第14話
最初に言っておくが、我が家の風呂はそんなに広くない。元々家族で暮らすようなタイプのマンションではなく、部屋自体そこまで広くない。それに伴って風呂も狭い。一人で入る分には問題ないが、複数人で入るのには向いていない。まあそんなことしそうなのは、同棲中のカップルくらいなものだ。
さて、なんでこんなわかりやすい前振りをしているかというと……その決して広くない風呂の中で、俺とエトは一緒に入浴しているからだ。
「……かわった、みずあびだね」
「あ、あぁ。そうだな……」
エトの口から、そんな簡素な感想がこぼれる。俺ももっと気の利いた返事をしたいところだが、そんな余裕は微塵もない。今も理性崩壊を防ぐため、必死に舌に痛みを加えているくらいだ。そうでもしないと、いろいろタガが外れてしまいそうだった。
まず異性と一緒に風呂、というシチュエーションが何よりもマズい。幼なじみの彩芽でさえ、一緒に風呂に入ったのは小学校の低学年くらいまでだ。歳と共に育っていった男としての性欲は、それだけでも膨れ上がってしまう。
更に言えば体勢も非常にヤバい。風呂が狭いだけあって、距離を取っての入浴は不可能だ。加えてエトが暴れないように、彼女は俺に抱きかかえられるように入るしかない。そうなると必然的に、俺の身体とエトの身体はこれでもかというくらいに密着せざるを得なかった。
(身体、やわらかっ⁉)
つい触れてしまったエトの身体に対して、心の中で思った感想であった。触れてしまうだけで語彙力を失ってしまうほど、その柔らかさは至高のものであった。しかもエトは身体にタオル等を撒いておらず、素肌がダイレクトに伝わってくる。俺は一応腰にタオルを巻いているが、巻いていなかったらマジで危なかった。
無論、風呂に入れるまでもかなり大変だった。自分で身体を洗えないエトのために俺がエトの身体を洗ったり、向かい合って風呂に入ろうとしたり、俺の苦労は最初から絶えなかった。ただその中でも、唯一得るものがあったとすれば……
「……あたたかくて、きもちいい」
肩までお湯につかったエトは、朗らかな笑顔を浮かべていた。そんなエトの姿を見られて、俺も少しばかり安心する。アステルと対面してからというものの、彼女がここまで表情を緩ませたのは一度もなかったからだ。
「……ごめん、テル」
「え?」
するとエトの口から、短い謝罪がこぼれる。突然のことに俺は気の抜けた返事しかできなかった。彼女を悪く言うつもりはないが、エトが誰かに気を遣うなど想像していなかった。それほどまでに、エトという宇宙人は我が儘で、自由奔放で、それでいてそれが一番の魅力な女の子なのだ。
「エトのもんだい、まきこんだこと。まきこむつもりは、なかった……」
「……んなもん気にするな。そのくらいの覚悟、とっくに出来てるよ」
だから俺は湿っぽいエトの言葉を、一言で一蹴した。巻き込む、ということなら、エトに出会った時点で巻き込まれているようなものだ。そしてこの程度の面倒事が舞い込むことも、重々予想していた。今更謝罪なんて似合わないこと、しないで欲しい。
「で、でも……」
「本当に申し訳ないって思うなら……全部話してほしい。エトが抱えている問題、全て」
「……それならアステルがはなしたので、ぜんぶだよ?」
「そうかもしれない……それでも俺はエトの口から聞きたいんだ」
だから俺は等価交換を求めた。アステルの説明だけでも、十分理解は出来た。ただそれを百%信じられるかと聞かれれば、それはノーだ。どうにも俺は、アステルを心の底から信用できないのだ。
多かれ少なかれ、彼女の説明には主観が混じっているのは間違いない。エトが偉大な存在だということはわかったし、そんな彼女を連れて帰る気持ちも理解できる。ただそれらは全てアステルの、エストレリア王国のご都合だ。そこにエトの都合が含まれているとは思えない。
少し考えればわかることだ。あのエトが、他国との闘いに興味を抱くとは、微塵も思えないからだ。だから俺はエトの説明が聞きたい。拙い口調でも、要領の得ない説明でもいい。エトがどう思っているのか、俺はそれが知りたいんだ。
