第二話『ハレ、時々、ケ』その10
……どうも大花楼の住人達には、無闇に他人を構う
「――、俺はな、一人の時間を大事にしてるんだよ。先生?」
「だって
七期大社から戻った勢十郎は、日が暮れるまで縁側で刀の整備(と、称した黒鉄のスパルタ教育)を受けていた。夕食後、彼は自室でのんびり過ごす気でいたのだが、五分もしないうちにペンギンがやってきた、という次第である。
ペンギンは今、勢十郎のドラムバッグから掘り当てた携帯ゲーム機に夢中になっている。ごろ寝をしていた勢十郎だが、BGMに合わせてせわしなく体を揺らすアホ鳥の姿は、はっきりいって目障りだった。
「そうじゃ、小僧。ちと、黒鉄の風呂でも覗きに行かんか?」
「先生、よくみんなに言われるだろ? 『話が唐突すぎる』ってよ」
「のう小僧? 行こう。な? な? ちょっとだけじゃ」
「オチがわかってんだよ! 『ちょっと』覗いて、『ちょっと』殺されるんだろッ。あぁ?」
昨夜お蘭にも警告されたばかりなので、勢十郎は大人しく、
一方、彼のセーブデータでRPGをプレイしていたペンギンは、無駄遣いがたたって持ち金が底をついていた。しかし、世界中の景気は、こうした浪費によって支えられている。
「本当に行かんのかえ?」
「行くわけねえだろ。ゲームやってろ」
勢十郎の耳に、聞き捨てならない暴言が飛び込んできたのは、その時だ。
「やれやれ、八兵衛とは大違いじゃ……。この腰抜けめ、とんだ玉なしじゃのう」
「さぁ行こうか、先生」
スマートフォンを手放した勢十郎が、さわやかな顔でそう言った。
ところが、上機嫌になったペンギンは、なぜか押し入れの襖を開放すると、八兵衛の遺品が詰め込まれた段ボール箱をせっせとかき分けていく。
そして数秒後、赤ジャージの少年は
「……俺も
段ボール箱の奥から現れたのは、焼き板に見事な筆運びで『桃源郷へようこそ』と書き殴られた、秘密通路の入り口だったのだ。
説明されるまでもない。この通路は、確実に女湯へと続いているだろう。
「どうじゃ? この素晴らしき遺産は?」
「ああ、いろんな意味で涙が出るぜ……」
とうとう勢十郎は目頭を押さえてしまった。
「それと悪いんじゃが、コイツを持っていってくれんかの」
どうにか顔を上げた勢十郎の目前に、見覚えのある刀が差し出された。太刀
「この太刀が、儂の依り代じゃ」
全長百三十センチはあろうかというこの大太刀が、ペンギンの本体であるらしい。
丁寧に巻かれた柄糸はもちろん、
しかし、興奮してばかりもいられない。ペンギンの依り代である大太刀は、見るからに高級そうな拵えで、湿気の多い湯殿に持って行くのはさすがの勢十郎にも気が引けた。
「言いたい事はわかるがの。お主が依り代を持って行かねば、儂は屋外には行けぬのじゃ」
「あぁ、そういや、黒鉄もそんな事を言ってたな」
「モノガミは所詮、
霊的結界、という聞き慣れない単語に、勢十郎は目を白黒させた。
「
「じゃ、これから行こうとしてる場所には、モノガミが動けるだけの霊気がねえのか?」
「うむ。そのうえモノガミは、己の依り代に直接触れる事もできん。が、人間が刀を携行すれば話は別じゃ。ちょうど、お主が黒鉄を学校へ連れて行ったように、な」
そう言われて、勢十郎の中でひとつ合点がいった。
黒鉄とお蘭が勢十郎に納屋掃除を押し付けた本当の理由は、これだったのだ。彼女達は彼を手伝わなかったわけではなく、そもそもできなかったのである。
つまりペンギンの言う『大花楼の屋内に張られた霊的結界』が、納屋にまで届いていなかったのだろう。だから依り代から離れられないというモノガミの制約によって、二人は勢十郎に納屋掃除を託していたのだ。
「色々と、分かってきたようじゃの」
言いながら、ペンギンは平然と秘密通路へ潜っていく。
