第11話

 結局あの後、彩芽の頭を良い角度でチョップしていたら、やっと怒りを収めてくれた。完全に一世代前の家電製品の直し方と同じだった。

 我を取り戻した彩芽も、顔を真っ赤にして深く反省した。まああの暴走具合は、思い出したくないくらい恥ずかしいものだし。見られたのが俺とエトだけでよかったな。

 さすがの彩芽もそのまま滞在するだけの図太さは持ち合わせておらず、一度自宅に帰った。今の二人には時間と距離が必要だろう……まあ必要なのは彩芽だけで、エトはなんとも思っていないけど。何食わぬ顔で昼飯をバクバク食ってたし。

 かくいう俺はというと、昼前にひと悶着あったとはいえ、比較的平和でいつも通りの休日を送っていた。エトがいる分、台所にいる時間はかなり増えたが、その他の家事や勉強など、やるべきこともしっかりとやった。まともな趣味がない分、そういうところをちゃんとしてないと後が苦しいからな。

 そんな感じでほぼいつも通りの日常を送りつつ、気づけば夜も更けていた。エトの飯を作ったり、彩芽のためもご飯を持って行ったりと、なんだかやけに大量にご飯を作った気がする。今日の夕食でもたくさんフライパンを振ったので、腕がパンパンになってしまった。しばらく鍋は振りたくないな。

 いろいろな雑務をこなしていったところで時計を見ると、九時前くらいになっていた。身体には十分な疲れが残っているから、風呂入ってベッドに行ったら確実に眠れそうだ。でもまだ俺にはやりたいことがあった。

「今日も行くか、天体観測」

 そう決めた俺は、早速出かける準備を始める。最後に行ったのは二日前と、日にちのスパンはかなり短い。でも前回はエトのこともあり、楽しむ余裕はこれっぽっちもなかった。その前はというと結構バタバタしていたのもあり、あまり記憶になかった。

 もちろんエトの世話もあるのだが、今の時間なら大丈夫。そう信じての決断だったが、その予定がちょっとばかしズレた。

「……テル。どっかいくの?」

「エト、起きてたのか」

 声がしたので振り向くと、目をこすりながら布団から這い上がるエトの姿があった。こういう姿を見ていると、本当に宇宙人がどうかわからなくなるけどな。

 エトは基本飯を食っている時以外、ぼーっとしたり寝ていることが多い。食べ物以外のものに興味を示すことはなく、ただただ身体を休ませているようだった。まあ俺からしたら変なことしてくれない分、十分嬉しいことではあるけど。

 そして今日も、夕食を食べてすぐくらいに眠りに就いていた。その長さから考えてちょっと出かけるくらいの時間はあるかなと思っての行動だったが、少しだけ読みが外れたようだ。

「ちょっと星を見に出かけてくるよ」

「……星?」

「あぁ……うん。エトと初めて会った場所に行くってところかな? そこまで長く家を空けるつもりはないから、安心して寝てていいぞ」

 やんわりとした口調で俺はエトを寝かせようとする。ご飯にしか興味のないエトが、天体観測に興味を抱くとは考えにくい。変なことに付き合わせてストレスを溜めるよりは、家にいてもらった方がいいだろう。

 そう踏んでの発言だったが、どうやらエトの考えていることは違っていたらしい。

「……エトも、いく」

「え? エトも?」

「……ダメ?」

「いや、ダメ、じゃないけど……」

 上目遣いで「ダメ?」の破壊力はえげつなかった。見た目だけは最強に可愛いエトがやるだけあって、俺がなんか悪いことした気分にもなった。恐ろしすぎる……

「……マジで星見るだけだぞ? ご飯が出て来たり、見てたらお腹が膨れたり、そんなことは一切ないんだぞ?」

「わかってる……ただ、テルのすきなことに、きょうみがわいただけ」

「……」

「……どうしたの? きゅうにだまりこんで?」

「え、あぁ、別に。なんでもないよ」

 ご飯以外の概念に興味を示すエトが珍しすぎて絶句していた、なんて口が裂けても言えない。さすがにこれが失礼な発言であることは、言われなくてもわかっているつもりだ。

 しかしどういう風の吹き回しだ? エトが俺の趣味に興味を持ち、なおかつそれに付き合おうとするなんて。俺に気遣った……というわけでもなさそうだ。仮に気遣っているのなら、もう少し飯の量を抑えてくれるはずだ。