「……わかった、はなす。でも、そんなにおもしろいものじゃ、ないよ?」
「別に面白い面白くないとか関係ないって。エトの言葉で伝えて欲しいんだ」
「……がんばる」
エトの言葉から覇気が戻った。そこまで大きくはないがしっかりと芯の通ったその声だけで、安心感を覚える。俺の言葉で少しでも元気を与えられたのなら、それは十分嬉しいものだ。
そして今からエトによる、アステルの視点ではわからなかった事実が浮き彫りになっていく。
「アステルがいっていた、エトがエストレリア王国ってところのひめっていうのは、本当のこと。ほかのくにのきしだんを、ちからでばくはつさせているのも、本当のこと。でもそれじたいがいや、っていうわけじゃない」
「えっ、そうなのか?」
「うん。もちろんのぞんでいた、ってわけじゃない。けどずっとそういう風にいきてきたから、そういうものだとわりきっちゃった」
正直に言えば意外だった。とてもあの我が儘なエトが、このような使命を全うするようなタイプではない。立場的に仕方のないことなのかもしれないが、エトの嫌ではないという言葉には少々引っ掛かりを覚えた。
しかしそれが杞憂だということが、すぐにわかった。
「でもエトはたたかうのはきらい……どうしても、補給をよぎなくされる」
「……補給?」
補給、という言葉が、まさかエトの口から聞くことになるとは。でもどうしてそんな言葉が聞こえてくるのか、咄嗟に理解することは出来なかった。
「エトたちみたいにちからのあるものは、エネルギーをつねに溜め込んでいる。そうしないと、ちからはつかえないの、これっぽっちも」
「エネルギー、か……まあわからなくもないか。でもそんなもの、どこに溜め込んでいるんだ?」
「それはもちろん……ここだよ」
そう言いながらエトは自らの胸、片手で包み込めるほどに大きく膨らんだ双丘に手を触れた。本人はきっと無自覚であろうが、もにゅもにゅと自身の胸を摘まむその姿が、官能的に映って仕方なかった。
なるほど。だからエトの胸がこの短い期間に、大きくなったり小さくなったりしていたのか。しかもそれは補給という行為をすることでいくらでも大きく出来ると……彩芽には絶対に聞かせられない話だな。殺しに来るどころか、エトの血を取り込もうと躍起になる姿が容易に想像できる。
「だからエトたちは、つねに補給をしなければならない。しかもいざというときのために、てばやい補給がもとめられる。それをかんぺきに満たせるもの……それがえいようしょく、なの」
「……あぁ、そういうことか」
ここで俺の頭の中でも、だいたい繋がった。その理由なら、俺も納得できる。
重度の食事好きであるエトが唯一拒むもの、それが栄養食だ。エトの住むアスタリスクの栄養食は、とにかく不味いらしい。彩芽の地獄のような料理より不味いのだ、もはや味覚など超越した劇物なのは間違いない。
そんなものを闘いのために、常に食べ続けないといけないのだ。そりゃ逃げ出したくなるわな。他にどんな食生活を送っていたかまでは知らないが、地球でのエトの食事風景を見る限りでは、まともなものなど口にしてこなかっただろう。
「……たたかうのまでは、まだよかった。でもそのたびに、えいようしょくをたべなきゃいけなかったのは、とてもいやだった……だからエトはにげだした」
「逃げ出すって……アステルが乗ってきた宇宙船みたいなので?」
「うん。さすがにアレがないと、ほしからでられなかった。アレはきちょうなものだから、かずにかぎりがある……にげればかちだと、おもってた」
エトの説明を聞く限り、さすがの宇宙人も宇宙空間を自由に航海するのは不可能なのか。
「あれ……でもエトって生身で地球に落ちてこなかったか? 宇宙船の残骸みたいなのなんて、落ちてなかったけどな」
「エトがのってきたのは……とちゅうでばくはつしてなくなった。そのままエトだけが、ここにふってきた」
「あー……そういう」
たぶんこうだろう。
宇宙船で逃げ出したはいいが、途中でお腹を空かせたエトは我慢の限界で力が暴発。地球の近くを彷徨っていた宇宙船はその場で爆発。宇宙船はそのまま宇宙空間の塵になったか大気圏で燃え尽きたかは知らないけど、とにかく消滅。エト自身もどういう原理かは不明だが、地球に墜落。そして俺と出会い、邂逅一番に「お腹空いた」と言ったのか。
