第一話『蛮族達の午後』その7

 勢十郎の不安をよそに、二人と一匹は和気藹々わきあいあいと写真を覗き込んでいた。


「ほう。これは、それがしが『大花楼』にやってきた時のものですね」

「おや、なつかしいねぇ」

「わし! 儂もおる! ほれ、八兵衛の足下じゃ!」


 取り残された勢十郎は、とうとうその言葉を口にした。


「……? 


 罵声ばせいを覚悟していた彼だが、返ってきたのは黒鉄のしらけた声だった。


「何をいまさら……。先生など、とうに人型をしておらぬでしょうに」

「よりによってそれかよ! んなもんノーカウントに決まってるだろうが。素で日本語しゃべるような突然変異が、十年や二十年長生きしたところで驚きゃしねえよ!」


 思わず、勢十郎は怒鳴ってしまう。


「ったく、頭の悪い小僧だね。あたしや黒鉄がけてないのが、そんなに不思議だってのかい? だいたい――、?」


 立ち上がる勢十郎に、お蘭はひらひらと手を振った。酒をあおり続けていたペンギンも、迷惑そうな顔で頷いている。


 どう考えても異常なのはこの屋敷の住人達なのだが、民主主義という名の数の暴力によって、彼の正論はねじ伏せられてしまう。議論の余地はない、とばかりに。


 とどめは、ペンギンの一言である。


「アホじゃな」


 勢十郎のこめかみに、極太の血管が浮き上がった。


「……わかった。話を整理しよう。。んでもって、お前らは、その、マジで、人間じゃ、ねえんだな?」

「その通りです」

「そうだよ」

「そうじゃよ」 


 めいめいに返事が飛んでくるが、そのすべてが肯定の意思表示。

 もはや席につく気にもなれず、勢十郎は薄暗い広間を一望する。


 まったく馬鹿馬鹿しい話だった。

 この科学万能の二十一世紀に妖怪だの不老不死だの、子供だましにもならない与太話である。そもそも、宴の席に刀を持ち込むような連中がまともなわけがない。


 すると、飲酒に精を出していたペンギンが、素朴な疑問を口にした。


「ちと、気になったのじゃが、お主の言う『じじい』とは一体全体、誰の事かの?」

「八兵衛だよ、大槻八兵衛! 俺の……、じいさん」


 あらためて口に出してみると、妙な違和感のあることに、勢十郎は気が付いた。


 考えてみれば彼と八兵衛は、家族である事という以外に接点がない。物心ついた頃には、すでに祖父は『大花楼』に引きもっており、顔を見る機会も、八兵衛の方から家に遊びに来る程度のものだった。

 だから勢十郎は、自分の祖父の事をどこか他人のようにも感じている。


 場の沈黙を破ったのは、茶を飲み終えた黒鉄だった。


「――、つまり貴方は、殿のですね?」


 その一言で、まず態度を一変させたのはお蘭だった。

 相当量の酎ハイを胃に収めていたはずなのだが、彼女は素面しらふに戻ったように、勢十郎を流し見る。


「なんだ、『孫』かい。どうりで若過ぎると思ったよ。……あぁ、白けちまった」

「これ、小僧。お主、今夜は厠で寝るがよい」

「いきなり手の平返してんじゃねえッッ! どういうつもりだ!」


 いくらなんでも、あんまりな言い草である。


「阿呆がなんか言ってるよ、先生?」

「知らん。儂、話したくない」

「納得いかねぇ。説明しろ、コラ……ッッ」


 しかし一人と一匹は、もはや勢十郎に一瞥いちべつもよこさない。お蘭にいたっては、彼に用意されていた食器一式まで奪い取り、茶碗に大きく盛られた白飯を、さっさとおひつに戻してしまう。


 勢十郎をなだめるように、横合いから湯飲みが差し出されたのはその時だ。やはり中身は沸騰していたが、茶を煎れた黒鉄は、まだまともに会話をする気があるらしい。


 皿から立ち昇っていた湯気の勢いが、やや衰えてきた。


「よいですか、勢十郎どの。我々は八兵衛殿から、大花楼の新しい主に御子息を指名したと聞き及んでおります。しかしながら、貴方は八兵衛殿のお孫であるという。

……つまりあなたは、現時点で正統な後継者ではないわけです」

「だったら?」

「消え失せろ。というのが本心ですが、そういうわけにも参りません」


 無表情で拳の関節を鳴らす勢十郎を前にしても、黒鉄はあせらない。墨色の髪の少女は涼しい顔で半身をずらすと、背後に忍ばせていた三方さんぽうを差し出した。


「これを」


 三方の上に乗るのは月見団子くらいのものと、勢十郎は思い込んでいたのだが、そこには彼が土間で拾った、あのつばの首飾りが供えられていた。


 組紐をつまみあげた勢十郎は、鍔と黒鉄を交互に見比べる。地金じがねり込まれた美しい三日月と、大口を開けた竜の姿には、やはり生きているような躍動感がある。


「なんだよ。俺にくれんのか? あんな大事そうにしてたのに」

「いえ、預けるのです。貴方が大花楼の主でいるかぎり、某は忠義を通さねばなりません」

「だからよ、俺はそんなもんになるつもりは――」

「何やってんだい!」

「待てい黒鉄ッッ!」


 突然血相を変えて立ち上がったお蘭とペンギンに、勢十郎は鼻白はなじろむ。勢い余って徳利とっくりや料理皿までひっくり返ったが、誰も気には留めなかった。


「あんた、それがどういう事か、わかってるんだろうね?」

「お蘭。我々は『大花楼』の主に大恩がある。礼を尽くすのが筋というものだろう」


 穏やかにさとす黒鉄に、ひぐまから飛び降りたペンギンは問いかけた。


「のう黒鉄、我らが恩を受けたのは大槻八兵衛じゃ。だがこやつ、跡目ですらないのだぞ?」

「よいではないですか先生。どうやら勢十郎どのは、何も知らず大花楼にやってきた御様子。なら世間知らずの小僧に、我らの流儀を叩き込むだけのこと。何の問題もありません」


