第9話
トイレでの雲海との話し合いを終えた俺は、全員のところに戻った後エトを連れて本当に学校を早退した。道中先生や他の生徒に見つかることもなかったため、既に俺たちは自宅近くまで来ていた。
「んまんま~♪」
俺の横では今もなお焼きそばパンを頬張るエトの姿があった。可愛らしい声と顔、その両方を独り占めする焼きそばパンの魔力、恐るべし。まあその焼きそばパンもほとんど残っていないけどな、マジどんな胃袋しているんだろう?
「よほど気に入ったみたいだな、焼きそばパン」
「……エト、これきにいった。今までこれをたべてこなかったことを、はじるレベル」
「そ、そこまでか……」
こんなに自信を持って答えを言うエトは初めて見た。でも確かにエトの食の進み具合から考えても、気に入ったのは本当みたいだ。昨日の生姜焼きやオムライスも気に入ってくれたみたいだが、焼きそばパンほどではない。
「やっぱ炭水化物は正義なのか……」
「たんすい、かぶつ……ってなに?」
「あぁ、うん、そうだな、力の源的な? 焼きそばパンとか代表的かもしれんな。美味しいものにはだいたい含まれているんだ、まあある事情で嫌う人もいるけど」
「……いみふめい。こんな美味しいものをきらうりゆうなんて、どこにもないのに」
「あ、あはは……そうだな」
引き気味に返事をしながら、俺はエトのお腹の方に視線をやる。昨晩から食べた量を考えても、人間なら確実にお腹が出ることだろう。でもエトのお腹は昨日から全く変わらず、綺麗な線を描いていた。加えて言うならば、今朝よりもほんの少しだけ胸も膨らんでいるようにも見える。
いっぱいご飯を食べても太ることはなく、その全てが胸に集約される、か……
「彩芽が聞いたらガチギレしそうだな」
「アヤメが、どうかしたの?」
「あぁうん、気にしなくていいよ。ただ『栄養が全て胸にいく』という言葉を、彩芽の前で発したらダメだぞ? 俺との約束だ」
「……よくわかんないけど、わかった」
ぽかんとした表情のまま、エトは最後の焼きそばパンを口に放り込んだ。これだけは絶対に守ってほしい、じゃないと彩芽とエトによる宇宙大戦争が勃発するやもしれん。そんなしょうもない展開など誰も望んでいない。
「……テル。こまったことになった」
「な、なんだよ……」
そんな時、急にエトの口から面倒な言葉が漏れる。視線をやるとエトが空になった自分の両手を眺めていた。
「やきそばパンが、なくなった」
「……まあそうだな、あんだけバクバク食べればそうなるわな。むしろよく全部食べたと褒めたいくらいだけど」
「……まだちょっと、みたされていない」
「あんなに食ったのに⁉」
食べ終わったのほんの数十秒前の話ですよ? あれだけ食べてまだ胃袋に余裕があるのか……本当に腹の中にブラックホールでも飼ってるんじゃないか?
とはいえ感心している場合じゃない。もう焼きそばパンはないし、財布の中身はほぼゼロに近い、そして自宅に帰っても冷蔵庫の中は空っぽだ。だから一回お金を下ろして買い物に行かないといけない。加えて料理をする手間も必要だ、それまでエトが我慢できるとは思えなかった。
「……ほかになにかあったり、しない?」
「そう言われてもな……手元に残っているとすると……」
エトに急かされるように、俺は鞄の中を探る。そういえば、俺の記憶が間違っていなければ鞄の中に……
「お、あったあった。これくらいかな?」
鞄の中から黄色のパッケージの小箱を取り出す。そしてそれをエトに見せびらかす。
「……これはなに?」
「これか? これはケロリ―メイトって言うんだ。クッキー……って言ってもわからんか。とにかく栄養食のお菓子だな」
ケロリーメイト、栄養補助食品としては非常に優秀な食べ物だ。味のバリエーションもあって、とても栄養食品とは思えない美味しさを持つ。彩芽の小腹が空いた時ように用意したのだが、まさか今役に立つとはな。用意した俺、マジでナイス。
「え、えいよう、しょく……」
しかしケロリーメイトを眺めていたエトの表情が唐突に曇る。美味しいものを食べている時に浮かべる笑顔以外、常に無表情を貫いているエト。そんな彼女の表情が引きつっていたのだ。初めて見る表情ではあるが、栄養食に対していい印象を持っていないことは見ればわかった。
「エト、どうかしたのか?」
「……なんでもない。で、でも、これはいらないかな……」
「えっ……⁉ 正気か⁉」
思わず、つい反射的にそんな言葉が口からこぼれる。ただ俺の気持ちも察して欲しい。
あのエトだぞ? 地球の食べ物だろうが抵抗なしになんでも食べ、およそ常人では考えられない量を平らげるあのエトだ。そんなエトが食べ物を拒絶するなんて、絶対ありえないことだ。付き合いにしてまだ一日も経っていないが、そのくらいのことはさすがにわかる。
「……エトにはわかる。それはかならず、ぜったいにきょぜつしないといけないものって」
「と、言ってもなぁ……手持ちの食べ物はもうこれしかないぞ? あとは俺が作るしかないけど、材料から準備しないといけないから、すっごい時間かかるぞ?」
「……それでもいい、ちょっとはがまんする。テルのごはんなら、そのくらいできる」
「そこまでか……」
まさかエトの口から我慢なんて単語が飛んでくるとは思わなかった。俺が我慢を命じたことは多々あるが、彼女が自主的に我慢を強いるのは初めてのことだ。そんなに嫌なのか、このケロリーメイトは。
「ならとりあえず、一度家に帰るか。どちらにせよ制服じゃあ補導されかねんし。エトを置いていくにしろ連れて行くにしろ、準備は必要だしな」
なにせ今のエトはカッターシャツ一枚、スカートも下着も身につけていない状態だ。今でこそ人通りの少ない道を通り事なきを得ているが、こんなの誰かに見られたら即通報だ。もちろん俺が。
「……ならはやくいこ。エトもできるだけ、がまんはすくなくしたい」
「わ、わかったよ」
本当に待ちきれないのか、エトが俺の腕を引っ張る。そこだけ切り取れば、無邪気な子ども以外の何物でもないんだけどな。俺としても心からの安心を欲しているので、早いところエトに食事を届けなければならない。だからエトに引っ張られるままに、俺も帰路を急いだ。
そういえば結局、何故エトがあそこまでケロリーメイトを拒絶したのだろうか? エトのケロリーメイトの拒絶具合を知ることは出来たが、その理由までは突き止められなかった。彼女の趣向を探るためにも知っておかなくてはならないことではあるが……
「……まあ、いっか」
ちょうど話も途切れてしまい、聞き返すような雰囲気でもない。いずれ聞く機会もあるから、その時にでも聞けばいいか。要は食わせなきゃいいだけの話だ、大問題にすることもないだろう。その程度の気持ちで、この話題は俺の頭の片隅に追いやられたのだった。
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