改めるとここに来るまでにも、相当な苦労をしているようだ。俺なら途中で心折れてる……ていうか途中で死んでるわ。主に宇宙空間に放り投げられた時点で。ただそれだけ、エトの逃げ出したいという欲が強く露わになる。
「でも、なにより……あのほしに、エトのみかたなんて、ほとんどいなかった。みんなエトにとっては、てきばっか」
「み、味方がいないって……でもエトは、エストレリアってところのお姫様じゃ……」
「うん、エト、おひめさま。でもエストレリアは、ぜんいんきがくるったかのような、せんとうきょうしかいない。だからエトに、たたかいをきょうせいしてくる……そしてそのたび、むりやりえいようしょくを……」
「わかった、それ以上はいい」
エトの言葉を強引に打ち切った。このままだとその嫌いな栄養食の味を、思い出してしまいそうな雰囲気だ。少しずつエトの声が苦しくなっていくのが、痛々しいほど伝わってくる。別に俺は、そんな苦しい思いをしてまで、全てを聞きたいわけじゃない……これは俺のミスだ、反省。
「じゃあアステルはどうだったんだよ? あれでも一応、エトの専属騎士だろ? 味方してくれそうではあるが……」
「……アステルはダメ。アステルは、くにのことしかかんがえていない。くににめいじられてるから、エトのそばにいるだけ」
「……なるほど。あの違和感はそういうことだったのか」
どうにもアステルの態度が、エトに対して失礼なものと感じてはいた。エトの星の倫理観ではそういうものと考えていたが、やはり俺の違和感は正しかった。
端的に言えば、アステルはエトに忠誠を誓っていない。彼女が忠誠を誓っているのは、エストレリアという国に対してだけ。エトはその国でもトップクラスの人間だから、仕方なく従っている。そう考えればいろいろ辻褄が合う。
エトを強引に連れ戻しに来たのも、百%国から命令されたからだ。「エトをエストレリアに連れて帰る」という目的を果たすためなら、エトの意志を蔑ろにしても構わないとでも考えているのだろう。客観的に見てもエトは脱走者、多少手荒に扱っても問題ないとか考えていそうだ。
(馬鹿げてる)
それがアステルやエストレリア王国に対して、俺が抱いた感想であった。エストレリアのことはエトやアステルの口から聞いたことしか知らないが、おそらく根元まで腐っていそうだ。
それに戦争に身を投じること、そのために嫌なものを食べさせられること、それら全てを強制的にやらされているんだ。それをエトが耐えられるとはとても思えない。本当は我が儘で、自由奔放なエトに、地獄のようなその環境はあまりにも厳しすぎる。
「だから……テル」
「え、ちょっ、エト! こっち向くな!」
そんな最中、エトは俺の方に身体を向ける。真面目な話をしてはいるが、今俺たちがいるのは風呂場だ。もちろん二人とも裸という中で振り向かれたら、エトの全てが視界に入ってしまう。それだけで全身の熱がガっと高まる。
しかもそれだけではなかった。そのままエトは倒れるように俺の肩に手を置き、物理的に距離を縮めてくる。遠くにあったエトの身体が視界いっぱいに広がり、目のやり場に困る。紳士っぽく振舞いたいところだが、そこは残念ながら俺も男だ。どうしても胸の方に目がいってしまう。
「エト、これはなんの……」
「もう、テルしかたよれないの……!」
咄嗟にエトを叱ろうとしたその言葉は、そのまま喉の奥まで引っ込んでいく。エトから聞いたことないような弱々しい、ちょっとの揺さぶりで泣いてしまいそうな声が、頭の中で巡っていたあらゆる言葉を粉砕していった。
「おねがい、テル……エトを、助けて。なんでも、するから……」
「な、なんでも……」
「うん……エトにできる、ことなら……」
それは魔性の言葉であり、思考を狂わせる禁じ手だ。少なくとも風呂場で、裸同士の相手に向けるべき言葉ではない。それを言ってしまったが最後、男女としての契りを交わさざるを得ない事態に発展する。残念ながら男の理性というのは、その程度で瓦解するほど脆いものなのだ。
