第四話『彼らの秘密』その2
夜明け前。
ベースキャンプをあとにした勢十郎は、大花楼の前に立っていた。
破壊された正門を見るかぎり、東条のモノガミ達は相当な暴れ方をしたらしい。荘厳な印象のあった日本建築は、見る影もなくなっていた。玄関は正門と同様に破壊され、壁も屋根瓦も剥がれ落ちている有様だ。
変わり果てた大花楼の姿に、勢十郎は言葉を失っていた。
母屋の中もひどいもので、襖や障子はことごとく倒されている。廊下に残る足跡、汚れた壁が争いの激しさを物語っているが、それでも勢十郎は思い切って二階の部屋に向かった。
……濃紺の瞳をもつあの少女は、のこのこ現れた自分をどんな言葉で
頭の中はそればかりで、何を話せばいいのかもわからないまま、勢十郎は六畳間の襖を開いていた。
「――、おや、戻ってきたのかい?」
障子窓に半身を預けていた金髪美女は、勢十郎を流し見た。
「お蘭さん……」
どことなく彼女が疲れたように見えるのは、いつもよりもくすんでいる化粧のせいなのか、くたびれたシャツのせいだろうか。
しかし、勢十郎はお蘭の不自然な雰囲気が、畳の上に転がった『朱塗りの短刀』のせいだと気付く。
あの短刀は彼女の依り代である。そしてモノガミは、自分の依り代には触る事ができず、またその状態は、霊体の姿に反映されるはずだった。
勢十郎は短刀についた
しかし、お蘭は礼も言わず、
「なにか用かい? 言っとくけど、黒鉄は
勢十郎は、彼女が吐き出した煙の行方を目で追った。窓の外へ一直線に伸びたそれは、春の夜風に大部分が攫われていき、余ったものは苦みのある残り
「ほかの奴らは?」
「さあね。先生はいっとう先に狙われて、今は庭先に転がってるよ。頭にくるね」
お蘭は襲撃者達が大花楼で働いた
勢十郎は、たまらず彼女に尋ねていた。
「……、あんた、なんでそんなに平気でいられるんだ?」
「あたしゃ化物だからね。人間様みたいに上等な感情なんざ、持ち合わせちゃいないのさ」
それは昨日、他ならぬ勢十郎が黒鉄に向けた言葉だ。あらためて他人から聞かされると、自分がどんなに下品だったか、今の彼にはよくわかる。
「黒鉄はあんたらの仲間だろ。心配ぐらいしてやれよ」
「ふぅん? 大花楼から
依り代の日本刀が寿命を迎える時、彼女達は姿を消す。
お蘭もまた道具の身、避けられぬ破滅の
それがモノガミに科せられた、絶対の掟なのだ。
半分ほど残った煙草を灰皿に押しつけて、お蘭はシニカルに笑う。それは、人間の感情表現を超越した微笑だった。
部屋に残っていた黒鉄の気配が、煙草の煙に
彼女の面影が、消えていく。
勢十郎は、おぼつかない足取りで居間へと逃げ出した。廊下の冷たさ、畳の柔らかさ、足の裏に感じるすべての思い出に導かれ、彼は黒鉄に連れて行かれたあの縁側に出る。
かき乱された玉砂利の中に、見覚えのある大太刀がうち捨てられていた。
「――、遅かったのう、小僧」
「ざまぁねえな、先生」
「まったくじゃ」
ペンギンの姿に実体化したツクモガミは、刀から約四メートル離れた場所に座り込んでいた。
おそらくあれが、モノガミが依り代から離れていられる、限界の距離なのだろう。
大太刀を拾いあげた勢十郎が縁側に戻っていくと、ペンギンはまるで金縛りが解けたように、いきいきと飛び跳ねた。
「ほっほ。だいぶ、学習したようじゃの」
大花楼の建物内にのみ存在する霊的結界は、モノガミを依り代との制限距離から解放する。その法則通り、自由を得たペンギンは、ぐいと体をのばして勢十郎の隣に寝転がった。本当に、このモノガミはいつでもマイペースである。
「意外だな。あんた、やられたのか?」
「
「なるほどな。依り代さえ庭に捨てちまえば、あんたは自力で屋敷には入れねえ」
