第二話『ハレ、時々、ケ』その3

 結局、首飾りをシャツの中に隠して、登校する羽目になった勢十郎である。


 一限の教鞭きょうべんっているのは、お世辞せじにもインテリとは言いがたい老教師だった。口を半開きでチョークを黒板へこすりつけているのだが、ぶ厚い老眼鏡の奥に光るお目々は、あさっての方へ泳いでいる。さらに全身が機械的に震えているものだから、勢十郎も気が気でない。


「……おい松川。あの先生、大丈夫なのか?」


 我慢できなくなった勢十郎は、パソコンを共有している切絵に小声で問いかけた。

 慣れた様子でタイピングを続けている切絵は、モニターに視線を落としたままだ。


「大丈夫さ。というか、あの震えが止まったら、それはそれで危ない。激怒している証拠だ」

「へ、へぇ。お、怒ると、震えが止まんの……?」


 空恐ろしい話である。


 一方、他のクラスメイト達は老教師の意識が曖昧あいまいなのを良い事に、ネットサーフィンやスマートフォンいじりに興じている。とはいえ、腐っても進学校の生徒達である。好き放題やっているように見えていても、いざテストとなれば、皆それなりの成績を残す自信があるのだろう。


 そう思うと、一人真面目に授業を受ける気でいたのが馬鹿らしくなって、勢十郎は溜息ためいきをついた。そうしている間にも、黒板のチョーク文字は少しずつ、だが確実に増えていく。


 そんな勢十郎に、切絵は作業する手を止めて、やれやれと肩をすくめた。


「退屈そうな顔をしているね。なんならここから脱出して、購買でデートと洒落込むかい?」

「初日からサボってどうすんだよ。一応進学校だろ、ここ」

「あ、今嫌そうな顔をしたね? たかが神社の小娘とは、茶を飲むのも億劫かな?」

「巫女さんには興味あるんだけどな。でも、あんたはノーサンキューだ」

「ひどいな」


 タン、と、Enterキーが押し込まれ、液晶画面が切り替わる。


「なんだそりゃ?」


 奪われたパソコンのモニターを見るなり、勢十郎は憮然ぶぜんとなった。


 切絵がブラインドタッチでせっせと打ち込んでいたのは、課題レポートではなく、私的なブログだったのだ。


「いや、悪いね。ちょっとHPの更新をさせてもらった」

「画像がお前んちじゃねえか」

「そうだよ。良い機会だから、我が七期大社の歴史について勉強したまえ」

「いや俺は別に――、ぐげぇっ!?」


 嫌がる勢十郎の頭を押さえ込み、切絵はHPを強引に閲覧えつらんさせた。


 メインページに貼られた七期大社の写真は、いかにも素人撮りの画角がかくだった。

 先日境内で捕まったあの時には、じっくりと見て回る余裕もなかったが、こうして写真付きの紹介があれば、ちゃんと勢十郎にも七期大社の歴史の深さが理解できる。そして彼は、首が折れそうだった。


 紹介文によれば、七期大社の起源きげんは三百年も前までさかのぼるそうだ。七条市は山に囲われた盆地であり、土地柄、昔から水害が絶えなかったという。


「で、当時この地を任されていた江戸幕府領篠塚藩主、篠塚主水によって、大規模な治水工事が行われたのさ。ところがこの藩主、お山の祟りに怖じ気づいてね。七期山にわざわざ社を建立して、山開きの責任逃れを図ったわけだ」


 わざわざ読み上げなくても、目で文を追うほうがずっと早い。が、切絵は勢十郎の嫌がる顔を見たがっているのか、別ウィンドウの説明文にも解説をくわえはじめる。


 話半分に聞き流すつもりでいた勢十郎だが、『御神体』と銘打たれた画像が表示された途端、思わず目が釘付けになる。


 そこに映っていたのは、まるで枯れ木のような物体だった。


 長さは二尺五寸と表記されているが、勢十郎には実際何センチなのかは分からない。摩耗まもう損傷そんしょうで原型はほとんどとどめていないが、そのちた木片の隙間から、さびだらけの中身がほんの少しだけ見えている。


