第四話『彼らの秘密』その9

「……本ッ当に、図々しい男だな」


 包丁を片手にそう呟いたのは、松川切絵だった。


 クラスメイトの後ろ姿を居間から見ていた勢十郎は、批難が聞こえないふりをする。住人達を強引に説得した彼は、切絵に連絡を取り、わざわざ大花楼まで足を運んでもらったのだ。

 万全の、準備のために。


「まったく……。自炊くらいできないのかい?」


 手際よく調理器具を扱っているあたり、切絵は普段から料理するのに慣れているらしい。まさか法力僧のキャンプで腕を振るっているとは思えないが、勢十郎のエサを作るのが嫌で仕方ない、というわけでもなさそうである。


 当の勢十郎は、亭主関白さながらに畳の上で横になっていた。


「ま、こいつも貸しにしといてくれ」


 どうせ今夜で死ぬかもしれないのだ。見逃してもらうついでに、夕食も作ってもらうくらいの迷惑は許されるだろうと、勢十郎は自分勝手を貫いた。仮にこのクラスメイトに彼氏がいたとしても、その時は断られるだけの事と、割り切ってもいた。


 制服にエプロンという倒錯とうさく的な姿で、切絵はまな板を見つめている。


「父は……」

「うん?」


 少し疲れた様子で、彼女は台所の天井を見上げた。


「父は、なんかもう笑ってたよ。今夜は春祭りなのに、社の手伝いもせず、一人暮らしの男の家へ夕食を作りに行くと伝えたのは、まずかったかな……」

「まずいだろ!」

「ちなみに妹も笑ってた。自分より先に、彼氏ができたと思ったんだろう。私の命も危ないな」

「まずいだろ……」


 頭を抱え込む勢十郎に気づかれないよう、切絵は腕時計に搭載した霊圧計の数値を確認する。再三調べ尽くした彼の霊気量に、今度こそ何らかの変化が表れているかもしれないという、希望的観測に基づいた行動だった。


 しかし案の定、彼女が昆布出汁をとりながらチラ見した液晶には、またしても0.03A、という、うさんくさい数値が表示されていた。

 アテが外れた法力僧は、悔しさのあまり小さく舌を出す。


 健康体の、それもあれだけのポテンシャルを発揮できる人間の霊圧が、こんなに低いはずがない。以前、黒鉄も言及していたが、生物の体調や性能は、霊気の働きと不可分なのである。


「私には、君が一番の謎だよ」

「あん? なんか言ったか?」

「なんでもないよ」


 法力僧のキャンプは、先日勢十郎がみせたあの度肝を抜くパフォーマンスの話題でもちきりだった。

 日本の少年が、石灯籠を担いで山を登りきれる理由、軍隊色の強い法力僧が興味を持つのは当然だろう。一部のメンバーの中には、大槻勢十郎に今春開催予定のトライアウトを受けさせろ、などと無茶を言う者まで現れる始末だった。

 かくいう切絵も、この変わり者の転校生には一目置いている。


 モノガミや刀仙と関わって、これだけ反骨精神を保っていられるのは、並大抵の事ではない。肉体強度うんぬん以前に、大槻勢十郎はそもそも思考回路が強靭なのだ。


 火に掛けていた鉄鍋から、赤味噌の香りがたちはじめた。竈を使った調理にはとにかく手がかかるため、切絵もはじめは嫌がっていたが、よく手入れされた包丁と、磨き抜かれた鍋の輝きには勝てなかったようだ。