……否、大きな問題があった。

 案件の主要人物であるはずの勢十郎が、すっかり蚊帳かやの外なのである。鈍感な住人達がそれに気づくよりも少しだけ早く、彼の怒りは頂点に達していた。


「いい加減にしろてめえら、俺にもわかるように説明しやがれ……ッッ」

「ガウ」

「何だ、その説明はッッ!?」


 目を覚ましたひぐまが、勢十郎のジーンズにかぶりついていた。


「お、おう。俺が悪かった。……離してくれ、後生だから」


 一気に冷静になった勢十郎は、ケダモノの口から足を抜こうとする――が、もちろん逃げられなかった。羆は勢十郎の右足首をくわえたまま立ち上がり、彼を宙づりにしてみせる。


「ちょちょちょっ!?」


 次の瞬間、ブンッ、という音がして、赤ジャージの肩口に羆の前脚が炸裂していた。冗談のように吹っ飛んだ勢十郎は、机と料理を巻き込みながら、縁側と広間をへだてる障子に、頭から突っ込んでいく。


「せ、勢十郎どのッ!?」

「あーあ、死んじまった。イイ奴だったのに」

「惜しい奴を亡くしたの」


 心にもない台詞を吐いて、お蘭とペンギンは同時に合掌。

 ところが、だ。


「……冗談じゃ、ねえぞ。くそったれが……ッ」


 大花楼の住人達に、わずかな驚きがはしった。

 羆の一発が直撃したはずの勢十郎が、満身創痍まんしんそういではあるものの、障子の残骸ざんがいを押しのけ立ち上がっていた。驚異的なタフネスである。


 しかし、そんな勢十郎を、羆は大口を開けて待っていた。

 最後の瞬間、赤ジャージの少年の脳裏をよぎった走馬燈そうまとうは、特に思い入れのない記憶ばかりだった。

 

 フラグの立たなかった初恋、モザイクのかかった友人の顔、昨日の夕飯。


 そして、あの、濃紺の瞳――。


「――、あ?」


 勢十郎を現実に引き戻したのは、ギョルギョルという、耳障みみざわりな音だった。


 うまく例えるものがないその異音に、勢十郎の心臓は妙なリズムで鼓動を始める。

 彼は緩慢な動作で顔を動かした。部屋にはいつの間にか、焼け付くような風が吹いている。


 勢十郎の右手がつかんだ組紐の先で、あの竜の鍔が輝いていた。


「な――、なん、だ?」


 始めに現れたのは、墨色の髪。


 続いて、鍔を中心にした空間から、新雪のように白い手が現れる。ここでようやく勢十郎は、それが数メートル離れた場所にいた、黒鉄のものだと気がついた。


 闇を突き破って現れた手は、木刀をつかんでいる。鍔が輝きを失うのと同時に、全身を空間移動した黒鉄が、ストッキングに包まれた爪先つまさきで畳を蹴り込んでいた。

 剣術のお手本のような突きが、三畳分の距離を一足飛びに通過していく。素人目にも完璧と確信できるほどの初動で、黒鉄のめは完成していた。


 木刀の切っ先が猛スピードで羆の眉間に激突し、糸の切れた人形のように巨体が崩れ落ちていく。しかしその姿は、すでに勢十郎の眼中にはない。


 そこに映るのは、濃紺の瞳をきらめかせる、美しい少女だった。


「……マジ、か?」


 勢十郎の知る現代科学では、テレポートは実現していない。『どこでもドア』も未開発だ。

 どれだけ早く移動する物体も、残像くらいは見えるものである。だが黒鉄は、何の予備動作もなく一瞬で彼の前に現れた。無論、人間業ではない。


 広間には相変わらず、行燈あんどんの薄明かりが揺れている。

 伽藍堂がらんどうになった宴の跡で、勢十郎はついに背筋を凍り付かせた。


「うっ……!?」


 たった今までそこにいた、お蘭とペンギンの姿が、ない。


 サッ、と、血の気が引いた勢十郎は、そこでさらに恐ろしいものを見る。……住人達がいた場所に鎮座する『日本刀』が、怪しげに輝いていたのだ。


『……まぁ、しばらく様子を見るのも、よかろうよ』

『先生がそう言うなら、あたしゃ止めやしないよ』


 己の中の常識が音を立てて崩れていくのを、勢十郎はまざまざと感じていた。

 あろうことか、下等生物と金髪美女の会話の声は、


「これで、納得して頂けましたか? 主どの」


 透明感のある声が、目の前にいる少女と、手の中の鍔から同時に聞こえてくる。

 

 勢十郎は体の痛みも忘れて、大花楼の住人達を見た。

……否、ヒトではない『何か』を、だ。


「くそ……。マジで、人間じゃねえ……?」


 言い淀んだ勢十郎の言葉尻を捕まえて、黒鉄はやわらかく微笑んだ。




「ええ。




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