第12話
「……なんで、あなたが、ここに?」
跪づく美少女を前にしたエトは、意外そうなセリフを口にする。ただその声色は、初めて聞くくらいに低いものだった。下手したら栄養食を拒んだ時よりも酷いくらいだ。
それに表情も暗い。一般的には無表情とも捉えられるエトの顔が、いつもよりも覇気がないように見えた。これほどまでに分かりやすいのも珍しい、まるで仇敵を目の前にしているかのようだった。
しかしその程度の変化で怖じ気づくほど、その美少女の肝は柔でなかった。
「エトワール様がいるところに、私がいるのは当然のことです。それが私の役目なのですから」
声も非常に落ち着いており、揺らぎのないしっかりとしたものだった。冗談みたいな大げさなセリフも、誇張して言っているようではない。彼女は本気でそう思っている、常人では信じられないくらい忠誠心が高い証拠だ。
しかしこのままだと、俺が何かするよりも前に全て終わってしまいそうだ。さすがの俺もこの状況での放置はキツイものを感じていた。
「あ、あの……貴方は……ひぃっ⁉」
とりあえず美少女の素性を知ることには何も始まらない。そういう意図で美少女に話しかけたのだが、返ってきたのは言葉ではない。どこからともなく現れた、鋼鉄のロングソードだ。
鋭いロングソードの切っ先が、俺の喉の手前で止まる。少しでも動かせば、俺の首は胴体とおさらばするだろう。完全に生殺与奪の権を握られ、身体はガチガチに固まってしまう。
俺も普段から料理で刃物を使うからわかる、このロングソードは本物だ。これを用いれば俺の生命を断つことなど容易いことだ。
そしてロングソードの持ち主である目の前の少女は、俺に対し蔑んだ視線を向ける。完全にゴミくずを見ているかのような、そんなものだ。だがその鋭さが異常なだけに、不快感よりも恐怖心が勝った。
「――口を慎め、異星人風情が。エトワール様の御前だぞ、図が高い」
「がぁッ⁉」
そのまま少女はロングソードの柄を利用し、俺の頭を無理やり地面とくっつかせる。普通に立っている状態から頭を地面につけられ、俺の頭や首に激痛が走る。一体どれほどの力を加えれば、そのような真似が可能なのだろうか。とても人間技とは思えない、さすが宇宙人といったところだ。
ただそのような乱暴な真似を許さないものがいた。
「……アステル、やめなさい」
「はっ、失礼いたしました」
たった一言のエトの言葉で、アステルと呼ばれた目の前の少女は俺の頭からロングソードをどける。するとロングソードの役目が終わったからか、何の前触れもなくロングソードが虚空へと消えていった。鞘がないから変、とは思っていたがそういうことか。やはり宇宙人だ。
身体の自由を取り戻したところで、俺はエトに話しかける。とりあえず目の前の少女に話しかけても、まともな返答をしてくれるとは思えなかった。
「なぁエト、この人誰なんだ? エトのこと、知っている風だったけど」
「……これは、アステル。エトの、せわがかり」
「世話係、なんて安いものではありません……私はエストレリヤ王国元近衛騎士団長、そして今はエトワール様専属の護衛騎士のアステルだ」
話が聞こえてきたのか、アステルは訂正するように割って入ってくる。その態度は少々気に食わないが、質問の答えが返ってきたから何も言わなかった。
それよりも返答だ。このアステルという少女の役職が元近衛騎士団長、そして現在はエトの護衛騎士を務めている人ということだ。たったそれだけの情報だが、そこからわかることはいろいろある。
一つ、エトがいた星、もしくは国は、それなりに文化や政治などが栄えているということ。
二つ、近衛騎士団長を護衛騎士に配属転換させられるほど、そのエストレリヤという国は戦力的な強さを持っているということ。
三つ、その中でもエトは、専属の護衛騎士を付けられるほど重要な位置づけの人間であること。この三つが挙げられる。
正直最初の二つはさほどどうでもいい。エトがいた国が栄えているとか、アステルが強大な力を持っているとかなど、地球人の俺の目では測りきれない。今はとてもすごいとだけ思っていれば問題ない。
