第一話『蛮族達の午後』その5
「――き、貴様、もう一度言ってみろ。よりにもよって、ま、丸出しだと……ッ?」
勢十郎の真後ろで
涙目で後ろ頭を抱えた勢十郎は、古式ゆかしく
顔を隠してはいるが、鈴のようなその声は、まぎれもなく彼が八兵衛の部屋で出会った、あの少女のものだった。
「よ、よう、また会ったな。おっぱい……」
「言ったな!? また言ったなッ。
おっぱいではない、という。だとすれば、何者だというのか。
「っていうか、ソレガシ!? 一人称がソレガシッ!? おいおいおい。あんた一体、どこの星から電波受信してんだ?」
「日本語で話せ、下郎」
「日本語だっつの。……なぁ、もしかしてあのペンギン、アンタのペットか?」
「無礼な事を言うな」
再会の挨拶は、火花散る
慌てて刀を取り上げようとする勢十郎の鼻先へ、とんでもない回し蹴りが飛んできた。間一髪、ブリッジの体勢でそれを避けた彼は、すぐさま忍者女と距離をとる。
「いきなり何しやが――、いねえっ?!」
嫌な予感がして、勢十郎は反射的に左サイドへと飛び跳ねていた。
すると、どうだ。たった今、彼の頭があったその座標に、真上から黒装束の右膝が落ちてくる。またしてもギリギリでこれをかわした勢十郎は、しかし着地の瞬間、彼女の胸が大きく跳ねるのを確かにみた。彼の眼に狂いはなく、少女は確かに巨乳であった。
「どこを見ているッ!」
「チッ、こっちの話も聞けってんだよッ」
人間離れした少女の跳躍力に度肝を抜かれた勢十郎は、洞穴の一角へ後退する。だが、驚いていたのは彼だけではない。少女もまた、頭巾の下で困惑顔になっていた。
「? ……おかしな奴だ。刀を向けても動じないくせに、素手だと逃げるのか?」
「こっちにも色々あるんだよ」
タフさが売りの勢十郎だが、限度というものはある。どれだけ肉体の回復力に優れていても、意識を刈り取られてはどうにもならない。赤ジャージについた土と埃を払いながら、彼はわざとらしく話題を変えてみた。
「そろそろ名前ぐらい教えてくれ。いつまでも『おっぱい姉ちゃん』じゃ、具合悪いだろ?」
「悪くなっているのは誰のせいだ!? 貴様に名乗る名などない!」
「あ、そう。んじゃ、『おっぱい丸出し姉ちゃん』のまんまでいいな」
「ま、ま、また言ったな貴様――ッッ!」
ああまたやっちまった、と勢十郎も思ったが、もはや後の祭りだった。
「覚悟しろッ」
「できるわけねえだろ!」
あんなものを振り下ろされた日には、綺麗に一刀両断である。
「――、その辺にしときな。阿呆ども」
洞穴の奥から、ハスキーな声が聞こえてきたのは、その時だ。
忍者女を警戒しつつ、勢十郎が首だけ動かすと、いつの間にか貯蔵庫の中心に新たな金髪美女が立っていた。
「……お
刀を担いだ体勢のまま、忍者女は金髪美女をそう呼んだ。
Vネックニットにチノパンという現代ファッションの割に、えらく古風な名前である。が、それは自分も似たようなものなので、勢十郎もあえて口には出さない。
そして、彼が今日一日のパターンから分析・予測するところによれば、この美女もまた、ろくでもない倫理思想の持ち主に違いなかった。
勢十郎の
「黙って聞いてりゃ際限なし。先生も何とか言っておくれよ、この馬鹿どもにさ」
「……ふふ、ふ。そうさのう」
ふざけたことに、この状況で
たかが鳥類
「もしかしてお前ら、ここに住んでんのか?」
ペンギンは棚の上で体を起こすと、くわわ、と、あくびを噛み殺した。
「いかにも。我らはこの『大花楼』にて、大槻八兵衛殿の世話になっておった」