 まあ何はともあれ、エトが行きたいというのであれば連れて行くしかない。無理やり断ってストレスを与える方がよっぽど危険だ。どうせ星を観に行くだけだし、危険が生じることはまずないだろう。

「なら行くか」

「うん」

 そんな彩芽ともしないような簡素すぎる会話を済まし、俺たちは一緒に星を観に行くことになった。


 準備、なんて大げさに言っておいて、そこまで準備することはない。外出用の恰好に着替えて、スマホと財布だけ持っていくだけだ。エトに関しては着替えることもせず、いつも通りのカッターシャツ一枚だ。そろそろ本格的にエトの服も用意しないとな。月島さん辺りに相談すれば喜んで協力してくれそうだけど……まあエトが服を着ること自体が嫌いかもだから、なんとも言えないか。

 移動方法は前と変わらず、自転車の前かごにエトを乗せただけだ。前回と違う点は、エトが全裸かカッターシャツ一枚かだけだ。どちらにせよ人に見つかった時点で、そこで人生終了。次いでに地球も終了なので、そこはめちゃくちゃ気を遣って移動した。そんなしょうもないことで、全てを終わりにしたくない

 とはいえもう何回も通ってきた道だから、迷うことはない。また一目につきにくいルートも知っているので、人の目に触れることもない。まさに完璧なムーブだ……まあ完璧じゃなきゃ、社会的にゲームセットなんだけど。

 そんな危険と隣り合わせな状況の中、俺はエトを連れていつもの丘までやってきた。エトが来た時から何一つ変わっておらず、綺麗な状態が保たれていた。本来ならエトが降ってきた衝撃で、丘がえぐれていてもおかしくないはずなのにな。

 適当な場所に自転車を停め、前かごに入ったエトを持ち上げ丘に下ろす。今宵も綺麗な夜空が広がっている中、神秘的な可愛さを持つエトが非常に映える。月島さん辺りは金を払ってでも観にきそうだ。

「……ちょっと寒い」

「だろうな!」

 ただそんなエトの天然発言で全て冷める。まあ寒いよな、そんなカッターシャツ姿なら。どちらかといえば温かい季節とはいえ、さすがに夜は冷え込む。風邪でも引かれたら大惨事間違いなしだ。

 だから俺は前もって着込んでいた上着を一枚、エトに羽織わせる。サイズ的にもカッターシャツと一緒なので、彼女の身体がすっぽり覆われる。

「これでも着て。多少はごまかせるから」

「うん……ありがと」

 上着の袖口で口を覆いながら、エトは静かな声でお礼を言う。その仕草も反則ですね、本当にありがとうございます。

「それでテル……ここで、なにするの? なにも、ないけど」

「まあな。俺はただ、あれを観に来ただけだし」

 そう言いながら俺は、星々が広がる夜空を指差した。それに注目したエトはというと……

「……それ、だけ?」

 ぽかんとした顔で、エトは俺の顔を不思議そうに眺める。完全に拍子抜けした、と言わんばかりの雰囲気を、これでもかと醸し出していた。

「まあ……そうだけど」

「……それの、なにがたのしいの?」

「ストレートだなおい!」

 いや、気持ちはわからなくもないけど。エトじゃなくてもそのような言葉を投げる人間は山ほどいそうだし。でもそうじゃないんだよな。

「別に楽しむために来たんじゃないんだよ。そうだな……休むために来た、とでも言うべきかな?」

「やすむ……? ちょっとなにいってるのか、わからない」

「あはは……まあ、人間にはいろいろあるんだよ」

 最も俺だって、夜空を観るだけで身体を休められるとか、そんなことは考えていない。やっているのは心の休憩、精神的に余裕をもらいに来ているのだ。この二日間だけでもいろいろあったし、俺には何よりも休息を欲しているはずなのだ。