それよりも考えなければならないのは三つ目の可能性、つまりエトの存在そのものだ。今までエトのことはたくさん知ってきたつもりではいたが、彼女の素性については一切知らなかった。もちろんいつかは聞こうと思っていたが、話したくないことだった場合のリスクがデカすぎる。聞くにしてももう少し親睦を深めてから、と思っていたところだった。
だが今は、それを知らなくてはならない。例えエトが嫌がることだとしても、その全貌を聞かなくてはならない。何か取返しのつかないことが起きようとしている、不思議とそう思って仕方なかった。
「……私のことなど、どうでもいい」
しかしそんな俺の思惑を、アステルは無意識にぶっ壊す。強引に話を断ち切ると、つかつかとエトの元へと歩み寄る。だらしないエトの身だしなみでも整えるのか……そんな甘い考えを持っていた俺だが、現実は軽く予想に反していた、
アステルが、エトの護衛騎士である彼女が、エトに忠誠を誓っているはずの存在が、エトの腕を強引に掴む。咄嗟にエトも躱そうとしたが、一歩アステルの手が早かった。珍しく表情が歪むエトを前にしても、アステルの鉄仮面のような堅い表情は変わらなかった。
「エトワール様、お遊びはここまでです……エストレリヤが、アスタリスクがエトワール様を待っています」
「……いや。エトは、かえらない」
「エトワール様っ!」
反抗の意志を見せるエトを無理やり手懐けるためか、アステルの力が更に強くなる。強引に腕を引っ張られたエトの顔も、更に酷く歪んでしまう。
「ちょ、ちょっと待ったっ!」
さすがにこれは見過ごせない。脊髄反射的にそう察した俺は、二人の間に割って入り無理やりアステルの手を払った。不意打ち気味だっただけに、アステルも防ぐことは出来なかった。しかしそれだけの話だ、すぐにアステルの標的が俺へと移った。
「……何をしている、異星人? 我々の問題に干渉しようというのか?」
アステルの凄みのある強い口調、そして心臓を射抜かんばかりの鋭い眼光に、俺はたじろぐ。逆らってはいけない相手だというのはわかっていた、でも逆らわずにはいられなかった。
「……口を挟むつもりはない。ただ俺にも、少しばかり事情を教えてほしいだけだ」
できるだけ毅然とした態度でアステルと接する。内心は心臓が爆発しそうなくらいには緊張しているのにだ。ただここで弱いところを見せたら、完全に流れを握られてしまう、それだけは阻止しなければならない。
「事情? 貴様に話すべきことではない、そのまま口を慎んでろ」
「そんな態度が取れるのか? 俺は短い間だが、エトの身の回りの世話をしたんだぞ?」
「……ふん、それがいったいなんだと……」
「あまり自分の知っている常識だけで考えるなよ……もし拾ったのが俺じゃなかったら、今ごろエトは厳重なところで隔離され、全身をバラバラに解剖されているところだったんだぞ?」
「エトワール様が……? いや、そんなことはあり得ない。エトワール様が貴様ら異星人如きに負けるとは……」
「だから自分の常識だけで考えるなって言ってるだろ! いいか、この地球という星の知的生命体を舐めるなよ……よその星の人間について知るためなら多少の犠牲は簡単に支払うし、解剖実験なんか躊躇なくやるような連中ばかりだからな」
アステルに負けることなく、俺のも言葉で応戦する。一応嘘は言っていない。人間は欲深い生き物だし、その欲望を満たすためなら理性のストッパーすら外す。エトを守ったという意味なら、俺は大きな功績を挙げたといっても過言ではない。
そんな俺の説得は、なんとか実りを結ぶ。俺の言葉の節々に不満を感じつつも、一旦納得した風に俺を睨みつけた。どう転ぼうが睨みつけることには変わりないんですね、怖いから止めて欲しいんですけど……
「貴様の言い分は理解した。確かに右も左もわからないこの星で、エトワール様を守ってくれたことには感謝しよう。その報酬として、エトワール様について特別に教えてやる」
「それは……助かる」
まだアステルの言葉には棘があり、少しだけ勘に障る。だが今知るべき情報を知るために、俺は何も言わずアステルの言葉に耳を傾けた。
「まずこちらの御方はエトワール様、正式にはエトワール・エストレリヤ王女殿下……私が忠誠を誓うエストレリヤ王国の姫君だ」
「エトが、姫君……」
