第一話『蛮族達の午後』その7
勢十郎の不安をよそに、二人と一匹は
「ほう。これは、
「おや、なつかしいねぇ」
「わし! 儂もおる! ほれ、八兵衛の足下じゃ!」
取り残された勢十郎は、とうとうその言葉を口にした。
「……人間じゃねえのか? お前ら」
「何をいまさら……。先生など、とうに人型をしておらぬでしょうに」
「よりによってそれかよ! んなもんノーカウントに決まってるだろうが。素で日本語
思わず、勢十郎は怒鳴ってしまう。
「ったく、頭の悪い小僧だね。あたしや黒鉄が
立ち上がる勢十郎に、お蘭はひらひらと手を振った。酒を
どう考えても異常なのはこの屋敷の住人達なのだが、民主主義という名の数の暴力によって、彼の正論はねじ伏せられてしまう。議論の余地はない、とばかりに。
とどめは、ペンギンの一言である。
「アホじゃな」
勢十郎のこめかみに、極太の血管が浮き上がった。
「……わかった。話を整理しよう。この写真に写ってるのは間違いなくジジイとお前らで、三十年以上『大花楼』で暮らしてた。んでもって、お前らは、その、マジで、人間じゃ、ねえんだな?」
「その通りです」
「そうだよ」
「そうじゃよ」
めいめいに返事が飛んでくるが、そのすべてが肯定の意思表示。
もはや席につく気にもなれず、勢十郎は薄暗い広間を一望する。
まったく馬鹿馬鹿しい話だった。
この科学万能の二十一世紀に妖怪だの不老不死だの、子供
すると、飲酒に精を出していたペンギンが、素朴な疑問を口にした。
「ちと、気になったのじゃが、お主の言う『じじい』とは一体全体、誰の事かの?」
「八兵衛だよ、大槻八兵衛! 俺の……、じいさん」
あらためて口に出してみると、妙な違和感のあることに、勢十郎は気が付いた。
考えてみれば彼と八兵衛は、家族である事という以外に接点がない。物心ついた頃には、すでに祖父は『大花楼』に引き
だから勢十郎は、自分の祖父の事をどこか他人のようにも感じている。
場の沈黙を破ったのは、茶を飲み終えた黒鉄だった。
「――、つまり貴方は、八兵衛殿のご子息ではないのですね?」
その一言で、まず態度を一変させたのはお蘭だった。
相当量の酎ハイを胃に収めていたはずなのだが、彼女は
「なんだ、『孫』かい。どうりで若過ぎると思ったよ。……あぁ、白けちまった」
「これ、小僧。お主、今夜は厠で寝るがよい」
「いきなり手の平返してんじゃねえッッ! どういうつもりだ!」
いくらなんでも、あんまりな言い草である。
「阿呆がなんか言ってるよ、先生?」
「知らん。儂、話したくない」
「納得いかねぇ。説明しろ、コラ……ッッ」
しかし一人と一匹は、もはや勢十郎に
勢十郎を
皿から立ち昇っていた湯気の勢いが、やや衰えてきた。
「よいですか、勢十郎どの。我々は八兵衛殿から、大花楼の新しい主に御子息を指名したと聞き及んでおります。しかしながら、貴方は八兵衛殿のお孫であるという。
……つまりあなたは、現時点で正統な後継者ではないわけです」
「だったら?」
「消え失せろ。というのが本心ですが、そういうわけにも参りません」
無表情で拳の関節を鳴らす勢十郎を前にしても、黒鉄は
「これを」
三方の上に乗るのは月見団子くらいのものと、勢十郎は思い込んでいたのだが、そこには彼が土間で拾った、あの
組紐をつまみあげた勢十郎は、鍔と黒鉄を交互に見比べる。
「なんだよ。俺にくれんのか? あんな大事そうにしてたのに」
「いえ、預けるのです。貴方が大花楼の主でいるかぎり、某は忠義を通さねばなりません」
「だからよ、俺はそんなもんになるつもりは――」
「何やってんだい!」
「待てい黒鉄ッッ!」
突然血相を変えて立ち上がったお蘭とペンギンに、勢十郎は
「あんた、それがどういう事か、わかってるんだろうね?」
「お蘭。我々は『大花楼』の主に大恩がある。礼を尽くすのが筋というものだろう」
穏やかに
「のう黒鉄、我らが恩を受けたのは大槻八兵衛じゃ。だがこやつ、跡目ですらないのだぞ?」