「まあつまらなかったら寝ててもいいぞ? 夜空を観ながら眠りに就くっていうのも、中々に乙なものだからな」

 まあ俺はしないけどな、百%風邪ひくし。

「……いい。エトもテルといっしょにみてる。べつにこのくらい、くでもない」

「そ、そうか……まあエトがそう言うのなら、俺は止めないけど」

 別に寝ることを強要しているわけじゃないし。一人よりも二人の方が楽しい、これは世間一般的に伝わる常識だ。俺自身そう思っている。ただ唯一問題を挙げるというのなら……

(……なにしゃべったらいいんだ?)

 エトに悟られないように健闘するも、俺の頭の中はそのことでいっぱいになる。コミュ力が全くないわけではないが、彩芽や雲海とかに比べたら大したことはない。こんな状況でどんなことを話題に挙げれば、エトの機嫌を損なわせずに済むのか全く分からなかった。エトがそんなこと気にしてるとは思えないが、万が一のことがあると怖くてしょうがなかった。

「……テル、ってさ」

「お、おう。なんだ……?」

 すると前触れもなく、エトが俺に話しかけてくる。何かを訪ねようとしているその口ぶりに、俺は少々救われる。ただ状況的に助かったとはいえ、エトから話題を提供してくれるとは思わなかった。それはそれで身構えてしまう。

「……エトのおせわしてて、たのしい?」

「きゅ、急だな……どうかしたのか?」

「べつに、ただきになっただけ」

 なんでもない、いつも通りの口調でそう質問するエト。しかしその視線は真っすぐと、俺の視線とかち合わせる。そこからは言い逃れ出来ないくらいの凄みを感じるような気がした。

 とはいえ、エトの世話か楽しいかどうか、か。そう聞かれると答えは自ずと一つに絞られる。その言葉を口にすることに対し抵抗を覚えないわけではないが、俺は思い切って告白する。

「結論から言えば……楽しいって思ったことはない、かな」

「そう……」

 遠慮のない俺の回答に、エトはややしょぼくれた表情になる。そうなることを予想していなかったわけではないが、全身から冷や汗があふれ出る。

「あぁ違うぞ、エト。誤解のないように言っておくが……俺は今までの人生において楽しいこと、自分が本当に心の底からやりたいと思えることが一つもなかったんだ」

「……どういう、こと?」

 俺から視線を外すことなく、エトは首を傾げた。その表情から悲しみの感情は消え去り、純粋な疑問だけが残っている、という感じか。こんな表情を見るのは初めてだ……とはいえ当たり前か。こんなことを言ったのはエトが初めてだ。同性の中で一番仲のいい雲海にも、誰よりも長い付き合いを持つ彩芽にも、言ったことないことだからな。

「俺の行動理念……何かをする上での重要なポイントっていうのが『それをして相手のためになるかどうか』なんだ」

「……あいてのため、に」

「そう。それをすることで相手が喜ぶ、助かる、楽になる……そこが一番のポイント。そして少しでも助けになるというのなら、俺は手を差し伸べるのを躊躇わないんだ」

 そうでなければ彩芽の未来のために、彼女を献身的に支えたりはしない。そうでなければ地球の平和のために、エトの世話という重要ミッションを背負ったりしない。自分という存在を蔑ろにしてでもその人のためになるならなんだってする、それが赤星輝という人間の信条だ。

 もちろん誰かを支えるためには、俺自身も最低限の力を誇示しておく必要がある。勉強、運動、家事、人情……俺はその全てを、恥ずかしくないレベルにまでは維持している。ただそれも全て、彼女たちを支えるという使命を果たすためにしていることに過ぎない。