勢十郎も慌てて大太刀を背中にくくり付け、その後を追った。
最後に使われてからずいぶん月日が経っていたようで、通路の中にはあちこちに蜘蛛の巣が張っている。ただ、それよりも勢十郎は、尋常でない通路の完成度に呆れ返っていた。
「これ、はよう来い」
ペンギンに急かされて、四つん這いで通路を進もうとした勢十郎の右手に、ふと、紙の感触が返ってくる。
「なんだ……?」
落ち着いてスマートフォンのライトをかざしてみると、彼の右手が掴んでいたのは、何の変哲もない茶封筒だった。
問題は、そこに書かれていたタイトルである。
――――『遺書・PART2』。
「全部で何通残してんだよ、あのジジイは……」
と、毒づいてはみたものの、捨て置くのも気が引けた勢十郎は、封筒を尻ポケットにねじ込んでおく。
「小僧、はようせい」
勢十郎が顔をあげると、ずいぶん先の方でペンギンが手招きをしているのが見えた。もはや後に引くわけにもいかず、彼は背中の刀を気にしつつ、暗闇の中を這っていく。
考えたくはなかったが、これほど複雑な構造をしているからには、この通路は『大花楼』の建設当時から備わっていたのに違いない。まさか己の先祖が江戸時代から覗きに精を出していたかと思うと、情けなさのあまり勢十郎は心が折れそうになった。
ペンギンが勇み足を止めたのは、その時だ。
「ここから先は、慎重にゆくぞ」
『大花楼』には必要以上の機械類がない、とは以前にも述べた。ところがこの空間だけは、どうしても機械を搬入する必要があったのだろう。
外から流れ込んでくる風が、息苦しさを軽減している。勢十郎が今いる地点から一階へと続く梯子の先に、裏庭へ伸びる通路があるらしい。
ペンギンが注意を
恐るべき光景が、そこにあった。
見渡す限り、赤いレーザーが張り巡らされている。
対侵入者用の、感知センサーだった。
「……マジかよ?」
「マジじゃ」
また無茶な事に、そのうち数本のレーザーはランダムに動いていた。勢十郎が汗ジトになりながら周囲に気を配ると、やはりというか、ほかにも防犯カメラや各種センサーが大量に仕掛けられている。
「厄介なのは圧力感知じゃ。しくじると、そこかしこから銃が飛び出す」
「この通路、すっかりバレちまってんじゃねえかッ!?」
「よいか。一度ハシゴに触れたなら、二秒以内に手を離せ。撃たれるでの」
「いや聞けって」
抗議を無視したペンギンが、
もうどうにでもなれ、と勢十郎が
「
「はじめて!? おいてめふざけん――――、おはっぅ!?」
言った途端、チュン! と、何かがこめかみのあたりを飛び去っていき、勢十郎は二の句が告げなくなる。
冗談ではない。
このままでは大槻勢十郎も、『帰れなかった人』になってしまう。
「ええいッ! だから儂は機械なぞ好かんのじゃっ! 黒鉄のやつめ! コソコソと八兵衛のぱそこんで、何をつーはんしとったのかと思ったら……ッ」
「あいつッ、妖怪のッ、くせにッ、機械にも強いのか!」
「何よりも解せんのは『あまぞん』の連中よ! こざかしい道具なぞ送りつけおって! 彼奴ら、一体どのような縁があって、黒鉄に助太刀しておるのだッッ?」
「金だよッ! 奴ら、金で動くッ!」
……三分後、彼らは奇跡的に裏庭へ辿り着いていた。
これまでの経験をふまえた勢十郎は、注意深く足下を探っていく。
すると思った通り、露天風呂の近くの地面には、不自然に耕されたような跡があった。間違いなく地雷である。
ところが、目的地まであと一歩というところで、勢十郎はいまさら当初の目的を思い出す。彼はペンギンと共に、あの黒鉄の風呂を覗きにきたのだ。
だが、昨日今日だけでも、彼女には食事の用意に看病と、数え切れないほど迷惑をかけてしまった手前、さすがの勢十郎も良心の