 切絵の後姿に勢十郎が声をかけたのは、その時だ。


「……なぁ松川。あの東条って奴のこと、教えてくれよ」


 本当に、ただ東条を知りたいという単純な疑問が、口から出ただけだった。切絵は一瞬だけ目を細めたが、すぐにまた鉄鍋に視線を落とすと、具材の煮え具合に集中し始める。


「なんでもかんでも人に尋ねてしまうのはよくないよ。……けど、そうだね。私に教えられるのは、奴が君よりもはるかに強いって事ぐらいかな?」

「へぇ。俺、死ぬかなあ?」

「たぶんね」


 勢十郎は寝転がったまま、切絵は鍋を見つめたまま、背中合わせでそんな事を言い合う。


 これから戦う相手の事を知りたいと思うのは、ごく普通の疑問である。が、今夜の戦いは刀仙が一般人に行う、一方的な虐殺だ。情報など与えたところでどうしようもない。


 にもかかわらず、切絵はつい、独り言を口ずさんでしまうのだった。


「……東条はね、『六禍仙ろっかせん』って呼ばれてる、特別な刀仙なのさ」

「……」

「わかりやすく言おうか? ただでさえ厄介な刀仙の中でも、ひときわマズいのが六人いる。東条はその一人。わかっているのは、本当にそれだけなんだよ」

「マズいってのは?」

「東条はこれまで、確実に千人近く殺している。なのにその手段どころか、奴が日本刀を抜くところさえ、見た者はいない。……いや、正確にはいたんだろうさ。だから全員殺された」

「だろうな。俺が見たのも、そういう奴だった」


 まるで他人事のように呟く勢十郎を、切絵はいまさら引き止めるつもりもない。その義理はすでに学校ですませた。

 だからもし、彼があの刀仙に殺されるような事になったとしても、切絵は次に東条を捕らえる機会のために、徹底的な記録を取るつもりでいる。


「ほら、できたよ」

「お前、料理うまいんだな」

「そ、そうかい? ふ、普通だよ!」


 運動や勉強ならまだしも、料理を褒められる機会のなかった切絵は、顔を赤くして否定する。


 結局、勢十郎の霊気の謎については分からず仕舞いだった。だがそれでも切絵は、このクラスメイトの力が、ただの虚仮威こけおどしではないと確信している。


 ふと、切絵が食卓を見ると、勢十郎はすでに箸を手に取っていた。


「こらこら大槻君。ご飯をよそうから、それまで待ちたまえ」

「いや、このままでいい」

「それはつまり、私が君と、おひつをシェアしてご飯を食べるってことかい?」

「悪いな、俺一人で全部喰う。そのつもりでお前を呼んだ」

「ちょ、ちょっと待て! 一人で食べる気なのか!?」


 いくら何でも失礼過ぎるだろ、と言いかけた切絵をよそに、勢十郎は問答無用で鉄鍋に箸を突っ込んでいた。


 切絵は一瞬、呆気にとられた。が、すぐにこの場の違和感を突き止める。


 この食事、鍋の中身はすべて勢十郎の指定によるものだ。

 だが、なぜこの春に鍋なのか? 

 松川切絵は己の持つ知識を総動員して、この食卓を分析した。


 かつて、猟師達は山へ入る前の食事に、味噌を好んだという。これは山の神が味噌を好む為だったそうだ。同じく具材に選んだ豆腐、白菜、猪肉、そして出汁をとるのに使用した昆布と日本酒…………、これらはすべて、『神饌しんせん』だった。


「まさ、か……」


 切絵は震えあがった。


 彼女はこの少年が、自分に何をさせたのか、本当の意味で理解したのだ。大槻勢十郎は黙々と箸を動かしながら、もはや食事でもなんでもない、『補給作業』に没頭している。


 腕時計は午後七時半を表示していた。

 勢十郎が東条と落ち合う約束をしたのは十一時。八時までに食事を終えれば、時間としては順当だ。

 だが、本当にそんな事が可能なのだろうか? 切絵が作った味噌鍋は、かるく十人前はある。飯は一升、炊かされた。


 勢十郎は今から、これらをすべて胃におさめ、消化器官をフル稼働して霊気に変えるつもりなのだ。確かに、神饌を使えば霊気の摂取効率はあがるだろう。だがそれは、自分の内臓をただの発電機に置き換えてしまうのと同じ事だ。


 勢十郎が彼女に求めていたのは、あたたかい手料理などではない。



『合戦膳』だったのである。



◆     ◇     ◆ 

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