嘘八百とは知りながら、勢十郎はノーリアクションを貫いた。
大花楼に居候がいるならば、その旨を両親が勢十郎に伝えていたはずである。ペンギンの言葉から生まれた彼の
「そんでもって、あたしらは新しい当主を待っていたのさ。まさか、あんたみたいなガキだとは思わなかったけどねぇ」
「……待て、それはどういう意味だ? お蘭」
「こいつを見な」
お蘭はチノパンのポケットから何かを取り出すと、刀を構えたまま
ところが、彼女がその正体を
「おい! それ俺の印鑑じゃねえか!?」
どうやら、彼のドラムバッグからガメてきたらしい。抗議の声を無視して印鑑の蓋を取った忍者女は、しかし底に刻まれていた名字を確認するなり、やおら
「そ、そんなバカな……っっ?」
「馬鹿も
お蘭の説明に、黒鉄と呼ばれた少女はかぶりを振る。
「大槻……? おい貴様、嘘をつくな。事と次第によっては、
「ウソ! じゃ! ねえ! そりゃ俺んだ!」
喉元へ急接近した
「隠すと為にならんぞぉおおお、貴様ぁああ。一体何者だぁああああああ?」
頭巾の下から聞こえる黒鉄の絶叫は、受け入れ
同時に、猛烈な勢いで押し込まれた真剣を、勢十郎はこれ以上一ミリも動かすまいと、両手でせき止めながら必死に叫び返す。
「大槻勢十郎十六歳! ウソだと思うなら免許見やがれッ! 財布に入ってる!」
「ウソだ……、嘘だ嘘だ! こんな奴が……。なんで……?」
「うぐぐっ!」
もう駄目だ、と勢十郎が思った次の瞬間、殺気立つ黒鉄の手から大太刀は奪われていた。彼女からあっさりと凶器を取り上げたお蘭は、それを元の鞘へ納めている。
「これで分かったろう? こいつはね、正真正銘、『大花楼』の跡継ぎなのさ」
九死に一生を得た勢十郎の前に歩み寄ってきたのは、台座の上で高みの見物と洒落こんでいたペンギンである。
「うふ、ふ。よろしくの、小僧」
「人をこんな地下にブチ込んどいて、ヨロシクじゃねえだろ。ナメてんのか」
「大した威勢じゃのう」
「先生に無礼は許さんぞ!」
「あだっ!?」
下等生物に伸ばしかけた勢十郎の手は、黒鉄によって素早く打ち払われてしまう。
どうしてこんなぬいぐるみ
「……つうか、マジでこの『刀の山』はなんなんだよ?」
洞穴内部の異様な息苦しさは、意思なき日本刀の山が放つ、強烈な殺気のせいに違いない。気のせいだとは分かっていても、隙を見せた途端、一斉に刃が飛んできそうなビジョンが勢十郎の脳裏に浮かぶのだ。
おそらくこの刀達は、かつては八兵衛の持ち物だったのだろう。しかしそんな代物が、一体どういうわけでここにあるのか、勢十郎には皆目見当もつかなかった。
すると、ペンギンを抱き上げた金髪美女お蘭が、とんでもない事を言い出した。
「こいつらはね、八兵衛が残した、『本当の遺産』なんだよ」
「い、遺産だぁ?」
予想外の答えに
「お主とて、おかしいとは思ったろう? 確かにこの『大花楼』は、遺産と呼ぶにふさわしい偉容を備えておる。じゃがの、考えてもみるがええ。この時代、ド田舎の、それも人里離れた山屋敷の世話なんぞ、誰が好きこのんで買って出る?」
「そりゃ、まぁな……」
「案の定、八兵衛の葬式に集まった親戚共は、揃いも揃って屋敷の隅まで荒らし回っての。
それを聞いただけで、勢十郎は己の祖父が何をしたのか理解した。
…………つまり八兵衛は、試したのだ。
まともな人間なら、こんな屋敷の相続は敬遠するだろう。維持費や交通便の悪さを考えるだけでも頭が痛い。そのうえ、ここは日本有数の危険地帯、七期山の山間部なのだ。