 そしてそこに、俺という人間の未来なんて存在しない。俺の未来など先が不透明すぎるし、仮にあったとしても大したものではないだろう。でも正直それでもいいと思っている自分がいる。彩芽はその内大きな存在になるだろうし、エトは宇宙人だ。そんな彼女たちの支えになれたことは、この先一生の自慢話になることだろう。

「……テルは、たのしいの? そんないきかたしてて?」

 するとエトが、そんな気難しいことを聞いてくる。中々に答えにくい質問だが、どんな形の問いであれ、俺の答えは変わらない。

「……楽しいとか楽しくないとか、そんな感情で行動を決めたことがない、な。俺はただ、そうした方が全て上手くいく。本当にそれだけを大事にして行動してきたんだ」

 エトに負け時といつもと変わらない口調で言い返した。多分、誰が聞いて来ても、同じ答えを返していたことだろう。そのくらい俺の信念は堅く、揺らぐことはないものだ。

「そう……なんだ」

 だからエトも俺の答えを聞いても、そんな言葉しか呟けない。もしかしたらエトには難しいことだったのかもしれない。空腹さえ満たせれば万事OK系少女だし。それに仮に意味が通じたとしても、理解までには及ばないだろう。客観的に考えても、俺の信念は理解しにくいものだしな。

 だが俺の言葉を聞いて、しばし考え込むエトの姿が網膜に映り込む。基本的に考えることを知らないエトにしては珍しい光景だ、そんなのんきな思考に囚われそうになるが……不意に呟かれたそれには反応せざるを得なかった。

「それは……ぜいたくななやみ、だね」

「贅沢な、悩み……?」

 率直に意味が分からない、それがエトの呟きを聞いた俺の感想であった。

 贅沢な悩み、というのは、俺の堅い信念のことを言っているのだろう。しかしそれの何が贅沢なのかわからない。確かに俺にとっては贅沢な悩みだ。自分自身の感情や願望を殺せば、生まれ変わっても出会うことのない美少女のサポートが出来る。それを喉から手が出るほど欲する人だって、世の中にはいるかもしれない。

 しかしそんなのは一部の物好きの話だ。大抵は俺を見て、不幸せな生き方だと思うのが普通だ。何せ自分が本当にやりたいと思うことを殺してまで、他人に尽くすのだ。それは言い換えれば自身の人生を犠牲にしているのと同じ。それを贅沢と言える人間は、少なくとも多くはないだろう。

 だがエトは贅沢と言った。それに深い意味があるのかどうかはわからない。もしかしたら地球人の俺と宇宙人のエトの間には、理解しがたい感性の違いがあるのかもしれない。むしろその可能性が一番妥当なくらいだ。ただもう一つだけ、可能性を挙げるとするならば……

(……俺なんかよりも、ひどい人生を送ってきた?)

 そんなことがあり得るのだろうか……いや、もちろん可能性としてゼロということはない。

 宇宙人という物語の登場人物のような存在であるエト。そんなエトが実はひどい境遇を受けていた、と考えるのは別に不思議なことじゃない。もしかしたらただご飯が食べられることが、富豪か何かの特権レベルの価値観を持ち合わせているのなら、あの爆食いも頷ける。

 そしてその答えは、全てエトが知っている。当たり前だ、自分のことだから。でも俺がそれを聞いてもいいのだろうか。話の流れ的に、聞かないわけにはいかないからな。

(……気になる。エトがどんな人生を送ってきたのか、めっちゃ気になる)

 初めてかもしれない、俺がエトに対して知りたいことが生まれたことそのものが。この先どのくらいの付き合いになるのか、それは俺にもわからない。でも聞いておけばエトの機嫌をキープする大きな手掛かりにもなるし、逆鱗に触れることも少なくなる。情報を仕入れる大切さは、こういうところで如実に表れる。

 聞こう、エトの生きた軌跡を。そう決めると、俺の口はすらすら動く。

「……エト、聞かせてくれないか? エトが今までどんな人生を……ってエト?」

 俺が質問しようとしたその時。エトの視線が俺から離れていることに気付く。顔の向き自体は変わらず、俺の背後を見ているようだ。それも今まで見たことない表情をしていたのだ……例えなくてもわかる。その感情の正体は、恐怖だ。

「エト……? どうか、したのか?」

「て、テル……う、うしろ?」

「後ろ……ってまさか⁉」

 エトの短い言葉で俺は全てを察し、デジャブを味わうこととなる。エトと初めて会ったこの丘。言い換えるなら宇宙人と初めて邂逅した場所でもあるこの丘。そんな丘でエトが怯えることがあるとすれば、何がある?