「よいではないですか先生。どうやら勢十郎どのは、何も知らず大花楼にやってきた御様子。なら世間知らずの小僧に、我らの流儀を叩き込むだけのこと。何の問題もありません」
……否、大きな問題があった。
案件の主要人物であるはずの勢十郎が、すっかり
「いい加減にしろてめえら、俺にもわかるように説明しやがれ……ッッ」
「ガウ」
「何だ、その説明はッッ!?」
目を覚ました
「お、おう。俺が悪かった。……離してくれ、後生だから」
一気に冷静になった勢十郎は、ケダモノの口から足を抜こうとする――が、もちろん逃げられなかった。羆は勢十郎の右足首をくわえたまま立ち上がり、彼を宙づりにしてみせる。
「ちょちょちょっ!?」
次の瞬間、ブンッ、という音がして、赤ジャージの肩口に羆の前脚が炸裂していた。冗談のように吹っ飛んだ勢十郎は、机と料理を巻き込みながら、縁側と広間を
「せ、勢十郎どのッ!?」
「あーあ、死んじまった。イイ奴だったのに」
「惜しい奴を亡くしたの」
心にもない台詞を吐いて、お蘭とペンギンは同時に合掌。
ところが、だ。
「……冗談じゃ、ねえぞ。くそったれが……ッ」
大花楼の住人達に、わずかな驚きがはしった。
羆の一発が直撃したはずの勢十郎が、
しかし、そんな勢十郎を、羆は大口を開けて待っていた。
最後の瞬間、赤ジャージの少年の脳裏をよぎった
フラグの立たなかった初恋、モザイクのかかった友人の顔、昨日の夕飯。
そして、あの、濃紺の瞳――。
「――、あ?」
勢十郎を現実に引き戻したのは、ギョルギョルという、
うまく例えるものがないその異音に、勢十郎の心臓は妙なリズムで鼓動を始める。
彼は緩慢な動作で顔を動かした。部屋にはいつの間にか、焼け付くような風が吹いている。
勢十郎の右手がつかんだ組紐の先で、あの竜の鍔が輝いていた。
「な――、なん、だ?」
始めに現れたのは、墨色の髪。
続いて、鍔を中心にした空間から、新雪のように白い手が現れる。ここでようやく勢十郎は、それが数メートル離れた場所にいた、黒鉄のものだと気がついた。
闇を突き破って現れた手は、木刀を
剣術のお手本のような突きが、三畳分の距離を一足飛びに通過していく。素人目にも完璧と確信できるほどの初動で、黒鉄の
木刀の切っ先が猛スピードで羆の眉間に激突し、糸の切れた人形のように巨体が崩れ落ちていく。しかしその姿は、すでに勢十郎の眼中にはない。
そこに映るのは、濃紺の瞳を
「……マジ、か?」
勢十郎の知る現代科学では、テレポートは実現していない。『どこでもドア』も未開発だ。
どれだけ早く移動する物体も、残像くらいは見えるものである。だが黒鉄は、何の予備動作もなく一瞬で彼の前に現れた。無論、人間業ではない。
広間には相変わらず、
「うっ……!?」
たった今までそこにいた、お蘭とペンギンの姿が、ない。
サッ、と、血の気が引いた勢十郎は、そこでさらに恐ろしいものを見る。……住人達がいた場所に鎮座する『日本刀』が、怪しげに輝いていたのだ。
『……まぁ、しばらく様子を見るのも、よかろうよ』
『先生がそう言うなら、あたしゃ止めやしないよ』
己の中の常識が音を立てて崩れていくのを、勢十郎はまざまざと感じていた。
あろうことか、下等生物と金髪美女の会話の声は、刀から聞こえていた。
「これで、納得して頂けましたか? 主どの」
透明感のある声が、目の前にいる少女と、手の中の鍔から同時に聞こえてくる。
勢十郎は体の痛みも忘れて、大花楼の住人達を見た。
……否、ヒトではない『何か』を、だ。
「くそ……。マジで、人間じゃねえ……?」
言い淀んだ勢十郎の言葉尻を捕まえて、黒鉄はやわらかく微笑んだ。
「ええ。そして我々を含めた『この屋敷のすべて』が、大槻八兵衛の遺産なのです」
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