顔を俯かせるエトを眺めながら、俺はそう呟いた。正直言って、アステルの言葉に意外性はなかった。というのもエトほどの美少女なら、一国の姫と言われても頷けてしまう。そのくらいの天性の可愛さを持っているのだから。
ただそれを、エトが喜んで受け入れているとは思えない。さっきから暗い顔を浮かべていることや、自由奔放で我が儘な性格であること、そしてわざわざその地位を捨ててまでこの地球に来たこと。それだけで姫でいることに、不満を抱いているのは見切っていた。でもまだ確定ではない。
「……その姫君一人に、わざわざここまでするのか? 少々過保護が過ぎるんじゃないか? 姫候補くらい、他にもいるだろ?」
「ふっ……どうやら貴様は、エトワール様の価値を正しく認識してないようだな」
「何……?」
まだ俺を低く見ているのか、アステルの顔に嘲笑が浮かぶ。俺の推理は限られた情報の中でも、よく編み出した方だと自負しているつもりだ。だがそんなことを言ったらきっと、アステルにこう言われるだろう……貴様も自分の常識で物事を図るな、ってな。
「エトワール様がこの星に来てからずっといるのだったら……エトワール様の力を目の当たりにしていないはずがない。そうだろう?」
「エトの力……爆発能力のことか?」
「爆発……そう、この星ではそう言うのか。でも知っているようで何よりだ、説明が省ける」
「説明を省くって……あの力は、そんな重要なものなのか?」
「もちろんだとも。絶対に、何としてでも死守しなければならない、我らエストレリアの秘宝なのだ」
迷うことなく、そして一片の疑いのない口調で、アステルは言い切った。エトの力……爆発能力が秘宝。その単語だけで俺の中で嫌な予感が過ってしまう。そしてその悪い予感は、残念ながら的中することになる。
「我らエストレリア王国は、我々が住まう星……アスタリスクにおいて、諸外国の追随を許すことのない、アスタリスク一戦争の強い国なのだ。何故だかわかるか?」
「……軍事力。戦争において、絶対的な力がある、から」
「そうだ。エストレリアは王国が誕生した時から一度たりとも、他国との戦争において負けたことがない。その最たる理由が、エトワール様始めとした、王国の血族者の異能だ」
アステルのその言葉と同時に、エトの顔がまた下へと隠れてしまう。次々と開示されていく情報によって、わかってきたことがそれなりにあった。しかしその分だけ、知らない方がよかったエトのことまで、わかってきた気がした。
「王族の異能は絶対無欠だ。エトワール様を始めとした王族の血族者は、戦争において無類の強さを発揮した。それこそ他国の軍勢がなど、一ひねりで消し飛んでしまうくらいに」
「どんだけ強いんだよ……いや、この場合、他国のヤツが弱い可能性もあるが……」
「もちろん前者だ。他国の人間が妖術とまで呼ぶほど、王族の異能は強い。兵力など無価値に等しいからな……そして歴代の王族の中でも、エトワール様の異能は比較にならないくらいに飛び抜けている」
「……そういえばエトから聞いたな。小さな星を破壊したって」
最初聞いた時は半信半疑、できれば信じたくないことだったが、今までの話を聞いていると現実味を帯びてきた。
「あぁ、それか。確かにそんなこともあった。敵国が同盟を組んで攻め込んで来たから、威嚇のつもりで壊したのは私も記憶している。それで戦意を喪失する敵国の兵の顔は、早々忘れられるものではないからな」
「やっぱ本当だったのかよ……」
できれば小粋なジョークであって欲しいものだったが、現実とは残酷なものだ。やはりエトは可愛さだけではなく、一戦力としても図りしえないものを持っていた。
「……だからわざわざ、エトを連れ戻すためにここまで来たって言うのかよ。他にも王族はいるんだろ、ソイツらを頼れよ」
「そんなことできるわけがなかろう。無論他の王族の方々が弱いわけではない、それでもエトワール様の力は既に王国内だけではなく星全体に知れ渡っている。もしエトワール様がいないことが他国に知れ渡ったら、どんな手段を用いてでもエストレリアを攻め入ることだろう。そうなれば王国瓦解の可能性も、わずかながらある。それに……」
ここぞとばかりに真剣な表情となり、アステルは誰でもわかるような確かな理由を口にした。
「エトワール様が近くにいないだけで、我々も不安なのだ。アスタリスク……我々の星が破壊される可能性も、十二分に考えられますから」