 憶測にして証拠もない、だが状況推理からしてほぼ確定だ。もし、エトが何かしら酷い境遇を受け、自身のいた星から逃げたと仮定しよう……そうなれば誰かがエトを追いかけてくるという可能性は、非常に現実味の帯びる事象へとなるのだ。

 極め付きは、エトが向いている方向。具体的には俺の背後、そして更に目線は夜空の方向を向いていた……察しのいい人間なら、もう何が起きているかわかることだろう。

 俺はその真実を、本当ならやって来てほしくないその真実を確認するために、バッと背後を振り向く。その視線の先にあったのは見たことはない、けど既視感はある、そんな無機物の物体……まあ簡単に言えば宇宙からの漂流物、つまり隕石だ。

「……いやどうしてそうなる⁉」

 ツッコまずにはいられず、思わず大きな声を張り上げてしまった。だってこんな短いスパンで宇宙から何か落ちてくる、なんてことが起きるなど誰が想像できるだろうか。しかも同じ場所からの観測だ、今頃この丘が有名なミステリースポットになっていてもおかしくない。

 何はともあれ、またしてもこの場から離れなければならない。隕石の落下角度からして、またこっちの方にやってくることだろう。そうなれば速やかにここから逃げなくてはならない。巨大な隕石を前にしたら、どんな人間だろうと等しく無力だからな。

「エトっ、逃げるぞ……エトッ!」

 だから俺はもう一人の連れに逃げるよう促す。しかしエトの足は地面とくっついたかのように離れようとしない。そんなエトはただ真っすぐと隕石を眺めるだけだ。未だうっすらとわかる恐怖の感情を表情に張り付けながら。

 俺は内心、普通に焦りを覚えていた。さすがにエトを放置できない、しかしエトは全くその場から離れようとしない。何か打開策でもあるのか……確かにエトの力、爆発能力を使えば隕石など木っ端微塵だ。でもそれをしたところで爆発の破片が近辺に落ちる、決定的な被害は免れない。それをわかっているのかは不明だが、エトも力を使おうとしなかった。

 なら何故、エトは隕石を前にして動かないのか? 可能性があるとすれば……エトはあれを見たことがあるというもの。あれがもし、エトの星のものだというのなら、凝視するのも頷ける。

 あまりにも離れようとしないので、俺もエトと同じように隕石を観察する。最初は遠くてよく見えず、シルエットからして隕石でしかないと決めつけていた。しかし隕石らしきものがこちらに近づいていくにつれて、その姿がはっきりと視認できるようになる。

「……宇宙船?」

 それを見た時、俺の脳裏にはその単語が浮かんできた。

 もちろん現物を見たことはない。むしろ現物ってなんだって話だ。しかし夜空から降ってくるそれは、どう解釈しようが宇宙船だ。空から落ちてくるそれが、カプセルのように丸く金属で覆われた隕石とは呼べない人工物なのだから。

 何故そんなものが、わざわざ地球へとやってきたのか……その理由など、もはや語るまでもない。宇宙人であるエトがこの地球にいる、それだけで全て物語っていた。

 やがて宇宙船は一定のスピードでこちらへと落ちてくる……と思えば、墜落直前くらいで急にスピードが緩まった。着陸態勢に入れるのか、てっきり勢いそのままに墜落してくるのかと思った。