「応、そこを突かれた」
もとより勢十郎は、このペンギンが東条のモノガミ達に対抗できるとは思っていない。彼が知りたいのは、大花楼には抵抗できる者が本当にいなかったのか、という事だった。
そして勢十郎は、ただ一人だけ、それができるモノガミに心当たりがある。
「……先生、大治郎はどこだ?」
「さっきから、そこにおるわえ」
居間を振り返った勢十郎は、部屋の隅に見覚えのある男を発見する。
般若の面をかぶり、まるで幽鬼のような佇まい。大治郎は、壁際に転がった己の依り代、黒塗りの鞘に収まった打刀の前で、静かに
いつも通りと言わんばかりの大治郎の態度に、勢十郎の頭は一瞬で沸点に達した。
「黙って……、みてたのか?」
「落ち着け、小僧」
「あいつが――、黒鉄が攫われた時も、黙ってみてたのかって聞いてんだッッ」
「…………」
勢十郎がどんなに凄んでも、大治郎はまるで彼を相手にしない。まさか耳が聞こえないわけではないだろうが、だとしても勢十郎には関係なかった。
「落ち着けというに」
隣で寝転がっていたペンギンに軸足を蹴り払われ、勢十郎はあっさり転倒する。彼がなおも立ち上がろうとすると、鳥類はその右腕をねじり上げ、手首、肘、肩の三点関節を極めていた。
多少の関節技なら、勢十郎は強引に抜け出してしまう。だが彼は、自分がこれ以上ないほど完璧に、かつ、凄まじい力で押さえつけられている事を知る。
「いやいや、相手の強さが解るのも、己の強さのうちよ。よーく、わかるじゃろ?」
「うるせえッッッ!」
ガコリ、と間髪入れず肩を外した勢十郎は、残る片手でペンギンを押しのけた。彼はそのまま、気味の悪い動きをする右腕を引き戻し、激痛にかまわず肩関節を強引にはめ直す。その衝撃に顔を引きつらせながら、勢十郎はもつれる足でペンギンと距離を取っていた。
なりふりを構わない彼の奮闘ぶりに、年老いたモノガミは
「小僧。何がそこまで、気に喰わん?」
「はぁ、ハァ……。大治郎をかばうんなら、あんたも『敵』だ」
モノガミは、体も心も、人とは違う。違い過ぎる。
勢十郎にはその『違い』が、わけもなく許せなかった。
「……本当に、情けない野郎だね」
いつの間にか二階から降りてきたらしいお蘭が、柱に寄りかかっている。
化け物だらけの我が家に、勢十郎は心底うんざりした。すると、何を思ったか、お蘭が部屋の隅に座り込んでいた大治郎のもとへ歩み寄り、いきなりその頭をはたいてみせる。
「ほら、シャッキリしな」
このモノガミを相手に、その手の挑発行為は命取りである。事実、半殺しにされた勢十郎は思わず身構えてしまうが、般若の面のモノガミは拍子抜けするほど無反応だった。
お蘭は美しい顔を
「わかったかい? 今のコイツは赤ん坊と同じなんだよ。黒鉄は依り代の刀を手入れしてた時、
すっかり失念していた事実に、勢十郎は舌打ちする。
大治郎は依り代である刀の、茎に刻まれた銘が
「手前勝手に出てった
「そこまでじゃ、お蘭。……小僧。お主の言い分も聞いておかねば、な」
感情のない瞳に
「なん、でだ……。どうしてお前らは、助けなかったんだ?」
別に、助けて欲しかったわけではない。ただ勢十郎は、知りたかったのだ。
大花楼の主である自分を、そして仲間であるはずの黒鉄を、このモノガミ達はなぜああも簡単に見捨てる事ができたのか。
ところが、ツクモガミ達は
「くっはははは! おい、おい、聞いたかお蘭! この小僧、笑わせよる!」
「あははは! こりゃ
「何がおかしいんだよ! ああッ!?」
「……、じゃあアンタ、何か一つでも『主』らしい事を、やってみせたのかい?」
お蘭が呟いた冷たい本音に、勢十郎は凍りつく。