「……あぁ、そうだな」
俺ですら納得の一言だった。絶対的な力を有する者がいるということは、それだけ離れた時の反動が凄まじい。今彼女たちの王国はその危機に直面している真っ最中だ。無理やりにでも連れて帰ろうとする気持ちも、わからないわけではない。
でも一つだけ言いたい。それを言う権利も資格も、俺にはないことをわかっていてもだ。
「じゃあなんでエトは、お前たちの国からいなくなった?」
「……っ」
核心的な疑問を放ち、アステルの表情もつい歪む。悠然と語っていた口からも、ピタリと言葉が止んだ。それほど聞かれたくないことなのは、会話していてなんとなく察した俺であった。
だってよく考えて欲しい。エトたちが住むアスタリスクという星で、最も栄えている都市エストレリア。その国の姫であり、最大戦力でもあるエト。人間の目からしても、彼女の人生は成功しているようにしか見えない。
なら何故、エトはわざわざ恵まれた環境を捨ててまで、地球へと漂流してきたのか。その手段は今もわからないが、きっと相当な苦労をして星を出たことだろう。そこまでしてでも、エトは星を出た。つまり逃げたくなるほどのマイナス点がある、ということになる。
もちろんアステルはそんなこと言っていないし、エトの口から聞いたわけでもない。でも未だ晴れないエトの顔を見れば、そのくらいすぐにわかった。
「ええいうるさい! 話はこれまでだ!」
図星だったのか、急にアステルが声を荒げる。ここで冷静さを欠き開き直るのは、もはや自白しているのと同然。元騎士団長とか言っても、こういった腹の探り合いには弱いようだ。
「貴様がいくら屁理屈を言おうと、エトワール様を連れて行くことには変わりない! 行きますよ、エトワール様!」
「いっ、テル……!」
俺との話を強引に打ち切って、アステルはエトの手を取った。さっきよりも強い力で腕を引っ張ったせいか、エトの表情が痛みで歪む。そして咄嗟のことなのか、エトの口から俺の名がこぼれた……ここまでされて黙って見過ごすほど、俺も人でなしではない。
「――待てよ」
自分でも驚くくらいに俊敏な動きで二人の間に割って入り、エトの手を掴むアステルの手をはたく。そしてかすかに力が緩んだところを狙って、今度は俺がアステルの腕を上にあげた。相手が元騎士団長という割には、すんなり腕を取れて俺も驚きだ。
「……これはなんだ? これは我々アスタリスクの人間の問題だ。よそ者の貴様には、もう何も用はないはずだ」
「あぁ、そうだな」
恐ろしいくらい声を低くし、アステルは俺に棘のある言葉をぶつける。更にそこらのヤンキーの面目が潰れるくらい、ガンを利かせ俺に睨みつけてくる。気を抜けば腰を抜かしてしまう状況であるが、俺は決して屈しなかった。
確かにこのままアステルがエトを連れて帰れば、一番綺麗に事が収まる。俺もエトも元通りの日常が返ってくるだけ。よそ者の俺が口を挟む必要なんてどこにもない。だがそれをエトが望んでいるかと聞かれたら、間違いなくノーである。そうでなければあんな悲しそうな表情など浮かべるはずがない。
ただ今の俺に、アステルを上手に丸め込む術はない。腕っぷしも立場も知略も、何もかもが足りなすぎる。無為に逆らったら、地球の倫理観を無視してアステルが殺しにくることだろう。
それでも時間を稼ぐくらいのことは、俺にもできる。
「確かに俺はよそ者だ。貴方たちの問題に口を挟む権利はこれっぽっちもない……でもアステル、貴方の態度が気に入らない。だから阻ませてもらった」
「……なっ、なんだと⁉ 貴様っ、私まで侮辱するつもりか⁉」
挑発的な言葉なだけあって、アステルは瞬く間に激昂する。それでいい、無駄に怒ってくれた方が、冷静な判断などできなくなる。それなら俺にも救いの目がある。
「アステル、貴方はエトの専属騎士のはずだ。つまりエトをあらゆる外敵から守る、それが任務のはずだ。違うか?」
「そ、そうだが……それが何だと……!」
「そのアンタがエトを痛くさせてどうするんだよっ⁉」
「っ……⁉」
アステルとしても痛いところを突かれたのか、エトを強引に連れ去ろうとした自身の手を眺める。でも俺は止まらない、徹底的に嫌なところを突いてやる。
