第四話『彼らの秘密』その10
水滴が、岩肌を打つ音がする。
七期山内部には天然洞穴が点在しているが、月明かりが届いていない事も加味すれば、かなり奥深い洞窟なのに違いない。観光名所というにはあまりに危険な、極寒の牢獄だった。
「ねえ」
「……なんだ?」
「あんた、本当にハコミタマ?」
「答える義務はない」
「お堅いなぁ。でもさ、僕すっごい気になってるんだよねー。あんた人間なの? それともモノガミなの? こういう所に閉じこめられたら、やっぱ怖いわけ?」
その質問に、少女は少しだけ戸惑っているようだった。
陰気臭い黒装束を身に着けているが、澄んだ濃紺の瞳と墨色の
この女はこの顔で、さぞ多くの人間を虜にしてきたのだろう、と、狐面は思わずにいられない。このモノガミを見ていると、彼にはそれがいとも容易く想像できてしまうのだ。
だからこそ狐面の青年は、この洞窟まで黒鉄を運んでくる間、あの忌々しい竜の鍔を粉々にしてやりたくて仕方がなかった。
「ねえ? どうなの? 怖いの?」
「さぁ、どうだかな。
「……オマエ、生意気だね。特にその眼、持ち主とそっくりで気に入らない」
狐面は染め抜きの着物を翻し、洞窟の入り口へ戻っていく。
しかしそれは、黒鉄への興味をなくしたせいではない。むしろ逆だった。
『じゃれ合い』で相手を殺してしまうのは、よくある事だ。ただしこの人質に関しては、東条から安全確保を厳命されている。狐面の青年――、
ハコミタマはずっとあの調子である。正宗が何を話しかけても
ハコミタマの霊体と依り代の中心に敷かれた、半径五十センチほどの小さな『陣』。刀仙の施したこの道術によって、依り代はおろか霊体にさえ、正宗は触れられない。
それが余計に、東条は自分よりも小娘の方が大事なのだという、正宗の嫉妬の原因になっていた。
用が済んだら、ハコミタマはあの小僧もろとも殺す。
可能な限り残酷な方法で。
狐面のモノガミはそう思った。
洞窟内部には罠が仕掛けられているが、いくつかの分かれ道には高級ホテル顔負けの部屋もある。第二次世界大戦後、日本の混乱期に乗じて歴史の闇に葬られた多額の外資が、ここにはふんだんに使われていた。もちろん工事に携わった業者達は、社員からアルバイトに至るまで、ことごとく東条に記憶を操作され、この洞窟の存在さえ覚えていない。
刀仙の部屋の前までやってきた正宗は、先ほどとは別の意味で苛立っていた。
扉の向こうに感じる気配は、三つ。霊気を流せば岩壁がスライドする仕組みだが、彼はそれを思い留まった。
「お前は僕の主なんだよ、東条。他の奴のじゃ、ない」
◆ ◇ ◆
閉鎖空間とは思えないほど、圧迫感のない部屋だった。
余計なものが一切ないのが広さの理由だろう。八畳分のフローリングには冷蔵庫とベッドがあるだけで、壁掛け棚には天狗の面と、刀が二振、それだけだった。
ワイシャツのままベッドに身を投げ出す東条の、その腹に少女が抱きついている。
さっきから、ずっとこうだ。
モノガミが刀仙の
このモノガミは、ただずっと、こうしているのだ。
「……どうかしたのか?
少女のこれはいつもの事だったが、今日にかぎって東条は、その理由が知りたくなった。彼が自分の腹を見下ろすと、雀女は絹糸のように細い前髪の隙間から、他の者にはけして晒す事のない、
「……べつに。ここには、東条の『におい』があるだけ」
狐面にさえ口を利こうとしなかった雀女の声は、やはり少女のそれだった。
ゴーグルを外したその素顔には、実体化したモノガミならではの、非人間的な美しさがある。しかし、すでに性欲や恋愛感情といった精神活動に支障をきたしている東条には、見た目は生身の人間そのものである少女の肢体にも、これといった反応を示す事はない。
だから彼女が話をしたくなるまで、東条は待ち続けた。
「東条のにおい……。あせと、たばこと、はがねのにおい」
言ったきり、雀女はまた彼の腹に顔をうずめてしまう。しかし、どれだけ少女の
雀女は、悲しさと、恐ろしさで、東条に伝える事ができなかった。
刀仙が今夜殺すであろう、あの少年――。
―――――、彼のこぶしからも、はがねのにおいがしていた事を。
第四話 終
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