他人のサポートを日常としている俺の鬼の理性でさえ、全く持って例外ではない。風呂場で裸の男女が二人きり、これで何もしない方が失礼なまであるくらいだ。俺の中に渦巻くありとあらゆるしがらみがなければ、俺も劣情のままに行動していたことだろう。
だが俺も早々そんなバカな真似はしない。今は本能に身を任せて行動する状況じゃない。とにかく時間がない、アステルから提示された時間はたったの一日。それまでに答えを出して、それに沿った行動をしなければならないのだ。
そしてもう一つ、俺の中で理性を踏みとどまらせた理由はある。それは数日前に聞いたある言葉。思い出すのはこれで二度目の、親友のありがたい忠告だった。
『あまりエトちゃんに深入れしない方がいい』……まさに今の状況のための言葉だ。この状況を予期して忠告したのなら、きっと雲海は預言者とかそういう類のものだろう。
ここでエトを助けてどうになる? 万が一アステルを撃退したところで、きっと第二、第三の追手が地球にやってくるだろう。そのたびに闘うのか? そんなの俺の身が持たない、俺はただの一般人なんだ。死と隣り合わせの闘いなんて、まっぴらごめんだ。
なら簡単な話だ、エトをアステルに引き渡せばいい。それが一番現実的で、一番丸く収まる。百人が同じ状況に放り込まれても、全員同じ行動を取るだろう。仮に俺が同じ行動を取っても、非難されることはない。彩芽たちだって、きっと許してくれるはずだ……
「……テル?」
「っ……⁉」
長い思考の海に沈んでいた俺の耳元で、エトの愛らしい声が聞こえる。いつの間にか顔を近づけ、囁くように呼び掛けたのだろう。それが悪魔の囁きか天使の福音か、感じ方は人それぞれだろう。でも俺にとっては、後者にしか聞こえなかった。
宇宙人はそもそもにして種族が違う、深く関わるべきではない、突き放すのが何よりもベストだ……親友の言葉を始めとして、俺の脳内には様々な言い訳が並べられる。それが間違っているというわけではない、客観的にはそれが正しいのだから。
だがそこに、俺の意志はあるのか? 大多数の意見に振り回され、傀儡のように操られているだけなのではないだろうか? だって「俺自身がエトをどうしたいのか」、という最も原始的な問いに、まだ答えていない。
自分のやりたいことが見つからない、それは幼なじみも認めるくらいの俺の大きな課題だ。だから俺は今も変わらず彩芽やエトの世話をしていた。それは「やりたいことがないから仕方なくやっている」とも思っていたが、どうやらその認識を改めないといけないようだ。
だって俺は根っからの……尽くしたがり屋だ。きっと誰かのサポートをするのが、身体の隅々まで染み渡るくらい好きなのだろう。そうでなければ十年近くも彩芽のサポートに回っていないし、人種すら違うとも言えるエトを一時的にも世話などしない。
そうだ、認識をしっかり改めろ、赤星輝。俺がやりたいことを定義するんだ。俺が今、やりたいこと、それは……
「……エトと、ずっといること」
「え……て、テル?」
戸惑うエトの声が聞こえた気がするが、今の俺には聞こえなかった。
「エトとずっといること」、そんな先の見えなさすぎる、危ない橋を俺は選択する。だがその選択が間違っていると思わない。だって選択が迫られている時点で、この先何が起きるかなんてわからないのだから。なら先が見えなくても、俺はやりたいことを貫き通す、ただそれだけだ。
「テル……いま、なんて?」
「聞こえなかったのか? ならもう一回言ってあげるよ……エトとずっと一緒にいること。それが俺の望みだ」
エトに聞き逃してほしくないから、俺は決意を更に固めるべく復唱した。エトにしっかりと伝わった以上、もう後戻りは出来ない。だがそれでいい、俺は微塵も後悔しなかった。エトはエトで、信じられないといった表情で俺を見つめていた。自分から頼んでおいてそれはないぜ。
「ど、どうして……エト、いっぱいテルにめいわくかけたと、おもうのに……」
「うん……その自覚はあったんだな」
それが一番意外すぎた。とはいえエトは一国の姫を務めていたのだ、そこら辺の視界は割と広いのかもしれない……って今はそんなことどうでもよくて!
