には似たようなことをしていたのに違いない。いくらモノガミが姿を自在に消すことができるとはいえ、四六時中、実体化した彼女達のそばに付きっ切り、というわけにはいかないからだ。


「そういや、ここにあるんだっけか。例の、ご神体の刀ってやつ」

竜尾羽喰たつのおはばみ、ですね。どこかに展示されているのかもしれませんが、勢十郎どのはあれに興味がおありで?」

「いや、あんまり」

「でしょうね」


 日暮れ前には大花楼へ戻る気でいた勢十郎は、いつのまにか黒鉄とのんびり境内を歩いている自分に、呆れてしまった。思えば、彼が大花楼へやってきた当初の目的は、他人との関わりを極力避けるためでもあったはずなのに。


 山風に吹かれて、どこからか桜の花びらが降ってきた。

 ふと、勢十郎は、大花楼にも桜の木があったのを思い出す。あの桜の下で、頑固者の祖父がモノガミ達と宴会をしていたのかと思うと、彼は可笑しかった。


「……それにしても、安産祈願はないでしょうに」


 墨色の髪を揺らす黒鉄が、急にそんな事を言ったので、勢十郎は頭を掻いた。


「悪かったよ。お前もモノガミだって忘れてた」

「えっ……?」

「なんだよ?」


 嬉しいとも、悲しいとも違う。

 その時の黒鉄の顔を、なんと表現すればよかったのか、勢十郎には最後まで分からなかった。


 ただ、彼が何気なく選んだお守りを見つめる彼女の姿は、春風にさらわれた桜の花びらのように、ひどくはかなげだった。

 

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