 そんな緩まったスピードのまま、宇宙船は地球の平凡な丘の上で着陸した。優しい着陸だったため、またしても丘が傷つけられることなく綺麗なままだ。衝撃とかも特になかった、後はこれが落ちているところを誰かに見られていないかが心配なところだ。

 着陸してやっと、俺は宇宙船の外装を目の当たりにする。人ひとりくぐれるくらいの小さな扉と顔の大きさくらいの窓だけがあり、それ以外は白い金属で覆われていただけのシンプルなものだった。宇宙を航海するという大きな目的のために、見た目は簡素にしたのだろう。

 しばし観察を続けていると、急に宇宙船からプシュッっと空気が抜ける音がした。突然のことに俺は驚き距離を取る。エトみたいな化け物が出てくる、そう考えただけで警戒するのは当然のことだ。

 しかしエトは違った。宇宙船が目の前に落ちようとも、宇宙船から変な音がしようとも、表情一つ変えずにただ宇宙船を眺めていた。まるで中に誰がいるのか、わかっているかのように。

「エト、これはいったい……」

 何もわかっていない俺は、エトに事情を聞こうとする。しかしエトが答えるまでもなかった。

 そのままプシューっと宇宙船から空気が漏れる音が出続ける。それだけで警戒心は更に高まった。そして宇宙船の扉が、開けてはならないパンドラの箱が開かれる。その中にあったのは、エトに負け時劣らずの、人間にして20歳くらいの美少女であった。

 エトと似て髪質が美しく、それでいてエトとは違い深淵のような黒の長い髪を後ろで一つにまとめている。男性にも負けないくらいの長身に、見ただけでもわかる引き締まったスタイルを持つ。がっちりしている点では彩芽にそっくりだが、それでも彼女にはない双丘はしっかりと主張を露わにしている。宇宙船にいる関係で身体を丸めているが、それははっきりとわかった。

 そして顔だ。凛としほっそりとした顔立ちは、まさに綺麗系を象徴する美少女の特権だ。さらに眉や鼻、口に至るまで、パーツの全てが整えられていた。そして今、閉じられていた瞳も開かれる。

「……っ⁉」

 しかしその女性の目を見た瞬間、息が苦しくなる。ただ目が開かれただけだというのに、丘の上に漂う緊張感は嘘みたいに跳ね上がった。それくらい鋭く、目だけで人を殺せそうな、危険な眼差しをしていた。その奥に眠る綺麗な瞳など、霞んで見えるくらいだ。

 そしてその瞳は真っすぐと、俺の隣に立つエトを捉える。更に無言のまま宇宙船を出た少女は、ゆっくりとした足取りでエトへと近づいていく。この時点で俺に用事がないことはわかっている。だが素性のわからない相手を前にして、背を向けて逃げることは出来ない。そのまま最後を迎えてしまう、そんな気がしてならないからだ。

 だが俺がこの場から逃げない理由は、もう一つだけあった。その問題に気づいたのは、本当に偶然だった。

(匂いが、ない……)

 それが目の前の美少女に抱いた、俺の感想だった。少女がエトに近づくということは、同時に俺にも近づいていることにもなる。緊迫とした空気なこともあり息をする余裕もなく、鼻呼吸するしかなかった。そんな時に、それに気づいたんだ。

 匂いがない、つまり無臭。それが目の前の少女の特徴だ。でもそれがなんだというのか、普通の人ならそう思うだろう……俺だって何も知らなければそう思っていたところだ。でも俺の脳内で漂う記憶の中に、こんなものがある。

 昨日の昼休み。体育館のトイレで雲海に引き留められ、エトが宇宙人であることを看破された。その理由が「エトから人間らしい体臭が漂ってこないから」だ。体臭がなく全身無臭であることが、エトが人間ではない別の生命体である証拠である、雲海はそう推理していた。

 もしその理論が正しいと仮定するとしよう……いや、もはやその必要もなかった。

「――お迎えに参りました。エトワール様」

 エトを前にして膝をつき、忠誠を誓っているその姿は、とてもエトと無関係な人物とは思えなかった。

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