ペンギンは、そんな勢十郎の肩を優しく叩く。
「ふふ、ふ。心配無用じゃ。お主が思っておるほど、黒鉄はお主を嫌っておらん」
「気休めはやめてくれ。期待してヘコみたくねえんだ」
「嫌よ嫌よも好きのうち、というではないか」
いざ露天風呂が目前に控えると、勢十郎はますますその気が萎えてきた。だが、彼はペンギンに背中をぐいぐいと押し込まれ、ついに覗きポイントまで達してしまう。
「ほれ、黒鉄はあれじゃ。つ、『つんでれ』じゃからのう」
「先生はさ、そういう言葉を一体どこで覚えてくるの? 悪い友達でもいるの?」
「八兵衛」
「ごめんな。身内が迷惑かけちまってよ……ッ」
結局、勢十郎が踏み台になり、ペンギンが
露天風呂といえば覗きイベント。そして覗きといえば失敗だ。
だが、まさかここまでうまくいくと思っていなかっただけに、勢十郎は一抹の不安を隠せない。
すでに時刻は九時を過ぎている。今夜は月が蔭っているので、夜風は昨日より冷たい。厚い雲に覆われた空は、今にも大粒の雨を降らそうとしていた。
「ち、遅かったか……」
勢十郎の頭上から、肩すかしを食らったような声がした。
おそらく、黒鉄はもう風呂を済ませていたのだろう。ペンギンは見事に空の
「お蘭が入っとるのう」
「おい、いますぐ代われ」
今の今まで覗きを
彼もあえて気にしないようにしていたのだが、あの色気はただごとではない。口こそ悪いが、お蘭は美女なのである。彼女の透明感のあるメイクとスタイルは、黒鉄や松川切絵とはまた違う魅力があった。
「というわけだから、代わってくれ。頼むよ先生」
「こ、こらっ。馬鹿者、動くでないッッ」
ペンギンを引き
あとはもう、自然の流れだった。倒れた拍子に庭石で後頭部を激しく打ち付けたペンギンと赤ジャージの少年は、似たような体勢でもがき、そして苦しんだ。
「……血は争えないねえ、この馬鹿一族は」
掛け湯を浴びながら、お蘭はそう呟いた。
しかし、後頭部の痛みに
思いもしない方角から聞こえてきた、すさまじい怒声だった。
◆ ◆ ◆
「――、貴様らッ、そこで何をしているッッ!?」
土間に響き渡った黒鉄の一喝は、かつてないほど敵意に満ちていた。
全開になった玄関の引き戸から、夜風が吹き込んでいる。
七条市は世に言う田舎であり、施錠の習慣がない地域も多い。『大花楼』も表門以外にはこれといった鍵がない建物だった。
戸口に立つ、三人の招かれざる客。
その全員を視界に収め、黒鉄は木刀を隙なく構えていた。
「迷ったなどと、ほざくなよ? そんな事は不可能だ」
彼女の言葉に、嘘はない。
日本有数の霊山である七期山は、そこに生息する動物や火山性ガスのせいで、危険区域に指定されている。しかし、実は山そのものが発する霊気の方が、はるかに危険なのだ。
異常な霊気は人体に感覚障害を引き起こすが、大花楼はそうした霊的危険地帯の中心に位置しているのだ。まして、今は夜。普通の人間は屋敷に辿り着くどころか、見つけ出す事もできないはずである。
黒鉄は荒事も辞さない覚悟で、木刀に闘気を
「おい! なに怒鳴ってんだよ? 黒鉄……」
騒ぎを聞いて駆けつけた勢十郎は、黒鉄の背後から戸口へと視線を走らせた。
電灯がないせいで、ひどく視界は薄暗い。
だが来訪者達はそれを承知していたのか、
このご時勢に提灯ときたものだ。それを確認しただけで勢十郎は警戒心を一層強めていた。が、来訪者達の顔を見た途端、彼はこの二日で何度も味わった、否、それ以上の嫌な予感をかみ締める。
三人の中央に立つ、おどろおどろしい天狗の面を
「――――、刀を売ってもらいたい」
低い声で、そう言った。
第二話 終
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