 ほとんど勘だけで、勢十郎はつぶやいた。


「……これ、もしかして刀か?」

「ほう、よく分かったね。外装の腐食が激しいが、確かにこれは白鞘の日本刀さ」


 紺色のハイソックスに包まれた脚を組み、切絵は満足そうに頷いた。


「初めて見る者のほとんどは、コイツをただの小汚い棒きれだと思いこむ。一応、県の重要文化財に指定されている刀なのだけれど――、名を竜尾羽喰という」

「俺にわかるのは、命名した奴が厨二病だって事ぐらいだな」

「うん。西洋風に言うならドラゴンスレイヤーだね。かつて、この地に水害をもたらした竜神を退治したとされる、ありがたい宝剣だよ。ちなみにウチの家宝」


 水害が竜神の責任になったところで、当時は誰も不思議に思わなかっただろう。自然災害が神霊によってもたらされるという考え方は、民俗学ではよくある話だ。


 しかし勢十郎の興味は、そのような逸話を持つ日本刀にも、大花楼の住人達と同じようなモノガミが宿っているのだろうか、という点に集約されていた。


 モノガミ。日本刀に宿る、異形の者達。

 すると、まるで勢十郎の思いに応えるように、



『――、この刀に、モノガミは宿っていません』



 彼にだけ聞こえる声で、鍔に宿るモノガミの黒鉄がささやいた。しかし勢十郎は、驚きを顔には出さず、「そろそろ課題をやっちまおう」と、クラスメイトに提案する。


「ああ、そうだね」


 エクセルを開いて作業を始めた切絵の注意が、モニターへ集中するのを見計らい、勢十郎はようやく自分の胸元――、黒鉄に囁く。


「……実物を見てねえのに、モノガミがいないとかわかんのか?」

『わからない物もありますが、あの刀にかぎって言えば、確実にいません』

「……ずいぶんハッキリ言うじゃねえか」

『あなただって、人間と人形を並べれば、真贋の見分けぐらいはつくでしょう?』


 言われてみればその通りなのだが、大花楼で実体化していた黒鉄の姿は、どこからどうみても人間そのものだった。


 外見だけなら、金髪美女の姿を持つお蘭も、黒鉄と同じく人間らしい。が、実際二人と話してみると、いわゆる『人間味』とでもいうべき部分に、勢十郎は決定的な違いを感じるのだ。


 そういう意味でも、勢十郎にとってモノガミは、特に黒鉄は不可解な存在である。


「なぁ。……モノガミと人間の違いって、なんなんだ?」

『さぁ? それを某に聞かれましても……、見たまま、としか』

「見たまんまじゃ、わかんねえから言ってんだろ」

「別に、わからぬでもよいではありませんか」

「はぁ?」


 黒鉄の返事は、あまりにも要領を得なかった。


 だがこうなると、勢十郎としては俄然がぜん興味が沸いてくる。それでなくとも大花楼には大量の日本刀が保管されており、彼がまだ顔を合わせていないモノガミもいるはずだ。


 できれば弱点のひとつでも知っておきたい、という、姑息こそくな思いも確かにある。だがそれ以上に、同じ屋根の下で彼女達と暮らしていくうえで、あまりにも無知でいる事が怖い、というのが勢十郎の本音だった。


「モノガミって、妖怪……なんだよな?」

『解釈は人それぞれです。あなたがそう思うのなら、我々は妖怪なのでしょう』

「いやいや、他人事かよ」

『モノガミは元来そういうものです。興味のない事には適当なので』

「もっともらしいこと言ってんじゃねえよ」


 ツッコんではみたが、勢十郎にはますます、黒鉄という少女が分からなくなっていく。とはいえ、実際彼女の言う通り、モノガミ自体がそういうものなのかもしれなかった。


 黒鉄にしても、初対面で勢十郎に敵意を向けたかと思えば、今はてのひらを返すように保護者面をして、学校まで付いてきている。ただ、これは黒鉄にかぎった話ではなく、先生やお蘭にも、彼女と同様の多面性が所々にみられるので、いちいち反応していたらキリがない。


「あんまり深入りすると、じじいの二の舞になりそうだな」

『そんなことより、そろそろ貴方も課題に取りかかった方が、良いのでは?』

「げ!」


 言われて勢十郎が周囲を見渡すと、先程まで内職に精を出していたクラスメイト達が、すっかり真面目な学生になっていた。


 課題を仕上げていないのが自分だけと知り、勢十郎はとたんに遠い眼をした。作業をしようにも、彼のパソコンは傍若無人ぼうじゃくぶじんな神社の娘に奪われたままだ。

 すでに諦めの境地に達してはいるものの、こういうときに友達の一人でもいればなぁ、と、勢十郎はつい、情けない考えをしてしまう。


 やがてチャイムが響く頃、ようやく勢十郎の机にノートパソコンが戻ってきた。ところが、彼が死んだ魚のような目で確認した画面には、なぜか二人分の課題ファイルが表示されている。


 驚いた勢十郎が隣を見ると、切絵がいたずらっぽい笑顔を作っていた。


呉越同舟ごえつどうしゅうって、知ってるかい? 大槻君」

「……とりあえず、相乗りしたのがあんたで良かった」


 言いながら、ごく自然に持ち上げた勢十郎の拳へ、切絵のそれが軽くぶつかる。

 

 

 不思議と、彼は彼女と友人になれた気がした。



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