「確かにエトは客観的に見て、結構迷惑をかけているとは思う。少なくとも地球の価値観ではそうだ……でもその価値観が俺に該当するとは限らない」
「……えっと、それって……」
「俺はエトの世話、結構楽しんでたぞ」
自然と笑顔を浮かべながら、俺はあっけなく答えた。大変でなかったと言えば、もちろん嘘になる。地球滅亡の危機に常に立たされ、少しのミスすら許されないシビアな状況。それに加え宇宙人という未知の存在の付き合い方は、未だ不慣れなところしかない。
しかしそれも俺にとっては、十分楽しいものだったし、やりがいもあった。俺の作った料理を食べて満面の笑みを浮かべるエトの顔さえ見れれば、多少の苦労など容易に報われる。初めてエトの笑顔を見たその瞬間から、きっと俺はエトワールという宇宙人……もとい少女の魅力という沼にハマっていたのだろう。
多少の苦労と達成感、そしてエトの笑顔。それだけで俺の日常は彩り豊かになっていった。初めてやりたいことも見つけられた……そんなきっかけをくれた少女を助けないのは、人としえどうかしている。少なくとも俺は、恩を仇で返すような真似はしない。
「だからエト……お前は難しいことなんて考えなくていい。いつも通り、次食べる飯のことでも考えててよ……そうしてる時のエトが、一番輝いてるから」
これこそがまごうことなき、俺の本音だ。エトはエトらしく、地球での生活をエンジョイすればいい。それを支えることこそが俺の使命であり、日々の活力であり、ご褒美でもあるのだから。
そんな俺の、だいぶ恥ずかしいセリフを真正面から受け止めたエト。風呂に入っているせいで程よく顔が濡れているが、そこに一筋の涙が流れているのを俺は見逃さなかった。
「エト、お前……泣いているのか?」
「……なく?」
俺の指摘に、エトはきょとんとした表情を浮かべつつ、自身の頬をなぞった。どうやら自分が泣いていることが相当珍しいようだ。それほどまでにエトの心は追い詰められていたのだろうか?
いや、それも違うな。もし何か悲しいことを思い出したのなら、もっと悲しそうな顔をするはずだ。エトの表情は無表情を貫くくらい固いが、内に秘める感情は非常に豊かな方だ。だからエトの麗しい瞳から流れるソレは、きっとうれし涙であろう。
その涙を拭うことなく、エトは真っすぐ俺と視線を合わせる。それなりに感情を爆発させるイベントがあったにも関わらず何一つ変わらないエトの無表情は、安心感を覚えさせるのには十分だ。
「……うん。エトも、テルをしんじるよ。でも……」
「でも?」
「エトもびりょくながら、きょうりょくする」
その言葉を口にしたエトの表情が、真剣気味に固くなる。ほんの僅かとも言えるその変化に、俺はすぐ気づいた。
「……これからもテルとずっといるのなら、アステルははっきりいって、じゃま」
「めちゃくちゃはっきり言うな……まあそうだけど」
エトとずっと一緒にいる、つまり星には帰さない。この事をアステルに告げても無意味なことは百も承知だ。告げたところで、あの丘に生首が一個増えるだけだ。どんな選択を取るにしろ、アステルを追い返す必要がある。
「だからアステルのあいては、エトがする。テルはエトのちかくにいるだけでいい」
「……そんなことで、いいのか?」
「うん……それがいちばん、エトもやるきがみなぎってくる」
そういうものなのか……いや、エトがそういうのなら、きっとそうなのだろう。
それにエトが手伝ってくれるのは非常に助かる。正直俺一人の力では、アステルを抑え込むなど不可能だ。俺の特技は支えることであって、自分一人の力でどうにかすることではない。そういった意味ではエトの助力を得られたことが、一番の功績と言ってもいい。
それにこのドデカい問題を、俺一人だけで抱えるのは筋違いだ。エトが関わりたくないと言えば別だが、彼女にしては珍しく積極的だった。ならばエトにも手伝ってもらった方が、彼女も気分がいいだろう。一人よりは二人、当たり前の真理だ。
「……なら、アステルのことは任せたよ。二度とデカい態度を取れないように、心をボキボキに折ってやろうぜ」
「うん、まかせて……エトたちの、しあわせなせいかつのために」
俺たちの間に確かな絆が出来上がる、そう錯覚するくらい心が通じ合った気もするが、決して気のせいではないだろう。
その安心感と喜びが入り混じった感情は、俺のやる気を湧きあがらせる。高揚した気持ちは良質な機嫌へと変わっていき、自然と俺の手がエトの頭に乗せられた。そしてそのまま、何でもないかのように撫でた。本能的に手の収まりが一番いい場所に、手を置いた結果だ。
そんな無遠慮なスキンシップに対し、エトは嫌がる素振りを一切見せなかった。むしろそうすること自体が当然であるかのように、気持ちよさそうな顔と共に受け入れた。
こうして俺とエトは共存関係を結んだ。それは下手したら宇宙を相手にするくらい苦難の道であるが、そんなのは些細な障害でしかない。俺とエトが協力すればできないことなどない、そう思わせるくらいの自信が、今の俺たちには十分備わっていたのだから。
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