『大花楼』の全てを受け入れられる馬鹿にしか、己の財産は与えない。
いかにもあのジジイの考えそうな趣向だ、と、勢十郎は
「つまり、俺はまんまとハメられたってワケか」
「人聞きの悪い事を言うな。これだけの富を手に入れながら、文句を垂れる阿呆がどこにいる?」
こめかみに青筋を立てた黒鉄が、即座に彼を
なるほど、富とはよくいったものである。確かにこれだけの日本刀(優に百は超えている)を手に入れたとなれば、金銭的価値もそれ相応のものになるだろう。
だが、はっきりいって勢十郎は、そんなものに何の興味も持っていない。むしろ、低俗な遺産争いに巻き込まれた
「くそったれ、血圧が上がってきやがった……」
「なら、もう一度刺してやろう。ほどよく血を抜いてやるから、冷静になるがいい」
「どうせあんたのおっぱい
「やはり今殺しておく」
すらりと伸びた細腕の、一体どこにそんな力が隠れていたのか――、有無も言わさず黒鉄に胸倉を掴み上げられた勢十郎は、足が地面から離れる寸前までリフトアップされる。
ところが、今度は黒鉄の方が、頭巾の下で眉根を寄せていた。
「……体の割に、重いな。貴様」
「じゃあ早くおろしてくれ」
勢十郎の見た目は、肥満体型からほど遠い。
……にもかかわらず、黒鉄の腕に伝わる彼の重量感は、確実に巨漢のそれだった。正確には、大槻勢十郎は百七十センチちょうどの身長に、八十キロという体重を誇っている。
警戒心を一切
「怪我の治りの異常な早さ、その重さ……。先生。この男、普通ではありません」
「ほっほ、そのようじゃのう」
ペンギンは面白がって喉を鳴らすが、それを抱きかかえているお蘭は呆れ顔だ。
「いい加減にしな、黒鉄。ただでさえ、こんなカビ臭い場所にゃ一秒だっていたくないのに、アンタが余計な手間を増やすから、ちっとも話が進まないよ」
「某は悪くない」
ふてくされたように、黒鉄は頭巾の下から抗議した。
もともと生真面目な性格なのだろうが、その後ろで勢十郎が、「ソレガシも悪くないゼ♪」などと、おどけてみせたのはまずかった。
「まねするな!」
「おっと」
右フックをスウェーで避けて、勢十郎はしたり顔を作ってみせる。すると今度はその顔に、黒鉄が土を蹴り上げた。そして再び、耳を汚すような罵声が互いの口から放たれる。
――、ぴぎぃ!? という悲鳴が聞こえたのは、その時だ。
嫌な予感がして、赤ジャージの少年と忍者女が振り向くと、そこにはお蘭が静かに笑っていた。
「……やめなって言ってるだろ。ねえ御当主? ここはひとつ、寛大な御心でその馬鹿を許してやっちゃくれないかい? 黒鉄も、こんなしょうもない阿呆に付き合って、手前の程度を低くしちまう事はないだろうよ。わかるだろう? わかったかい? わかったら、これ以上、面倒を起こすんじゃないよ。え?」
眼が本気だった。
「あ、あー……」
「……お、お蘭」
互いの胸倉を掴み合う勢十郎と黒鉄の視線は、お蘭の胸元に落とされたまま――、なぜか凍り付いていた。
「なんだいあんたら? その
「なぁ、あんた。……『それ』、ヤバいんじゃないのか?」
勢十郎は言いにくそうに、『それ』を指差した。
必要以上に抱き絞められたペンギンが、白目を
「ありゃ? 何やってんだい、先生。しっかりしておくれよ」
「…………」
「…………」
「――――」
どうやらこの女、責任感というものが欠如しているらしい。
◆ ◆ ◆
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