第五話『激突する一等星』その1
七期大社の春祭りは、納涼祭と並ぶ七条市二大イベントであるらしい。
本来ならば、勢十郎も進んで参加して、同い年の友達でも作るべきなのだろう。
今夜はもう、誰も助けてはくれない。
「いや……、誰もって事はねえか」
七期大社の裏手から続く、禁足地の奥深く。
神主ですら気安く寄りつかない、忘れられた草原に勢十郎は立っていた。その左腰には、価値の分かる人間が見れば卒倒しそうな日本刀が
来た道の向こうから、荒々しい和太鼓の音が聞こえていた。
「……よぅ、東条さん」
岩に腰かけていた東条は、落ち着いた色目の羽織袴に天狗の面という姿だった。
風下にいる勢十郎のもとまで、東条の
東条は、煙草をやめない。
「昨日は驚いたよ。私の知ってる常識では、人間は石灯籠を担げないはずだった」
「楽しんでもらえてなによりだ。じゃ、ウチの居候を返してもらうぜ」
勢十郎はベルトから鞘ごと二刀を引き抜くと、それらを無造作に放り投げた。
「ほう?」
早くも戦意喪失かと思われた次の瞬間、空中で実体化したペンギンと大治郎が、お互いの依り代を持ち合って華麗に着地する。
大治郎は大太刀を、先生は打刀を手にして並び立つ。これで彼らは、互いに約四メートル圏内であれば、敵のモノガミと同様に自由行動が可能になったわけだ。
「これでもう、あんたは俺とタイマンするしかねえぞ?」
東条は手の中の煙草を握り潰した。
「……相手をしてやれ、正宗」
そう言った刀仙の右手に竜の鍔が輝いているのを、勢十郎は見逃さなかった。あの金属片の中に、彼女がいるのだ。
「黒鉄……」
はやる気持ちを抑えつけ、勢十郎はスナイパーのようにチャンスを待つ。
心配しなくとも、今日の東条は絶対に逃げない。これは相手から持ちかけた決闘、つまり東条には、この闘いを避けられない事情があるということだ。
勢十郎は、大治郎の背中を見た。
黒鉄が依り代を手入れして以来、こざっぱりとした印象が強くなったように思う。羽織こそ着ていないが、彼はお蘭の神通力によって
だが、ここへきてもまだ勢十郎は不安だった。はたしてこの般若の面のモノガミは、真実を知った上でなお、自分の為に動いてくれるのだろうかと。
しかし、迷っている暇はない。今はこの無口な住人を、信じるしかないのだから。
勢十郎は、約束を果たした。
「なぁ、大治郎。俺、じいさんの本当の遺書を読んだよ」
信じてくれるだろうか?
「八兵衛は言ってたよ。大花楼の刀の中じゃ、お前が一番のお気に入りだって」
本当に、信じてもらえるだろうか?
大治郎がこちらに背を向けたまま、耳を澄ましているのが勢十郎にもわかる。
知りたい。教えて欲しい。かけがえのない記憶を失ったモノガミの、無言の叫びが、今にも聞こえてきそうだった。
だから勢十郎も、祖父八兵衛を信じることにした。
「
江戸時代の刀剣評価書として知られる『
それこそが、大治郎の依り代である打刀、
ただし、この日本刀は――。
「クックック。こいつ、虎徹なんだってさ、東条?」
馬鹿にするというよりは、呆れたふうな口ぶりで、狐面は首をぐるり、と動かした。その視線を受け止めた東条は、静かに模範解答を呟く。
「……“虎徹を見たら、偽物と疑え”」
勢十郎はもちろん、大治郎の隣に立つペンギンまでもが険しい表情になった。
東条の指摘通り、虎徹の名声の『半分』は、その
そもそも虎徹は、江戸時代初期に活躍した甲冑の名工、長曽祢興里の作品である。
だが実のところ、この人物が刀工としてその腕を発揮したのは、わずかな期間だけなのだ。……にもかかわらず、天下に虎徹の名が知れ渡ったのは、ひとえにその芸術美と機能性ゆえである。
しかしこの刀は、前述のような事情から、のちに価格が高騰し、悪質な贋作、
やがてその認識は、日本刀に精通する者達の中に、ある格言をもたらした。
――虎徹を見たら、偽物と疑え。
物珍しそうに大治郎を観察していた東条は、刀仙ならではの視点から、さらに虎徹の
「刀仙にとって本物の刀とは、見せかけの価値ではなく機能。モノガミが宿るくらいだ、君の刀も相当な物だろう。それでも、虎徹は言い過ぎだと思うがね」
「言い過ぎかどうか、試してみりゃわかるだろ?」
勢十郎は、大治郎の広い背中を見た。
このモノガミの依り代が本物であるかどうかなど、この場の本質的な問題ではない。大事なのは本人の気持ち、それだけだった。
大治郎は振り向かない。
ただ、自分をここへ連れてきた、勢十郎の言葉を待っている。
「他人からどんな言葉をかけられたって、それじゃ自分の気持ちは変わらねえよ、大治郎。お前がお前を信じるためには、自分の力を証明するしかねえんだ」
「…………」
反論や批判は、勢十郎も承知の上だ。
だが今大切なのは、大治郎に自信を持たせてやる事なのだ。それが、刀の銘とともに自分を見失ってしまった大治郎に、誇りを思い出させる唯一の方法だった。
大治郎はまだ動かない。ただ、じっと、最後の言葉を待っている。
伝えるしか、ない。どんなに拙い言葉でも、どんなに理不尽だとしても、大治郎が昔の自分を取り戻すには、この方法以外ないのだから。
勢十郎は大きく胸を張って、言った。
「戦え、大治郎。お前が自分で、その狐野郎をぶっとばして証明しろッ! それで、もしもお前がそいつに勝ったら、もう二度と! 誰にも! 偽物だなんて言わせねえよッ! 俺が言わせねえッッ!!」
他人の言葉は、いつだって無責任だ。
不透明で、底が見えない。
せめて自分がモノガミだったなら、もっと大治郎に気持ちをわかってやれただろうか。黒鉄を突き放した時と同じ痛みが、勢十郎の胸にちくりと沸いた。
自分を信じてもらえないかもしれない。たったそれだけの事が、これほど恐ろしく感じるのははじめてだった。
しかし、勢十郎は確かに聞いた。
曲者
その仮面の内側から、低く、男らしい声がしたのを。
「……心得た」
それが、勢十郎のはじめて聞いた、大治郎の本音だった。
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