たしかに勢十郎は、黒鉄の世話焼きを当然のように受けていたが、その役割までは果たそうとしなかった。しかしそのツケが、まさかこんな形で返ってくるとは。
「俺があんたらに信用されてねえのはわかった。けどよ、ならどうして黒鉄は……」
東条がやってきた時、黒鉄だけは、体を張って自分を助けてくれた。
身の回りの世話も、看病をしてくれたあの時も、黒鉄の行動には確かな誠意があったのだ。何をやってもすぐに顔に出るあの少女が、意に沿わぬ他人に本気で尽くすほど、器用なマネができるとは思えない。否、勢十郎は、思いたくなかった。
「……あの子はあんたに、ちゃんと『素顔』を見せていただろう?」
「素顔……?」
お蘭の意味深な言葉に、畳に落としていた勢十郎の視線が持ち上がる。
「そういや黒鉄のやつ、地下で会ったときには頭巾をかぶって……」
「全てのモノガミは、己の『仮面』を持つ。ヒトガタミもツクモガミもな。そして真に心を許した者にのみ、モノガミはその素顔を
足下でしたペンギンの言葉を、勢十郎はすぐには信じられなかった。
その話が本当ならば、お蘭はどうなるのか。彼女は初めて出会ってからずっと、仮面などかぶっていない。心を開いたモノガミだけが、自分の素顔をみせるというのなら、お蘭はその限りではないという事に――。
「…………、違う」
勢十郎は、柱に寄りかかる金髪美女の横顔を見て、早計な考えを打ち消した。
お蘭は『素顔』など見せていない。
勢十郎の前に現れる時には、彼女は必ず化粧をしていた。
『化粧』。それがこのモノガミの『仮面』なのだ。
突然、勢十郎はこれまで出会った全てのモノガミの容姿を、一斉に思い出す。その記憶の限りでは、間違いなく全員が、自分だけの『仮面』を持っていた。
ペンギンが致命的な台詞を告げたのは、その時だ。
「お主とて、この獣の皮が、儂の『本当の顔』だとは思っておるまい?」
考えないようにしていた話題に切り込まれ、勢十郎は閉口する。
たしかにこのペンギンが先生と呼ばれる事には、勢十郎もずっと疑問を感じていた。見えない場所で、彼はこれまでその理由探しに、何度となく思考を割いてきた。
そして、いつしかそれをしなくなったのは、ある恐ろしい予感が、彼の脳裏をよぎり始めたからだ。
……このモノガミは、何かを隠すために、擬態しているだけなのかもしれない、と。
思えば、数時間前の襲撃で真っ先にこのモノガミが狙われたのも、東条のモノガミ達がそれを危険視していた証拠ではないだろうか。
「ようやく理解が追いついたようだね。あんたの無知が、この事態を引き起こしたんだよ。勢十郎」
「俺は……」
お笑いだった。味方はおろか、敵すらいない。
そもそも勢十郎は、誰からも相手にされていなかったのである。大花楼の主としての待遇と責任は、彼には荷が勝ちすぎていたのだ。
すべてがどうしようもなくなった今だから、わかる。
黒鉄を見捨てたのは、勢十郎だった。モノガミにとって心の壁である『仮面』を外してまで尽くしてくれた彼女に、何ひとつ返さずに突き放したのは、他ならぬ勢十郎なのだ。
生まれてはじめて味わう強烈な悔しさに、拳が鈍い軋みをあげていた。
黒鉄はずっと、勢十郎に心を開こうと努力していたのだ。
いっそ何もしなかった方が、まだマシだった。物静かな大治郎の背中を見ていると、八つ当たりで怒鳴り散らした自分の馬鹿さ加減が、勢十郎にはあまりに
「お、……、おれ、は……」
喉元で止まっている、あと、たった一言がもどかしい。
虚脱感に負けて膝を折った勢十郎の、その後ろから、先生の優しい声がした。
「風呂に入れ。
――――、目が覚めたら、山を下りて、二度とここに
◆ ◆ ◆
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