「アンタがどんな人かは知らない。でも少なくとも、エストレリア王国とエトに対して忠誠を誓っているはずだ……なのにエトの嫌がる行為をする。その姿が専属の騎士としてふさわしい行為なのか、怪しいところだよな? 地球人の感性では120%おかしいんだけど、そちらの感性ではどうなのかな?」
「くっ、この……!」
反論できないようで、アステルは思わず歯ぎしりで怒りを表現する。どうやらそこら辺の感性はちゃんとこっちと似ているっぽい。感性まで違ったらもう説得のしようもないので普通に助かる。
ただいくら短気な性格とはいえ、元は騎士団長を務めた者だ。膨れ上がった怒りを抑えないまでも、それを行動で示すことはなかった。
「このまま強引にエトを連れ帰っても、またエトは逃げるだろう。そうなった場合、アンタに監督責任を取られるだろうな。規模的に考えても死罪が妥当なんじゃないか?」
「……何が望みだ?」
自分の失念と悔しさからか、アステルの表情が鬼のように歪んでいく。多少煽ったつもりではいたけど、ここまで怒らすつもりもなかった。てか普通に怖いから止めて欲しい。
「別に。貴方と真っ向から殴り合うつもりはない。勝てない戦はしない主義なんで……ただ時間が欲しいだけだ」
「時間、だと?」
「あぁ。エトがこの星に来てから、俺以外にもいろんな人と触れ合ってきた。その人たちに別れの言葉を交わさないとか、寂しいだろ?」
そして俺は、今この状況における精一杯の望みを口にした。エトを置いていけ、なんて口が裂けても言えない。それを言った瞬間、俺の首が胴体からおさらばするだけだ。
もちろんこんなのは詭弁だ。嘘はついていないが、彩芽たちがそう望んでいるとは聞いていない。全ては俺の憶測でしかない。でもそれでいい。俺はただ本当に、時間を稼ぎたいだけなのだから。
だがそんな謙虚な姿勢が功を奏したのか、アステルの表情が渋いものだった。俺の望みが受け入れがたいものであったのなら、さすがの彼女も怒りを露わにしていたことだろう。簡単に予想できるその顔を拝まずに済んだのはラッキーだ。
「……わかった。特別に、貴様の望みを受け入れてやろう。ただしそんなに時間はやれん。もう一度この星空が見える時、またここに戻ってこい。戻ってこなかった場合は、やむを得ず実力行使に移らせてもらう」
「あぁ、それでいい。それだけあれば十分だ」
もう一度夜空が見える時、要はあと一日だ。でもその辺りが妥協点なのも頷ける。アステルの立場を考えれば、十分譲歩はしてくれた方だろう。
しかし逆に考えたら、たった一日だけでエトの気持ちの整理を済ませ、彼女の処遇を決めなくてはならない。全てはエト次第だが、すぐに片づけられる問題ではない。アステルが来てからのエトの様子を観察していれば、誰だってわかることだ。
アステルとの交渉も終えたところで、俺は視線をエトへと戻す。今すぐ星に帰る必要がなくなったからか、エトの表情も多少は明るくなっていた。それでもいつもに比べたら、やっぱり暗いものだった。
「エト、一旦家に帰るぞ」
「……うん」
エトの手を取り、俺たちはこの場を後にしようとする。今のエトにとって、この場に長くいることがいいことだとは思えなかった。でも自転車に乗り丘から立ち去ろうとした際に、またしてもアステルの声が届く。
「エトワール様」
「……」
エトを呼ぶ声に、彼女は反応しない。目を合わせることなく、無言を貫いていた。
「その異星人に何を吹き込まれようが関係ない。私はどんな手段を用いてでも、貴方をアスタリスクへと連れて帰る。どうか情が移ることのないよう、お願いいたします」
「……そう」
言葉では尽くす気持ちを忘れないアステルであるが、もはやエトには届いていない。辛うじてこぼれた返事も、非常にそっけなく冷たいものであった。
一秒でも早くいなくなりたいのか、エトが俺の腕を引き移動を促す。俺としても長くここにいる意味はないから、エトを自転車の前かごに乗せ丘を後にした。ただアステルが見えなくなるその瞬間まで、アステルは俺たちから視線を外さなかった。それが原因なのか家に帰るまで、エトの表情が晴れることはなかった。
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